新編:第5章

第86話 第5章1 跳梁するは怪しき者


 ロズ丘陵の大森林。


 その深部に位置する部族の村は森の恵みに支えられ、完全な自給自足の世界が成り立っている。


 生物が生きて行くという点においてそれは、理想的な環境と言えるだろう。


 だが高度な文明や文化に慣れた者にとっては、理想とは遥かかけ離れていると言わざるを得ない。もちろんベギィにとってもそれは例外ではなかった。




「(まったく…食料は野草や木の実、果実ばかりとは。未開にもほどというものがあろう、呆れ果てる)」

 朝食として用意されたモノは、その自然の恵みたる食材ばかり。当然だが料理などと呼べるレベルではない。


 果実はそのまま。木の実は外殻を取って中身を軽く火で炙っただけ。野草は水で洗い、木の皿の上へと無造作に盛られているのみ。

 調理らしい調理などされていない上に調味料もない。塩すらない。


 そんなモノを目の前に出されたベギィには不満しかなかった。だが隣に座るシャルールは違う。


「いっただきまーす」

 特になんということもないと普通に食しはじめる。所詮は未開な地上に暮らす女かと、ベギィが低俗なものを見るような目で食事の様子を伺うが、自分が環境や状況に対して贅沢であるとはこれっぽっちも思っていない。


「(……やはり魔界の者か?)」

 護衛役として隅に立ち、食事の場を眺めるワー・ドゥローン雄蜂獣人は、不自然でない程度にそれとなく彼を観察し続けていた。

 自然食に対する不満そうな様子は、この森に限らずとも地上に居を置く者なら決してありえない。毎日食っていけるだけでも有難いことなのだから。


 地上世界に比べて魔界本土の方が発展しているという話は、森の部族として生きてきた彼とて聞き及んでいる。この数日、ベギィという男から感じるのは、そんな地上世界とはかけ離れた文明・文化の香りであった。 




 数日前、黒幕一味であるバードマンの男から酒の席の愚痴を聞くという形で相当な情報を引き出す事に成功。


 だがその翌日、バードマンは酒でベロンベロンに泥酔していた事をベギィに咎められ、何やら命令(罰かもしれないが)を受けると、村から森の中へと消えて行った。おそらくは大森林の外へ向かったのだろう。



「(どんな命令を受けたのか気にはなるが…。このベギィという黒幕がここに居座っているのはあの男からの連絡待ちか、あるいは直接帰ってくるのを待っているのか…)」

 今度はチラリとシャルールを伺った。まだ “ しゅ ” はかけられたままだが足枷はもうない。ベギィの厳命でここ数日は他の連中も彼女には手を出さなくなっている。


 服装も森の部族のものが用意され、それに着替えている……破格の待遇改善が見られるが、そこには人道的な理由以外の意図があるように思えた。




「(ウチの村マグルを狙ってる……理由はわかんないけど、何かする気なのは確かっぽいと思うんだけどなー…)」

 シャルールがこの男と深く会話をする事が出来たのはあの一夜だけだ。


 今は単純に客人という扱いらしく、それゆえにベギィの上座かみざに同席させられている。

 そうする事で彼の配下が手出ししないようにという配慮もあるのだろうが、やたらとマグル村の事を聞かれたあの夜の様子と、罪人として酷い扱いだったのが一転してのこの好待遇化。

 

 そこは淫魔族の女であり、接客業に日々勤しんだシャルールである。たかが村娘、されど村娘―――――相手の僅かな態度や様子から様々な事を感じとる技術は貴族にも劣らない。


 観察眼と経験からくる直感が、ベギィの怪しさをこれでもかと彼女に感じさせてくれていた―――このベギィという男は、確実に何らかの企みを持っている、と。



「(なんとかして村の皆に連絡を取りたいな。でも手段は何もないし…うーん、どうしよう? みんな大丈夫かなぁ、食糧の方もだいぶヤバイだろうし…)」

 できればこの森の部族の現状と黒幕の存在だけでも伝えられたら―――――森の外、マグル村の住人の誰かでいい。そうすればジロウマルに、ザードや領主であるミミにも伝わっていくはずだ。


 いろいろと知れば知る程、自分達だけでやれる事がほとんどないという現実が見えてきて、シャルールは少しばかり焦っていた。


 ――まず自分達が、あらゆる面において絶対的に不利であるという事。

 ――黒幕の力があまりにも未知数に過ぎる事。

 ――大森林のど真ん中では、脱出する事も助力を求めるのも難しい事。

 ――相手に企みがあるとて、阻止なり遅らせるなりする手段がない事。


 ……淫魔族であるシャルールは話をした夜、会話をしつつも試しに自然な風を装って色仕掛けを試みてみた。相手が乗ってくれば性欲に溺れさせて企みなり計画なりを遅延させられると思ったからだ。


