第51話 第8章5 戦舞の幕開け


―――ミミが囚われてより10日目の朝。


 ドウドゥル駐屯村。その中央の広場は普段にはない賑わいを見せていた。

「…あれが例の?」「ああ、らしいぜ」

「俺、はじめて見たよ」「かー、やっぱワラビットの女はいいよなぁ」

「くっそ、遊べた・・・奴らが羨ましいぜ」

「バフゥム子飼いの連中だろ? 女なんざ星の数ほどいるんだ、あの犬野郎に頭下げてまでなんざ、オレはゴメンだね」

「でもよ、一体なんだってんだ? 今頃んなってお披露目会かぁ?」

「わかんねぇ。…けど、なんかあのバランクって商人野郎が、面会したいっつってたってのを一昨日だかに聞いたしよ、それじゃあねぇの?」

 取り囲むようにたむろしているならず者達を見回しながら、ミミは軽く首を上下左右に振った。

 壁の上よりまだ朝の清々しさを残す日の光が、久しぶりの太陽光線が眩しい。

 …だが、同時に温かい。湿地帯特有の多くの湿気を孕んでいるとはいえ地下の牢獄に比べれば、なんと気持ちの良い空気だろうと空を見上げる。

「(……久しぶりの外が、こんなにいいなんて思わなかった)」

 呼吸をすると、乱れた髪が揺らめく。

 今の彼女は両手を上に縛られ、2本の細い角材で支えられている横柱から、垂れさがっているロープに吊り下げられている状態―――油断なのかもはや反撃する体力もないと思われているのか、束縛は縛られた両手首の縄のみだった。

 ほぼ全裸で、長い髪の毛が随所の秘部をギリギリ隠せているというなんとも情けなくも恥ずかしい恰好である。

 その髪も穢れと痛みが激しい。そんな見るも無惨な姿であっても、ならず者達から欲情と期待を含んだ視線が突き刺さるのだから、ミミ自分器量外見は女性として相当に良いものなのだろう。あるいは単純に彼らが異性に飢えているだけかもしれないが。

「(…ま、この場合はどっちでもいいんだけれども、これなら使えるかな)」

 少なくともならず者達が自分に興味があるのであれば、それは有益だ。彼らの性質上、こういった大規模な組織を構築し続ける事が出来るのは奇跡のようなもので、本来ならば我欲がぶつかり合い、手を取り合う事などしない者達である。

 そんな中、自分に “ 異性として高い価値 ” があるのであれば非常に幸運だといえた。なぜなら最悪でも殺される事はないため、まず生命に関しては危惧しなくてよいし、その情欲を刺激すれば容易く自分の周りに男を置ける。上手く誘導すれば仲間割れを起こさせるのも容易い。

「(貞操が代償になるけども、覚悟さえあればタダみたいなもんだし)」

 元よりミミに、羞恥心や性的尊厳を気にしている余裕などありはしない。貴族でありながら、大きな権力や権限、頼れる背後関係コネクションに財貨や名声といった貴族らしい力が乏しい彼女にとって、麗しくも一皮剥けば醜い貴族社会の中で生き抜くためには、武器にできるものはなんでも使わなければならない。

 使えるというのであればそこに一切の躊躇いはない、たとえそれが自身の美貌や肉体であっても有益なカードならばいくらでも出し惜しみしなく振るう。

「(…で、問題の二人は…やってるやってる。二人とも頭は悪くないだろうけど…うーん、わかりやすい)」

 自分の意志と覚悟を再確認したところで、現時点での最重要人物ともいえる二人の姿を見つけるとミミは軽く目を細め、観察しはじめた。



「で? こっちは約束どおりに、場を用意したわけだが……あの女はどうしたんだぁ、バランクさんよ?」

 バフゥムは内心ではニヤニヤが止まらなかったが、今は懸命に素知らぬ態度で険しい表情を作り、バランクを問い詰めていた。

 場所はミミが吊り下げられている台より30m弱。これだけ離れていれば、強硬手段に出る事も出来ないとバフゥムは安心して対峙していた。

「私の連れが呼びにいっている最中ですよ。まだ面会の時間までは多少の猶予があるはずですが? そんなにガッつかなくても大丈夫ですとも」

 一方のバランクはというと、忌々しい気分ではあったが、余裕がないわけではなかった。まず、面会の代金がわりに譲渡する予定だったイフスは今朝、何者かに攫われてしまっていた。昨夜の内に連れ去られたようだが、犯人はわかりきっている。

