反乱編:第8章

第47話 第8章1 奪い合う者達

 

――――ミミが囚われてより7日目の夕暮れ時。


 それは、地下牢獄にまで響き渡るいさかいの音だった。

「………」

 何もしゃべらず、ただ無言で今日も “ 拷問 ” に耐えているミミは、その長い耳だけを軽く動かしてその音を拾う。

 何事かと拷問を行っていたバフゥムが手配したならず者達の動きが止まり、しばしの休息時間が訪れ、彼女は無意識に口元を綻ばせた。

「なんだ、何かあったのか?」

「お前ちょっと見てこいよ」

「んな事いってその隙に割り込むつもりだろ、そうはいくか!」

 今、ミミを取り囲んでいる野郎どもは3人。地下牢獄は決して広くはない。余裕を持って動き回るのであれば2、3人が限界のスペースに4人が同室しているのだ。1人が上の喧噪を伺いにいけば居心地が改善される。加えて“いい思い”をしやすくなるのだから、誰もがここから動きたがらない。

「(……やっぱりバランク一味。昨日の豚亜人オーク、見た事あるからもしかしてと思ってたけれど、彼から連絡いったんだろうなー)」

 バランクに仕込んだ魔導具は、さすがに効力を失いかけており、もはやリアルタイムに情報を伝えてはきてくれない。時折思い出したかのように僅かばかりの情報が流れてくる程度だ。もっともミミにはそれだけでも彼らの状況を把握するには十分なのだが。

「(うーん、本当はもう私が出来る事なんてないけど、なんとかしてイフーだけでも早めに助けられたら助けておければなー…)」

 すでにメルロとドンは無事を確保しているはずだ。自分の事をある程度理解している二人には、南北で領民の不安化を抑えてくれる事を期待している。特にドンは頭が良く、経験や実力もある。マグル村にてシャルール達と無事合流していれば、連中への反抗の下地を築いてくれるはずだ。

 とはいえ、途中で遭遇したムームが連れていたドンは重傷だった。その事を考えると、戦力という意味で反乱軍に対応するには現状では不足している。最も、ミミはザードやホネオといった有望な存在が自領内に存在している事を知らないのだが、仮にそれを知っていたとしても、やはりまだ反乱軍を平らげる戦力としては足りない。

 すなわち現状は、最後のチェックを行うための駒が不足していると言わざるを得ない状態なのだ。

「(戦闘じゃ、イフーはなんら力にはなれないけれど、領内の地形やあれこれを私以外じゃ一番知ってるし、できれば助け出してドンさんか、メルロさんの方に合流させた―――)――ぃっ……ぅ…く」

 背中がビリビリする。どうやら “ 拷問 ” が再開されたらしい。暗い地下牢獄の中空の中を自分を打ち据えたばかりの鞭が反動で舞う様が目の端で捉える事ができた。




 その頃、ドウドゥル駐屯村内では、やはりバフゥムに対してバランクが噛みついていた。

「どういう事でしょうかね、これは? 領主を捕らえた事、なぜ連絡を寄越さないのです?」

「あぁん? そいつぁおかしな事を聞く。連絡はとっくに伝わってたはずだろうが?館で領主を捕らえた・・・・・・・・・直後によぉ?」

 それは領主の偽者メルロの話だ。バランクが言わんとしている事は、バフゥムもよくわかっているはずだが、彼はあえて何いってんだお前は? とバカにするような態度でバランクに対峙していた。

「貴様――――」

「それにだぜ? アレクスの野郎が領主を任せたのは、この俺のはずだ。だからこそ、俺が留守担当してる駐屯村ここに移送してきたんだろ? なぁ! お前ら! 俺ぁなんか間違った事言ってるか!?」

 共にバランク一味に対峙している自分の手下たちに大きな声で問いかけるバフゥム。手下達はまるで事前に練習でもしていたかのように息の合った声で「間違ってません」と答える。

