第31話 第5章3 限られた戦力ー領主館ー



 周囲に何もなくポツンと建っていた館は賑やかな喧騒に包まれていた。といってもそれは、喜ばしい類のものではない。



「おらぁ! いい加減、しつっこいっんだよぉ!!」

「ぐ、…うおおおお!? スゲェ力だコイツ……ガフッ…ぐ!」

 バヴォック隊のならず者達およそ1000人が、いまだ誰一人として領主の館にその手をかける事なく、苦戦を強いられていた。

 敵にしているのはオーガやゴブリン、あるいは人型の亜人種か獣人めいた形の何かだったりとその形状は様々ながら、共通してその全てが真っ黒な塊のような、生物なのかもわからない奇妙なモノ達だった。


「ぬぅう、何をしている。進め進め! 早く館の中へ攻め込まんか!」

 隊長であるバヴォックは巨人族らしい迫力ある腕を振るって突撃の令を出す。

 もちろん部下達は四方八方から館へと攻め込まんと努力しているが、その全てが真っ黒い謎の敵によって完全に阻まれていた。



世に隠れる暗黒面シャドウ・ストーカーズ

 ミミが館に施しておいた、特殊な儀式型魔法。

 魔法を常に “ 操作する者 ” が必要だが、トラップ魔法と同様に発動そのものは敵が範囲内に侵入すれば自動で起動する。

 その効果は全身が真っ黒な影の塊のようなモノが侵入者を攻撃する、というもので近い将来、館へ襲撃してくるであろう事を見越していたミミが私兵不足を補うために用意していた。


 操作する者に確かな魔法の才や知識があれば敵を漆黒の中へと飲み込んでしまえるという、かなり強力な効果を発揮する事もできるが、それは現状では不可能。

 なにせ今、この魔法を館の中から操作しているのは施した術者本人ミミではない。




――――領主の館、2F広間。


「……はぁ……はぁ……はぁ……、…ん…」

 メルロは滝のような汗を流しながら両手を地面に向けて懸命に念じていた。

 ミミから万が一の時のためと彼女が館を留守にする前に、この魔法の操作方法を教しえてもらっていた。

 将来我が身に起こる可能性のある不幸―――雇われる際に聞き及んでいたその時が来たのだとメルロは確信しながらも魔法を操作し、あるじ不在のこの館を守らんとしていた。


「に…し……に。はぁはぁ、3…人……っ」

 漆黒の兵士を増やし、さらなる敵に対応させる。集中力が必要なこの魔法は今のメルロの精神状態を考えると彼女に大変な負担がかかる。

 だが、こんな自分でもお役に立てるのだと己に言って聞かせ、にじむように湧き上がるかすかな喜びを集中力へと結びつけ、彼女は奮戦し続けた。






「あちゃぁ……なんなんだぁ、あの黒いのはよー? チェッ、バヴォックの旦那もアテになんねーよなぁ」

 ジニーは高見の見物とばかりに安全な距離から館を伺い見る。

 副隊長という立場だが、バヴォックからは貧弱扱いされ、僅かな部下のみをつけられての控え部隊名目での待機―――はやい話がバヴォック軍本隊からは完全に邪魔扱いの除け者状態だった。


「あーあー、見てらんねーなぁオイ。……よーし、このジニー様がいっちょ活躍してやるとすっか!」

 人間種という事もあってただでさえ戦闘能力も身体能力も極めて低い副隊長。控えている部下達は、何を言ってるんだコイツは、と冷ややかな目で見ている。


 当然だ。


 ジニーよりもその部下達の方が強く、かつ今苦戦しているバヴォックの兵士達はさらにその上をいく精鋭である。ジニー達小勢が加わったところで戦局になんら変わりはないだろうし、むしろ足を引っ張る可能性の方が大きい。



 それでもジニー副隊長はやる気らしく前線に近づかんと移動しはじめる。

 緩やかな曲面を形成する大きな丘の上へ、一応は相手から死角になりそうな角度を選んでいるのか、その動きには前進しつつも館の東側に回りこむような横へのスライドも含まれていた。


「くっそ、どこもかしこもあの黒いのだらけじゃねーか。入り口の一つもあけとけっつーの、このジニー様のためによーぉ?」

 貧弱な種族にあってどうしてここまで調子に乗れるのか?