「それよりも…モーグルさんはどうしたんでしょうかね。ほとんどの者がこの場に集まっているというのに、御姿が見受けられないようですが…?」

 モーグルの名を聞いて、バフゥムが微かに片眉を動かした。これで確定だとバランクは口の端を軽く吊り上げる。イフスを攫った実行犯はモーグルで、それを指示したのが他でもないこの目の前の犬頭である事は間違いなかった。

 そもそもがイフスを待機させていた小屋の一室、その現場にはわかりやすいくらいに地面の中から貫通してきたであろう大きな穴が残されていたのだ。

 人一人通るのがやっと。イフスの体格ならば余裕で連れ出せるだけの地面のトンネルは、手下の河童が潜ってみると数mのところで埋め塞がれていた。現在その河童がモーグルを追っている最中だが、バランクにとってこの事態は、予想していた数ある可能性の一つでしかなく、しかも事前になにがしかの対応策すら準備しておかなくてもよいケースであった。

「(クックック…なんと容易いことでしょうかね。所詮は犬頭、考える事のなんと浅はかな事よ)」




 そしてその頃、ドウドゥル駐屯村の外を西へ4kmほどの地点を、モーグルが懸命に動かぬイフスの身体を引っ張りながら移動していた。

「くそ、支配されてるっつーのはわかってた事だけども、こんなに厄介なもんだとはっ」

 領主ミミを一人残して駐屯村を脱するのは、かなり尾を引かれる思いだったが、もし領主側が連中に対して反撃を行った場合、イフスが人質に利用される可能性は高く、その事を考えるとまず彼女イフスを安全な場所へと脱出させる事が重要であったのは間違いない。

 それは正しいし、モーグルも最後は納得してこうして脱出の手引きを請け負っているわけだが…ミミの誤算、それはイフスが支配されている状態にある、という事だった。

「ちくしょう、頼むから自分の足・・・・で動いてくれっ…はぁはぁ、アッシの体力じゃあ…くそぉっ」

 実際に駐屯村から脱したのはもう2時間も前だ。なのにまだ4km程度の移動しかできていないのは、支配状態にあるイフスがじっと佇んで動こうとしないからだった。

 支配者マスターであるバランクの言葉しか聞かない状態の彼女を、モーグルはその手を引いてバランスを前に崩させては、バランスを保とうと一歩踏み出させるのを繰り返す事で、ようやく移動させる事ができていた。

「あいつらも気づいて追いかけてくるはずだ。はぁはぁ、…早いとこ距離稼がねぇとっ」

 穴を掘って彼女を隠し、追手をやり過ごす事も考えるが、それは一時しのぎにしかならないと首を横に振る。今頃はミミがその身を晒され、バフゥムとバランクが言い争いをしているはずである。

「(二人がいがみあってる内は良い…けど、そうでなくなっちまったら、必ず彼女とアッシを追いかけてくる)」

 バフゥムは問題ない。そもそも今こうしてイフスを連れて逃げているのも、表向きはバフゥムの頼みによるものなのだからバフゥムと奴の手下が自分を追いかけてくる事はないだろう。

 しかしバランクは商人だ。誰かを雇う事もできれば、情報網だってある。一時しのぎをしてもその手と耳の届く範囲にいる限りはやがて捕まってしまう。

 表向きは、バフゥムがアズウールの爪痕アトワルト領北東部付近の隠れ家にイフスを連れていくように頼んで、モーグルはその通りに動いている風を装っているが、実際はその企みを知って利用しようと考えたミミの指示でイフスを、1.ハロイド、2.マグル、3.ガドラ山という優先順で連れてゆく手はずである。

 しかしこうも移動が困難を極めては、安全を確保する前に追いつかれてしまう可能性が高かった。

「はぁ、はぁ…くそぉ…た、頼むっ、動け…動いて、…くれっ」

「―――大変そうだなぁ、手を貸すか? もっとも、行き先は反対方向だがよ、ケケケ」

 モーグルは全身の毛が逆立つ気分だった。ゆっくりと振り返ると、そこにはバランクの手下の、河童が両手を腰に当てて、余裕の態度でこちらを眺めている姿があった。

「……くそ、なんで」

 モーグルはあえて街道から遠ざかり、湿地帯の淵付近を移動していた。ぬかるみがまだそれほど酷くないとはいえ、人気もなければ高い湿度のおかげで薄っすらと霧も出ている。普通はそう簡単には見つからない逃走ルートのはずだった。

