第63話 第10章4 欲望の破綻
ドウドゥル駐屯村が本格的に混迷し始める。それは、正面よりタスアナ達とナガン正規軍による攻勢が始まったからである。
「くそ! こんなの聞いてねえよ!!」「いいからお前らも来い!」
「どのみち出入り口はあそこ一つだ! 押し返さねぇと逃げる事もできねぇぞ!?」
このドウドゥル駐屯村は、高く厚い防壁によって周囲を覆われている。出入り口は一つしかない。その造りは物資と戦力さえあれば、十分に耐え抜ける守りに特化した
だが攻め寄せてきた敵の強さに、鍛えられた兵士のような覚悟などもたない、欲だけのならず者たちにこの地を守るという気概など元よりなく、足並みは揃わない。
自分の命が一番大事と、戦いにはいかずに物陰に身を潜めてやり過ごそうとする者さえいた。
そんな中…
「……よし、問題ないぜ。ここはまだ塞がれちゃいない」
かつてミミが囚われていた地下の牢獄。そこには今、モーグルの姿があった。
「しかし、なぜ敵はこの抜け穴の事を知らないのですか? 罠という事は?」
供だって来たナガン正規兵は、素直に疑問を口にする。いかにならず者の集団とはいえ、こんなにも容易く侵入できる通路をそのままにしておく、あるいは見張りすら置いていないノーマーク状態過ぎるのが不審なのだろう。
「この穴は連中の犬頭の幹部が、いざって時にお宝もって自分だけ逃げるつもりでアッシに掘らせたものだ。この地下牢自体、知っている奴は少ないはずだぜ」
そう説明され、なるほどと兵士は頷く。
穴そのものはそう大きくはないため、モーグルに続いて牢獄内に出てくる兵士は、いずれも小ぶりな種族の者ばかり。彼らは領主の救出と奪還を目指し、慎重に牢獄の階段を上がっていく。
「………。誰もいねぇ…みてぇだな? …よし、上の小屋を数人で固めて、アッシらは外に出るぜ。上空にいるはずの二人に合図を送ったら、そのまま領主様を探す…疑われないよう言動に気を付けるんだ」
「もちろん」「任せてくれ」
モーグルに供だって来た彼らは、いずれもならず者風な恰好をしていた。潜入任務なのだから変装は当然だが、ただ変装するだけでバレないのであれば苦労しない。
元来、小心者のモーグルは、懸命に呼吸を整えてから小屋の扉を開いた。
――――――ドウドゥル駐屯村、北側の湿地帯。
「……あー、退屈~ぅ。だーれも来ないしぃ~」
「イムルン殿、これも大事な任であれば、油断は禁物ですぞ」
副官としてつけられたナガン正規軍の兵士は、何かと口うるさい。ただでさえ湿地帯という悪環境での待機だ。イムルンはげんなりしながら周囲を伺った。
「そうは言ってもさー……。考えてみれば、こっちに敵が抜けてくるってまずありえないんだよねぇ」
「ま、まぁ…それは…」
ドウドゥル駐屯村の出入り口は南向きに一つだけ。その南側にはナガン候率いる主攻の部隊がいる。副官にしてもナガン候が指揮を執る軍が、ならず者を取りこぼすような事はないと、同僚たちの実力には自信をもっている。
さらに聞き及んでいる抜け穴も、その出口は西側へと抜ける。仮にモーグルたちがしくじって、その抜け穴より敵が脱出してきたとしても、その後に湿地帯である北側に逃れてくる確率は低い。
「ここって貧乏くじだよねぇ、やっぱりさ?」
「………の、ノーコメントという事でお願いします」
ナガン正規軍の兵士として、副官は与えられた任務に異を唱える事はできない。ただただ忠実に従う、それが軍というものだと理解している。
文句をのたまう事すら憚られる、そんなお堅い規律や秩序。イムルンにしてもそれは理解してはいるが…
「別に上司にチクったりするわけないし、あんまカチコチにならなくったっていいんだよ? ほら、ムーちんなんてあんなにハシャいでるんだし、少しは見習えばー?」
やや遠くの方で、やはり湿度の高い場所は過ごしやすいのか、ムームが遊んでいた。薄っすらと滲みだすような柔らかい土の上の水分をかき集めては、空中に放り投げて喜んでいる。とても戦闘中の雰囲気ではない。
「……ま、まぁ、スライム族の方には、この湿気は好ましいのでしょうな。さすがはタスアナ殿、適材適所という事で…」
「はぁ…ま、いっけどねー。あー~~っ、1匹でもいいからこっち来ないかな~」
――――――ドウドゥル駐屯村、上空。