 今バフゥムが伴っている周囲のならず者達は、彼が自分の獲物の “ 味見をさせても良い ” と判断した選りすぐりの部下であり、自分のいう事をよく聞く連中だ。それがおよそ50名。バランク一味を半包囲する形でたむろしており、数の有利でバフゥムを後押ししている。

「…それは、貴方の勝手な解釈だと思わないのですかね?」

 バランクは奥歯を噛み締めつつも、可能な限り今の感情を表情に出さぬよう押し殺しながら反撃に出る。しかし

「ほー? バランクさんはそう思っておられるとぉ? でしたらば、アレクスの奴に問い合わせてみますかい? “ 館で捕らえた領主 ” を ここへと移送した理由を?」

 だからそれは領主の偽者の話、と言いかけて、バランクは口を閉ざした。周囲の下っ端達はその事実を知らないだろうと思い、領主の偽者の件を公にするのはマズイと感じたからだ。

 しかし、実はこのドウドゥル駐屯村にいる者たちは全員、偽者の喪失と本物の捕縛の事実を知っている者ばかりであった。

 バランクの、バフゥムが己の欲望のために館で捕らえた者が実は偽者であった事を部下達にも隠しているに違いないという勝手な思い込みは、撃の手数を自ら封じてしまった。

「…いえ、それには及びませんとも、ええ…」

 歯ぎしり。バランク自身は隠しているつもりでも、バフゥムには手に取るように彼が悔しがっている事がわかる。タイプは違うが奇しくもこの二人は、他人を手玉に取る事で己が利益へとつなげる事を良しとする者同士であった。

「なら、何も問題はねぇ。捕らえてる領主の身柄も変わらず俺様預かりでいいわけだ、そうだな?」

 バランクは口は開かず、わずかに肯定の頷きをする。

――――優越感。バフゥムにしてもバランク一味はきな臭い連中として警戒していた者達だ。あるいは仲間内で最も自分の敵となるのは彼らではないかと睨んでいた事さえある。それゆえにこの状況はこのところの不満を吹き飛ばしてくれるほど、この犬頭にとっては愉悦に満ちたものであった。


「(クッ、なんてことです。このような事になるとは…っ! どうにかして、領主を手に入れなければ。強引だろうとなんだろうとかっさらって即座に魔界へと連れ帰り、ウンヴァーハ様に献上さえしてしまえば、私の評価は完璧なものとなるというのに!)」

 そうなれば今後、金ヅルに困る事はない。適当な三流品も舌先三寸で一流品と騙くらかして儲け放題になる事だろう。

 ウンヴァーハのように金と権力はあれど本人が愚かな貴族家のボンボンは、なかなかに得難い金の沸く泉である。バランクとしてはなんとしても信用を取りつけ、評価されておかなければならない相手であった――――遠く離れた魔界本土の事ゆえ、いまだウンヴァーハが失脚しているなど夢にも思わず、なんとかして領主をかっさらう算段をたてようと彼が頭をフル回転させていると…

「おい、なんだこっちの裸のねーちゃんは?」

「へへ、可愛いじゃねぇかよ。おい、コイツは喰っちまってもいいのかぁ?」

 下っ端どもが、全裸で立ち尽くしているイフスに群がってくる。

「馬鹿か。そんな事してみろ、ぶっ飛ばされるぜお前? バランクさんは自分の所有物に手ぇ出されるのが嫌いなんだ、下手に触んのもナシだ。……おおい、バランクさん、コイツになんか服でも着せた方がいいんじゃねーか? このままじゃそのうちバカやらかす奴が出てきて面倒な事になりそうなんだが」

 イフスの近くにいて、ハエを追い払うかのように寄ってくる連中をにシッシッと手で払うジェスチャーを取っているハニュマンが、うんざりした様子で問いかけてくる。

 それを見てバランクは一計を思いついた。

「バフゥムさん。もちろん、面会くらいはできるんでしょうね?」

 余裕の態度を見せていたバフゥムに、奇襲気味に問いかける。が、さすがの犬頭である。うっかりと肯定しかえすなどという愚は犯さず、気分良くいたところに水を差されて感じた不快でもって己の精神を戒め、真剣にバランクの意の裏を探るように考えだす。