「ケケケ、こちとら狩りのエキスパートよ。頭のほどぁバランクさんにゃおよばねぇが…逃げる獲物を追い回すなんざ余裕だぜ、ましてや足の遅い奴ならなおさらなぁ~」

 河童の態度から、モーグルはあらかじめバランクにこういう事態を見透かされていた事を理解する。

バフゥムと・・・・・アッシがグルなのは見通されてたってワケか」

「付け加えりゃあ、その女はバランクさんの命令しか聞かねぇからな。よほどの怪力と体力がある奴ならともかくよ、チンチクリンじゃあ動かねぇ女を連れ回すにゃ足が遅くなるのは当然だよなぁ? ケケケ、そうなりゃ見つかりにくい場所を選んで逃げようと考えてもなんも不思議じゃあねぇわな?」

 お前の事だよ、と視線で意を突きつけてくる河童。確かに条件が絞られればこの辺りの地形で取るべきルートは数えるほどしかない。それらをしらみつぶしに当たれば短時間で標的を発見する事も可能…モーグルは自分のミスを悔やむ。

「(けど、やっぱりか。ってことはアイツ河童の命令も彼女には届かないって事でもあるよな…)」

 その点は幸いだった。この状況での最悪は、河童が命令を出してイフスがモーグルに攻撃を加えるという事。動かない救助対象とはなんとも厄介ではあるが、ただでさえ戦闘力が皆無な彼には、救助対象が敵に回らない分、はるかにマシだった。

「さーて、おしゃべりはしまいだ。おとなしく女を返しな。いまなら半殺しで許してやるぜ? ケッケッケ!!」

 しかし圧倒的危機には変わりない。向かってくる河童を相手に、モーグルが真正面から対抗できるはずもなく、彼は数少ない限られた持ち前のカードを駆使して、このピンチを乗り切らなければならなかった。





「すごい人数…。さて、これはどうするべきかなー…」

 少し遠目の位置にいる二人。バフゥムが警戒してあの位置で対峙しているのだろうが、このまま延々といがみ合い続ける事はない。いずれは話し合いに折り合いがつくか、どちらかが折れるか、あるいは第三者の介入か……ともあれ、この状況がいつまでも続いてほしくはあるが、そうもいかないだろう。

 ボロボロの我が身なれど何もされない分、地下牢獄の日々に比べればこうして吊り下げられている方が楽だし悪くない。

 かといって現在の状況が長く続くことはない。どう考えてもバフゥムとバランクの間で穏便な話し合いが成立することはないだろう、どちらも譲る気はないのだから。

 そのうち大きなアクションが起こり、場は乱れるに違いない。悠長に囚われのヒロイン気分で怠け続けるわけにもいかず、ミミは自分の周囲を確認した。

「(一応は包囲してる連中までは10mほどの距離があるけれど……、この吊り下げ台の前、左右に2人…後ろにも2人……)」

 いずれも獣人系種族のならず者、あわせて4人がミミの前後左右の角に立っている。

 万が一バランク達が強硬手段に出ても、ミミに手を出させないようブロックさせるためか、なかなか太めの柄の槍を手に持っており、体格も大きい。―――が、いずれもどこか不満げなものを感じさせる表情をしているのは、面倒な仕事を押し付けられたとでも思っているのだろうか。

「(…見た事のない顔ぶれ。きっと牢獄には来れなかった人たち…)」

 ミミは、囚われてより今日まで牢獄へと来たならず者達の顔は全員、きちんと記憶していた。

 見張りの者達がいずれも自分とは初対面である事を確信すると、ミミは一呼吸つく。

「(まず、場の主導権を握る…。そのためには、私からアクションを起こさないと…)」

 今一度周囲を見回し、ならず者達やバフゥムとバランクらの位置関係を確かめる。捕らえられた日の事を思い出せば、たとえ今、魔力や体力がほとんど枯渇していようともある程度渡り合える自信が彼女にはあった。

「(…よし、行動開始…っ)」

 ミミは、モジモジと両脚をうごめかせる。吊り下げているロープが、彼女の体が揺れ動くのに合わせてブチチと悲鳴を上げると、その衝撃が伝わり、吊り下げ台の木柱がギシリと軋んだ。

