第107話 第8章5 奔走するは本番の前




 アレクス達が森を抜けたのは、ベギィ一味がまだ森の中腹辺りを進んでいる頃だった。




「よし、街道に出たな。ここからは速さがモノを言うぞ」

 ジャックに授かった奇策―――それを上手く形にするには、とにかく時間が惜しい。しかしアレクスはともかく、ヒュドルチとモーグルはそこまで素早く動ける者ではない。

 となれば、ここからは役割分担が重要。



ご主人様ミミに報告とマグル村に走るので二手に分かれるのぜ?」

 まずこの2つは絶対に欠かせない。

 しかしアレクス達が出たのはオレス村から北東の、森に入った時と同じ場所。位置関係上、マグル村は森を挟んで反対側だし、南のシュクリアにも走らなければならないとなると、どちらにせよ距離があった。


「まずはオレス村跡地まで我が二人を担いで急行し、そこから別れるとしよう」

 言うが早いか、アレクスはモーグルとヒュドルチを左右の腕で抱えあげ、太ももの筋肉をパンプアップさせながら構える。


「行くぞ、舌を噛まむなよ!」


 ドゴォッ!!


 地上をウロウロしているありふれた者だけで見たなら、間違いなく最強クラスに位置する者。

 そのスタートの際の蹴り出しは、大きな音を立てて地面をえぐり、土石を巻き上げた。


 ゴォォォォ、ドッ、ゴォォォォ、ドッ……


 風切り音が唸り、リズミカルに地面を蹴る足の音が混ざる。スレイプニルにはかなわずとも、その走るスピードは馬車の比ではない。


「(すげぇ……本気のアレクスがここまで速いとか、驚きだぜ)」

 隣領調査の時から同行しているモーグルだが、アレクスの強さの一端を目の当たりにして素直に感心する。

 そして同時に、そんな強者であるはずの彼をもってしても、あの部族の村にいた下っ端でさえよくてイーブン、あるいは劣るという。


 そんな連中を相手に、果たして自分達が渡り合えるのかという不安がこみ上げた。



  ・


  ・


  ・


 そして1時間にも満たない内に、3人は最初の目的地に迫る。


「! 見えた、オレス村なのぜ。……? あいつらまだいた、好都合なのぜ!」

 自分達とは別で、ミミから命を受けていたフルナ達の姿を村の中に発見し、ヒュドルチは思わず片手を握った。




「? あれ、向こうから走ってくるのって……?」

「間違いないっス、アレクスさん達っすね!」

 フルナと同じ方角を向き、一緒に目を細めたノーヴィンテンが近づいてくる者を特定。

 何事かとエイセンとハウローも集まってきた。


 ズゾザザザザザァーーーッ!!


 スピードにして時速70~80kmは出ていただろうか。アレクスはかなり手前で脚を踏ん張って減速に入ったものの、止まったのは彼らを少し過ぎてからだった。


「どうしたのだ、そのように慌てて……何か問題があったのか?」

 ハウローが聞くと同時に、モーグルとヒュドルチが一旦アレクスの腕から降りる。


「問題といえば問題かもしれねぇが……とりあえずアッシらの方は、仕事は終えたんだ。そっちはどうだ? 言われたことはもう終わったのか??」

 モーグルの問いかけにフルナが親指をビッとたてて見せた。


「うん、たった今だけどねっ! ちゃーんと終わらせたよっ」

「そいつぁますます好都合なのぜ。実はちょっと急ぎで頼みたい事があるのぜ。俺達だけじゃあ手―――というか脚が足りなかったのぜ」

「? どういうことだ? 詳しく話を聞かせてくれよ、姐様の役に立つことなんだろう?」

 ヒュドルチがエイセンに頷き返すと同時に、アレクスが説明しはじめた。


「とにかく早く走れる者に走ってもらう必要がある。そちらの班には脚に自慢のある者が揃っていてありがたい。我一人ではさすがに間に合わなかったのでな」









――――――そして今、マグル村近くの小さな野原。



「おおよ、あの野郎……ふんぞり返りやがってよ。腹が立つったらありゃしねぇ!」

 ベギィの手下たちは、思い思いに不満をぶちまける。通りがかったアレクス達を不信がる事すらしなかった。


「(ジャックの言ってた通りだな、こいつら相当にうっ憤溜まってるぜ)」

「(のぜ。これならうまく話を持っていけそうなのぜ)」

 アレクスの後ろで、モーグルとヒュドルチが頷き合う。

 彼らと会話をかわしているアレクスも、まさかここまでとはと内心、驚いていた。


「(召喚され、使われるだけ使われ、叱責しかもらえず……か。耳の痛い話だ)」

 そのつもりはなかったが、いかにならず者ばかりだったとはいえ、先の件にて自分も部下に対する態度は似たようなものだったのではないかと、アレクスは今更ながらに己を恥じる。