「(さぁ、どうでますかね?)」

 バランクとしては正直藁をも掴むような気分だった。それがなんと惨めな気分であるか、強い屈辱を感じながらも憤りを堪え、冷静さを保ちつつ回答を待つ。

「……そうだなぁ、不可能じゃねぇ…が、今は ” 部下どもが ” 領主のやつを拷問にかけて “ 情報を吐かせている ” 最中だ。すぐにっつーわけにはいかねぇなぁ」

「(フン、“拷問” に “情報を吐かせる”? そんな気はまったくないでしょうに。実態は凌辱…嘘で覆い隠さねばならぬ者がこの場にいるわけでもないというのに、なんと無意味な)」

 誰だって “お楽しみ” の真っ最中なのは考えなくともわかる。しかし、だからこそ付け入る隙がそこにあった。


「で、あるならば。彼女・・の “ 尋問 ” もお願いしてもよろしいでしょうかね? もう用済みも甚だしいところなので」

「なにぃ?」

 バランクがアゴで示したのは、先ほどから気になっている全裸女性だった。どこで手に入れたのかは知らないし、なぜ全裸で連れまわしているのかも不明だが、少なくとも現在、バランクの所有物である事は間違いない。そしてそれを譲り渡す・・・・と言っているのだ。当然バフゥムは不審に駆られる。

「なに、“ 尋問係 ” が多くて 暇を持て余してる・・・・・・・・者が多いのではと思いまして。でしたら仕事を増やしてさしあげれば、わたくしめが領主に面会できる時間も取りやすくなるのでは、と」

 これはバランクの反撃だ。そもそもならず者達が女を捕らえて何もしないはずもない。仮にバフゥムが独り占めでもしようものなら、この駐屯村内にいる連中は相当に不満を募らせている事だろう。

 かといって、下っ端達に “ ご馳走 ” したところで駐屯村で留守役を務めていた部隊の人数は最低でも1500以上はいるはずだ。その欲求のすべてをたった1人の女で満たす事ができるとは到底思えない。

 しかも本物の領主が捕らえられたのは、最低でもあの領主の偽者を捕らえた時よりも後のはずだ、長く見積もったとしても1週間未満。その時間で1500人以上の強欲者達が満たされている可能性はゼロと断言してもよいくらいだろう。

 実際、バフゥムの現在の困り事はそこにあった。自分の獲物は可能な限り他の者の手を付けさせたくはない。

 しかしモーグルに指摘されて以来、不平不満を解消する目的で一部の部下に限ってではあるが “ おこぼれ ” を与えているのが今の状態だ。駐屯村内全体としての欲求不満の雰囲気は依然として改善されてはいない。できれば自分が興味のない適当な女をもう1、2人どこからか調達して下っ端どもに与える事ができれば、と考えはじめていたところだった。


「(だが、そこまでして “ 面会 ” したいだぁ? 絶対にただの面会じゃあねぇだろ…)」

 確実に何かを仕掛けてくるに違いない。そこでバフゥムにとって最悪のケースは何か? それは連中に最高の獲物たる兎ちゃんを奪われて逃げられてしまう事だ。

 バランクは常に3人の手下を伴っている。しかもそれなりの戦闘力を保有している事はこうして見ているだけでもあきらかで、10人や20人の信用おける部下を張らせたとて突破されかねない。

「(いや待て…3人じゃあねぇな。もう2、3人はいたはずだ…クソッ)」

 はじめてバランク達がドウドゥル駐屯村ここに訪れた時、あの3人以外に何人かを加えるよう連れてきた事を思い出す。

 そいつらが今どこに配備されているかは不明だが、確実にバランクの息がかかっているはずで、それが駐屯村内にいた場合、バランクの企みの手引きをする要員となるに違いなかった。