 部下達は常々不思議に思っていた。しかし彼らは苦笑しながらもジニーについてゆく。ほんの10人足らずで無謀に突っ込めば100%あの黒いのに阻まれ、打ちのめされるだけとわかっているのに。

 だが不思議と彼らに不安や緊張はなかった。副隊長のアホさ加減が本人の意図せぬうちに部下達の湧きあがる恐怖を潰していた。



「……ええい面倒だ、このまま突っ込んじまえ!!」

 しびれを切らしていきなり走りだすジニーに全身の毛が逆立つほど驚く。

 いくらなんでもそこまで馬鹿じゃないだろうと思っていたのに、やはり彼は馬鹿だった……なんて再認識している暇もない。


「え、お、おいおいジニー! さすがにそれは無茶が過ぎるっての!!」

 言いつつも慌てて続く部下達。

 間延びした一直線の突撃体制は、しくも敵陣突破にあたりもっとも合理的な陣を形成する。

 ……もっとも本来なら、その先頭をゆく者は敵を蹴散らして突破口をこじ開けられるような強者でなければならないのだが。


「うおおおおりゃぁっああ! ジニー様のお通りだぜぇっ、どけどけ、どきやがれーっ!!!」

 そして大方の予想通り館にたどり着く目前であの黒いのが現れ、立ちはだかった。そしてジニーにその相手がつとまるだけの戦闘力は当然ない。


「!? 退がれよジニー! お前じゃ無理だっ!!!」

 近くで黒いモノの攻撃を受け止めていた本隊の兵士がジニーの突撃に気付き、無謀を制止せんと声を荒げて叫んでくる。

 だがもう襲い。勢いのついた突進は退くどころか止まる事もできない。


「ぬほぉおお!!!? や、やっぱコエエェェェエ~~ッッ!!!」



  ・

  ・

  ・

「っ……んく…、ぁ、っ…はぁ、はぁ、はぁ…」

 メルロはその場に上体を落とすように倒れ込んだ。

 色っぽさすら感じられるか細く漏れた小さな吐息に続いて、荒く乱れた息が吐き出される。


 集中力の限界。

 同時に100体以上もの黒いモノを操作するのは、やはり負担が大きすぎた。

 そのほとんどが自律行動オートとはいえ、大まかな指針や活動範囲、配置、そして維持などはメルロが操作しなければならない。


「はぁ…、はぁ…、はぁ…、ま、だ……だ、ぃ……じょ、…ぅぶ。わた…し、も……、が…がんば、る…っ!」

 息を整えて座りなおし、再び両手を魔法陣にかざした。




―――領主の館、東側の一角。


 ドパァン……、ガッシャーン!!!


