第35話 第6章2 膠着ーマグルー


―――――マグル村。


「……そんなわけでよ。領主のお嬢様が言うには、この村は抜かれるとマズイらしいんだ」

 そう言って渡された手紙には、シャルールも見たことのある魔法の封が施されていた。定められたワードをキーとして封を解除できるタイプで、使者が言うにはシャルールがミミに教え、実際にミミが着てきたあるモノの商品名がそのキーだという。

「(つまりだ、その解除キーとやらは、領主様とシャルさんの二人しか知らねぇって事になる。なるほど…この使者が本物か疑われかねねぇこの状況だ。領主様は随分と頭が回るお方ってぇことか)」

 ザードはシャルが持つ手紙と使者を交互に見比べる。特に使者は、あきらかにならず者の雰囲気を纏っていただけに、今でもまだ敵の差し金という疑いを持って慎重に観察する。手紙の内容次第では、有無を言わさずこの使者を殺す気ですらいた。

 だが次の瞬間、シャルールが自身の知るという解除キーを口にしただけで、そうしたピリっとした場の空気が一瞬にして霧散する事となる。


「……ルリウス印! ××××と△△△△は○○○○○でピーーーーー(以下略)!!」


 場にいた男達は全員、その場に前のめりになって動けなくなる。魔法でもなければ何かの特殊能力でもない。ただ、特定の商品名を述べただけだ。

 母が完全に悪戯心満載で決めたその商品名は、見聞きするだけで並みいる男達にあらぬ想像や妄想を抱かせてしまう悪魔の如きキャッチフレーズと破廉恥なワードで満たされている。

 サッキュバス淫魔族のシャルールにとっては、口にする事も誰かに見せる事もなんとも思わない名称だが、マグル村の男衆には相当に効果覿面てきめんだったようだ。

 手紙を持ってきた使者ですら驚き、前のめりにかがんでしまっている。それが演技でないというのであれば、少なくともこの使者が解除するためのキーを知らなかったであろう事だけは確かだろう。

 そして、手紙の封は実際にほどかれはじめ、天に向かって立ち上った魔力の輝きと共に完全に消え去った。

「しゃ、シャルールさん…な、内容は、なんて書いてるんですかい?」

 ザードが今の自分がどれだけ情けない格好と声を出しているか自覚しながらも、手紙を覗き込んでいるシャルールに問いかける。

 使者が本物ならば、今のこの状況下で領主より送られてきた手紙の内容は、個人の恥を投げ捨ててでも確認すべき重要な事が書かれているに違いないからだ。

「……今、目の前に来てる連中が、プライトラっていうならず者が指揮してる部隊の一部だっていう事と、そいつらにオレス村が制圧されてるって事、そしてその兵隊の数が1200人で、一部の数百程度がオリス村の方にも向かってるって。あと…」

 そこまで言って、シャルールは手紙をザードに渡す。彼に渡したのは、現在のマグル村において荒事に最も詳しいのはザードであろうという判断からだ。渡された当のリザードマンは、文面の続きに目を見開いた。

「アトワルト領内全土で似たような事になってる、か…くそ、シュクリアも制圧されちまってるだと?」

 その呟きが聞こえた村人達はざわつきはじめる。アトワルト領内全土のあちこちでこんな町や村を攻撃している連中がいる。……となれば今、一体何が起こっているのかなど馬鹿でもわかる。


 これは領主に対する反乱だ。


 加えて一つの村に最低でも数百から千幾らかを差し向けられるほどの連中だという事も。


「そ、そのために領主のお嬢様が、俺をここに使者としてよこしたんだ。大丈夫、そんな落ち込まないでくれ!」

「? それは一体どういう事? ミミちゃんが…ううん、領主様があなたをこの村に来させたのは、まだ理由があるの?」

 シャルールの問いに、使者のならず者は頷く。

 ドラゴマン竜姿亜人ナーガ半蛇半人の混血の彼は、普通のドラゴマンよりも遥かに長い己の尻尾を軽くたゆませ、自身の後方にて器用にとぐろを巻かせて、それを椅子代わりにして軽く腰を乗せた。