 まずそれに気づいたのは後ろにいる2人だ。痛んだ長い髪が左右に揺れて一糸まとわぬ彼女のお尻が露わになったのだから、欲求不満な彼らがその目を向けないはずがない。

 さらにミミはモジモジさせ、お尻を軽く後ろに突き出してカラダを揺らし始める。それは後ろの二人からすれば自分達へのアピールのようであり、誘っているようにしか思えない動きだった。

 

 ゴクリ


 生唾を飲み込む音をハッキリとワラビットの長い耳が捉える。

「(かかった。…あとは…)」

 軽く脚を開き、交差させ、そしてお尻をあげる。

 その状態でまた交差させるべく脚を開いて…を繰り返す―――当然それは、後ろの二人には鼻血ものの光景となっているはずだ。

 その証拠に、二人の気配が近くなっている事を彼女は背中越しに感じていた。

「(もう一押し…)」

 今度はお尻をあげたまま、左右にゆっくりと振って見せる。大きく育った事はコンプレックスではあるが、今は数少ない彼女の武器だ。何も恥じる必要はない。

 吊り下げているロープがさらにミシリと音を立てる。

 もともとこのドウドゥル駐屯村内にて適当に転がっていたもので、古く痛んでいるものを拘束のために使ったのがバフゥムの誤算だろう。この10日間、牢獄でもミミを痛めつけるのに用いられていたのだから、痛みはさらに激しくなっている。いかにミミが小柄で軽いといっても、その体重を吊り下げている事で耐久性が限界に近付いているのは明らかだった。

「…んっ!」

 後ろの二人が、お尻の肉を掴んだ瞬間、ミミは漏らした声とは逆に、心の中でほくそ笑む――――釣れた、と。

「(役目よりも欲望が勝る。相手がならず者でよかった…)」

 これがバッチリ精神的な修練を施された兵士ならばこうはいかなかっただろう。彼女はお尻を揉まれてこそばゆそうにその身を震わせる。もちろん演技だ。


「お、おい! 何してんだ? あいつら抜け駆けしてんぞ!?」

 10m離れているとはいえ自分に視線が集中する中、これだけ身悶えるようにうごめいて見せれば、周囲のならず者達も当然気づく。お尻を触っていた二人はぎょっとして素知らぬフリをするが、誤魔化しきれるものではない。

「野郎、こっちだって我慢してんのに! ええい、もう限界だっ!!」

「あ、ちょとまてよ! ズルぃぞ!!!」

 一度堰を切って流れ出したらもう止まらない。我も我もとミミという少女の吊り下げられている場所、ただ1点に向けて殺到するならず者達。その数およそ500人以上。

 この10日間のうち、最近の3日間はならず者達10数人、合わせて4、50人くらいは牢獄で自分をかわいがって・・・・・・くれた連中だ。

 それは裏を返せばこのドウドゥル駐屯村にいる1500人以上の内、1450人以上がなんら美味しい思いをしていない、欲求不満の状態にあるという事。こうして我先にとなだれ込んでくる500人のほとんどがそこに当てはまる者に違いない。

 やがて伸ばした手がミミのカラダに触れる。が、他の者がそうはさせるかとそれを邪魔する。四方八方から手が伸びてきては仲間に払いのめされる。そんな彼らの様は、吊り上げられている彼女のやや高い位置へと、掲げられている宝物をその手に掴まんとする亡者のごとく押し寄せては天に向かって手を伸ばす、ある種絵画的な様相を呈していた。

 ならず者達の我慢が爆発して、ものの数秒で場は完全に混乱した。



「おいおい! なんの騒ぎだこりゃぁ!!? オイ、てめぇら!! 勝手に何してやがっ…ちぃっ!!」

 もはや張り上げるバフゥムの声など誰も聞いていない。誰かの空ぶった爪先が犬頭の頬をかすめる始末だ。

「…クソが、何がどうなって―――!? あの野郎っ」

 バランクがならず者の山の上を伝ってミミに近づいてゆくのが見えた。その行動の速さから、この騒ぎはバランクが起こしたものとバフゥムは考える。しかし―――

「(まさかの好機。フフフ、不意の出来事ゆえあの犬は対応できないようですし、この機は逃しませんよっ)」

 闇商人として危険な取引をかいくぐってきたバランクと、所詮は自身の欲と安全を第一として生き抜いてきたならず者たるバフゥムでは、不意の事態への対応力に顕著な差が出るのも当然だった。