「痛ッてぇーーッ!!! な、なんだぁ!???」

 黒いモノに全身でぶつかる瞬間、それは水のように弾けて消えた。

 そしてジニーの身体はその後方にあった館の窓ガラスを突き破り、館の1F廊下へと転がり込んで、いくつかのガラス片をその身に食い込ませて血を噴いた。


「と、突破した!? よ、よくわかんねぇがジニー副隊長に続けっ!!」

 後に続いていた部下達は驚きつつも、ジニーが割った窓から残っていたガラスを綺麗に取り払う。

 そして本隊があれほど手こずっていた内部への侵入をあっさりと達成した。





「じ、ジニー隊! 館への侵入に成功しました!!」

「何ぃ!? あのお調子者がか?? 間違いではないだろうな!?」

 バヴォックは思わず伝令の胸倉を掴み上げた。

 自分が指揮する本隊が苦戦を強いられている最中でのまさかの報だ。信じられないし聞き間違いではないかと我が耳を疑いたくもなる。


「た、確かです。ジニー隊が館の東の窓の一つを割って侵入に成功し、場を固めるためにも兵を回して欲しいと……どわぁっ!?」

 伝令を放り投げるとバヴォックは歯軋はぎしりする。あんな矮小なお調子者に先を越されたなど屈辱でしかない。



「ええい、5人ほど東の窓へ向かえ! 本隊はかわらず正面を抜く!! どの道玄関を抜かねばカラダの大きい者は入れないのだからな!!」

 強引に建物を損壊してもかまわなければその窓を大きくこじあけ、全兵が侵入できるようにすればよかっただろう。


 しかし計画では、領主の館はなるべく破壊しないようにしなければならなかった。

 バヴォックにはその意味するところが理解できなかったが、アレクスがその事を話している際にドミニクが賛同していた事は覚えている。

 それはつまり、腹ただしいアレクスの計画ではあるがドミニクが認めたという事であり、ドミニクの信奉者とすら言えるバヴォックにとっては、それに反する事ができないということ。


 部下には重要施設制圧を絶対に成功させるべく、戦闘に長けた種族や大柄な者を揃えている。この後、第二波としてやってくる予定のアレクスの部隊が到着する前に決着ケリをつけたいと思ってやまない彼としては唯一体躯の大きな者に対応した正面玄関を抜く事で、最大戦力で持って館内部を制圧したいのだ。

 ゆえにジニーの成功にも喜びは湧かず、焦りが募る。


「ええい、あのお調子者ですら突破できたのだ! とっとと攻め抜かんか!!」



  ・

  ・

  ・


「はぁ……はぁ…、中に…入っ…て、…、きた…。ぇ…と…、入られ…、たら……こっち……を……起動…、する…だった…はず…、はぁ、はぁ…」

 メルロは、大きな魔法陣の脇に描かれている小さな魔法陣に向けて片腕を伸ばす。

 すると大きな魔法陣の外輪を滑るようにして小さな魔法陣がメルロの手元まで移動してきた。

 彼女の手の平と重なると同時に、魔法陣は即座に発光しはじめる。




―――領主の館1F、東側廊下。


「へっへっへ。このジニー様にかかればざっとこんなもんよ! オラぁ、とっとと領主の野郎をとっちめて俺様の栄光を不動のものにしにいくぜぇっ」

「……はぁ、わかったから。少しは手当てくらいしろ。そんなに血ぃ噴いてちゃ、お前ら人間種は失血死するんじゃないの?」

 景気よく歩き出して数歩のところで、部下の女性オーガ大亜人が危惧した直後、ジニーはまるでギャグか何かかと疑いたくなるほど見事なタイミングでその場で傾き、倒れた。


「言ってるそばからかよ。お約束すぎんだろ……」

 マタンゴ茸亜人が目鼻がどこにあるのかわからないような顔面をその手で覆う。

 その容貌は、巨大なきのこの着ぐるみを着用し、両手足だけを外に出してる人間種のようにも見え、何か仕草を取るたびに傍にいる者たちは笑みがこぼれそうになるほどひょうきんだ。


「ま、一番乗りって手柄は立てたんだ。少しは見直したけどさ……やっぱジニーだなって安心するよ、なんか」

 男っぽくサバサバした口調と態度。

 手持ちぶさたとばかりに、隣に立つマタンゴの頭をボスボスと上から叩くように押し込んでは軽く遊ぶオーガに同意するように、場にいる者たちは等しく短い笑みをこぼした。


「とはいえ、こっから引き返しても手当てなんか無理だろ。とりあえず血ぃだけ止めて、かついで連れてくしかないな。ったく、とんだ副隊長サマだぜ」

 ジニー隊の兵数は10人しかいない。4人は外で窓の側を固め、増援を待っている今、館内部に潜入している兵の数は6人ほど。

 内1人は負傷しているジニーを担いでるため、戦闘行動はほぼ不可能。実質的な戦力は5人しかいない。

 そして当の5人はそれをよく理解しており、ジニーと彼を担いでいる仲間を中心に周囲を警戒するような配置を取った。



「誰もいない? 使用人だけじゃない、兵の姿も見当たらないな……」

 これだけ外でドンパチしてれば外縁の廊下に非戦闘員がいないのは当然としても、戦闘要員であるはずの兵士がいないのはおかしい。ジニーの飛び込みは、窓ガラスを破砕する音を館内にも派手にぶちまけたはずだ。