「(…ならばオレにとっての最高は何か、だ。バランクの野郎から全裸女をせしめた上で、面会とやらをこっちの主導で行わせ、俺様の兎ちゃんに指一本触れさせねぇままにとっとと追い出しちまう事、…だな)」

 バフゥムもある程度算段がつき、回答しようと口を開きかけた。が、重要な事に気が付いて一度口ごもる。軽く咳払いをして仕切りなおしてから、改めて発言をはじめた。

「…まず、今日はもう夕方だ。面会とやらは後日にしてもらいてぇな。それと都合ってもんがあるだろう、互いによ? 面会とやらの日時と場所はこっちが指定するっつーことでも文句はねぇよなぁ?」

 バフゥムにとって有利な条件だ。しかしこれを拒否するならするで面会とやらはさせないだけの話である。そもそも全裸女を差し出すという話はバフゥムからしてみれば降って沸いたものであり、元々なかったものだと思えば手に入らなかったとてなんら惜しくもない。

 元よりこの駆け引きは最初から圧倒的有利な立場なのだ。懸念はあるものの焦って勝負に出る必要もない。十分に準備を行ってから勝ち戦に臨めばよかった。

「まぁ、良いでしょう。ですが、そういう話でしたならば面会が済むまでは、彼女イフスを引き渡せませんね。そこのところはご理解していただけますかね?」

「ああ、もちろんだ。それでいいぜぇ」


 交渉成立。だが犬頭と小さきドラゴンニュートの交わす視線は互いに敵意に満ちている。

 ここからがまさに勝負である。バフゥムは部下にバランク達の動向と接触する者が誰かを調べるように命令を出し、バランクは手下の3匹と全裸女を引き連れて適当な小屋へと撤収してゆく。


 互いの企みの成就を賭けた駆け引きは、既にはじまっていた。




 その日の夜。


「そんなワケで、バフゥムの野郎とバランクって奴は一触即発だ。あの場でよく戦闘にならなかったもんだと思う」

 ミミに駐屯村の様子を教えにきたモーグルは、堂々と牢獄の鍵を開けて入室していた。バフゥムからある程度・・・・を許してもらっているため、コソコソする必要なく会いに来れるのは楽でいい。

「いくらならず者達でも、組織だってる以上は仲間内で争ったりなんて簡単にはできないもんね。特にあの二人はまだ、自分の狙いを公にしたくないだろーし」

 なるほどな、とモーグルは相槌を返しながら、持ってきたバケツに手ぬぐいをつける。そしてさらに酷い恰好となり果てているミミの肢体を優しく拭った。

「んっ、ありがと。はぁ~、お風呂に入ってないからカラダ拭いてくれるのはすっごく嬉しいよ~」

 こんな場所に閉じ込められているというのもあるが、何より肌の表にこびりついていた液体の痕が異臭を放ち始めており、見た目だけでなく臭いも気になるレベルで汚されきっている。

 モーグルにしてもあまりミミの世話をすると、そこから自分の立場に綻びが生じかねないのでせいぜいカラダを拭いてやるくらいの事しかできないのだが、それだけでも今の彼女にはたまらなくありがたかった。

「ところで領主様よ? これからどうするんで…あのバランクとかいう奴の目論見はわからねぇけど、アッシの見立てじゃあロクな事考えてそうにないんじゃないかと思うんだ。やっぱ今のうちに逃げた方がいいんじゃあ―――」


 しかしミミは彼の言葉を断ち切るように首を横に振った。

「今ならあの犬頭とバランクはいがみ合ってるからね。もしここで逃げても、矛をおさめて手を取り合って追いかけて来ちゃうから、あまりいい手じゃないんだ、脱出っていう選択肢はね」

 そうは言っても、と納得しかねる様子のモーグルの発言を待たずにミミは続ける。

「あと、バランクの狙いはわかってるからそっちは大丈夫」

「え、わかってるって…あのちんちくりんドラゴンニュートの商人の事、知ってるんですかい?」

 ドミニクに言われて途中参加でこの地にやってきたモーグルとしては、バランク一味がどのような連中なのかいまだ理解が及ばないところがある分、ミミに差し向ける視線に情報を求める意志が宿る。