「なんとかモーグルさんらに、領主様の居場所を伝えはしたものの…この状況じゃあな、それに」
ドンは苦い顔をしながらアレクスの姿を負う。簡易望遠鏡のレンズが捕らえる相手は、どうやら負傷しているようだが、かといってその歩く姿に一切の隙はない。
「妙に張りつめてやがる……、あれじゃあ奇襲をかけたって返り討ちにあうだけだし、なんだっていうんだ? 何か妙だな…」
『…… あの アレクス という じゅうじん。 それほどに おつよいのですか? ……』
ドンもいつの間にかピリっとしていたのだろう。イフスは背に乗る彼の様子から、アレクスなる者が一筋縄ではいかない強さを持っている事を察する。
「ええ、かなり。それでも気ぃ抜いてる時にでも仕掛けりゃ、領主様の身柄を奪いとるのも難しくないんですけどね。けど今の奴は……なぜかはわかりやせんが、妙に周囲を警戒しているように見えるんですよ」
『…… もしかすると そしきのなかに てきたいするものがいる とかでしょうか? ……』
ありえる、とドンは思った。所詮ならず者は、欲で動く者達だ。事ここに至って、アレクスの首か
が、駐屯村内の様子からすると、少し違うようにも思えた。
「……そう言えばモーグルさんらの潜入路は、バフゥムって敵の幹部が掘らせたものだって言ってたし、もともと一部に裏切る気でいた奴がいたのかもしれやせんね」
確信は持てないが、状況からするとそれが一番しっくりくる気がした。だが、そうするとドンは嫌な予感を覚える。敵の中にはモーグルたちの潜入路、すなわち脱出路となる穴の存在を知っている者がいるという事で――――
『…… !! あの しょうにんは!! ……』
イフスの身体たる霧が、急に激しくうねり出した。ドンは何事かと思いつつも、落ちないようにバランスを取るので精一杯になってしまい、地上を伺う事ができなくなった。
――――――ドウドゥル駐屯村、西端は小屋の密集地付近。
「……やっと追いつきましたよ、アレクス。さあ、その娘をこちらに渡していただきましょうか?」
バランク以下100人近くがアレクスを半包囲する。その後ろでは、バフゥムとその手勢が押しかけており、バランクの手勢に行く手を阻まれているのが見えた。
「…やれやれだ。守るに易しと思い、ココをアジトに定めた事が裏目に出るとはな」
「クックック、貴方は思慮が足りないのですよ。獣人は獣人らしく、頭ではなく力に頼っていれば
最前列のならず者達が、アレクスを完全包囲せんと側面と背後に回り込もうとして動き出す。しかし――――
「フッ…ならば素直に力に頼らせてもらうとしようか!」
ドッ……ゴウッ!!!
「ぬっ…ぐ!?」
バランクとて、アレクスを決して甘くみているわけではない。見た目相応…いや、それ以上の実力を持っていると、こと戦闘能力においてだけは高く評価している。
ところが、その時アレクスがワンステップで飛び出したスピードは、バランクの想定を超えていた。
まず、その大きな体躯が猛スピードで移動した事で、押された空気が見えない衝撃波となって彼の左側に回り込みかけていたならず者達を吹き飛ばす。
そしてそのまま身を捻って中空で回転し、反対側に腕を振るう。当然そこには誰もいない。しかし、やはりその腕と拳に押された空気が衝撃波と化して飛来し、反対側に回り込もうとしていたならず者達をぶっ飛ばした。
それが、たったのワンステップ。地面を蹴り、着地するまでの間に行われた攻撃だというのだから、驚きを隠せない。
「(くっ……なんて事です。ここまで強いとは――――)」
「オラオラオラぁ! どけやぁ!!」
バランクが次の手を決めあぐねている間に、バフゥムがならず者たちを突破して躍り出てきた。そのまま勢いを保ち、バランクの横をすり抜けてアレクスに飛び掛かる。
「ぬっ!?」
「ちぃっ…犬頭がっ、もう突破して!!」
手下の
偶然でも
「(へっ、遅いぜ! チビのドラゴンニュートがよぉっ)」
ならず者達をかきわけ、その頭上を乗り越えて飛び出したバフゥムには勝算があった。確かにアレクスは強い。が、言い換えればそれだけである。
そして基本、一人で生き抜いてきたバフゥムに対し、バランクはあまりにも手下に頼り過ぎていて、こういった突発的な事態に際しては瞬発力に欠ける。