「まず、落ち着いて聞いてくれ。俺は……そのプライトラの軍にいた兵士だったんだ」

 だが、村の男達は一瞬にして殺気を放ち、身構えた。わざわざ隙だらけの格好を取ったというのに、やはり信頼はないらしい。

 当然だ。300~400ほどのならず者達が村のすぐ目の前まで来て、威圧してきている状況下で、その軍にいたと告白する者を危惧するなという方がおかしい。

 そんな殺気立つ村人達の中でザードだけは、腕を組んだまま静かに彼を注視していた。

「…だった、ってつまり今はもう抜けた…裏切った、って事?」

 シャルールも油断なく相手を見据えながら尋ねる。戦闘に関しての自信はまるでない。目の前の相手がなにがしか仕掛けてきたならば素早く後ろに下がり、素直に戦える村人達に任せる算段を、頭の隅に控えさせる。

「裏切った…ってのはちょっと違う。…捨てられた、ってのが正しいな」

 そう、あの<世に隠れる暗黒面シャドウ・ストーカーズ>の闇に飲み込まれ、死の恐怖に震えた後、免罪と許してくれた領主様ミミに感動したのは事実だ。しかし彼らが改心した理由はもう一つあった。それはワケのわからない暗黒に飲み込まれていく自分達を、プライトラ隊長と他のならず者の仲間達がまるで生け贄とばかりに見捨てていった事だ。


 そもそもが社会の鼻つまみ者、ゴミ、不穏分子、犯罪者…そんなどこまでも薄ら暗い世界の住人である彼らにとって、もとより仲間意識など存在しない。誰もが自分の欲を満たす事のみを考え、他者を切り捨てる事をなんとも思わないものだ。それは、黒い恐怖へと捧げられた彼らも理解しているし、反対の立場なら同じように見向きもしなかっただろう。しかし―――

「連中は俺らが死んだと思ってるんだ。まぁこの通り、お嬢様領主様の寛大なお心で救われたわけだが。けど…あの時…」

 そう、いくら自分がよければそれでいい、という考え方の者であっても、実際に死に瀕した時には、誰かに助けて欲しいと願うものである。絶望的な死に瀕する事など、そうある事ではない。

 現実に死に沈む経験をしていない者は、助けを求める者の心などわかりはしない。ましてや雑兵と見下している者の命など、命とすら認識していないに違いないだろう。

「あの時の…プライトラの野郎の目が、忘れられないんだ…」

 もとをただせば、確かにあの魔法を仕掛けたのは領主であるミミだ。

 しかしそれは、平和な村に不逞をなさんとする者達を食い止めようとした、当然の防衛行為である。これに恨みを抱くのは身勝手に過ぎるし、改心した今、自分達が悪であった事を理解している今、攻撃手ミミへの恨みは微塵もなくむしろ、助けようともその考えや態度すら見せなかった元仲間達への憤りの方が強い。


「…よし、わかったぜ。なら協力してもらおうか」

「ザードさん!?」「お、おい、そんな簡単に…いいのか?」

 村の男達が危惧するのも当然と理解しながらも、ザードは男の肩に手を置く。彼は知っているのだ。本当に死に瀕し、心をすっかり入れかえた者が放つ、腹一つくくった覚悟の空気というものを。何せ自身もそうであったのだから。