 だが相手の反応は淡泊、むしろ無反応といってもいいものだった。


 せいぜい胸元を少し大きく開けて相手の視界に入るようにして見せる、基本中の基本を仕掛けてみただけではあったが、それに対する反応だけでこの男は村にいた下卑た連中とは違うとすぐにわかった。



 自発的かつ意識的に生成した欲求にのみ従うタイプ――――外的な刺激に一切左右されず、他者によって惑わされる事が絶対にない人種。

 外的刺激として性的欲求をくすぐる事で誘惑し、相手を魅了する技術に長ける淫魔族にとって、このテの者は天敵ともいえるほど相性が悪い。


 つまり、このベギィという男に対してシャルールの色事の類は一切通用しないということ。



「(みたいに動き回れる立場じゃないし……ホント、この人を観察するくらいしかやれる事がないよー)」

 ワー・ドゥローン雄蜂獣人の方は上手くやれているのだろうか? 森の部族の一員である彼と、あくまで外部からの客という自分。軽々しく接触して話しをするのは不自然だし、隠れて接触したとて見つかれば一発で怪しまれてしまう。


 意図的な火災を起こしたあの日より二人は、一度たりとも言葉を交わせていなかった。






――――――マグル村。


「なるほどなぁ、シトノからのおすそ分けで…とはいえ危なかったな」

 ザードとフルナは、村人からいかにして今まで飢えを凌いでいたかを聞いていた。


「シトノの連中は行商人が来て格安で譲渡してくれたって言ってたよ。量は多いが果物類が大半で、足が早くて喰いきれないからってね」

「ふーん、でもさでもさ? そのシトノの村人に食べ物を売った行商人って、なんでそんな安く売ったんだろねー?」

 特に深く考えての発言ではなかったフルナの言葉に、ザードは引っかかるものを感じた。


「このアトワルト領の食料品相場は今、相当に高騰してるって話だしな。フツーに売りさばけば一儲けになるはずだ、それを…」

「言われてみれば確かにヘンな話ですね。商人が儲け度外視なんて」

 村人は変わった人もいるものだと軽く言うが、ザードはますます妙だと疑念を深めた。


「(おかげで村は助かったっちゃあ助かったワケだがよ……どこのどいつだ? そんな奇特なことしやがる行商人ヤツてぇのは??)」

 商人という人種は、良くも悪くも己の利益にならない事はしない者達である。この地上世界においては特にそれが顕著だ。


 魔界本土に比べて未開であり、文化や文明のレベルが低い分、商売を行うのも簡単ではない故、慈善行為を行えるような商人など大成功を成し得ている中でも極々僅かだろう。

 一手間違えるだけで大損失を出してしまい、商人として立ち行かなくなってしまう者が後を絶たないほど、この地上での商人の活動というのはなかなかに難しい。



「んんー、ボク―――んっんっーこほんっ、…私はよくわかんないけど、お金以外でその行商人に何か得があるからそーしたって事??」

「狐の嬢ちゃん、そいつぁなかなかいいセンいってると思うぜ」

「へっへー、あんがとっ♪」

 それが悪い事でなければ問題ない。もしもミミから大森林および周辺での異変の気配を教わっていなかったなら、ザードもこれ以上考えはしなかっただろう。


 だがその前情報に加えて昨日捕らえたローブの男――――ジロウマルが現在尋問している最中のバードマンの存在は、領主ミミの懸念が当たっている事を確信させる。



「どのみち森に入る必要はあるが……迂闊には行けねぇな。オレが知ってる連中が無事ならともかく、ヤバいのがいる可能性がグッと高まっちまったしよ」

「ザードさんが知ってる連中って??」


「昔から森ん中で暮らしてきた、“ 森の部族 ” ってぇ呼ばれてる奴らさ。領主の嬢ちゃんも存在は知ってるだろうが、直ではどんな奴がいるのかまでは知らねぇだろう。…ただ、前の大戦ときに連中の多くが死んじまってな。オレが前接触した時にゃあ生き残りが1か所に集って、これから建て直すところ…ってぇ感じだったんだが」