「私も詳しい知己ではないんだけどね、ある程度は情報を仕入れてるから。…背後にいる黒幕もだいたい見当ついてるし。端的にバランク達の目的を言うなら、私を誘拐してここをおサラバする、ってとこかな」

 モーグルは目を大きく見開いて驚きを露わにした。

「…すでに獄に繋がれているモンを誘拐しようなんざぁ、また随分と穏やかそうじゃない話で」

「それだけいろいろみんな企みを秘めてるって事だね。まぁ目的や意志統一された組織じゃないからこそ、付け入る隙があって今までいろいろ手を打てたりしてこれたんだけれど」

 チラりと牢獄の壁を伺う。見た目は塞がれているように見えるが実は現在、モーグルがバフゥムの頼みで脱出路を掘削している。

 牢獄からドウドゥル駐屯村の外へと抜ける秘密の抜け穴だ。当然あの犬頭が自分を連れて組織から抜け出す目的で掘らせているものだ。

「モーグルさん、例の抜け穴は途中で崩落するようにしておいてほしいんだけど、…できるかな?」

「? なんでだ? アッシてっきりはバフゥムの野郎の案に乗ったつもりで、奴を出し抜いて脱出するために使うものだと思って…違うのか??」

「どのみち掘削できる穴はそう大きくは出来ないんでしょ? 一度に通れる人数に限りが出てくるんじゃあ、実際に使用するには心もとないしね」

 このドウドゥル湿地帯の地盤の質を考えれば、元よりしっかりとした通路を作る事は不可能だ。石で壁を固めたはずのこの牢獄の中にでさえ水滴が染み出し落ちるほど湿気を含んでいる土壌でのトンネルは、多少の振動でも崩れかねない危険性を孕んでいる。

「脱出目的なら、最低でも3人が同時に脱出できるものでなければ意味がないし」

 3人とはミミ、モーグル、そしてもちろんイフスの事だ。

 さすがに彼女を置いて逃げる事はできない。仮に逃げおおせたとしても、連中の憤りや鬱憤がイフスに向かうであろう事は確実だ。彼女を助け出して共にこの駐屯村からおさらばできるほどの穴でなくばまともに使えはしない。

 しかしこのまま何も有効な手を打たずにいても、時間がイフスの身を穢させる事態へと導いてしまう、そしてそれは数日の内の事だ。

 バランクがバフゥムに彼女を引き渡してしまえばその時点でアウト。それまでに最悪彼女を駐屯村の外、安全を確保できるところまで退避させなくてはならない。

「(…と、なると~…できればあと2日、可能なら3日は時間を引き延ばしておきたいなぁ。私たちだけでどうにかするにも限界があるし、“ 最後の手 ” も効果を発揮するまでは間があるだろうから、なるべく危険な時間は短くなるようにしておかないと…)」

 彼女が考えるこの手・・・は、効果を成せば確実に反乱軍は鎮圧できるものだ。

 しかしデメリットもあり、ミミとしては後々にわたって多大な “ 貸し ” を複数人に作ってしまう事になるため、できれば使わずに済ませたいほどの奥の手。

 とはいえ、部下にこれ以上の危害が加わってしまう可能性を考えれば、迷っている場合ではない。

 それでも問題は残る。タイミング調整…すなわち ” 時間 ” である。せっかくの奥の手だ、最適なタイミングを見計らって出来る限り最高の結果を掴みたかった。


「ん。やっぱりこれしかないかな…。モーグルさん、あの犬頭が気を許した連中…10人ほどで構わないから、明日からここに入り浸らせるように差し向ける事ってできるかな?」