「心配はいらねぇさ。それにもし裏切ろうってんなら、その時はぶっ飛ばしちまえばいいだけだしな」

 気楽な口調に変化はない。だが肩に置いたザードの手が、明らかに強い力を放つ。このまま下に押されれば、肩ごと剥がれて肉を削がれると、男に確信させるほどに。

「……心配はいらない。俺は…お嬢様領主様のために、今までの罪を償いながら生きるって決めたんだ。そん時には遠慮はいらない、思いっきりぶちのめしてくれて結構だ」

 その言葉に、ザードはニヤリとする。肩においた手を離し、村人達にただ一言、だとよ、と短く言い放った。

「ま、その時はその時って事でいい。お前さん…名は?」

「ラゴーフズ、だ。気軽にラグと呼んでくれ」

「わかったぜ、ラグ。俺はズドゥスァドゥーン、ザードで構わねぇぜ」

 それ以上は無言で、どちらからともなく握手を交わす。その行為はラグを受け入れるという証明であり、それ以上の信不信の議論が不要となった瞬間でもあった。



「オレスが制圧されたって話は生き残りを迎えに行ったんでな、その時聞いてある程度は知ってた事だが…問題は敵の数の方だな」

 全部で1000以上。分散してオレス村から派兵してるとはいえ、その分隊が目の前の300以上と来ている。

 いつかの先遣隊、およそ150人を一人で屠ったザードであれば今、目の前にいる連中も多少数が増えただけに過ぎず、壊滅させる事はできる。しかしそうした場合、高確率で村や村人が巻き込まれてしまう懸念があった。

 前回は鬱そうとした森の中、立ち回りが限られる空間での戦闘であったがために、敵を漏らして村に襲い掛からせてしまうなどという心配はなかったが今度はそうもいかない。

 敵は開けた街道の途上に陣を構えて村とにらめっこしている状態だ。当然戦闘が行われるとすれば街道上の、両者の間が衝突ポイントとなる。ザードが一人で攻め寄せる敵を蹴散らしにいったとしても、全てを壁のように一人の後逸も許さないとするにはこの戦場は開けすぎている。


「けどよ、なんであいつら攻めてこないんだ? もう5日もこうしてにらみ合ってるだけでよ?」

 村人の一人が疑問をラグにぶつける。

 村の入り口の前に土嚢どのうや細木、石などを積み上げて作られた簡易防壁は、あくまで迎撃のために急造したものであって敵を村に入れないための防御力は持ち合わせていない。数で押し寄せてこられたら簡単に崩されてしまう。

 当然迎え撃つ村側の兵質に至っては論外。一般人の、比較的戦えそうな村の男達にオレス村のまだ元気な者が合流しただけ。やたらデカいリザードマンなど、強そうな個人は散見されてはいても、その実力を知らない相手からすれば民兵どころか寄せ集めも寄せ集めのど素人集団にしか見えないだろう。

 敵からすれば、あきらかに弱々しく見えているはずの自分達。にも関わらず、欲望に忠実なならず者の集団がこれだけの日数の間、何もせずに我慢強く待機しているというのは、いかようにも不気味だった。

「先にマグル村付近で潜んでるはずの先遣隊を見込んで待機してるんだ。ザードが一人でそれを殲滅したって話には驚いたが、奴らはそれを知らない。事前の計画じゃあ、先遣隊が村を奇襲して浮き足だったところを目の前の連中がトドメ…って手はずだったと思う」

 元は敵に属していたとはいえ、そこではラグも下っ端の雑兵でしかなかった。計画に関する詳細は隊長クラスしか知らない事も多い。それゆえ聞きかじった程度、と情報に関する信憑性は低いと付け加える。

「オレス村よりも簡単に落とせるって思われてんのか、なめやがって」

 村の規模としては確かにオレス村に劣る。正面からの正攻法で落とした村に比べて劣ると見れば、先の成功による自信もあいまって、軽んじてくれている事だろう。村人の男が苦々しく吐き捨てたとおり、連中がこちらをなめきってる可能性は高い。

 が、それでも別働隊と二手から攻めるという作戦を用いてくる相手だ。油断はできなかった。

「なめてくれるってんならこっちとしちゃあ助かるがな、くすぐってぇのはゴメンだが」

 気楽な口調に軽口を含め、村人達の過度な憤りと緊張を解すザード。だが彼は嫌な違和感を感じていた。

「(……それにしても、だ。5日間もだぁ? 随分と忍耐強すぎやしねぇか?)」

 潜ませている先遣隊と連携するつもりでいるにしても、あまり待機が長すぎる。普通であれば、先遣隊は何をやっているとばかりにしびれを切らし、なにがしかの行動を起こしてもおかしくない。

