第87話 第5章2 屋敷の中は多種多様



「それで、髪をキチンと・・・・していないのはどーゆーわけなのかしらぁ?」

 メリュジ…ネージュはしつこくそこを聞いてくる。メリュジーネと初めて出会った頃に、ミミは貴族女性の嗜みという理由付けで巻き髪ロールを髪型に取り入れる事を教わった―――――もっともそんな常識は当然なく本当のところは単に、メリュジーネの好みというだけなのだが。


「…ええと、できればそこはそのままスルーしておいて欲しかったのですが…」

「んんー? どういう事ぉ? なーにを隠しているのかしらミミちゃん?」

 さすがラミア族、半身半蛇が蛇の執念とでも言うべきか?


 一度気になった事は決して放置してくれないらしい。話すまで問い詰めるわよ~と、どこか楽しそうにプレッシャーをかけてくる。

 こうなっては諦めざるをえないと、ミミは軽くため息をついた。



わたくし、今は療養中の身でして。とても髪型に構ってはいられなく…」

 正確にはイフスが些細な身だしなみよりも、しかと休む事を優先するよう促した結果だ。

 今回来客を迎えるにあたっても、療養の身なのにわざわざ髪型を整える必要はありませんと言って、装いにしてもいつものドレスの上に上着を追加で羽織らされただけで済ませている。


 あるいはメリュジーネに対してミミが療養中である事を知らしめ、体調を気遣ってもらえるよう、意図してそう図らったのかもしれない。


「え。み、ミミ様! 具合がよろしくないのですか!?」

 ハイトが思わず立ち上がる。その顔には心配の色が満面に浮かんでいた。


「落ち着いてくださいハイトさん。今はもう折り返しましたので心配は無用ですから」

「身体は大事にしなきゃダメよぉ。でもそういう理由があるなら仕方ないわね…風邪かなにか?」

 ネージュの問いかけにどう答えるか少し悩んだ後、ミミはおもむろに椅子より立ち上がった。


 そして―――


「…はぁぁぁぁ!???!?!」

「え、……ええええええええええぇっ!!??? み、ミミ…さ…ま???」

 上に羽織っていたものを外せば、そのお腹の膨らみは否応にでも晒される。

 膨らんでいるとまでは言い難いものの、太ったのとは明らかに違う穏やかな盛り上がりが、ミミの下腹部にあった。


「ちょっとそのお腹! 今度こそどういう事よっ?! どこの馬の骨にヤられちゃったの!? あの部下のゴブリン? …ハッ!? ま、まさか…じゃ、ジャックの奴とかじゃあないでしょおねぇ!??」

