第68話 第1章4 アトワルト領



――――――都市シュクリア。領主の仮屋敷、応接間。


 ミミがソレを抱きかかえて入室すると、唯一アレが何なのか知っているイフスの計らいなのだろう。ソファーを部屋の脇に追いやり、大き目の長方形のテーブルをドンやラゴーフズたちが囲う形で待機していた。


「みんなお待たせ。……よいしょっと」

「大丈夫ですか、お嬢様。お手伝いしま――――」

 善意からとわかってはいるが、近づいてきて手を伸ばしかけたラゴーフズを制する。


「それはダメ、気持ちはありがたいけど。コレはちょっと特別な物だから安易に触らせられないんだ、ゴメンね」

 いつものミミと口調こそ変わらない。しかしピリッと厳しいものが言葉の合間に見え隠れしている。

 その一言だけで場の全員が感じとった。両腕だけでは足りず、その豊かな乳房まで用いて運搬してきたように見える、胸の谷間に軽く挟まっているその長細い箱がどれほど重要な品であるのかを。


「よしっと……ふぅ。中身はそんな重い物でもないはずなんだけど、この大きさになると運ぶのはやっぱり苦労するねー、よいしょっ」

 だがそれは半分誤魔化しの台詞だ。さも運搬に労力を割く物であるかのような事を口にするのは自身の疲労具合を皆に隠すためだった。

 実際は、確かに面倒な品ではあるもののコレそのものはそんな重い品ではない。


「えーと……うん、エイセンさん。ちょっと後ろ下がって、危ないから」

「? ハッ、わかりやした姐様」

 ワーウルフ狼獣人のエイセンは、ちょうどテーブルを挟んでミミの反対側に立っていた。自分に何か問題あったのだろうかと軽く凹む彼だが次の瞬間、下がれと言われた意味を理解し、安堵する。


ブワァッ……ファサ。


 ミミが大き目の巻物を箱から取り出して軽く振るった瞬間。やや厚手の、ともすれば絨毯と見間違うような上質の紙がテーブルいっぱいに広がった。


「こいつぁもしかして……この辺りの、地図!?」

 その価値を即座に理解したドンが、すぐさま驚愕の声をあげる。

「そそ。現時点では一番精巧で正確な、このアトワルト領内の地図ね。だけどこれでも一部はまだ適当で、精度でいえば60%って感じだけど」

 他の者があまり理解できていない中、イフスとドンだけがミミの説明と広げられた地図の現物を受けてその凄さを理解し、軽く萎縮していた。



 そもそも100%正確な地図は、たとえ作れたとしてもあえて・・・不正確に作るのがこの地上世界では当たり前となっている。

 それは神魔大戦のような大規模な戦争がたびたび生じるという地上特有の事情から、万が一敵方に正確な地理情報が奪われた場合、この上ない不利を自陣営に招いてしまうからだ。

 超標高のグレートライン大いなる山脈に隔てられているため、平時でも神魔両陣営共、互いの地上領土を行き来して密かに調査するといった事も容易ではない。

 加えて神界や魔界よりかは狭いとはいえ、それでも地上も広大な世界であり、地理を記録に残す事はそれぞれの陣営にとっても大変な難事である。


 したがって、戦争に備えて地形情報の塊である詳細な地図というのは軍事的観点より、必然的に万金に値する超重要機密品となるのだ。

 有事平時に関わらず、万が一敵の侵略侵入を許した場合でも容易くその手に渡らせてはならない事はもちろんのこと、最悪の場合も想定して完璧な地図を制作すること自体が魔王によって禁じられているほどである。


「はー…これはそんなにスゴイものなんッス――――」

「…ッ! やめろッ!! 迂闊に触れちゃなんねぇっ!!」


 バチヂチヂィッッ!!!