 だからこそ、彼らの不満を聞くことに苦はなかった。


「それでは、汝らの頭目のベギィとやらは……」

「ああ、間違いねぇよ。あの村を懐柔なり支配なりしたいんだろーさ。意味わかんねーよな? んな事したってすぐ目ぇつけられっちまうだろーによ」

 アレクスは振り返り、モーグルとヒュドルチに頷きでもって意志疎通を図る。二人は頷き返すと同時にその場を後にして、マグル村へと向かった。




「しかし、そのような無茶に付き合わされて難儀であったな、お前達」

「本当だぜ、地上世界こっちに無理矢理呼び出された挙句、わけわかんねぇ命令ばっかしてきてよ」

「それでうまくいかなきゃ怒られるんだぜ? たまったもんじゃねー……けどよ」

 そこで彼らはノドにものが詰まったかのように一度言葉をきって黙った。


「……ありゃあ只モンじゃねぇ。魔界からこっちに呼び出すっつー真似もたいがいだけど、なんつーか……なぁ?」

「ああ、逆らえねぇ。見たとこアンタもそれなりにやる・・んだろ? なんつかー見ただけで分かんだよ、勝てる気がしねぇって奴さ」

 彼らがベギィに対して抱いているものを、アレクスはよく理解できた。

 あの森の部族の村で、遠目に見ただけで異質なものを感じた相手。まず真っ当かつ真っ向から直接的な戦闘で対抗できる気がしない。

 腕っぷしにしか自信がない者ほど、特にその感覚は強いだろう。


「ふむ、ならば一つ我の話にのらないか? 今しばらくの辛抱を強いる事となってしまうが、上手くいけばその者ベギィに一泡ふかせられるやもしれぬのだが……」

 しかしアレクスは、彼に付き従っている者にこの話をするのは心苦しいと言わんばかりに、切り出すのを迷ってみせた。

 ここでもしはっきりと言明し、堂々とした態度を取ると逆に怪しまれる。最初から彼らを利用する気で接触したと思われてしまうと、話はスムーズにいかなくなる可能性があった。


 しかし、自信なさげ……あるいは彼らの立場を重んじるような態度や言い回しをしてみせたなら、その感じが幾分か和らぐ。

 あくまで話の流れとして切り出した風をよそおえるのだ。


 このあたりのちょっとした駆け引きの仕方も、ジャックに教わっていたが、それが実に効果的に作用する。


「マジ?」

「おいおい、そんな話があるのか? いいから聞かせてくれよ、遠慮はいらないぜ」

 今、この場にいる連中はすべて、当初はただの新しい村人役エキストラとして呼ばれた連中ばかり。偽村長とその従者たちのように明確な役割を持たせられていない。


 なので言われた事を律儀に守っていてもリターンが何もない。せいぜい魔界本土で仕事もなく落ちぶれていたり、あるいは獄中生活に逆戻りしないで済む、という程度。


 逆にアレクスにとって、ベギィに比較的近く、多少は甘い汁をすすらせてもらっていた手下がこの場にいなかった事は幸運だった。


「そうか、ならば聞くだけ聞いてもらえるか? 実は……」









 アレクスがベギィの手下たちを丸め込んでいるその頃、マグル村ではそのベギィが劣勢に立たされていた。



「それで、あなた方が森の部族の住人である、というお話はよく分かりました。ですが、この地の領主様がお知りになりたいのはそういう事ではございません」

 ベギィに対峙しているのは他でもない、凛とした存在感を放つアイトゥーシルだ。彼女は射貫くように鋭い視線でもって、ベギィを睨みつつ問い詰めていた。


「マグル村におきまして、他所の方がいらっしゃるそのご理由でございます。旧オレスの方々は、村を焼け出されたためにこちらにて暮らしていらっしゃることは存じ上げているとのお話でした。ですが、あなた方の滞在理由につきましては、ご領主様は存じあげてはおられない……その事については如何に?」