「じゃあシャルールさんは、その生き残りの人たちのところに?」

 だが村人の問いに、ザードは肯定しずらそうに頭を軽く掻いた。


「…そこなんだよな問題は。オレが知ってる奴らならよ、訪ねてきたモンを長々と留めとく理由はねぇはずなんだ。シャルールさんが何かミスっちまったとしても、そんな長く帰ってこれねぇ現状ってのがまず考えらんねぇ」

 仮に何か問題が生じて、長期間にわたって部族の村に滞在する事になったとしても、それはそれで連絡が何もないのもおかしい。


 この状況だけでも今の大森林と森の部族が、己が知っているものとは異なった状態にあるとザードに考えさせるには十分。

 感情では今すぐにでも森に入りたいところを我慢し、可能な限りの情報収集と状況把握に努める事にする。


 幸い、領主ミミの手配した魚介類の配給で、十分ではないとはいえ村の方は少し持ち直した。隣のシトノ村にもおいおい運ばれる予定だが、行商人からの獲得物のおかげであちらも今しばらくは飢えきってしまうような事態は避けられるだろう。



「とりあえずだ、早馬を手配して現状を領主の嬢ちゃんに伝えてオレ達はなるべく多くの事を調べ――――何かわかったかい、ジロウマルさんよ?」

 フルナと村人の後ろの方からこちらに歩み寄ってきたインセクトエビルのバーマスターに3人の視線が集中する。


「奴が口を割った。…というよりも酒に酔って勝手に喋った感じだがな」

 あのバードマンを尋問するにあたり、ジロウマルはまず他愛のない質問をぶつけてみて、どういう男であるのかを観察した。

 そして酒に目がない事を突き止めると、これまで一切出さずに貯蔵したままにしておいたモノから、強めの酒を一つ出してきて振る舞う。


 結果、酔ったバードマンはジロウマル相手にペラペラとよく喋ってくれた。


「そうか、んでヤツは?」

「大いびきで眠っている……無論、逃げられぬようしかと拘束済みでそうろう

 抜かりなしと自信有り気。加えて何かを演じているかのような雰囲気とイントネーションを交えて見せるジロウマルだが、ザードにはよくわからなかった。


「…ま、逃がさなけりゃなんでもいいか。それで情報の方はどうだ?」

「ウム、要約すると―――――」


 ―――バードマンは、先の反乱騒ぎに乗じて火事場泥棒を働いていたならず者。

 ―――ローブの男に金で雇われた。

   (一味の証として勝手に同じ意匠のローブを用意し、着用していた)


 ―――ローブの男の正体は知らない。

 ―――ローブの男は、大森林の中の村で影響力を確立している。

 ―――ローブの男が何の目的で村を制しようとしているのかは知らない。

 ―――今の村の村長と周囲の者は、ローブの男が用意したニセモノ。

 ―――ローブの男は行商人を装って、ニアラ村やシトノ村に食料品を援助した。

    その理由は知らない。


 ―――森林外から来た女は、村の状況を外部に漏らさないよう村に留めている。

 ―――自分達の手の者を制するために利用し、下っ端に好き放題させていた。

 ―――女には “ 呪 ” というものがかけられている。

    よくは知らないが、多分逃げられないようにするもの(と思う)


 ―――しかしローブの男の命令で今は保護されている(と思う)

 ―――少し前、村で火災があり、連れてきた新村人の多くが焼け死んだ。

 ―――女や村長達、それに元からの部族の連中は全員生きている(と思う)


 ―――バードマンは今回、マグル村の様子を探り、

    なかなか帰らない女について、村の者や女の身内等の反応が如何にあるかを

    調査するようにと命じられてやってきた。


「――――以上だ。“ ローブの男 ” とやらが黒幕と見て相違なかろう」

「シトノ村からのカンパ品は、元はソイツからの援助品ってワケか…。これで採算度外視の妙な行商人の正体は分かったわけだが、ますますその意図がきな臭ェな」

「そのローブの男っていうの、名前とかはわからない??」

 フルナとしては領主ミミへの報告がある。なので特定の怪しい人物像が露わになってきたのであれば、よりその詳細な情報が欲しかった。


「残念ながら酔いも回り、ロレツがかなり怪しくてな…あの鳥男、酒に目がない割にはかなり弱い…酔いつぶれてしまうまでに聞き出す事あいかなわなかった」

「目ぇ覚ました後でまた問い詰めちまえばいい。少なくともシャルールさんが無事らしいって事が分かったのは一安心だな」

 ザードは幾ばくかの安堵を得て、一呼吸入れる。


「…よし。その “ ローブの男 ” の正体に、何企んでんのかっつーのを知っときてぇとこだから注意深く探っていく感じでいこう。んでもってシャルールさんの救出と部族の村に居座ってるよそ者をぶっ飛ばす方法も考えねぇとってとこだな」