「(沈黙したままときてやがる……。何企んでやがんだ…)」

 ザードは不意に村内を振り返り、その無事を確認するように覗きながら、いくつかの可能性について考えを巡らせた。


 ・密かに少数が回り込み、潜入させているセン――――

   気配を “ おし殺している者の気配 ” は感じない。

   何より村内には酒場の大将ジロウマルが女子供を守る役についてくれている。

   ナシ。


 ・こしゃくにも兵糧攻めのセン――――

   村内の食料は数ヶ月以上もつ上、包囲封鎖されてるわけでもない。

   現状では、ナシ。


 ・一撃必殺! 儀式魔法を準備中のセン――――

   村一つを攻める手立てとしては、現実的ではない。

   加えてそんな使い手がいれば通常の攻撃魔法で事足りるので、ナシ。


 ・相手の想定より自分達の戦力が多かったセン――――

   たかだか百人程度の頭数が?

   それも素人村人ばかりを相手に? ナシ。


 ・実は村に内通者が! のセン――――

   ならず者集団に加担するような愚か者がいた記憶はない。

   絶対とは言い切れないが、ナシ。


 ・増援を待っているセン――――

   この戦力差で増援待ち?

   ありえない。………


「(ナシ。……!? 待て、増援…増援!? いや、ありえる…ありえるじゃねぇか!!)」

 ザードはハタと思い出す。敵の正体がアレクス率いる組織の一部だという事を。それはつまり、目の前の連中は単なる手駒の一つであって、組織としての目的を達成するために動いていると考えなければならない事を意味する。

「(敵が…あのアレクスの野郎が率いているとすると、少なくともアレクスがこの暴挙に出た目的は、(奴の勝手な思い込みだが)この地の “ 浄化 ” に違いねぇ。領主の手紙の、全土で起こってる、って話が全ての町や村を制圧する目的があるってぇ事を裏付けてやがる)」

 加えて思い出す。ラグの言葉を。


『……そんなわけでよ。領主のお嬢様が言うには、この村は抜かれるとマズイらしいんだ』


 …どうしてマズイ? 簡単だ、マグル村から街道にそって北西に向かえば、まだ村が複数存在している。しかもザードが知る限り、小さな村がほとんどで連中に抵抗する戦力などマグル村以上に皆無に等しい。しかもやがてアトワルト領の境界線付近に至れば隣領を刺激するなど、事態はさらに複雑化する懸念がある。仮にお隣さんが “ ご好意 ” で軍を差し向けたなら最悪だ。下手すると村は壊滅、非戦闘員一般人にも死者が多数でる規模の乱戦になりかねない。

「(……街道の北西向きに関しちゃあ、このマグル村が最終防衛線になるってワケかよ…くそっ)」

 連中が増援を待っているとすれば、その理由は簡単だ。

 まず待機していても先遣隊が行動する気配がまるでないということは、既に滅ぼされているか、怠慢を起こしているか、アレクスの革命ごっこに愛想をつかしていずこへともなく逃げたか……

「(遅くとも3日目くらいでその判断に至れるはずだ。けどそれは問題じゃあねぇな……理由がどれであろーと、眼前で待機している連中にしてみりゃあ、自分達でこの村を制圧しなけりゃならなくなっちまったって事にかわりねぇ)」

 しかし、村人がハッキリと抵抗の意を示している以上、制圧にはある程度の血を見る事になる。仮に制圧できたとしても、目の前の隊は少なからず兵の損失を被る。だが連中の目的が街道上の村々全ての制圧だとすれば、ここでやたら兵を失うわけにはいかないはずだ。

 武力で支配した地において、人々が長らく抵抗の意志を持ち続けるのは当然だ。となると、それを前提として支配し続けるためには一定の武力をその地に置き、支配体制を維持し続ける必要が出てくる。