「ひぎゃっ!!!??」

 シャドウデーモンのノーヴィンテンは決して興味本位から触ろうとしたわけではなかった。

 その大きな体躯を支えるに少し楽な恰好をしようとテーブルに軽く手をつくついでに、地図をよく観察してみようとしただけなのだ。

 しかし地図が描かれている用紙の、ほんの端っこに僅かに指が触れた途端、彼の全身に電撃が走った。



「あー…ゴメン、先に説明しなくちゃいけなかったかな。ドンさんは気づいたみたいだね」

「ええまぁ……。貴重な地図とはいえイフスの姐さんも手伝おうとはせず、領主様が直々に運ばれた事や、この部屋に入ってからもラゴーフズの奴が手伝おうとしたのも断っていやしたし。やっぱりそういう仕掛けがあるんですね?」

「ご推察通り、地図にはミミ様しか御触れになれない特殊な術法が組み込まれているんです。迂闊に触れますとノーヴィンテンさんのようになってしまいますので、皆さまお気をつけを」

 イフスの説明を肯定するように頷きながら、ミミは軽く全身から煙をたたせて目を回しているノーヴィンテンの元に駆け寄った。


「(………魔力量、大丈夫かなぁ。まさか皆の前で倒れるわけにもいかないし……)ん~と、よしっ、<若芽の逞しさキュア・ブースト>」

 シャドウデーモンの全身を、薄っすらと淡い光が包んだ。


若芽の逞しさキュア・ブースト>――――

 簡単な治癒系魔法の一種だが、単純な魔法による直接的な治癒ではなく本人の自己治癒能力を活性強化する事で、結果的に治癒効果を得るという魔法である。

 他の治癒系魔法と比べて魔力の消耗を抑制できるが即効性に乏しいため、大怪我や戦闘中などの緊急下での有効性に欠ける。

 そのため定義魔法としては医療補助系に分類されている。

――――


「(………ミミ様?)」

 イフスは少し違和感を覚えた。ミミはより上位の治癒魔法を扱えるはずで、そちらの方ならばこの程度のダメージは即時回復が見込めるはず。それは魔法を使うミミ自身もよく知っている事である。