 物怖じしないピシャリとした言いつけ方と態度は、淫魔族最大の娼館を仕切る代行者であるからこその風格。

 いかに優秀といっても、一族の中では青二才なベギィが対抗するにアイシルは困難な相手だった。


「(何なのだコレは?? なぜこのような人物がこのようなところに現れるのか? まさかこちらの動きを既に魔王側は捉えているとでもいうのか??)」

 自分のあずかり知らぬところですべてが露見している可能性が頭をよぎり、ベギィは焦る。

 問われている事は、至極真っ当な不法滞在の疑いについてだ。


 しかし、これまでの経緯を考えるならそれ自体はさほどの問題ではない。


「で、ですからそれはですね、こちらの村が火災に遭い、問題が生じたためにこちらの村にご協力をお願いし―――」


「食糧難に喘いでいる状況下で、ですか? なぜその事を相応の時間の間、ご領主様に一報入れることもなかったのです? 伝文の一つも出せば済むお話のはず、何も難しい事はありません、違いますか?」

 ベギィはうぐと言葉に詰まる。

 そこらの村人相手ならばそれっぽい理由を述べるだけで楽に言いくるめられる発言も、即座におかしな点を追求される。


 隙が無い。


 ベギィの旗色は悪くなる一方だった。


「(くっ、この……たかだか売女な淫魔風情が偉そうにっ)」

 ベギィにはアイシルの絶世の美貌も通じない。しかしそれ抜きにしても、舌戦で完全に押し負けてしまっているのが、彼のプライドをいたく傷つける。


「こちらも相応の森の恵みを持ち、こちらにやってきた次第。協力の必要性があればこその判断であり、食糧難にあっても力を合わせることでこの苦境を共に乗り越えることがまずは第一で、なかなか貴女の言うようにする余裕は―――」

「それは異なこと。共に苦難を乗り越えようと言う者が、わたくしの妹に怪しげな術を施し、人質の如く扱うでしょうか? そのような真似をするお暇はおありのようですが?」

 それはまさにベギィの泣き所。


 村の関係者ではなく、アイトゥーシルがベギィに対峙して詰め寄っている最大の理由は、身内に何してくれてんだコノヤロウ、である。


 やらかしたのは配下の者達だが結局、このままにしておけば何かと使えるだろうと思って “ 呪 ” そのものを解除しなかったのはベギィの判断だ。


 ベギィの隣で偽長老と従者役がダラダラと汗をかいている。自分達の行いが、まさかこんな形で足を引っ張るとは思ってなかったと、なるべく彼を見ないように視線を泳がせていた。



「ご、御妹さんでございましたか。その件については完全にこちらの手違いゆえ、真摯に詫びさせてもらいたい……そして、勘違いなさらないでもらいたい。決して人質のように扱うなど、我々は致してはおらぬ、と」

 これに関しては真実だ。ベギィにとってシャルールの存在は、あくまでマグル村との仲介役を期待してのこと。


 しかし、実際にいかな経緯であろうと “ 呪 ” をかけられ、ベギィ達と共にマグル村に戻った事実は、村人側からすればシャルールを人質にして押し掛けたように見えていたかもしれないと、悔しながらにベギィは頭を下げた。


「そして、もう一つ詫びさせていただきたい。かの術は今、解除することができないのだ。かの術を解除するには、同様の術に縛られているモンスターを亡きものにせねばならぬゆえ」