「(加えて行き交う人の検閲や周辺警戒なんてモンもいる。存外多くの人手が必要だって事くらい、連中もわかってンだろうな…)」

 個々では一般の村人など相手にならないとしても、支配後にそれなりの数が残っていれば厄介だ。抵抗させる事なくの支配…そのためには支配前には数を減らすための戦力として、支配後は抵抗など無理だと思わせるため、兵の “ 数 ” はどうしても必要になってくる。


「……読めた、制圧兵力および戦力要員の補充待ちだぜ、奴ら」

「なんだって?」「それって、敵は援軍待ちって事か!?」

 村の男達が驚愕と共にザードに詰め寄る。彼は、あぁと短く頷き返すことでそれを肯定しつつ、忌々しいとばかりに目の前の敵陣を睨んだ。

「俺らの方は、村があるって事で時間かけての長期戦のが有利だと勘違いしちまってた。…逆だ、こっちが早く手を打たねぇと連中、ますます厄介さを増しちまう」

 仮にマグル村を放棄し、村人達と逃げる道を選んだとしても、この先の村々を制圧されて街道沿いに支配体制を築かれては、さすがにこれを後から攻め崩すのは難儀になる。

 おそらくは今頃、オレスを挟んで反対側の北東方面にあるオリス村も連中の攻撃を受けている事だろう。もしマグルとオリス、この2村を奪われた場合、北隣の他領2つに確実に隣接されてしまう。

 そうなったら隣領への逃亡といった手段も取れなくなるだろう。南にある領内中央たる都市のシュクリアが制圧されているとなると、彼らが逃亡する先がなくなってしまう。

「(バカどもがこれ以上バカをやらかさねぇ保障はどこにもねぇからな……最悪、このアトワルトに、正規の軍が殴りこんできちまう。いや、それだけならまだいいが、貴族の貸し借りってのは面倒だってのはグラザドンさんから聞かされたな)」

 戦場の夕餉ゆうげの席での雑談ではあったが、聞き及んだ話は有意義なものが多かったとザードは思い返す。その話群の中に、貴族社会の面倒は、時に “ 小競り合い ” にまで発展してしまうという話があった事を、頭の奥深くから引っ張りだす。

「(領主はほぼ魔界の貴族ばかり……つまり、お隣さんから軍を入れちまうと、後々、貴族同士の揉め事になっちまう。下手するとアレクスの野郎をぶっ飛ばした後もよそ様の軍が居座り続け、領地の割譲なんて要求してくる、ってな話にでもなりゃあ……領有めぐって今度は戦争だー、……なんざ、洒落になんねぇぞ?)」

 さすがにそれは飛躍しすぎかと頭を振って己の考えを否定するザード。しかしあまりよろしくない事態になる可能性はどのみち低くはなさそうだとため息を漏らした。


 口をすぼめ、勢いよく一呼吸深く吸い、そして吐き出す。

 軽く目を閉じ、頭の中を真っ白にし…ザードは己の白紙の中に一案を湧かせた。


「聞いてくれ皆。こっちから連中に攻撃を仕掛けようと思うんだが」






「ちっ! 村の連中、大人しくしてればいいものを」

 突然撃ち放たれてきた矢の雨に混乱をきたした隊だが、ようやく平静さを取り戻し、こちらもと弓矢で応戦を開始。…したまではよかったのだが。

 数が倍からなる矢を撃ち返されてはひとたまりもあるまいと余裕の態度で戦況を眺めていた小隊長だが、開戦よりわずか10分で苦渋に顔を歪ませていた。


 シュッ! ビシュッン!! ビビュッ! ドス、ドドスッ!