 たとえこの場にはいなくとも不審な音を聞きつけ、館内待機の兵が押し寄せても不思議ではない。

 安全な状況というのは望ましい事だが、それを通り越して6人は不気味さを感じていた。


「灯りはなしか……。昼間でも薄暗いな、さすがに」

 南に向かって伸びる廊下の先を注視するドラゴマン竜姿亜人がぽそりと呟く。それはその場にいる全員が周囲を見回して最初に抱いた感想でもあった。


 やたらと薄暗い。


 西へ…おそらく玄関ロビーに向かっている方向も、先がどうなっているか確認できないほどに。

 1歩、2歩と慎重に廊下を進み、奥を視認しようと目を細める。だが廊下の向こうはかわらず暗がりが広がっているばかりで、向こうがどうなっているのかまったく伺い知れなかった。



「………? おかしいぞ、こんなに大きな窓が並んでるんだ。曇天の空っていってもこの暗さは異常―――」

 そこまで言ってオクトルーパ蛸手魔人が言葉を詰まらせる。一体何事かと思って他の仲間達は彼が警戒していた西方向へと視線を向けた。


 すると廊下の先の闇が―――錯覚ではない、間違いなく彼らに向かってきていた!



「暗がりじゃないぞ!! アレは、あの黒いヤツだっ!!」

 外で戦っているヤツとは異なり、もはやなにかしらの形状にすらなっていない、波のように押し寄せる真っ黒いモノは、反射的に身構えた彼らの手前でより黒の密度を集約させた拳のようなものを、彼らの頭上からその頭をえぐらんとするような軌道で放ってきた。


 ドゴォッ!!


 床に敷かれていた絨毯は貫かれなかったが、その下の木造の床には穴が開いたのだろう、周囲が大きくたわむ。

 彼らの身体は黒いモノが床を砕いた衝撃で、指数本分程度ではあるが空中へと浮き上がった―――と、同時に


 ドボゴッ!!


「ごふっぶぅ!?!! ……ガハッ!!」

 体勢が乱れた5人のうちの一人がその腹に次撃を受けて派手に吹っ飛ばされる。廊下の角柱に背中を打ちつけ、反動で前のめりに倒れこみ、そのまま動けなくなる。

 やられた仲間がマタンゴであった事を彼らが認識するには、黒いモノがその拳のように突き出した一部を引っ込めてなお数秒を必要とした。


「な、なんだぁあ!? オイオイ、ちょっと気ぃ失ってる間に、こりゃどーなってんだよォ!?」

「「(気絶してたんかい!!)」」

 さきほどから随分静かだと思っていたら、どうやらジニーは失血で失神していたらしい。だがこの状況ではむしろ気絶していてくれた方がありがたかった。

 どう考えてもこの場で必要なのは迫りくる脅威を打破できる確かな戦闘力であり、その点でいえば彼は完全なお荷物でしかない。


「くそ、4人でアレをどうにかしなきゃなんねぇのかよッ」

 オクトルーパはしきりに複数の腕を揺らめかせ、恐怖を追い出すように叫ぶ。

 何せ対峙した敵は、外で本隊が苦戦しているヤツの数倍は大きい。あの巨人族のバヴォックにすら比肩するような巨躯(?)とおぼしき真っ黒いモノは、得体が知れなさ過ぎて、どう戦えばいいのかすらまるで見当もつかない。