 これは嘘だった。シャルールの “ 呪 ” は、ベギィなら今すぐにでも簡単に外せる。

 しかし、それを吐露したりすぐさま解除して見せると、ならなぜ今まで解除しなかったのかと相手にこちらを問い詰める理由を与えてしまう。


 それにまったくの嘘というわけでもない。


 シャルールの " 呪 " は、ベギィが森の部族の村に目をつける前にリ・デーゴ廃村で集め、モンスター精製に用いた残りを魔導具に込め、偽村長に預けていたもの。

 なので関連性がないわけではないが、モンスターを倒すこととシャルールの “ 呪 ” の解除は無関係で、ベギィの苦し紛れから出た言い訳に過ぎなかった。


「(くそ、この俺が、この俺がっ、こんな女にっ! なんと惨めな!)」

 歯がゆい。優秀な自分が言い負かされるなどあってはならない事だというのに。





 そんなベギィが追い詰められている中、思わぬところから救いの手が伸びる。


「おいアンタ、そのモンスターってのはストライク・ハウンドの事か?」

 声をかけたのは、ヒュドルチと共に村に入ってきたばかりのモーグル。矮小な土竜亜人の一言に、思わずナイスと心の中で叫ぶ。


「ええ、ええ! そうです、かの魔獣がカギとなっておりますれば、それをまず倒さねばならず……」

「なら丁度良い。この村にいる戦力になる者をご領主様が呼んでるんだ。そのモンスターを退治するためにな」

 そう言って場に現れたのは、スレイプニルを駆って村にやってきたドンだった。手綱を引きながら、村の出口に向かう所だったらしく、スレイプニルが引く荷台にはすでに、ザードやジロウマルなど目ぼしい者達が乗っていた。