 バランクにとってもこの事態は想定外であったが、素早く自身の目的を果たす道を見定め、行動に移す手際の良さは、なるほど彼がこの事態を仕掛けたと思われても仕方がないだろう。

「よっと! ふう…。…お初にお目にかかります、私はバランクと申す商人…ささ、お助け致しますゆえお手を、領主殿」

 ミミに一番近づいていたならず者の頭を踏みつけ、手を差し伸ばすバランク。確かに二人はこれが初対面となる、少なくともバランクにとってはだが。

「クス…商人が彼らに紛れてわたくしを助けに? 一体誰の頼みを受けていらっしゃるのやら…」

 貴族の顔と口調を持ってバランクを訝しがるミミ。もちろんこれも演技だ。いくらこんな状況でも見知らぬ者を容易く信じ、その自称救いの手を喜ぶ事などありえない。ミミの立場としてはこれが自然な反応だろう、当然の警戒心としてバランクにぶつける。

「危ぶむはごもっとも。ですがあの犬頭が来ますゆえ、今は言葉を尽くしている暇はございません。ささっ、今お助けいたしますよ」

 懐からナイフを取り出し、ロープを切らんとする。

 

 だがミミはその瞬間を待っていた。


「うおっ!? な、お前らっ」

 バランクがミミのロープを切ろうとした瞬間、足場にしているならず者たちが大きくうごめいた。

 それは吊り下げられているミミがお尻から両脚を前後に振るい、足を大きく振りあげて彼らを蹴ったからだ。

 普通ならよろめきすらしないほど威力のないキック。しかしこうも密集し、争い合っている状況下では、それだけで彼らを将棋倒しにするには十分な行為であった。


 ビッ…ブチチッ…ブチィッ!


 ロープに切れ目が入った事で、ミミのカラダの揺らぎだけでも引き千切れてゆく。バランクの手から落ちたナイフがミミの前を通って吊り下げ台の上に突き立って刺さった。

 それとほぼ同時に、彼女を吊り下げていたロープは完全に千切れ、彼女はならず者達がたむろする足元へと降り立つ。

「うおおお!! 俺のだぁぁぁぁぁ!!!」

「てめぇ、何いってやがる!! オレの獲物だ!!」

「ふざけんなこの野郎!! こっちはもう何か月もご無沙汰なんだ、どきやがれ!!!」

 普通なら即座に襲われるだろう。ところがあまりの人数が我も我もと争い合っているがゆえに、誰一人としてミミのカラダを掴めないでいる。

 誰もが彼女に手を出そうとする半面、互いに邪魔しあう事にも力を削いでいるのだ。

「次は…っと、手のロープも切って…」

 おかげでミミは、結構自由に動くことができた。ならず者達に囲まれた奇妙な空間の中、バランクが落としたナイフで拘束を完全に解くと、彼女は軽く長い髪の先端を縛る。そしてその場から――――跳んだ!


「「「おぉ!!?」」」


 その跳躍は、ワラビット族である事を考えれば当然のレベルだった。しかし長らく拷問を受けたボロボロの身なりは、見る者に完全に弱りきっていると錯覚させ、そんな力はないという先入観から、彼らを驚愕させた。

「はい、そこ失礼っ」

 密集しているならず者達の中、ほんの少しの隙間を見つけて降り立つ。当然そこにいた者達がとっ捕まえようと押し包むように彼女に殺到するが、ミミは既に彼らの間をすり抜けてその小柄さを活かし、素早く移動していた。



「!! お前ら何やってる!!! 逃がすんじゃねぇぞ!!!」

 バフゥムが声を張り上げ、ようやくならず者達は我に返った。

 慌てて周囲を見回すが彼女の姿がどこにもない。…が、村の出入り口の方を見ても、抜け出られた様子もなかった。

 ドウドゥル駐屯村は高い壁に囲われて、出入り口は一つしかない。

「お前とお前とお前! 出口を張れ!! 誰一人通すんじゃねぇぞ!!!」

 焦りはあるが、ミスはしない。声をかけた者達はいずれも自分の息のかかった連中だ。ひとまずはこれで、駐屯村の外へ逃がす心配はないだろう。

「(ちいい、バランクの野郎、まさかウサギちゃんを解き放つなんて真似をするとはな…。あえて逃がした後で、改めてとっ捕まえるハラかよ!)」

 あくまでこの騒動はバランクの仕業だとバフゥムは思っている。そのためにバランク達の位置や動向も確認したかった、だが―――

「なんだなんだ?」「どうなってんだ、この大騒ぎは??」

 立ち会わずに待機させていた他の連中も集まりだし、駐屯村内は約1500人が入り乱れはじめていた。事情を知っている者約500人と、知らぬ者1000人が辺りをたむろしている。