「ゲホッ…」

「ガッ、ぐ……、く、くそ…」

「こんな…ところ…で…、……」


 100本足らずの矢が降り注いでくるのはさほど脅威ではない。簡単に死に至るヤワな種族の兵は隊にはおらず、10本や20本カラダに突き刺さろうが、戦い続けられるバカ揃い。ところが地味に、本当に地味にだが矢の雨の応酬の中、1人また1人と絶命してゆくのだ。

「ええい! 敵の状況は!!? どのぐらい殺した!?」

 戦いなのだから戦死者が出るのは当たり前の事だが、そこで問題になるのは彼我のダメージ差だ。

 極端な話、100人vs1万であっても、100人側が1人も死なずに1万を削り続けるなんて事が実現できれば、寡勢が勝利する事も理論上は可能である。

 ゆえにこの際、敵より兵数が多い事はどうでもいい。核心はそのアドバンテージを活かせている――被害より加害が勝っている――かどうかが重要だった。



「どんどん撃て! 敵の矢弾なんざぁ気にすんな、俺がキッチリ守ってやっからよ!!」

 これがザードの作戦だった。本来、村で一番の強者であろう自分が敵に斬り込む攻撃手となるのが望ましいが、味方に被害を出させたくないという前提がある。

 何より一人でも抜けられたら、そこから戦いの素人である村側に、戦列の崩壊が起こる事は容易に想像できた。

 ならば逆に、ザードがその実力を持って村人に当たりそうな軌道の矢を弾くことに専念し、いっそ攻撃の手を完全に村人達の弓に託してしまうという発想に至ったのだ。

「うおおお! どんどんいくぜ!」「悪いがガードは頼むぜ、ザードさんっ」

 いかに村人が一般人とはいえ、中には弓の名手とも、それに近しい腕前の者がどこの村にも一人か二人はいるものだ。素人矢は囮のカモフラージュ、もしくは運よくいいところに刺さってくれればという事で雨の一滴としてガンガン撃たせる。その中で、腕に覚えのある数人がよく狙った一撃を放つ。

 いかに生命力や身体能力に長けている種族といえども、急所に一撃を見舞われればひとたまりもない。即死、あるいはそうとはいかずとも戦闘不能に陥る深手を負うことは必至だ。


 ヒュンッ、ヒュヒュンッ……バシッ、ガシッ、バキンッ


「フッ! ハン! ムンッ! ……なまっちょろい矢だな、弾くのもこうまで楽だとあくびが出ちまうぜ」

 幅広の湾曲刀シミターを軽く振るい、あるいは腕のガントレットに当てて薙ぎ払い、文字通りヒョロヒョロの矢は素手で掴む。

 ザードという防護傘のおかげで開戦より30分、これほどの矢の応酬にも関わらず村人側にはいまだに死者どころか負傷者すら出ていない。

 一方でならず者達は確実に減ってゆく。一人、また一人…と。

「数えているだけで8人はやった」「こっちは6人」「オレっちは今ので10人目なんだな」

 素人矢の被害も加味すれば、敵にはざっと30人近い死傷者が出ているだろう

。思惑順調だ。

「けど、油断はいけねぇか…あっちにだって腕のたつ野郎の一人や二人くらい―――」


 ドヒュンッ!!


「っと!! 言ってる側からか。危ねぇ危ねぇ…」

 少し肝を冷やしたと、ザードが村人に当たるギリギリのところで矢を防ぐ。明らかに勢いが違うそれは、敵の矢の雨に混じって徐々に増え始めた。


 ドヒュッ! ドシュッ! ビュヒュヒュンッ!!


「とっ、っとっ、とぉっ! ふう、こいつぁ忙しくなってきやがった。すまねぇが、狙撃班は一人、連中の手錬れてだれを探して狙うのに専念してくれねぇか?」

 さすがのザードも優秀な射手が何十人と同時に攻撃してきたなら、その全てを防ぐのは難しい。隊列の前に出てきたであろう敵の名手を探し出し、随時排除していかなければ現在のザードの防護の下、村人で攻撃を仕掛けるという体制は維持できない。

「わかった、任せてくれ!」




「くぬっ、もどかしい…っ。本隊が…プライトラ隊長が来てくれてさえすればっ」

 ザードの予想は当たっていた。ならず者達はオレス村に駐留しているプライトラ本隊に増援を打診し、追加の兵の到着を待ちわびていた。

 ここに陣を構えてより2日目が過ぎた夜に、さすがに先遣隊が動かなさすぎると危惧し、小隊長は彼らが待機しているであろうポイントを探らせた。ところが木々がいくつか倒壊して荒れている跡が見つかっただけで、そこにいるはずの仲間の姿はなかったという。