 音もなく瞬間移動が如き速度で詰め寄ってきたネージュに両肩を揺さぶられる。


「あ、え、う、お…えと、ええーと…お、おお、おめでとうございます??? お祝いのお酌をして大皿にお湯を張らないと????」

 ハイトはハイトで完全にパニックになっていた。たぶん自分が何を口走ってるのかも分かっていないだろう。


「おおおお二人ともももも落ち着いててててくださいいい……おおお話しししででできききませんんんかららららら…」






―――――――食堂でミミがシェイクされているその頃。


「いやはや、まさかこんなにも早く旦那に会えるとは思ってなかったわい」

 愉快愉快と大口をあけて笑うドーヴァ。

 ダルゴートはそんな旧知を見ながら、思わぬ来客にまだ信じられないといった様子だった。


「こちらこそ驚きました。お二人にまたお会いできる日が来ようとは……いや、いつぞやは世話になったもので」

「おっと、頭を下げんでくだされ。ダルゴートの旦那にはあの時、こっちも世話になったでな…お互い様の持ちつ持たれつという奴じゃて、ハッハッハ」

 ゴビウに制され、ダルゴートの下がりかけた頭が途中で止まる。


「縁は巡るとは申しますが……いやはや。御三方はどのようなご関係でしょうか?」

 ダルゴートをこの地に連れてきたのはジャックだ。この奇縁、いと面白しとばかりに3人のドワーフに問う。


「おお、ワシらはのう―――――」

 ドーヴァが意気揚々と答えかける。が――――


「なぁに、そんな大そうな関係というワケでもない。同じドワーフ族…旅先で遭えば互いに多少なりの助け合いをした程度の仲…といった感じじゃよ。なぁドーヴァ?」

 ゴビウは謙遜するようにそう述べた。


「ん、おう…まぁそうじゃなぁ。言うほど深いモンがあるっちゅうでもないのは確かにそうじゃあ。じゃが同族っちゅうこともあって、浅くとも縁は大事にしとるつもりじゃあよ」

「それは良い事ですね。私めもダルゴート氏とは旅の途上、偶然お会いし――」

 ジャックも、軽めにダルゴートと出会ってから今までの経緯を語った。


 ・


 ・


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 ダルゴートの部屋は借り家の2F。そこそこの広さでゲストを住まわせるには悪くない。何より小柄なドワーフ族だ、むしろ手広なくらいだろう。

 なのでダルゴートにドーヴァ、ゴビウ、そしてジャックとドアのところで御用聞きのために待機しているメルロと、5人が同室していても空間はまだ広々としている。


 かといってこの部屋にさらに人数を入れられるかと言うとやや微妙だ。同じドワーフ族やゴブリンなどの小柄な種族であれば、もう2、3人くらいでちょうどいい程度だろうか?


「お嬢さん…確か…メルロさん、とおっしゃいましたでしょうか。ご領主様には申し訳ございませんが、我々はこちらで夕食をいただきたく思うのです。手配していただけないでしょうか?」

「かし…こまりまし、た。領主さま、にも…お伝えして、きます」

 頼みましたよ、とニッコリ微笑むジャックに背を向け、メルロは退室した。









 その頃、1Fの廊下を――――――


「それでね、あそこが裏のお庭に通じてるドアなのですよ!」

「へぇ~、そうなんだ? お庭もあるなんて、さすが領主様のお住まいだね」

 アラナータと、その彼女の手を引いてフンスフンスと鼻息強く、気合い満点なルゥリィがゆっくりと移動している。


「でもでも、このお屋敷は借り住まいだってイフスお姉さんが言っていたのです。ミミお姉さんのお屋敷は、別にあるらしいのですよ」

 ルゥリィもミミの養子となったからには貴族家アトワルトの子である。多少の知識や情報、そして学ぶべくを学んでいかなければならない。


 とはいえ、まだ日の浅いうちから本格的な勉強は始まらないし何より彼女は幼い。


 年の頃は人間種でいえばまだ10歳にも満たない。おいおい教養を積み重ねさせてゆく事にはなるだろうが、今はまだ屋敷内を走り回らせて なんで?どうして? に都度応じる程度の学習で十分。

 新しい環境、新しい生活、新しい家族に慣れる方が、今の彼女には必要な事だ。


 それでも本人はやる気十分らしく、少しでも出来る事をやりたがり、何かとお手伝いする事を望んだ。

 なのでまだ日が浅いとはいえ、少しずつ養母ミミの周辺事情についても情報を得、知識を深めていた。


「おやリリお嬢様、それにお客人…屋敷内を散策ですか?」

「ラゴーおじさん。です! お客さまをリリがご案内ちゅうなのですっ」

 屋敷内の巡回警備中だったラゴーフズ。左様ですかと言いながら、微笑ましいものを見たと温かい微笑みを浮かべる。

 そんな場の雰囲気に、アラナータもなんだか温かい気持ちになった。




「(すごいなぁ…これが領主様の身の回りなんだ…)」

 魔界本土に暮らしていたとはいえ、今は無き故郷は辺鄙な村だった。田舎の村娘な彼女からすれば、この魔界よりも遅れているとされる地上世界はむしろ居心地がいい。

 そして今、かつて失った家族の温かみにも似た感傷が失われた家族の事を思い出させてくれる。涙こそ流さなかったものの、ほんのりとした寂しさはその胸の内をゆっくりと焦がす。



 …自分は果たしてこの先、こんな温かい環境を持つ事ができるんだろうか?