「おう、何だったらテメぇらも手伝ってくれたっていいんだぜ? 戦力は多いに越したこたぁねぇんだからよーぉ?」

 ザードが冗談めかしながら言うが、ベギィはそれに食い付く。


「願ってもない! 御助力させていただけますならば是非ともこちらからお願いしたい」

 その申し出にベギィ以外の全員が意外だと驚いた表情を見せる。だがモーグルとヒュドルチ、そしてドンと小柄な者達だけはほくそ笑んでいた。


 奇しくもドンは、ミミの命でここに来た。そしてその目的はアイシルのサポートと、ザード達のシュクリアへの召集、そして……


「(まさかこんなにうまく行くなんて、ちょっとばかし拍子抜けだ)」

 ベギィ自身にシュクリアへ、ひいてはモンスター・ハウンド討伐に助力させるために話を持っていければ上々、と言われていたのだ。


 そしてモーグルらもジャックからのアドバイスで、ベギィ一味をそういう形で誘導する方向にもっていくべきだと教わっていた。


「(後はアレクスの旦那さえ上手いことやっててくれりゃ、こっちのもんなのぜ)」

 しかも彼らの方にはさらに一つ踏み込んだはかりごとが秘められている。今、それを仕込んで・・・・いるのはこの場にいないアレクスだ。


 流れは確実に自分たちに向いている――――小柄なる3人は確信して、その瞳に自信の色を浮かべた。










――――――サスティの町の北西、ドウドゥル湿地帯の間際。




「大丈夫、ミミちゃん? お腹、だいぶしんどいんじゃないの?」

 ネージュが心配するのも無理もない。

 ミミは妊婦……とまではいかなくとも下腹部が、もう完全に膨らみを隠せないまでに大きなっている。


 ただでさえ小柄な種族の、なお細腰の女性。

 まるで後からラクビ―ボールをくっつけたかのように膨らんでいるお腹は、傍目から見て心配になる姿と言えた。


「ええ、大丈夫です。もう卵は離れて・・・久しいですし。……ただ、このコはとても大食らいなようでして」

 母体との接続が切れているというのに、ミミの抱えている魔獣の卵は間接的になおミミから魔力を吸い続けていた。


「(接続が切れるまでに卵の方に栄養は溜め込まれているはずなんだけど……)」

 魔獣の卵は、母体と接続されている間に大量の魔力を吸う。

 それは単に成長のためだけでなく、母体と接続が切れて体外へと排卵された後、独自に成長していくための栄養分を、卵の中に蓄えておくためでもある。


 なので魔獣産みにおいてもっとも辛いのは、卵と母体の接続が切れる直前の時期。卵が栄養分を一気に溜め込もうとして急激に魔力を吸いあげる事が多くなるからだ。


 ミミの抱えている魔獣の卵は、その苦難の期間をとっくに過ぎているはずなのに、なお母体から魔力を吸い続けている―――それは魔獣産みとしてはかなり異例だった。



「(不安はあるけど……大丈夫だよね。たぶん)」

 そんな身体をおしてまでこの場にやってきたのは、この辺がモンスター・ハウンド討伐の戦場になると睨んで、現地を視察するため。

 モンスター・ハウンドが潜伏する場所と、ベギィ一味に結界の効果を1秒でも長く与えることを考えた場合の戦場選定の最適解がここなのだ。


「(でも、それは地図上の位置関係での話。さて、現場での問題は……)」

 場所は、ガドラ山から見て北側。

 今までモンスター・ハウンドは南の街道にしか出没していない。それはモンスター・ハウンドにとっての獲物が街道を通るからだ。


「(まず、ここまで引っ張り出してこなくちゃいけないってこと……あとは)」

 チラりと湿地帯の方を見る。

 いかに俊敏とはいえ、この湿地帯でも自在に動けるとは思えないが、万が一ここに逃げ込まれた場合も想定しておかないといけない。


 その辺りの戦略戦術は現場の人間が考えることだが、もしも取り逃がした場合の方策は、領主であるミミが考えなくてはならないことだ。


「(湿地帯よりも問題があるとしたら、近くのサスティの町なんかに飛び込まれた時かな)」

 正直、それはないと思いたい。これまでもモンスター・ハウンドは、住処のふもとにあるウオ村など、町や村の中にまで襲撃をかけてくる事はほとんどなかった。


 あくまで街道を通る者を狙っている。とすれば町中に入り込んで、暴れる可能性は低い。しかし……


「(理由が判明しないことは可能性としてあると思っておかないと……それともう一つ、一番厄介なケースもあるし)」

 それはガドラ山の北街道―――ドウドゥル駐屯村やその先のリ・デーゴ廃村に向かって逃げられた場合だ。


 人的被害の心配はなくなるが、追撃討伐が一気に難しくなる。特にリ・デーゴ廃村は、今も " 呪 " が濃い場所。

 モンスターにとっては平気でも、生身の者が活動することはほぼ不可能。そんな場所で戦闘などとてもできず、籠城されようものなら問題の長期化が確定してしまう。



「(あれからちょくちょく被害も出てる……女性が襲われた報告はないけど時間の問題だし、これ以上先延ばしにはできないから、ここで決めてしまわないと)」

 色々と想定し、戦場となる場に前もって必要な準備は何かと考える。


 モンスター・ハウンドは慎重ながら人を襲う―――己の狩りの成功を少しずつ重ねており、復活の兆しがあったはずのナガン領からの物流がここ数日、また止まってしまっている。

 ハロイドでのイクレー湖水産物がちゃくちゃくと実績を重ねているおかげで、領内の食は細々ながら何とか保っている今、ミミとしては領内全ての問題に決着をつけて一気に弾みをつけたかった。


「(滞りを生んでいた栓が一気にひらけば、引き絞った矢のようにある程度勢いよく流れ出すはず……そこで上手く軌道に乗せたいなぁ)」


 ・


 ・


 ・


「……ちゅーわけで、この辺りを戦場とするなら、とりあえずこのくらいの準備はしときたいところじゃの」

 デナから戻ってきたゴビウとカンタルもこの視察に加わり、特にドーヴァと共に名うての傭兵であるゴビウは鋭く意見を出す。


 プロとしての風格はドーヴァにもあるが、やはりゴビウはその辺の意識が一段と高かった。


「分かりました、こちらの手配はできると思います。ですがこの項目は時間がかかりそうですね……」

「まー、それは仕方なかろうて。彼奴きゃつに気取られんようにもせんといかんからの」




 そんな打ち合わせの様子を意外にもネージュは、割り込むことなく遠巻きに見守っていた。


「あの、いいんですかネージュさん。ミミさんの近くにいらっしゃらないで??」

 問いかけるアラナータに、んー、と何の気なしな返事を返す。


「まー、真剣な話し合いだし、なんでもかんでも割り込みゃいいってもんじゃないわ。あくまでもこっちはお客さんの立場……ミミちゃん達が決めたことに従ってりゃいいのよ、基本的にはね」

「そういうものなんですか……」


「そーよー、そういうもんなのよ」

 言いながら、打ち合わせしているミミ達の様子をチラ見るネージュ。リゾート地にバカンスにきた観光客が、道行く人を何気なく眺めるような態度だ。


「(なんだ、何か変な感じがする……?)」

 ネージュの態度におかしなところはまるでない。けれどハイトは違和感を覚えた。


 ―― まだ遠いとはいえモンスターが出没するかもしれないエリアなのに、ネージュが緊張感なくのんびりしているから?


 ――それともミミが大きくなりつつある魔獣の卵を抱えている身で、危険な現地に出向いている事が引っかかるのか?