 にも関わらず、魔力の消費を節約するかのような魔法の選択は、いささか引っかかるものをイフスに覚えさせた。


 ……が、ノーヴィンテンは元ならず者で現在はミミの使用人という身である。

 しかも自身の迂闊な行動でダメージを負うという自業を思えば、領主であるミミが魔力を用いてまでその傷を癒す事自体、身分差を考えればありえない事だ。

 故に用いる魔法が最低限のものであってもそこは不思議ではない。


「(…ですがミミ様は、そのような御方では。……?)」

 ワラビット族という弱小種族の出たる彼女である。

 貴族位にあっても下々の者に対して壁を作ったり身分を気にした行為行動を取ったりする事は、公務の場などを除けばまずしない人柄なのは、イフスが一番よく知っている。


「はい、終わりっと。おーい、大丈夫ー?」

 イフスが引っかかりの答えにたどり着く前に治療は終わったらしく、ミミがペチペチとシャドウデーモンの頬を叩いていた。

「(……考え過ぎですね、きっと)」







―――――――都市シュクリア、旧商店街通り、オットーの店。


「………頼もう」

「わっ!? び、ビックリした…。い、いらっしゃいませー」

 オットーは驚きはしつつも、またうっかり棚上のモノを散らかしてしまわぬよう、その大きなワイヴェルン飛竜魔人たる身体の動きを抑制する。

 ゆっくり振り返ると店の入り口に一人、佇んでいる者がいた。


「(……旅人、かなぁ?)」

 幸い、今回は1品が転がり落ちるだけの被害で済み、それを拾い上げながら客を観察する。

 全身を深い藍色の布で覆っていて種族や性別は不明。だがスタスタと店内へと歩き入ってくる様は二足歩行に慣れている様子だ。


「店主、地図を頂こう」

「え、あ、地図ですか? えーと、どの辺りのモノをご所望でしょう?」

 妙な引っかかりを覚える。客の容貌がよくわからないというのも一役買ってどうにも不審に見える。


「この辺りの、アトワルト領内のものをだ。あるのだろう?」

「え、ええ……まぁ。少々お待ちくださいね」

 妙にまくし立てる感じがますます怪しい。

 急ぎというわけではなさそうだが、かといってこちらがまごつくのを許さないかのような雰囲気を醸し出している。


「(これは……もしかしてミミ先輩の言ってたたぐいの奴なんじゃあ??)」

 商店主調査に来た際、伺っていた話を思い出したオットーは、地図類を入れた樽の中から取り出そうとしていたモノから一度手を離し、近くの棚の中より1包を掴んで引き抜いた。


「はい、こちらが所望のモノになります。ウチで取り扱ってるモノの中ではこちらが一番良いモノとなりますが、よろしいですかね?」

 包まっていた羊皮紙を丁寧にテーブルの上に広げる。

 内容は酷く曖昧で地形はまったく描かれていない。記載漏れどころか各地の名称も何も書かれておらずその昔、メリュジーネ配下の兵士が買いに来たモノよりもさらに質の悪いシロモノだった。

「……まあいい。これが代価だ、貰ってゆく」

 客は乱暴にテーブルの上から地図を取り上げると、これまた粗雑に金貨を1枚投げてよこす。

 オットーは内心ではムッとしながらも金貨をキャッチし、すぐさま出てゆく客の背中に向かってやや皮肉を込めながら、ありがとうございましたと挨拶を投げつけた。




「ふん、まぁそうそう詳細な地図など手に入るものではないか」

 街路を歩きながら布をまくり下げた男は買ったばかりの地図を軽くあらためる。

 だが、その出来栄えに関して別に不満はない。地図の類はどこで買っても程度は似たり寄ったりである事を知っているからだ。


「これでアトワルト領の地図手に入った。これでようやく帰還できるか。やれやれ、使いっぱしりの任も楽ではない」

 ボヤきつつ、しかし彼は地図を丸めて懐に押し込めてそのまま街の外へ向かって歩を進めた。彼の懐には同じように丸められた羊皮紙が5つほど刺さっているのが、羽織物の隙間より見え隠れしている。


「ふん、ドルワーゼの奴め。次は一体どんな悪だくみを考えているのやら」

 愚痴りつつシュクリアの西門をくぐったところで彼――――隻眼の狼獣人ワーウルフは藍布を深くかぶりなおす。


 そして一目散に街道沿いに走りだし、一路西へと向かって去って行った。







―――――――ミミの借家、応接間。


 物珍しそうに地図を覗き込んでいる彼らに対し、ミミはまずと言葉を紡ぎ始めた。


「ここがシュクリア、そして白く太い線が主要な街道ね。段階的な濃淡で白く塗りつぶされてるのが高さを表してるの。白が濃いほど高い場所になるけれど、一番白いところでもだいたい標高100mくらい……だったかな」

 地図の中央近くはさすがに手を伸ばしても届かないため、魔法の小光を飛ばして指し棒の代わりとし、説明を続ける。


「そしてそっちの色の濃い部分は高山地。飛行可能な種族でも飛んで超えるのは無理なくらいの高さだと思ってくれればわかりやすいね。それでこの北の大きな逆三角形の辺りがロズ丘陵の大森林ね」


「ふーむ、これはなんともわかりやすい。このようになっていたのですね」

 ラゴーフズが感心しながら何度も頷く。だが一方でフルナがシュビッと片腕をあげて素直に疑問をぶつけた。

「でもでも、それだとこのシュクリアの北側。地図じゃ、なんだかポツポツ隆起してるように描かれてるように思うんですけど普通に平原でしたよね、この辺り??」

「あぁうん。シュクリアの北からオレス村までの間は平原が広がってはいるんだけど、実は極緩やかな丘がいくつもあるんだよ。この一番薄い高度色は0~10mくらいを示しているから、現地じゃ隆起しているようには見えないだろうね」