「だね。喜びも束の間ってやつかな」

 冷静な性格のオーガ大亜人もつい苦笑いを浮かべてしまう。まったくもってして笑えない、と。

 オーガの女は、同種の男性に比べればより人間種の女性に近しい姿をしている。だがその体格は立派で、2m越えの個体など当たり前。

 彼女もオーガの女性平均からすればややスリム気味ではあるものの、その身長は2m弱程もあるし、そのパワーは男のオーガも1撃でぶっ飛ばせるレベルだ。


 そんな彼女が普通の人間種並みの女性に見えるくらい、その黒いモノは大きかった。

 こんなに近寄られてその大きさを再認識する。なるほど、暗がりだと勘違いするのも、むしろ当然だと言えるだろう。高身長な種族にも十分に対応できるこの高い天井を持つ廊下を、完全に埋め尽くすほどの大きさならば。


 そうこうしているうちに黒いモノは動き出した。


 その赤褐色の肌を、輝きのないくすんだクリーム色の髪を、鋭い輪郭の中にあって燃えるような瞳を、凹凸と健康美に優れたそのボディを……一切の輝きを返さない黒一色が覆わんと襲い掛かる!

「っ馬鹿にしてるな! そんな簡単にやられるか!」

 彼女は全身の筋力を緊張させ、発生した力の全てを強く握った棍棒に集め、乾坤一擲けんこんいってきの一撃を放った。


 ゴガァンッ!!!


 物理的に攻撃が当たるのかも怪しい謎の敵の、その中心点とも言うべき位置へ棍棒による剛撃を見まい―――当たった。


 確かな手応えがオーガの彼女の両腕に返ってくる。しかし……

「……ぐむ!!? ぐっ、ぅう!!」

 黒いモノがダメージらしいものを受けている様子は一切見られなかった。

 それどころか懐に自ら飛び込んできた獲物を、優しく抱きこむようにその上半身を覆って締め上げる。彼女のつま先はゆっくりと床を離れ、決して小さくはないはずの体躯が不安定な中空に上げられた。



「ちっ、ちっくしょぉ!! 放せよ、このスケベ野郎がッ!!!」

 オクトルーパは己の複数の手を駆使して黒いモノを彼女から引き剥がしにかかる。

 だが、一瞬で頭部を包まれたオーガは最初こそ自慢のパワーをもって抵抗せんとあがいていたが、仲間の救助が功を成す前にその四肢の動きは止まり、やがて廊下の床に向かってダラリと垂れ下がった。


「ぐっ! 二人やられたっ……マズイぞ、ここは一旦退いた方がいい。彼女には悪ぃが退却しかねぇ!」

 ドラゴマンが弾かれたように叫ぶ。

「バッキャロウ!! 隊長は俺サマだぞっ、勝手になに決めてやが……ぐぎょおぉっ!?」

 ジニーが駄々をこねるがすぐさま苦悶の叫びをあげだす。3人がハッとして彼の方を振り向くと、最悪の光景がそこに広がっていた。


「…もう1匹…。そうか、廊下の暗がりは南にも……はははっ、くそったれがっ!」

 オクトルーパがヤケクソ気味に吐き捨てた。


 そう、彼らは廊下の角に位置している。西から迫った巨大な黒いナニかへの対処に気をとられすぎて、南から迫ってきていたもう1体に気付いていなかったのだ。

 そのもう1体の黒いモノがジニーを担いでいた仲間の顔面と両脚を絡め取り、担がれていた彼の首にも巻きついて締め上げている。


 突入路である窓までは4、5mほどしかない。

 突入した彼らの危機的状況は外からでも把握できるし、普通に考えれば撤退はまださほど難しくはないはずだった。

 しかし出入り口である窓の外を固めていたはずの4人は、彼らを救出するどころかすでに骸と化して横たわり、彼らを屠った黒いモノが外からなだれ込んで逆にジニー達の脱出経路を封じつつあった。







―――――――アトワルト領西方、ハロイドの町の東門。


「領主様、このたびはわざわざご足労いただき、本当にありがとうございました」

 正式にこの町の町長としての辞令が書かれたスクロール巻物を懐から覗かせながら、初老のワラクーン狸獣人はミミの両手を取って、ペコペコとしきりに礼を繰り返していた。


「本来でしたら町長引継ぎのキチンとした手続きは前任者が行うのですけれど先日、彼の者かのものの死亡が確認されました。私がおもむくのは当然ですわ」

 ハロイドの町長は以前、ミミがこの町にて根付いていた連中を片付けた時にはまだ祭り上げられたお飾りでしかなく、正式な町長だったわけではない。

 前町長が殺害されていた事実がようやく正式に確認され、遺体調査に始まり、殺害事件としての捜査手配に必要な書類の作成から、今日の辞令発行に至ってようやくハロイドの町を導く町長が誕生したのだ。