バフゥムにとっては二人を出し抜くにはここで賭けに出るしかなかった。
「そうら…っよ!!」
「ぅく、なんですこれはっ!?」
「何っ!? …これは…砂かっ?」
アレクスに向かって宙を飛来するバフゥムは、器用に身をひねって手にした袋の中身を振りまいた。それはなんてことはない、ドウドゥル駐屯村内の地表に薄っすらと堆積している細やかな砂や埃だ。
まき散らした際の勢いですぐにも砂煙が辺りに広がる、だが空気に含まれている湿気と混ざり合い、短時間でドロドロになり落ちて…
「くっ!!? 目にっ…… しま…っ」
「はっはぁ! アレクス、テメェがさっき小屋ぁ壊してくれた時の塵埃もたっぷり混ぜといたぜぇ! …うっひょぉ、お帰りオレ様のウサギちゃんっ!! っへっへぇ返してもらったぜ。じゃあな、あばよぉっ!!」
さらにバフゥムは
「お、おのれぇぇぇ! 下賤な犬頭風情がぁぁあぁっ!!!」
激昂したのはバランクだ。降り注いだ湿気を多分に含んだ砂や埃は、その身をこれでもかと汚していた。
元々バランクはどこかプライドの高いところがある。このところ、自らの思い通りに事が運ばず、ただでさえイライラしていた彼は、バフゥムに対してその怒りを吐き散らかす。
「……ぬぅ、……奴め、どこへ向かう?」
アレクスはようやく目を拭い、周囲を確認した。腑に落ちないのは、遠ざかるバフゥムの影が、なぜか出入り口とは逆の、西側へと逃走している事。
領主の身柄を奪われた以上は、今度はアレクスもバフゥムを追う事になる。だが、先に走り出しているバランクに遅れること十数歩、アレクスは一つの可能性を考え、バフゥムの追撃を遅らせた。
「……な、なんだ?? あいつら……領主様を奪い合っているのか??」
ようやく落ち着きを取り戻したイフスの背で、ドンは奇妙なものを見たとばかりに目を丸くしていた。事情は不明ながら、アレクス、バフゥム、バランクの三者は、まず間違いなく、
『…… ミミさま ! ……』
「ま、待ってくだせぇイフスの姐さんっ!! 突っ込んじゃあダメだ!! 気持ちはわかりやすけど、オレらじゃあとても連中にはかなわ――――」
「やはりか……動きに迷いがない、バフゥムの奴め」
アレクスは確信する。バフゥムは、どこかに脱出路を確保してる、と。
それゆえ彼は、あえて間合いを詰めずに追いかける。姑息になってしまうかもしれないが、場合によってはそれを利用させてもらおうと考えたからだ。
「チッ、野郎どもが…振り切れねぇか、さすがに。けどま、あそこまで行っちまえばこっちのもんよ、どうとでもなるからなぁ、ヘッヘッヘ!!」
バフゥムは、勝利を確信していた。あの牢獄は狭い。加えてモーグルに掘らせた穴も、崩そうと思えば恐らくは簡単に崩せるだろう。むしろ連中を誘いこみ、一網打尽にしてしまうのもありだと、考えを巡らせる。
そんな中、ふと視線を落とす。抱きかかえた獲物は、その意識を喪失していようともバフゥムの欲求を駆り立てるほど魅力的だった。
「(逃げ切ってやるぜ、絶対になぁ! ふひっふひひひひぃっ!!)」
モーグルたちは驚愕していた。上空のドン達から連絡を受けた時は焦ったものの、ターゲットがこっちに向かってきているのは役目上、喜ばしい。しかし…
「3人、それも下っ端のならず者じゃあない。一人は確実に強いって話だ…」
モーグルはゴクリとノドを唸らせる。簡易的に通話が可能な魔道具を握った手に、汗が流れた。
「状況から察するに、乱戦は免れそうにないですね」
「救出対象を保持している敵を狙い、他2名は足止め…が定石かと思われます」
「敵の実力は未知数だ。我らもいつもの装備ではない、気を緩めずに対応しよう」
さすが正規の軍に所属している兵は違うなと感心するモーグル。
幸いにも、
が…次の瞬間、小さき土竜人はその考えを捨てた。
なぜならその後ろから追撃してくるバランクの異様と形相を目にしたからである。
「(忌々しいっ、ああ忌々しいっ!! この
バランクはもはや狂気すら孕みつつある怒りで、自らを取り繕う事すら忘れつつあった。小綺麗だった身なりは粗野に、浮かべる表情も走る様も粗暴なものと成り果て、隠すことなく前を走るバフゥムに殺意を突きつける。
ドラゴンニュートとしては、あまりに小柄。翼も成長しなかった未熟児な彼は、幼き頃より一族の恥であった。