 かえりみれば、アラナータには現在、帰る場所も家族もいない。


 あのウンヴァーハの奴隷として飼われ、故郷の村は焼き払われ、家族も村人も殺されてしまった。

 ハイトに救われた後、ワラビット族の村に居候させてもらった。



 じゃあこれからはどうするの?



 恐らくワラビットの人々はいつまでも自分を受け入れてはくれるだろう。

 けどそれじゃあいけない。ハイト達が暮らす魔界のあの村は、ワラビット族の種族領地内。本来なら自分のような他種族の者が軽々しくお邪魔していい場所ではない。


 ……いつかは、出て行くべきだ。でもその後は?


「(私は、どこへ行けばいいのかな……)」

 故郷の焼け跡に戻る? たった一人で村を再興する? そんな事できるわけがない。

 何より故郷には帰りたくなかった。哀しい過去を思い出してしまうから。もういない友達や家族の事を思い出してしまうから。



 不意に途方もない孤独感が湧いてくる。世にあって自分は独りぼっちだと感じてしまう。




「? どーかしたのです、お客さま?」

 愛らしい眼が自分を見上げていた。心配そうに覗き込む表情に、アラナータはいつの間にかうつむいて暗い顔を浮かべてしまっていた事に気付き、慌てて顔をあげた。


「だ、大丈夫! ちょっと…うん、ちょっと考え事をしてただけだよ。ありがとうね、心配してくれて」

 ラゴーフズというドラゴマンの男性は既にこの場を離れていた。一体どのくらいの間、湿っぽくなっていたのだろう? 小さい子の前で今度は恥ずかしさがこみ上げてきた。


「うん、もう平気だよ。次はどこへ案内してくれるのかな?」

 ルゥリィはパァッと表情を明るくした。自分の役目を果たす、求められる事がよほど嬉しいのだろう。


「ではでは、今度はこちらにご案内するのですよ!」

 手を引いて、さらに屋敷の中を案内してくれる小さな獣人の子供。


 それを見てなんだかいいなぁとしみじみ感じ入るアラナータ。思えば自分も小さい頃、母の手を引っぱってこっちこっちってした事あったなぁなどと思い出が染みてくる。


「(あの時のお母さんはこんな気持ちだったのかな……いいなぁ、子供って――)」

 そこまで思ってハッとした。彼女は直後に浮かびかけたイメージを取り払うように頭を振るう。


 恥ずかしい夢想。

 