 ミミは当初、前町長の行方は不明なまま解明できないだろうと踏んでいた。

 ところが以前、ミミが指示した不要家屋の解体と工場建設のために町人達が無人の建物を検めていったところ、その中の一つから無造作に放置された前町長の遺体が、あっさりと見つかったのだ。


 普通、何がしかの計画の一環として特定の人物を消すとなれば、その遺体は下手人や計画を辿られる糸口となってしまうので巧妙に隠す。もしくは発覚を遅らせようとしたり、計画の内としてタイミングを見計らってあえて発見させるなど不自然な計画臭が、遺体および発見時の状況に付きまとってくる。


 しかしハロイドの人々によって発見された前町長は、お粗末にも後頭部を殴られ、一撃の下に即死させられた後、これといった準備も何も施されていない適当な部屋へと無造作に放り込まれていたのだ。

 部屋には鍵もかかっておらず、見張りがついていた形跡もなかった。

 前町長をその建物の一室に運んだ時と思われる以外、何者かが残した跡は何一つなく、建物内部のほとんどがホコリが積もって、完全に忘れ去られていた様相だった。



「……領主様。やはり前町長を殺害していたのは、いつぞやの連中なのですか?」

 神妙な面持ち、そして不安を滲ませながら見上げてくる町長を真っ直ぐに見返す。

 随分と杜撰ずさんこの上ない連中だ。前町長の件だけを見れば対して不安を覚える必要はないだろう。

 だがこの町長はアトワルト領内ではじまった不穏な動きを感じ取っている。そしてその不穏を成す輩と、ハロイドの町に巣食おうとしていた連中が繋がっている事もなんとなく理解しているようだった。

「…ええ、その通りでしょう。まぁ誰でも予測できる範疇の稚拙な相手ではありますけれど本当、面倒な方々ですわ」


 ワラクーンは小柄なワラビット族とタメを張る小柄さだが、特に獣色の特徴が濃い個体はなお小柄だ。加えて町長は高齢という事もあって、その体躯はミミが両手で抱き上げるにはやや大き過ぎるボール程度である。

 しかも濃く長いヒゲをたくわえているとはいえ、町長の見た目は人語を話し、直立で二足歩行している愛玩動物のソレであり、ともすれば愛らしい大きめのぬいぐるみと言われても信じてしまうかもしれない容姿。

 真剣な相手に失礼だとは思うが、自分より背丈の低い相手と会話を交わすのは、一種の優越感を感じる。ミミは不謹慎だとわかってはいても久しく感じることのなかった、カワイイ動物と触れ合うような心温かくなる気持ちから、町長を抱きしめたくなる衝動に駆られる。



「(うーん、でもそんな事してるヒマはないんだよねぇ……)」

 事は既に動き出している。いや、動き出すタイミングはあらかじめ把握していた。仕込んだ魔法が “ 連中 ” の行動や計画、そしてそれを実行する日時までも教えてくれている。


 ……実のところ、単に新町長への正式辞令交付という仕事のためだけにこのハロイドに来ているわけではない。


 そもそもこんな仕事は無意味に等しく、町を実質支配していた連中を排除した時点から町長は町長として機能しているし、正式な辞令を出すなんて些事さじはミミが直接この場に足を運ぶ必要性はなく、郵送だけでも十分間に合う仕事だ。


 だが、先日のオレス村での爆発とおぼしきものを合図に事態は動き出した。


 そしてミミにはその前から領主の館を留守にして領内を動き回る必要があった。そのための言い分――彼女が領主の館を留守にする自然な理由――として、ハロイドの新町長への辞令交付を利用したに過ぎない。