「こいつぁヤベェ。…チッ、おいそこの! 4、5人組んでバランクどもを探してこい!! そっちのは―――…ハッ、しまった!!」

 指示を出していたバフゥムは一転して大焦りで駆けていく。出入り口さえ封じてしまえばと簡単に…と、考えてしまっていた自分に腹が立つ。

「(モーグルが掘った抜け穴!! あれは牢獄の壁から入るんだ、ウサギも見てる! チクショウ、逃がさねぇ、逃がしやしねぇぞ!!)」

 一目散に駆けていくバフゥム。彼の視界にはいち早くミミを捕えんと独自に追いかけていた連中の背中が見えた。一見すると何知らぬ様子を装っているが、確実に逃げた彼女を追っている。周囲に自然を装うのは自分がこっそり捕まえて、好き放題しようというハラ積もりだからだ。

「(チッ、分不相応なバカどもが! だがこっちに逃げたのは間違いなさそうだな)」

 バフゥムが彼らを追い越していく。だがバフゥムに先を越されまいと焦ったのか、連中も走り始める。やがて物陰や行き交うならず者の間を素早く移動するウサギ耳の影を捉えた。

「いたな! 逃げられると思うなよ、おイタはそこまでだぜ―――ぅえっ!?」


 ズボォッ!!


 バフゥムの身が突如沈んだ。その半身が地面に埋もれたのだ。後に続いていたならず者達もあちらこちらで同じように埋もれ、あるいは埋もれた先駆者の体に引っかかって転倒するなどしている。

「こ、こいつぁ…? 落とし穴…じゃねぇ、これはまさかっ!?」

 覚えがある。間違いない、これはモーグルが掘っていた脱出用の抜け穴だ。緩い地盤が殺到したならず者達の重みで地盤が崩れてしまったのだろう。


 ミミ一人ならば崩れなくとも、バフゥム達が押しかければ崩れる。彼女はあえて出口とは反対方向の、駐屯村の奥へと来ていた。

 それは牢獄があった付近であり、モーグルに頼んで掘っておいてもらった浅い位置の抜け穴が縦横無尽に走っている場所だった。

「(ここで時間稼ぎ…かな)」

 牢獄の壁から掘られているがゆえに、この落とし穴は地表にはなんの痕跡もなく、見て位置を探る事は不可能。だがしっかりと穴のルートを聞いておいたミミには、見えない落とし穴の位置が手に取るようにわかる。

 体力は残っていない。ボロボロの裸体はそこらにあった適当な布で包んでいるのでとりあえず恰好はこれで良しとする。

 今の落とし穴でならず者達は慎重になったらしく、一気に間合いを詰めて来ようとはしない。足元に気を配りながらジリジリと詰め寄ってきている。

「(ん…大丈夫。魔力もないけれど、なんとかできる…やれる! とにかくモーグルさんとイフーが逃げ切る時間だけは稼ぐ…後は、バランク一味にさえ気を付けて立ち回ればっ)」

 ミミは動く。地面を蹴り、大股を開いて先頭でまた新たに陥没した地面にハマってしまったならず者の上を飛び越す。ミミのお宝を拝観する事となったならず者は、鼻血を吹いた。だが恥部が丸見えであろうとも、ミミは一向に構わない。気にも留めない。それどころか、それで行動不能にでもなってくれるというのであれば願ったりだ。

 残されている武器は機敏な立ち回りと落とし穴、そして女たるその身とバランクが落としたナイフ1本のみ。

 それらを駆使して目の前のならず者達を相手にしなければならない。しかも時間が経てば経つほど、上限にして1500人ほどまで追加で敵がやってくるという条件下。

 素直に出口に走った方がよかったかもと苦笑しながらも、まずは自分以外の全員の安全を確保したかった。そのためにたとえ自らを犠牲としたってかまわない。

 そしてモーグルとイフスが無事に逃げおおせさえすれば、それは叶うのだ。



 ミミは地面を転がり、ならず者の頭を蹴って空を舞い、そこらに散乱する荷箱や小屋を障害物に、跳梁跋扈しながら連中と渡り合った。




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