 自分が母となっての幸せな一家の脳内イメージは、彼女の顔を真っ赤に染め上げた。そんなアラナータを見たルゥリィは、頭上に?マークを浮かばせながら小首をかしげていた。










―――――――屋敷前。


「周辺の警備はしっかりとしなきゃいけねぇ。けど中で何かあった時、すぐに駆け付けられるよう、あまり屋敷から遠く離れてもダメだ」

「では前の街路よりその角を曲がり、ぐるっと路地を一周してくるルートが最適で?」

「了解っス、俺とハウローで交互に見回るッスよ」

 来客にメリュジーネ―――もといネージュがいる事もあって、夜の警備はいつもより厳重にしなくてはならなくなった。


 ドンがハウロー半身猟犬ノーヴィンテン影潜悪魔に今夜の警備について指示を出していると…


「ただいま戻りました。ドン殿、頼まれていたものを買ってまいりましたよ」

「ムームも買い物がんばったー。えらいー?」

 カンタルとムームが、それなりの大荷物と共に屋敷に戻ってきた。


「おお、助かるぜカンタルさん。ムームも結構大変な買い物だったろうによく行ってきてくれたな、ありがとうよ」

 いえいえと言いながらカンタルは、袋からドンの頼まれ物と短めの槍を5本と中程度の剣3本を取り出す。


「? そんなボロボロの武器、どうするッスか??」

 ノーヴィンテンが覗き込むようにして見たソレらは、武器としてはもはや使えそうに見えないレベルで傷んでいた。


「手入れして使う。廃棄予定品だからな…金はかからない分、最低限使えるようにするにもひと手間だけど、ないよりはマシって奴さ」

 かねてより領主ミミのデスクワークを手伝ってきたドンだ。彼女が床に伏せってからは、さらに中心となって出来る限りを行っている。

 当然、アトワルト領主たるミミの財布―――その財政に余裕がない事もよく理解していた。


 なのでドンは、微々たる結果にしかならないとしても可能な限り金をかける事なく装備の強化や充実を図らんと、シュクリア内にある武具の店や自警団などから廃棄品を集めては、普段の仕事の片手間ながらに修理整備を行っていた。


「お~………。……んー?? むー、むー~~~???」

「? どうしたんだムーム? 何か買い忘れたのか?」

 ムームも積極的にお手伝いに参加し、カンタルと共に買い物を頼まれて出かけてきた。メモ用紙にビッシリと羅列している品目を一つ残さず探して買い集めて戻ってきたところだが、如何せん普段の性格や行動、態度からは知能が高いとは言い難い。買い物ミスの一つや二つは、むしろ想定内だ。


 しかしムームは、ドンの問いに対してフルフルと首を横に振った。


「むー、ちがうー。はいき・・・ーってきいてー、ムーム、何かわすれてる気するーぅの。……んー、…んーん~~…? ……、………ぁ」

 思い出したらしい。叩き合わせた両手が、スライムの弾力でポムンと弾き合う。


「そーなのー! ミーミに頼まれてたこと終わったー、って、伝えるのすっかり忘れてたのー!!」

「そうなのか? まぁドタバタしちまったからな…すぐに伝えなきゃならない事なのか??」

「ん~、たぶんへーき? ムームのおしごと、クイーっていうとこのー、ぶんべつーと後片づけ~なーのーぉ」

 それを聞いてドンは、あぁなるほどと得心する。


 ドンとて所詮、雑務の域までしか手をつけられないがやる事は多く、自分の仕事で手いっぱいだ。誰がどんな命を受けて従事しているかなど、さすがに把握しきれてはいない。


 とはいえこうして話を聞けばそこから理解に至り、内容によってはそこに含まれているミミの狙いや意図を看破できる事だってある。

 明らかに確認が必要でない事ならドンから指示を出し、ミミに事後報告する事も日に数件はある。


 ゴブリンとはいえ文武両道に才ある彼は、間違いなく領主ミミの片腕として十分な働きを成し、配下たちをしかと監督していた。










―――――――同じ頃の調理場。


 痩せた小さな野菜たち、欠片のような干し肉の寄せ集め、カビた部分を分別し終えてまだ大丈夫そうな古い小麦粉、表面が傷んで黒ずんだ部分のある見栄えの悪い果実の数々……


 田舎とはいえ領主の食卓を彩る食材とはとても思えないものが居並ぶ中、両極端なほど立派な食材も少ないながらに混ざっていた。


「こんな大きな貝、はじめて見たのぜ。こっちの大ぶりな魚も…淡水魚なのぜ??」

「そちらはソルテイコウ塩鯛鱇というお魚です。淡水に生息していますが、水や湖底の土などに含まれる微量の塩分を回収し、その身に蓄積するという珍しい生態をもっています。ですので焼いただけでも、しかと塩が振られたも同然に食す事が出来ます」