――――――都市シュクリア、東門。


 モンスター・ハウンドとの遭遇を経て、ハイト達一行はついにここまでたどり着いた。


「ほー、田舎にしちゃあ悪くない防壁を持つ町じゃあのう」

「じゃな。サスティとやらも悪くはなかったが、さすがに中心地ともなるとデキはより良さそうじゃわい」

 戦いに身を置く道を選んだとて、ゴビウとドーヴァもやはりドワーフ族である。建築的な興味から雑談に華を咲かせつつ、シュクリアの外壁を見上げていた。


「ここにミミ様が……」

 ハイトは旅の目的地に到達し、感無量で門の入り口を眺める。

「いよいよ到着……よかったですね、ハイトさん」

 アラナータも不思議な達成感で満たされ、ハイトに並んで同じように東門を眺めた。


「はいはい、アンタ達。目の前っていっても町に着いたわけじゃないでしょ。ちゃっちゃと入っちゃいましょ!」

 この中では一番アトワルト領に来慣れているとばかりに、メリュジーネ――――もといネージュは、先頭に立って歩き出しながら4人を促した。




「おや、奇遇ですね。このようなところでまた会うとは」

 門をくぐらんとしていた際、メリュジーネは中からやってきた人物を見てしかめっ面になった。


「…ジャック、アンタまたミミちゃんのところに…って、こないだの飲み比べ、勝負はまだついてないんだから! 今度再戦よ、分かってるでしょうね?!」

「ハイハイ、またの機会がありましたらその勝負、お受けいたしますよ。それで……初めまして・・・・・ですね、そちらの4人は?」

 ジャックは、いつもと変わらない―――と思う。


 だがメリュジーネは、何からしくないような気がして、怪訝そうに首を傾げた。


「あ、え、えーとはじめまして。メリュジーネ―――ネージュさんのお知り合いでしょうか?」

 メリュジーネにそうじゃないでしょと睨まれ、ハイトは慌てて言い直しつつ、挨拶を交わす。

 それに続いてアラナータ、そしてドーヴァに…

「はじめまして、商人かのう? 何か良い武具の出物があれば、ぜひ教えてくだされ」

 ゴビウと、立て続けに挨拶を交わしていく。



「……ええ、その時はぜひに…。それで? 領地を抜け出し、わざわざ傭兵を雇い入れてまで危険地帯を越えての来訪という軽率ぶり……一体どのような重大事で?」

 ゴビウからメリュジーネへと向き直り、問うジャック。


 いつもと変わらないようでいて、やはり何かこう警戒しているような、微妙な緊張感を伴っている風に見えた。


 メリュジーネへの質問も、まるで何かから逃げるかのような印象を感じさせる。



「…。そんなもの、私がミミちゃんを訪ねるのに大した理由なんていらないわっ。深読みしすぎよジャック」

 言いながら、メリュジーネはお気楽な態度で軽くおどけて見せる。それはジャックから感じた違和感が危険の類に属していると踏んだからこそだ。


「……」

 そしてメリュジーネは、薄片目を開けてごく一瞬、視界外である自分の背後をる。見るのではなくる。

 彼女のた先には、二人のやり取りをほけーっとした表情で眺めているアラナータの姿があった。



「……、…ま、ともかくよ。目的はミミちゃんに会いに来た事に間違いないわっ! でしょう、ハイト君?」

「え? あ、はい。そ、その通りです」

 急にふられて反射的な反応を返すハイト。ジャックが ほほう と呟きながら、視線を彼に向ける。


「これはこれは。驚きですね、まさかこの短期間でこうも次々ワラビット族の方にお会いできるとは何か良い事がありそうです――――私は商人のオ・ジャックと申す者、どうぞ今後とも良しなに」

「あ、これはどうもご丁寧にありがとうございます」


 ・

 ・

 ・


「(ふむ、報告では聞いていたが……オ・ジャックの奴、本当に地上に来ているとはな。我らの邪魔をするつもりはなさそうだという事だが、油断は出来ん。言動は厳に気を付けておくとしよう)」

 