「……そう手段は、手段は選ばないぃいぁぁぁぁっっっ!!」
懐より取り出したもの。それはバランクの最大最後の切り札であり、本来は自身の命の危機に際した時のみ、本当に最後の一手として用いると固く決めている。
だが怒りに狂うバランクは、それを…その魔導具を今、起動するに躊躇いもなければ思いとどまろうともしなかった。
……なぜなら
<
――――――ドウドゥル駐屯村、南側出入り口付近。
「!! ……この魔力反応は、デカイな」
タスアナは近づいてきた敵を事も無げに斬り捨てながら、壁越しに駐屯村内を伺うように見上げた。
「ちょっとちょっと、この魔力の感じって、異常じゃないの!?」
別のところではメリュジーネも、同じように視線を向けていた。魔界の頂点に近い者ですら危惧するほどのソレに、タスアナは軽く奥歯を噛み締める。
「(……あのスライムの言に嘘はなかった。何者かが隠し玉を持っていたか?)」
地上にそんなものがいるはずはないと、どこかで甘く見てしまっていたと自省しつつ、魔力の増幅をより精細に感じ取る。
「……大きな魔法の発動…魔道具だな。しかしそれだけに効力の発現には僅かながら時間がかかる。……だが、向かうには
タスアナは、仕方がないと息を吐く。魔王たる力を発揮するのは止めておきたいのだが、そうも言っていられそうにない。
何せ魔力に宿っている性質は 純粋な “破壊” …それも大規模なものだった。
「(魔力の増幅の大きさから考えて、まず間違いなくこのドウドゥル駐屯村と周囲すべてがまるまる吹っ飛んでしまうな……やれやれだ)」
タスアナが片手を魔力の発生源の方に向け、対処せんと力を入れる、が…
………とくん……
…………と、…く、ん……
…………と、………く、………ん……
その脈動は、今にも止まりそうだった。けれども、脈動の主は思う。
自分よりも何よりも、MaMaのために――――。
感じていた。伝わってくる外の魔力。
しかしその魔力は、大好きなMaMaの命を脅かすと、脈動の主は理解していた。
――それはイヤだ、ボクはしんでも、MaMaがしんじゃうのは、イヤだ!!
パァァァッ!!!
「!? んなっ、なんだぁぁぁ!? お、俺さまのウサギちゃんがっ」
「な、何ッ、なんですかこの光はっ? ―――ッ魔道具の魔力が!?」
「ぬ? これは、魔法の光…か? いや、それにしては妙な?」
「――うわった、とっ!? ど、どうしたんですかい、イフスの姐さん!!?」
『… な、なぜかはわかりません、が……カタチが…保て…ず っっ…』
「な、なんだ?? 領主さまが光っている??? いや、あれは…おわっ、あ、姐さんっ!! よくわからないですが一旦引きやしょう!! このままじゃあッ」
「なんなんだ、この光!? アッシにゃちょいと眩しすぎて…な、何も見えねぇッ」
「!! モーグルさん、横へ飛んでください、そこは危ない!!」
「あの光…まさか? …いや、地上にそんな力の持ち主がいるとも…」
「くっ、お前は小屋の中の連中に伏せるよう伝えろっ、これは…何が起こるかわからんっ!!」
「かしこまりましたっ!」
「……あの光って、“抗魔” ? 地上にそんな力の持ち主がいるなんて、聞いてないわよ!?」
「い、いえ、メリュジーネ様。我々に申されましても…ろ、ロディ様でしたらおわかりになるかと思うのですが―――ぐ、ぐるじい……」
「……ふ~ん? ……これって、あー…方向が、……で、…流れてるから…」
「イムイムー、あの光なーにー??」
「ムーム殿、少しお待ちを。我々もまだ把握しかねて―――」
「ふふふふふ~ぅ♪ よーっし!! …あ、皆に言ってくれる? こっち忙しくなると思うから、構えといてーって」
「イムルン殿! あの光が何かお分かりに!??」
「いんや、全然。ただ、あの光の前に感じた “ 攻撃魔法 ” の気配が、その場でドカンのはずが、今はこっち向いてるからね、たぶんそのうち、そこの壁に大穴空くよ。あ、壁の前にいると危ないから、配置、左右にばらけさせといてねー」
「……予想外の連続だな、まさか “ 抗魔力 ” とは。これならば……発動を完全に阻害するまでには至らずとも、威力は随分と
タスアナが安堵半分、拗ねる半分に息を漏らした瞬間、
カッ!! ドォォォオオオッ!!!!! ガカァアアッ!!!!