 食材の説明を聞きながらヒュドルチは、フンフンと頷いた。



 基本的に今も昔もイフスが食事の準備を担当している。かつては二人しかいなかったから当然だ。

 主従関係上、ミミに料理等をさせるわけにはいかない。必然的に部下であるイフスが食材の買い出しから料理、給仕までの全てを担う。


 しかしドンとメルロ、そしてラゴーフズ達と、ミミの下で働く者が増えてきた。彼らにも様々な仕事をこなせるようになって貰わなくてはならない。


 先のようにミミの命で遠くへ赴く事もある。留守役の中に食材管理や調理の出来る者がいないと、一部の者は常に留守を務める事になり、領主ミミからすれば人員の運用という点において手狭となってしまう。

 理想は全員が領主ミミの身の回りの全ての雑務を行えるようになるにが望ましい。

 そうすれば、同じ日々の業務であってもローテーションを組んで順番に休暇を取らせたり、何かの理由で働けなくなる事があっても、他がカバーできるようになって、イフスにしても大助かりになる。

 ミミも都度、領地経営において必要な人員を気兼ねなく用いやすくなり、大助かりになるはずである。

 なのでイフスは、ラゴーフズら改心組の面々にも家事雑事を仕込まんと指導していた。


「なるほどなのぜ…じゃあ、今日はこの魚がメインなのぜ??」

「そうなります。お客様がいらしてますので数を出さなくてはいけないのが悩ましいですが、こちらは試験も兼ねている先行品・・・とのことですので、丸々お出しする事と致します」

 イクレー湖の水産物活用という道。

 領内の各町や村にも先行してかの大湖で獲れた産物が順次届けられている。


 運搬としょくすにあたり問題がないと確認が取れれば、後は流通させる量の安定的な確保を目指すだけ。それで領内の食糧難は一気に緩和される。


 そうした背景があるので気兼ねなく使ってくれて構わないと言われてはいるものの、魚を捌かんとして包丁を握るイフスの手にはつい力が入る。いつもより緊張して微細に震えていた。


 すると、ちょうどそこへメルロがやってきた。


「あ、の……」

「おや、メルロさんなのぜ。どうかしたのぜ?」

 調理に取り掛かりはじめているイフスにかわり、ヒュドルチが応対に出る。

 もっとも、さして距離が離れているわけでもなく、当然その会話はイフスにも聞こえていた。


「はい…ジャック様、が…、ダルゴート様の…お部屋で、ドワーフの方々と…個別にお食事を、なさり…たい、と…おっしゃられ…まして…」



 バキャッ! ダンンッ!!