「なるほどっス。どおりでハロイドまでの道も、この地図じゃ山の中を通るみたいに見えるんスね」

 ノーヴィンテンが晴れやかな表情で、しかしまたぞろうっかり地図に触れてしまわぬか少し怯えを見せつつ得心したと頷く。


「そう。ちょうど間を寸断するように高くなっているように見えるけれど、実際の高低差は10~30mくらいしかないの。ほら、地図の端に縮尺が載ってるでしょ? 平原の辺りの丘になってる部分も相当な広さがあるから実際の現地と地図から受ける印象は一致しない場所が多いかもね」

「なるほど。確かにこう地図で見やすと平地が少なく感じますね」

 だがドンの一言に対し、ミミはため息を吐いた。


「少ないよ、実際。ガドラ山脈とアズウールの爪跡の間はドウドゥル湿地帯だし、オレス村から北西、ロズ丘陵とエミラ・スモー山脈の合間も複雑な地形だしね。私の領地全体でいえばまともに開拓できる平地って本当に少ないの」


 各町や村の周辺にはその地の住人が食べていけるだけの開拓場所はある。が、現状のような食糧難が発生した場合だと余裕がなくなってしまう。

 仮にドウドゥル湿地帯が丸々平地であったならば広大な農地を獲得できたかもしれないが、そうはいかないのが現実である。



「ほらこの辺り。オレス村とオリス村を結ぶ街道の途上、ドウドゥル湿地帯の北西の一部が、切り取ったように平地で描かれてるでしょ? ここがクイの村と開墾した農地だったの」

「開墾した……? という事は元は湿地帯の一部だった場所を田畑にしたのですか?」

 ラゴーフズの問いに頷くだけのミミ。イフスが代わりに口を開く。


「先の大戦前、ミミ様は既に自領内の平地の少なさを危惧しておられました。そこでどうにか平地……といいますか農地を増やせないかを思案し、結果としましてクイ村という専業農村を建設されたのです」

 説明を継いで今度はミミが言葉を紡いだ。

「当時は人口増だったからね。その対策も兼ねてドウドゥル湿地帯の一部土壌改善と開墾を進めてたの。湿地帯のこの辺りは土壌改善が可能だと現地調査に行ってわかってたからね」


 ラゴーフズ達はなんとなく感嘆の息を漏らしている。単純に領主様ミミの政策の一端を垣間見れて、感心したのだ。

 だが、その中でドンは違った。より一段深く、驚嘆とも呼べる感情を抱いていた。

「(湿地帯を土壌改善?! すげぇ……いくら可能な場所を見繕ったって言っても簡単にできる話じゃねぇはずだ)」

 確かに湿地帯の端であれば土壌の水分も少なくなり、改善は可能かもしれない。

 だがドウドゥル湿地帯は表面的な泥水地に留まらず、地中の深いところに食い込むようにして広がっている。


 ほとりに建設されている駐屯村がなぜ堅い砂で地面を固めていたか? それは湿地帯を抜けても、大地の中では地盤が多量の水分を含んでいて緩いために建造時には深く掘り下げ、土から変えなければならなかった事を意味している。


「……その、あの辺りのってぇ事は地図の縮尺から考えやすと…」

 ドンは恐る恐る聞く。そして彼が考えているであろう事が正しいと言わんばかりにミミは首肯した。

「うん、だいたい50km四方。ちゃんと農地としても機能して、最初の収穫も目前だったんだけどね」

 それがどれだけ広い土地であるかは考えなくともわかる。その全てが農地であり、食料生産の拠点となるのであれば、いかほどの収量を得られるかも想像に難くない。

「大戦の時、飛んできた攻撃魔法流れ弾の直撃で、村も畑も一瞬で吹っ飛んじゃってね。なんとかできた大穴は塞いだんだけれども」


「もう一回、作り直さないんッスか??」

 ノーヴィンテンが能天気な疑問をポロっとこぼす。


 ドンは一瞬呆れかけるが、その疑問は彼らからすれば当然だと思い直した。

「資金が足りない、って事さ。他領から食料を買い付けるにも事欠いてるからな」

「ドンさんの言う通り。立て直したいのは山々なんだけどね。それに、仮に立て直せて農地に種をまいたとしても収穫は来年の話になるから、目先の食糧難を解決するには間に合わないの」