強烈なエネルギーの奔流が起こった音に続き、一瞬でそれなりの質量が吹き飛ばんだ轟音と、物質が崩れる雑音がこだました。
「――外壁のどこかに穴が開いたか。誰か、メリュジーネ候に伝えてくれ。外壁に沿ってある程度軍を展開させるよう。今のでどこかに穴が開いたはずだ、敵がそこから逃げ出す可能性がある、とな」
そこからは早かった。穴が開いた事に気付いた者から、ならず者達がドウドゥル駐屯村の北西へと殺到し、防衛線も崩壊し、メリュジーネ候率いるナガン正規軍が南の出入り口よりなだれ込んだ。
「…ぐ、ぅ…。はぁ、はぁ、はぁ…バフゥムは、それにバランクも…姿が見えん。この騒ぎに乗じて逃げた、か? ……ぐ…っぅ」
アレクスはカラダを引きずって、ぽっかりと空いた外壁の穴より這い出す。直接こちらに向けてでなくとも余波だけでこの破壊力だ。バランクが使った魔道具が、どれほど強力なものであったかがよくわかる。
「領主の身柄は……やはり、バランクか、あるいはバフゥムが連れ去ったか? …ともあれ、これではどうにもならん、か…」
ズキリと痛み、自分の右半身を見る。右半身側面部が焼け焦げていた。いかにアレクスと言えども、この傷では満足に動くこともままならない。
外へと一目散に脱出しようとするならず者の波に紛れ込み、彼もドウドゥル駐屯村を後にした。
「イテテ…おー、イテェ…バランクの野郎、とんでもねぇ隠し玉使いやがって…。けど…、ハハッ、ヒャハハハハッ!! やった、やったぜぇ!! ウサギちゃんは俺様のもんだっ!!」
バフゥムは歓喜に打ち震える。彼が高笑いする場所、それはあの地下牢獄の中だった。偶然にもあの光の直後、抜け穴を通じて外より戻ってきたと思しきモーグルの手引きで小屋の中へと飛び込んだ。
結果、ならず者たちの混乱にも巻き込まれる事なく、こうして本命の獲物を得られた上、抜け穴から悠々と脱出できるという状況が整っていた。
「ひひひっ、他の連中はアホみてぇに壁の穴に殺到してるが…馬鹿だねぇ。外に敵が待ち構えてないとも限らねぇのによ、ご苦労なこった。さーて、俺様はゆっくりと抜け出して、アジトに戻らせてもらうとするか。ふへへっ、アジトにゃあモーグルが連れて行ったあのメイドもいるんだ、こりゃあしばらく楽しめそうだぜぇ」
だが、バフゥムがモーグルのつくった穴を通らんとするも……
「な、…んだこりゃああ!? ふ、塞がっちまってやがる!! さっきのアレの影響で崩れたかぁ!? …い、いや…こいつぁ……」
地下牢は安全な逃走ルートではなくなっていた。モーグルが掘ったはずの抜け穴は、あきらかに人為的に崩し、塞がれた跡があった。
「そこまでです! ミミ様を返していただきます、この犯罪者!!」
霧状態を保てなくなったイフスは、ドンと共に落下したが、モーグル達の機転で無事に受け止められていた。そして今、モーグルの咄嗟に閃いた作戦で追い詰めたバフゥムに迫る。
「メイドの女がいるってぇことはだ。……なぁるほどぉ、やっぱテメェ…はなっから俺様をたばかる気だったんだなぁ?」
イフスの怒気などどこ吹く風。本物の迫力を伴ったならず者の
「下がれ! ここは我々に任せ―――ぐぁぐっ?!」
モーグルと一緒だったナガン兵が前にでるも、バフゥムの想像以上に素早い身のこなしと奇襲により、切り裂かれてしまう。
バフゥムの両腕には、いつの間にか鉄爪が装着されていた。
「俺様をたばかった罪ぁ、あがなってもらうぜこのクソモグラがよぉ!!!」
「ひっ!?」
「どけっ!! お前じゃあ無理だッ、うぉらあっ!!」
ガキャッ!!