 謎の違和感の正体が自分でも分からず、ハイトはとりあえず周囲を見回した。



「(特に……奇妙な音とかも聞こえない……)」

 ワラビットの聴力を活かし、怪しい何かがないかと探ってみるも、自然音や人々の話し声に不自然さはない。


 モンスター・ハウンドこと、ストライク・ハウンドが根城にしているという山の方を向いて、なるべく遠くの音を拾おうと集中してみるも、危険な足音なり風切り音なりは拾えない。



「(気のせい……なのか?)」

 あるいは自分が神経質になりすぎてるのかもしれない。何せこの場には、この地の領主であるミミと隣領の領主であるメリュジーネことネージュがいる。

 何かあったら大変だ、と無意識のうちに気を張っていたのかもしれない。


「どーしたのハイトくーん、そんな周りをキョロキョロしちゃってー。不審者でも見つけたのかしらぁ?」

「わっ!? ね、ネージュさん、驚かさないでください」

 さすがにあちこち連れまわされ、時には揉みくちゃにされてきたのもあって、ハイトも随分とネージュに慣れてきた。

 それでもその正体を考えれば緊張せずに会話をかわせる相手ではない。


 ハイトは心臓に悪いと、絡んできたネージュ相手にため息を吐いた。



「(……気取られてはいないようね)」

 一方でネージュは、お茶らけてハイトの緊張感をぶち壊したものの、内心ではある事に対して警戒心を強めていた。


 ハイトに絡んだ理由―――それは、ハイトが緊張している様子を見た相手に・・・、警戒心を抱かせないために彼をほぐしたのだ。


「(できれば、今度の結界にアレ・・も引っかけたいものねー)」

 ネージュの言う “ アレ ” には、まだ結界のことは一言も伝えていない。ミミも同様だ。

 なのでネージュは、出来うる限りハイトとアラナータの近くにいた。アレ

に話が聞き漏れないよう、結界の話が出そうな時にはしれっと話題を変えるためだ。


「(ミミちゃんも " アレ " がいる時は、それとなく会話に出さないようにしてるし、周囲の連中も上手く誘導してもいる。さぁて、どこまで気付かれずに進められるかしらね)」











――――――ガドラ山中腹。


『クルルルル………』

 モンスター・ハウンドは山の麓を伺っていた。


 まったく足りはしないが、このところ少しずつ狩りを成功させているおかげで、食欲と殺戮欲はとりあえずチビチビと満たせている。


 しかし、本能が求めてくるさらなる欲をかなえるためにここ数日、驚くほど慎重になりながら、獲物を探し続けていた。


『フー……フー……』

 細長い手足に胴。それでいて並みの生物を見下すほどの身長。

 そんな体躯に似合わない、縮こまった体勢で覗き見る下界に、己が欲するモノを探し求めてその視線を彷徨さまよわせる。


『!』

 あるところでその動きが止まった。そこからは一点集中で遠く彼方にあるその対象の姿を注視し出す。


『ハルルルル……ググッ』

 口の端がこれでもかと吊り上がり、邪な笑みがモンスターの顔面に作り出された。


 “ あの女は見た事がある。確かあの時、もう一歩でかっさらう事が出来た――― ”


 それがこの時、モンスターが抱いた思いだった。



 そもそもモンスター・ハウンドがここまで自重し、慎重に事を進めるようになったのは、主にメリュジーネのせいである。


 本来、本能の赴くままに悪欲を貪らんとするモンスター。だからなのか、逆に恐怖を抱かせられたならば、それはより強烈に慎重さを喚起するモノとなって残る。


 性欲から、メリュジーネことネージュをかっさらおうとしたあの時、そのネージュから受けた恐怖が、モンスター・ハウンドの行動を萎縮させる。

 (※「第二編 4章3 越境の妙」参照)

 

 以後、慎重な行動という厄介な選択を取るようになった。


 だからこそモンスター・ハウンドは、沸き立つ強欲の内、女を必要とする性欲に関しては、より慎重に獲物を探すようになった。



 そして目をつけたのが、小柄な兎耳の女。


 以前は周囲の邪魔で得られなかったが、女自体は弱いと判断。もしかっさらえるのであれば、いつかの蛇女のようにはならないだろう。




―――そう、モンスター・ハウンドが目をつけた女性とは他でもないミミだった。


 皮肉なことだが、そのおかげで今日まで他の女性が被害にあわずに済み、モンスターによる災禍が、より深刻化することを免れていた。






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