 問題を解決するにあたって二つの視点が必要になる。長期的な視点と短期的な視点である。

 長い目で見て将来に対する事も重要だが、目の前で問題が火を上げているのであればそれに水をかける手段を講じなければ将来もへったくれもない。


 今のアトワルト領には、眼前の食糧難に対する策が必要であった。


ーーー


「とりあえず、地理の説明に戻るけれど…。ここがオリス村で、ウチの領内では北東端の村。対して北西はマグル村の次にシトノ村、そしてその次のニアラ村が北西の端ね」

 ドンとメルロが頷く。二人はこちらからアトワルト領内へとやってきたのだ、当然これらの村は立ち寄ってきている。


「そして、シュクリアの西、途中で北と南に街道が枝分かれして南の街道の先にハロイド、街道はずれてその南東の方にイケ村があるの」

「イケ村……っていうのは、聞いた事がないのぜ??」

 ヒュドルチが首を傾げるのに、同意する者多数。


「あ、そっか。ここは村名がついたのがまだ最近の事だから知らない人もいるかもね。実際、ハロイドとシュクリアの間、街道外れた獣道くらいしか通じていないところだし」

「そういえばチラっと聞いた事があった……名の無い村があると」

 エイセンが記憶を頼りにそれがこの村かと納得すると、知らなかった他の者も自分の知識の中に村の存在を入れるようにフムフムと頷く。



「ハロイドとはちょっと高い丘を挟んだ北側にデナが、そこから西側にちょうど枝分かれしてた街道がエミラ・スモー山脈の麓で合流して、西のホルテヘ村に通じてる。ここがアトワルト領内の最西端の村になる……んだけどねぇ」

「? どうか…されたのです、か…??」

 メルロが心配そうに様子を伺ってくる。だがミミは、それを大丈夫と事無げに返す事はしなかった。

「実を言うとこのエミラ・スモー山脈を越えた先も、ある程度まで元々はウチの領地だったんだよね」

 えっ 、と皆が一様にミミを見た。それはミミにしては珍しい、愚痴であった。


「ウチの前領主の頃は、今はゴルオン領になってるところの東3分の1くらいまでが本来の領地。だけど前領主が亡くなって、一時的にココが領主不在の空白地になってた頃にね、周辺の領主達があの手この手でかすめとって、私がこの地を与えられた時には今の感じになってたってワケ」

 しかしそれらの領地削り取りは魔王に認可されていない、いわば違法占有状態にあるというのだから現領主のミミとしてはなんとも苦々しい話である。


「本当ならこの地図に載ってる、3倍くらいの領地があるはずなんだけどね、ウチって。北と東が削り取られちゃってるままだから」

 はぁ、とため息が出る。あるいは体調不良が気持ちにも影響を及ぼし、つい愚痴めいた事をつぶやいてしまうのかもしれない。



「それって取り返せねぇんですかい??」

 ドンの疑問はもっともだ。しかしその疑問の言葉には半分、取り返せない理由を察しているような節も感じられた。


「ん。本当ならこっちとしては取り返してなんら文句言われる筋合いのない話なんだけどね。依然として領有の権利は私にあるし。……ただ、ドンさんなら察してると思うけれど、貴族社会の面倒な関係をクリアするメドが立ってないから真正面から騒ぎ立てると、今だと逆にこっちが潰されかねないカンジ」

 実際、隣のゴルオン領主のドルワーゼは、くらいこそミミに比較的近い中流階級貴族なれどいわゆる “ 嫌な貴族連中 ” にコネクションのある相手。現時点では不法占有を突きつけて真っ向から対立するには、ミミには分が悪いことなのだ。