モーグルに対するバフゥムの攻撃を、割って入ったドンが崩れ落ちるナガン兵の手より剣をかっさらい、受け止めた。火花が飛び散り、暗い地下牢獄の中が一瞬照らされる。
「ハッ! 今度ぁゴブリンかよぉ? 相手にもならね―――ぐっぉ、て、テメェ?!」
「甘いぜっ、こっちもそんなお行儀のいい生き方してねぇんだよ!!」
ならず者の戦い方はよくわかっている。手負いとはいえバフゥムと互角に
「(敵に逃げ場はねぇ。こっちが有利だが、追い詰められちまってるからこそ、何しでかすかわからねぇ…)」
長く戦えば、せっかく塞がってきたカラダの傷がまた開く。単純な強さでいえばナガン兵の方が上だが、バフゥムのような変則的な戦い方をする相手に、この狭い地下牢での戦闘は彼らには難しい。逆に小柄で機転の利く戦い方に慣れているドンの方が立ち回れる。
ガカッ! ギィンッ! ギギッ…ガチンッ!! ガキッ! ガキンッ!!
「ちいいっ、くそ…死にかけのゴブリンが、いつまでも出しゃばってんじゃあねぇぞぉ!?」
ヒュガッ!! ドギャンンッ!!!
「ぐぁっぐ!! …く、…ぉぐ!」
なんとか受け止めたものの、その衝撃で全身の傷がズキリと痛みはじめた。これ以上の戦闘は分が悪い。
だが、
「ナイスですぜ、姐さん…」
「っ!? し、しまったぁ!! テメェこの、俺様のウサギちゃんをぉおぉ!!!」
イフスは霧になれる。誰も
「っ!」
「! 姐さん、早く逃げてくだせぇ!!」
とはいえ、今のイフスは素っ裸だ。防御力も何もあったものじゃない。しかも―――
ズバァッ!!!
ドンが、背中を向けたバフゥムを斬りつけても、敵はまるで怯まずにそのままイフスに飛び掛かる。
鉄爪がイフスの柔肌を切り裂き…
「<
バチィッ!! ボボッ…
「ぐばぁうっ!!? な、…な…が…ぐが、が…ぁ?」
「ミミ様!!」
「……はぁ、はぁ……危なかったね…、イフー……ん…く…ぅ…」
身を呈して庇い守らんとしたイフスの、脇下より伸びた指先。
その先端から、ごく僅かな電流がバフゥムの鉄爪を伝った。電気が走った跡には炎が上がり、弱くはあるものの不意であった事も手伝って、バフゥムを慄かせる事に成功する。
ミミ=オプス=アトワルト。酷い疲労感を伴う寝覚め、眼前に広がっていた自身のメイドの危機に、その手は勝手に動いていた。
そして、バフゥムの後ろから改めてドンが斬りかかり―――
「うぉあぁぁぁらぁぁーーー!!!」
ズザォンンッ!! ブシュァヵヵッッ!!!!
「ご…が、…な、………お、俺様が…。いつも…美味い汁だけ…す…え……て…、……た…てぇ…、の、に………よぉ……」
激しい出血と共に、バフゥムが沈む。だが、ドンはすぐにモーグルを促し、共に倒れたバフゥムの身を拘束しにかかった。
「し、死んだんじゃあないのか??」
「いや、派手な出血は剣の入りが浅いからこそなんだ。血はだいぶ流れたろうが、獣人系種族の生命力は並みじゃあない。コイツも死んじゃあいねぇし、このまま放置したって出血多量で死んでくれるほど容易くもねぇだろうな」
なるほど、とモーグルは得心し頷き返すと、バフゥムの束縛する力を一段強めた。
「ミミ様! だ、大丈夫ですか??」
「……私より、……イフーの方が、すごい恰好…だって、わかってる?」
言われてイフスはそうだったと思い返し、軽く赤面する。明後日の方向に目を背けているナガン兵が差し出している布を片手でかっさらい、急ぎその身に巻きつける。
そして、改めてミミを見た時、彼女はすでに寝息をたてていた。
「…ミミ様。……涙?」
ホッと安堵するイフス。だが、ミミの右目の端から一筋だけ涙が流れた跡を見つける。それが何の涙であるのか、イフスはもちろんの事、ミミ以外にその答えの理解に至れる者はいない。
もともと見込みはなかった。とはいえ、やはり哀しみはゼロではない。
ミミの下腹部から発せられていた不可思議な脈動は、今はもう完全に停止してしまっていた。
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