「?? あ、あぁ…そりゃあ、根っこが下卑た連中ばっかだから簡単っちゃあ簡単だけどよ…そんな事しちゃ、ますます―――」

 今ですら、ミミの容貌は相当な状態になっている。汚れを拭えばなるほど、いいとこ出のお嬢様の瑞々しくも陶器のような艶光を返す綺麗な肌が甦りはする。しかし満足な食事も摂っていなければ疲れを癒すには短い睡眠時間。加えて朝早くから夜遅くまでたっぷりの “ 拷問 ” をその身に受け続けているのだ。

 もし今、はじめて彼女の姿を目にした者ならば、もう何か月ここに繋がれているのか? と聞かずにはいられないほどボロボロになっている。

「お願い。まず “ 正当な理由 ” をあの犬頭、バフゥムに与えて時間稼ぎする必要があるの。そしたらその間に――――」





 かくして囚われてより8日目の朝から、ミミはより一層激しい “ 拷問 ” をその身に受ける事となった。


 モーグルに声をかけられたならず者達は大喜びだ。朝早くから一日中地下牢獄に入り浸っている。あまりの熱狂から拷問中・・・に声をかけようものならばバフゥムにすらつい荒げた声を返してしまうほどだった。


「……と、いうわけだ。バランクさんよ、“面会” とやらはまだ無理そうなんでね、悪いな」

 バフゥムとしては、入り浸る下っ端どもに調子に乗るなとはらわた煮えくりかえってはいる。だがバランクの要求に応えるのを先延ばしする適当な理由として丁度良くもあり、彼自身複雑な気分で嫌々ながらも、部下どもの無茶を認めるカタチとなっていた。

 時間を稼げば、モーグルが抜け穴を完成させるかもしれないし、バランクの面会とやらの裏に隠された企みに対応できるよう、用意できる準備がより万全なものとする事ができるであろうメリットは大きい。

 実際バフゥムは、バランク達が駐屯村に運び込んだ宝石の存在を餌に、密かに味方を増やしていた。そして想定する面会場所のその周囲の小屋に配備するように住み分けの再配置を進めている。

 さらには面会場所そのものにもトラップを仕掛けさせている。万が一の場合にも決してバランク一味に出し抜かれないための、念の入れようだ。


「左様ですか。何、面会させさせていただけるのであれば、時間はそちらの都合で結構」

 一方でバランクはというと、そもそも領主ミミは献上品ではあるもののその身が綺麗である必要はない。むしろウンヴァーハ依頼主の様子から考えて、領主ミミに対して一定の恨み事があるようだった分、ボロボロの姿で引き渡すのもアリだ。

「(ま、事前に通達し、様子を確認してから仕立ててもよいですからね。まずは手に入れる事が第一…)」

 まずチャンスが確約されていれさえすれば、今は焦る必要はまるでない。入手と組織離脱を見据えての準備を、念入りに行っておく。そのためにもバランクも今は時間が欲しかった。

 昨日からすでに動きはじめてはいるが、留守番組だったバフゥムはこの駐屯村内での自身の地盤をガッチリと固めてしまっている。圧倒的アウェイではあるものの、目的は領主一人の強奪だけと考えればそう難しくはない。

 ウンヴァーハから預かった財宝の数々を捨て置いてゆくのはいささかもったいないが、領主ミミさえ差し出せば信頼は盤石なものとなり、金目のモノはいくらでも手に入る。


「…おそらく面会場所は広場になるでしょう。手の者・・・とコンタクトを取り、広場から駐屯村出口に向かう位置に配置させるように仕向けなさい。くれぐれもあの忌々しい犬っコロに気取られないように」