 魚の骨が砕け、面積の広いなた包丁がまな板に食い込む。

 大きな音に思わず身をすくませた二人は、恐る恐るイフスの様子を伺った。


 顔に影が差すも笑顔のまま。包丁を握る手が先ほどとは違う理由で震えている様が、より怖ろしげに見える。



「……またあの商人…。ご勝手な真似を…フ、フフフ……」


「え、えーと…なのぜ…。め、メルロさんはこの事をご主人様ミミにも伝えてほしいのぜ。夕食は分かれてとる形になりますと…。だ、大丈夫、こっちは俺に任せておくのぜ」

「…は、はい…。では、失礼…します…」

 メルロが調理場を出る時もイフスは笑顔のまま変わらず。しかし殺意を放ちながら、大きな魚の身に力いっぱい包丁をいれていた。








―――――メルロがミミのいる食堂に向かって前を通り過ぎた1Fの会議室では


「調べた限りで全てではないが、ゴルオン領の地理に関しては以上になる」

「ここまで詳しく…これをまとめ、図に起こせばいいんだな?」

「そうだ。地理情報はいずこにしても重要度の高い情報……、必ずや彼女の役に立つであろう」

 アレクスがエイセン狼獣人に手伝ってもらいながら、獲得した情報をまとめていた。


 机の上に山と盛られた資料の数は相当だ。これでも既に一度、整理して大きくその分量を減らしている。

 アレクスとモーグルがゴルオン領についてどれだけの事を調べ上げたか、その大量の情報量が物語っていた。


「私はかの地の物流・市場についての情報を取りまとめる故、そちらは頼んだぞ」

「分かった、慎重に進めよう。……と、そうだ地図といえば」

 言いながらもエイセンは手を止めない。だが僅かに声のトーンを落とした。


「…少し前の事だけれど、この町の商店に地図を買いに来た客がいたらしいんだ」

「む? ……」

 トーンの変化と話題、そしてエイセンの様子から、単なる雑談の域でない事を察し、アレクスはやはり作業の手を止める事なく、黙したまましかと聞く耳を立てる。


「どうにも怪しいようで、店主が気を利かせて粗悪な方の地図を売ったらしい」

「ほう。それで、その客の身元などは分からない、と?」

 カリカリと音を立てながら、インクをつけたペン先が皮紙の上を走る。第三者がこの場を覗いていたとしても、事務仕事をしているだけの獣人二人にしか見えないだろう。


「装いは旅人風だったって。けど雰囲気は明らかに普通じゃなかったとか。種族はオレと同じワーウルフだったそうだけど、特徴的な点として隻眼だったらしいよ」

「ふむ…隻眼の狼獣人ワーウルフ…か。他に怪しい点は?」

 それだけではまだ普通の旅人のセンが濃いと更なる情報を求めるアレクス。

 エイセンも資料を漁りつつ、何食わぬ日常業務の顔のままでそれに応える。


姐様ミミから命を受けてオレが昨日、もう一度詳しい話を聞きにいったんだ。今、この辺領内でうろついているかもしれないっていう怪しい連中の仲間の可能性もあるし」

「北が怪しいと言っておられたやつだな。確かフルナとザード殿が調べに出向いていると聞いているが」

 エイセンはコクリと頷く。もちろん作業の手は止めない。


「商店主のオットーさんはその客が店を出た後、こっそり後を尾けたと。その時、懐にいくつも丸めた紙がチラリと見えたのと、聞き捨てならない独り言を呟いていたんだってさ」

「その懐の紙は全て地図の類か、はたまた何かの情報か…。…聞き捨てならない独り言というのは?」

「“ようやく帰還できる“ “使いっぱしりも楽じゃない” …そして “ドルワーゼめ。次はどんな悪だくみを考えているのやら” と言ってたらしい」

 そこまで聞いて、はじめてアレクスの手が止まった。


「そのまま町を西門から出て行ったそうだよ。行動と容姿に関してはもうとっくの前に姐様に伝わってるけど、呟きに関しては何て呟いていたのかやっと思い出して、その情報が昨日追加されたばかりというわけ」