「(オレス村はたぶんもたない。オリス村も無理かなー…。マグル村はシャルさん達がいるから最悪被害が出る前に避難してくれると思うけど。せめてオレスに向かう連中、もっと “ 削れてたら ” よかったんだけどなー。でも欲張ってつまづくワケにはいかないし~…うーん、苦しいなぁ…こっちはいろいろ不足しすぎだよ)」

 現在、おそらくオレス村は “ 連中 ” の北部の要とする部隊が制圧しているはずだ。


 彼女は敵の行軍計画の隙を縫って猛烈なスピードをもってして自身の領内を駆け抜けて各地に赴き、各所で必要な措置を講じていた。


 ドンがサスティに向かった後、メルロともしかと話をつけ、その上で彼女に館の留守を任せた。おそらくは次にメルロと再会する事になるのは館ではないだろう事も、その理由や考えられる経緯も含め、どうなるかの展望まで説明した。彼女もそれを聞き、甘んじて厳しい役目を担う事を承諾してくれた。

 心苦しいものを胸の奥に感じながら、ミミは館を後にして領内へと飛び出した。



 ワラビット族が弱小に分類されるとはいっても身体能力に優れた獣人系種族である。

 本気を出して駆け抜ければミミでも時速70km以上のスピードで、まるで低空で滑空するようなステップ走行で長距離を走破する事が可能。


 実際、ミミは北方からシュクリアを経由し、領内西方の町や村をまわり、ここハロイドの町に至るまでわずか半日で廻りきっている。

 もちろんとてつもない疲労を伴うので緊急時でもなければ本気で走るなど一体何年ぶりだろうかというレベル。

 表向き平静にハロイド町長と会話を交わしている最中も、下半身がこの場で崩れ落ちる許可をくれと催促し続けてきているほどに疲労感がヤバかった。



「(これで領内西方こっち側の町や村は一応大丈夫っ、と。……もうちょっとしたらまとまって休めるから。がんばって、私の脚~…)」

 町長は小首をかしげる。自分との会話の中、ミミがどこか心ここにあらずに見えたのだ。

 それは疲労からくるものである事を長年の生による対人経験から判断していた。

「大丈夫ですか? やはり先の爆音、そして黒煙の件……」

 領主様が不穏な何かに対して奔走している事は容易に想像できる。

 加えて前日の危険の香りのする物騒な予兆を見聞きしてしまった以上は、領内にて何か不測の事態が起こっていると考えて当然だ。


「……」

 ミミは黙って、目を閉じて軽く頷くだけに留める。長老は北方の方を睨みながら、そうですか、と呟いた。

「もしやこれが、領主様の言っておられた “ 万が一 ” なのですか?」

「……ハロイドの前町長を殺害した連中……その胴元が動き出した、と申し上げれば町長さんでしたらおおよそを理解していただけるかと」

 町長は目を見開く。つまりはその万が一が今、起こっているという事。

 そのため領主であるミミはその対応に追われ、おそらくは働きづめの状態にあるであろうと、町長は理解した。


「左様……ですか。領主様はあの時よりこういう事態が起こりうると見越されていらっしゃったのですな」

 正確にはもっとずっと以前から、というのが正しいが、その辺はハロイドの町の面々には関係のない話。

 ミミは口を閉ざしたまま静かに頭を上下させて、町長の言葉に肯定を示した。


「……私自身にも、これからどのような災いが訪れるやもわかりません。それでも以前にお願いした事は、進めていただいて欲しいんですの」

「それはもちろんですとも。町の防備も重ねて厳重にしていきますれば、何が起ころうとも領主様の御言いつけは、我らしかと遂行して参りますゆえご安心くだされ」

 ハロイドも一丸となって不届き者から町を守る決意を感じる町長の言葉。

 ミミはその答えに対し、ニコリと微笑みを返し、別れの挨拶を交わしてハロイドの町を後にした。



 ――――――――それから4日後。領内を一つの報が駆け抜ける。


 『アレクス革命軍、アトワルトが悪徳なる領主を捕らえるに成功したり』




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