 その報告を受け、先遣隊は村側に発見され、ある程度の戦闘…もしくは村側からの奇襲なりを受けた。大打撃とはいかずともそれで先遣隊の面々が嫌気をさしていずこへとも逃亡してしまったのだろうと結論付けたのだ。

 あっさりと村を制圧できるならば兵の損失はほとんど考えなくていいが、そうはいかない。彼らにはこのマグル村の後も北西へと隊を進めなければならない計画なのだから。

「村人の分際でトチ狂いやがって……まさか本気で勝てるつもりでいるのか?」

 5日目にして、急に戦意が湧いてきた、というのもおかしな話だが、こうも頑強に抗戦してくるとは完全に予想外だった。小隊長は、こうしてならず者達による陣容を見せるだけで村人は恐れおののき、村を素直に明け渡す事すら期待していたほど、彼らを甘く見ていた。

「グハッ!」「ガッ…く…ぅ、ま、……だ…ゴボッ」「ギャァアッ!!」

 ところがいざ戦闘がはじまってみれば、こちらに確かな被害を与えてくる。一見すると素人の矢ばかりなのに、相手に順調に成果を挙げさせている始末だ。

「くう…ええい、このままでは拉致があかん! 接近して直接叩くぞ、10人一組で横一列、波状で5組、突撃しろ!! 弓は後方から支援射撃、味方に当てるな!!」




「きやがったな。そのうちしびれを切らすと思ってたぜ。よし近接担当、俺が前に出てぶちのめす。脇を抜けられねぇよう、左右やや後方からついて来て漏らしたのを狩ってくれ!」

「「「オウッ!!!」」」

 ザードが土嚢を飛び越して走りだす後ろに、体力に自信のある男達がそれぞれの得物農具を手に持って続く。

 敵が横一列で壁のように突っ込んでくるのに対し、ザード達はやじりのような列をなしてその中心部を貫いた。

 最初の衝突でザードが10人列の内、中央から7、8人を戦闘不能にした時点で、戦いの優位は完全に村人達へと傾く。

「くうう! このワニ公がぁあっ!!」

「バーカ、トカゲだっつーのっ!!」


 ガギィンッ!! ギャンッ、キンッ、ガキャンッ!!


 突撃組のリーダーらしきならず者がザードと切り結ぶ。ザードも今回の得物は自分の体躯からすればナイフのように頼りない湾曲刀シミターという事もあってか、腕に覚えのある敵を相手に簡単には斬り崩せなかった。

「(チッ、やっぱこういう奴もいやがるか…、このまますんなりと勝たせてもらう、ってぇわけにはいかなそうだ)」

 戦闘技術も、いつぞやの連中とは雲泥の差だ。なるほど、矢が飛び交う中を突撃してくるだけの事はあると、妙に納得してしまう。

 しかし―――

「悪ぃな。長々と遊んでやってるほど、俺は暇じゃあねぇんだわ」

「なっ!?」


 ドシュブゥウッ!!!


 軽口に激昂した一瞬の隙、それでザードには十分だった。総合的にみればそのまま戦ってもなおザードが勝っていたが、一人を相手に時間をかけてなどいられない。

「おおぉっし、次だ次! どんどんいかせてもらうぜ!!」

 その後も、ザードは突っ込んでくる敵の中へと斬り込んで、次々と鮮血を漁ってゆく。たいした実力ではないと見切った奴は、その戦闘力を低下させる程度にダメージを与えて後逸し、あえて村人に任せた。彼らには荷が重いと判断した奴は自らがその命絶えるまで相手する。

 いかにザードといえどその体力は無限ではない。今後の事を考えて温存する事を念頭に、上手く戦いを組み立て、戦場を支配していった。




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