「そのワーウルフが町を出て行った時期は?」

「みんなが分かれて領内各地に赴く前だから…モンスターの出現が確認される数日前になる感じじゃないかな」

 それは確かにかなり前の事だ。さすがにその隻眼の狼獣人がこのアトワルト領内に残っている可能性は低いだろう。

 何よりその情報から考えるなら、その者の正体はドルワーゼ候の手の者――――いわゆる密偵の類であるセンが濃厚だ。


「…大した情報を持っていかれなかったのは幸いだな」

「まったく―――――商店主はよくやってくれましたよ、これも姐様ミミの人徳ですかね」

 言葉の途中でエイセンの雰囲気が一変した。今の話はこれでおしまいと、雑談に移行するような軽い感じだ。

 その理由はエイセンの鼻と両耳の、小さなヒクつきが教えてくれていた。



 コンコン


「はい、どうぞー入っても大丈夫ですよー」

 エイセンの返事を受けてノックの主が扉を開ける。


「失礼するのです。アレクスのおじちゃん、エイセンのおにーさん、そろそろご夕食のお時間なのですよ!」

「これはこれは、リリ御嬢様。わざわざお呼びにいらしていただき、まことにありがとうございまする~」

「どういたしましてなのです~」

 それは少しごっこ遊びじみたやり取り。エイセンは早々とルゥリィの相手をこなすコツを掴んでいるようだった。

 ・

 ・

 ・


「我は最初から “ おじさん ” 扱いだというのに、お前エイセンはなぜおにいさん扱いなのか…」

 会議室から食堂へと向かう途上、何気ない呼び方の差にアレクスは引っかかっていた。


「見た目と迫力の問題じゃないですか? オレ達みんな獣人系種族とはいえ…」

 そう言いつつエイセンはアレクスに視線を向けて、その足元から頭の先まで流すように見回した。


「比較的痩せっぽなオレと違ってアレクスさんは――――」

「みなまで言うな…これでも気にしている」

 筋骨隆々にして巨躯、普通にしていても厳つい顔面。まだ見ただけで泣かれないだけマシだと思う事で、情けなくも自分の心を慰めるアレクス。かつての部下が同情心から片手を伸ばし、ポンとその背を軽く叩いてくれた。






―――――――再び食堂。


「……あのドスケベじじいロイガル大公、まーだ若い娘に手出しする元気があるなんてね。しかも、よりによってミミちゃんに手出ししてたとかやってくれるじゃないの…」

 遥か魔界本土にいる隠居の大貴族に対し、ライバルに向ける殺気の類を放つメリュジーネ。彼女も魔界屈指の大貴族であり、ロイガルの事は先輩としてよく知っている相手だ。

 どちらかといえば相性が悪いが、かといって常日頃より敵愾心てきがいしんを燃やす相手というわけでもない。

 だが、ミミが世話に・・・なっていたことや魔獣生みの件を知った今、彼女の中でロイガルに対する評価の天秤は、明確に “ 敵 ” の方へと傾きつつあった。


「知りませんでした…まさか、あのロイガル狼公ろうこう様とミミ様がそのようなご関係に……」

「後ろ盾が必要でしたから。御父様の後を継ぐにあたり、御父様が亡くなってより時間が空いてしまった事で、何かと他の方々貴族嫌がらせ・・・・もございましたし。つつがなく色々と取り戻すためには強大な権力を有する方に、魔王様へのお口添えをしていただく必要があったのです。貞操はその代価というところですわ」

 そう言ってお茶を一口含む。


 一時居住していた、魔界はアルガント領のロイガル城。

 かの城に住まう皆は元気にしているだろうか? などと軽く思い出にひたりながらゆっくりとカップをソーサーの上に戻す。――――のを待って、メリュジーネが詰め寄ってきた。


「もう! どーして頼ってくれなかったのよぉ? あんなクソエロオオカミなんかより、もーっと手厚くがっつりと援助してあげたのにぃっ」

「そうは申されましても当時、既にメリュジ――――ネージュさんは魔界には居しておりませんでしたし、ラミア族との接点も全くございませんでしたから。ナガン領のお隣という事でこちらに赴任してきた際、ご挨拶という形で初めて交流させていただいたわけですし」

 困ったような笑顔。これではまるで、ミミがワガママ言うメリュジーネをあやしているかのよう。ハイトにはそう見えたが、さすがにそれを口には出せない。

 何しろメリュジーネは、自分はもとよりミミでさえ本来なら首が折れるほど高く見上げる雲上の相手。権力者としては天と地ほどの違いがある相手なのだから、絶対的に無礼・失礼になりそうな事はしかと慎まなければならない。


 そんな変わった類の緊張にハイトが己の気持ちを引き締めていると、食堂の扉が開き、何人かが入室してきた。


「ただいま帰りましたのです、ミミお姉さん!」

「おかえりなさいルゥリィ。お役目はきちんとこなせましたか?」

「はいなのです! アラナータお姉さんは、メルロお姉さんにお手伝いしたいと言われましたので、お台所にいっていますのです」

 やり遂げましたと言わんばかりに胸を張るルゥリィ。食堂にいた3人は勿論、後ろから入ってきたアレクスとエイセンも、微笑ましいと緩んだ。


「それではお食事に致しましょう。ルゥリィ、それにアレクスさんとエイセンもどうぞお席に」











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