 ・

 ・

 ・



――――――都市シュクリア、領主ミミの借り家。


「お待たせいたしました、メリュジ―――――…ネージュ様、ハイト様、アラナータ様、どうぞこちらへ」

 応接室で待機していた3人をイフスが連れ行く。行先は食堂だ。


 二人組のドワーフ傭兵の目的が、知己であるダルゴートを探して訪ねる事であると判明しゴビウとドーヴァ、そしてジャックら3人はメルロの案内のもと、ダルゴートとの面会のため、彼の住まう部屋の方へと赴いている。


 全てはミミの判断だ。この借り家はどの部屋も多人数の来客をもてなせる広さとは言い難く、訪問者の中で訪問目的が異なっているというのであれば、まずは分離した方がいい。

 もっともゴビウとドーヴァに関しては、ここにダルゴートがいると知った上で来たわけではなく、まったくの偶然であったわけなのだが。



 ギィィィ……


 扉は古いらしく、軋み音をたてながら開いてゆく。その先に、魔界では遠巻きにしか見た事のない一族の誉れたるその人の姿があるのを見て、ハイトは何だか感無量で泣きそうにすらなっていた。


「ミミ様、お客様をお連れ致しました」

「ようこそいらっしゃいました、メリュジー……ネージュさん。それに皆さん」

 立ち上がり、入室してくる者を確認するように一人一人に視線を向けるミミ。その隣で座っていた小さな子供が、慌てて同じよう椅子より立ち上がる。


「ミミちゃん、お久しぶりね。…にしても、その髪はどーしたのっ!?」

 ネージュが突然憤り出し、横にいたハイトとアラナータはビクッと全身を震わせる。だがそういう反応がくるであろう事は予想していたらしく、ミミとイフスは平然としたままだった。


「申し訳ありません、ネージュさん。さすがに今は髪型につきましてはご容赦いただけますか? 理由あっての事ですので……まずは、お食事に致しましょう。イフス、食事の用意を。皆様、どうぞお席に…ルゥリィも座っていいんですよ」

「は、はぁいっ! ミミお姉さんっ」

 カッチンコッチンの小さな獣人の子は、ミミに促されるまで完全に固まった状態で立っていた。

 来客に対する緊張というよりは、来客に失礼あってミミに恥をかかせまいという小さいながらの頑張りからくる緊張だ。


 椅子に座る様も、おそるおそるといった具合。僅かな所作もヘンにならないようにしようとしているのが、逆に目立ってしまっている。


「ミミちゃん、この子供は?? 新しい召使い見習いか何かかしら??」

「いいえ、ネージュさん。わたくし養子です」


「うそぉっ!?」「ええっ!??」

 メリュジーネとハイトが思わず立ち上がる。その反応に、当のルゥリィがビクッとして両肩を狭めながら身を縮こまらせた。


「み、ミミちゃんのこ、子供ぉっ!?? ど、どーゆーこと?! い、一体いつの間に…ハッ! ち、父親は?? 一体どこの馬の骨に孕まされちゃったワケ!?」

「お、おめでとうございますミミ様! え、えーと突然の事でお、お、驚きましたが…えと、その、長老達や一族の皆にはもうご連絡を???」

 二人が慌てふためく姿を見て、ミミはクスクスと笑う。そして優しくルゥリィの肩に手を添えると、首を軽く横に振った。


「いいえ、わたくしが産んだ子ではありません。お二方とも、落ち着いてください。少なくともネージュさんは以前いらっしゃった時からお考えになられれば、時間的にもそうでない事はお判りになるでしょう?」

「…あ。そういえば確かにそうね、ほんの数か月でここまで大きくは……な~んだ、養子かぁ。ホント、ビックリしたわよぉ」

 そう言うと、改めてネージュの視線がルゥリィに向く。それにつられるようにして、ハイトとアラナータもルゥリィを見た。


 だが、そこで一同の頭の上に疑問符が浮かぶ。

 視線が自分集中して恥ずかしくなったのか、モジモジしているルゥリィ。


 着用しているドレスは安価でありふれたもの。しかし、所々の刺繍がいい感じに品を底上げしていて、とりあえず領主の養女こどもとしてはメリュジーネの眼から見ても最低限はできている・・・・・と及第点。

 薄い赤橙色の髪も、短めではあるが程よく整えられていて愛らしい。


 そこまでは良い。


 一同が不思議に感じたのは他でもない、その頭の頂きの左右に生えている彼女の耳。

 短くて厚みもないその両耳に、最初はワラクーン狸獣人系の子供かなと3人は思いかける。


 しかし―――――


「……。同じ・・ワラビット族。義理ではありましても私は良きえにしを結べたと、我が娘を誇りに思っておりますわ」

 ミミの少し強い口調は、ハイトとメリュジーネの二人の表情を一変させた。ハイトの表情には、何か恐ろしい事に気付いた者の驚愕に微かな恐怖の色が混ざり、メリュジーネの表情には、難しくも真剣な中にほのかな怒りの香りが漂う。