「あいよ。ケケケ、んな間抜けた真似は豚だけで十分だぜ」

 そう言うと河童がこなれた足さばきで移動する。離れていくその背中をしばらくうかがっていると案の定、河童の後を尾けるように移動しているならず者がいた。

「…チープな尾行だな、ま…河童と紛れ込ませてる奴らは全員囮なんだろう?」

 ハニュマンの問いに、バランクは笑みで答えた。

「んじゃま、こっちも行ってくるとするわ。バランクさん、合流はとりあえず3時間後くらいで?」

「ええ、それくらいで。くれぐれも頼みますよ」

 仲間といっても絆などありはしない間柄だ。しかしそれでもそこそこの時間、仕事を共にしているだけあって、バランクの手下たちの仕事に対する信頼は深い。

「さて、と…。そうですねぇ、貴方はこれに包まって大人しくしていなさい。オーク、手を出してはなりませんよ、わかっていますね?」

 全裸のイフスをそのままにしておくと、暴走したならず者が手を出してくる恐れがあった。そうなるとバフゥムとの取引にも支障が出る可能性がある。いや確実に出る。傷物を寄越してもらってもなぁ~、などと棒読みな難癖をつけて面会はなしだ、なんて言って来かねない。バランクとしても今は慎重に事を運びたい分、余計な問題を発生させたくなかった。

「お、おう…もちろんだょ…」

 しかし体躯の大きなオークは、なんとも不満気だ。おそらくは仕事までの間はイフスで悦楽を、駐屯村内の食糧で食欲を満たす腹積もりでいたに違いない。

「…まったく。…いや、そうですね…では一つ仕事をしてもらいましょうか。といっても簡単です、貴方はそこらのならず者どもに紛れて領主のところへ押しかけなさい。楽しんでも構いませんが、他の連中やバフゥムの動向と発言内容に気を配るように」

 早い話が “ 拷問 ” に加われるという事だ。オークはそんな仕事ならばいくらでもとばかりに喜び勇んでゆく。実際一度すでに参加しているのだ、オークならば駐屯村のならず者達もさほど警戒せずに “ 拷問 ” の輪に入れてくれる可能性はある。

「ま、ダメならダメで構いませんが先の件もありますし、意外なファインプレーをまたぞろ期待するとしましょうか」

 言葉とは裏腹に、内心はまったく期待してはいない。そんなたまたまが何度も続くわけがない。

 偶然やラッキーなどの不確定要素に頼っても成し遂げられる事などたかが知れているのだから。

「(見ていなさい薄汚い犬っころが。この私と対立する事の愚を教えてやりますよ)」



「ふっ、…ぅうっ、ふー、はー、ううっ…」

 狭い牢獄で多数のならず者達が上げる喜悦の歓声の中、耐える苦悶の声が漏れ聞こえる。

「(…くそ、やっぱ無茶だぜ領主様、ぶっ壊れちまうって…)」

 なんと嫌なBGMだろうか? それでもモーグルはバフゥムに頼まれた脱出用の抜け道とは違う・・・・トンネルを掘り進める。牢獄に戻り下っ端どもを抑える事はできるかもしれない。しかしできないかもしれないのだ。

 モーグルが反乱軍の中で比較的発言力を有しているのはあくまでドミニクの知己であるという一点によるもののみであり、興奮しているならず者達を前にしてそれがどこまで通用するか不明だ。かといって強引にねじ伏せられるだけの力があるわけでもない。


 ギシギシと鎖が軋む音。ベチャッと粘質なものが床に落ちたような音。バチィッと叩かれる音に痛みを堪える苦悶の声に、歪んだ愉悦から上がる気分が悪くなる笑い声……


 考えてみればこうなったのもモーグルが天使の工作員どもを手引きしたせいだ。いかにアズアゼルの命令であったとはいえ、原因を作ったのは自分だ。

「(ううう…すまねぇ、すまねぇ……。アッシは、アッシは…)」

 聞こえてくる “拷問” の音達はまるで、モーグル自身の行いを責める声のようにも聞こえた。

 だからこそ、耳を塞がずに聞き入れる。そして生まれる罪悪感を糧に自分がすべき事を行う上での迷いや不安を払う。

 愚直に、一心不乱に、言われた通りの仕事を完璧にこなしてゆくのみ。それが今しがた上がった、背中に響くように伝わってきた苦痛の叫びの主に対して、モーグルが応える事のできる唯一の方法であると信じて。




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