 ワケあり―――――それも、相当に聞きたくない部類の。


「…アラナータさん、でしたか?」

「え…は、はい、そうです。何でしょうか??」

 唯一、察しが付いていなさそうな彼女に目を付けるミミ。特にメリュジーネがいる以上、詳細な説明を省く事はできないだろうと思い、彼女にお願いすることにする。


「お食事まで、少しまだ時間がございます。それまでこの子のお相手をしていただけませんか? メリュ―――ネージュさんとハイトさんに、少し難しいお話をしなくてはいけませんので……ルゥリィ、お食事まで少し席を外してくれますか? よければあのお姉さんに、お屋敷の中をご案内してもらえると嬉しいのだけれど」

 ただの厄介払いになってしまわぬよう、幼い我が養女に使命を与える。この年頃は背伸びしたい盛りだ。特に母子関係を結んで日が浅い分、ルゥリィはチヤホヤされるよりも、お手伝いさせてほしいと思っているのは明らか。


「はいっ、わかりましたのです、ミミお姉さんっ!!」

 元気で素直な返事。怖い顔になりかけていたメリュジーネでさえ、微笑みを浮かべる。

 何が何やらといった様子のアラナータだったが、やる気十分のルゥリィにその手を引かれる形で共に、食堂を出て行った。


 ・


 ・


 ・



「……そ、そんな…事が」

 ハイトはワナワナと震える。まるで我が事のように怯え、同時に憤りをその全身に湛えていた。


「壮絶ね……よく歪まなかったものね、あのコ」

 メリュジーネは落ち着いている。むしろ興味ないと言わんばかりの態度にも見える。

 だが、その蛇の尻尾の先が落ち着かないと右往左往していた。内心ではかなりはらわた煮えくりかえっているのだろう。


 ルゥリィのこれまでの経歴と身の上を話すにあたり、西隣はゴルオン領の現状とアトワルト領との政治的摩擦、そしてゴルオン領主ドルワーゼ候の目論見などなど…ミミは意外にも包み隠さずに二人に話して聞かせた。


「私としてはルゥリィのため・・・・・・・にも、西方の侵犯された地を取り返したいと思っております。もっとも…彼女の事がなかったとしても、いずれはそのつもりではありましたけれど」

 そもそも取り返すも何も、ゴルオン領とアトワルト領の境、そのゴルオン領側の最後の関所のところまでは、今をもってしてもアトワルト領である。

 仮に魔王がこの事を知り、ゴルオン領かこのアトワルト領にいたならば、物のついでとばかりにドルワーゼ候を即座に罰し、アトワルト領土の正当なる境界線復帰は簡単に叶っただろう。


 だがそれではダメなのだ。


 ただでさえ先の反乱騒ぎから何かと問題が続いている上、反乱騒ぎの際にナガン領はメリュジーネによる援軍も受けている。

 その時に大義名分こそ整えはしたものの無理矢理だった感はいなめないし、まださほどの時間も経っていない中、再びメリュジーネや他権力者の力を借りる事になるのは、貴族たるミミとしてはかなりマズいし、メリュジーネもその事を理解している。


「なるほどねぇ……でもミミちゃん、よく話してくれたわね?」

 ルゥリィの事ではない。隣領との政治的な問題の方だ。


 メリュジーネの性格を知ってる者なら、そんな事を言われたら即座に “ 私が軍を率いてドルワーゼとかいうバカをとっちめてやるわ ” と言い出しかねないと危惧するだろう。

 だがミミは、少し悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「あら、一般人のお二人・・・・・・・にお話しても、さほどの問題ではないかと――――ですよね、ネージュさん・・・・・・?」

「…。…!! あぁ、そういう…そうね、確かにそうね! なんら問題なしだわっ」

 今回、メリュジーネの訪問は公式のものではない。いわばお忍びであり、政治的なおおやけにおいては、彼女はナガン領内から動いていない事になる。


 ここにいるのはネージュというラミア族の一般人。


 ミミの一言は、メリュジーネに権力行使せぬよう釘を刺すと同時に、ネージュが誰と接して何を話し、何を行おうがそれは全てネージュという個人の自由である、という事を暗に伝えていた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る