「悔しいですけど、今はどうにもならねぇって事ですね」

「うん、“ 今は ” ね」

 でも諦めてないよ。といった鋭い意志がミミから感じ取られ、ドンはここでこれ以上その話題に触れるのは良くないと思い、転換する。


「そういえば、この反対の……このガドラ山脈の北麓にあるのはなんですかね??」

「ああ、それはリ・デーゴっていう廃村だよ。前領主が、ガドラ山脈に鉱脈がないか調べるために作った村だって聞いてる。実際は発見できなかったみたいで、かなりの出費を強いた上にその政策をめぐって部下との確執の元にもなったみたい」

 その一つの失策だけが原因ではないだろうが穏やかな気性の領主が部下に殺害されるなど、よほどの事だったのだろう。今となってはその当事者は誰一人としてこの地には残っていない故、真相を知る事はできないが。


「一番近いサスティからも100km以上の道のりだからね。領民の居住地としても不適格で、私が領主になった時にはもう廃村になってたし……」

 途中で言葉を切るとミミは少し考える素振りを取った。


「ミミ様? 何か……」

「ん、ちょっとね。まぁリ・デーゴ廃村はそんな感じのトコロ。それで、この地図でいう南西、この辺りがイクレー湖ね」



―――――イクレー湖


 それは幅およそ300kmにも及ぶ巨大な湖であり、その一部はアトワルト領内にかかっている。

 しかし最寄の街であるハロイドですら、湖畔までは直線距離にて50km程も離れており、現在はもちろんの事ながら、前領主の時代にも領地運営において活用された事はなかった。



「そういえばミミ様。以前ハロイドの街にイクレー湖絡みで何かご指示をなされたとか仰っておられませんでしたか??」

「よく覚えてたね、イフー。うん、あの時はまだ予定は未定って感じだったんだけど先日ハロイドの町長さんから連絡があって、街の方は・・・・私がお願いした通りになんとかできそうだって言ってたから」

 その話を聞いてメルロとドンが軽く顔を見合わせてから、二人してミミの方を伺った。


「何か…新しい、ご施策で、しょう、か?」

「オレらに出来る事がありやしたら、なんでも命じてくだせぇ」

 まだ付き合いはさほど長くないとはいえ、先の反乱騒ぎを経た事で二人の意欲は高まっているようで、ミミが何かしら次の手を打とうとしている事を聡く察する。

 さすがにラゴーフズ達はまだそこまでには至っていないが、ドンとメルロの様子から遅れて察するものがあったのだろう、続くように名乗りでた。


「ん。頼もしいねーみんな。そのうち指示を出す事になると思うからその時はよろしくね」

 イフスやドン、そしてメルロは前々から仕える者としての意欲は十分であったが、ラゴーフズ達もやる気に満ちた良い表情をしている。が――――


「(カンタルさんは、やっぱりまだ引きずっている感じかー、うーん……)」

 会話の中に “ 貴族 ” というワードが出るとカンタルだけはやや表情を曇らせる。どうしても家族の事を思い出してしまうのだろう。


 正直なところ、ミミとしてはどうにもしてやれない。

 貴族社会からすればただの・・・おイタの被害者のことなど、省みられないのが当たり前だ。万を超える魔界の諸侯のうち、カンタルの身の上を知って同情や力添えを名乗り出てくれる者など1割もいないだろう。

 例えばミミが、カンタルの家族を殺した貴族を締めあげんと根回しすべく、他の貴族に接触して彼の事情を話したところで “ はぁ? それがそんなたいした事か? ” とせせら笑われて終わりだろう。


 権力と立場ある者がいちいち領民一人の事情に踏み入り、個人的な問題を手取り足取り解決しようとするのは大いにマズイ事である。


 勧善懲悪に沿って悪しきを糾弾して弱き民を救うはなるほど、美談にはなるかもしれない。

 しかし、もし本当にそんな事をすれば、我も我もと救いを求めて殺到するような事態を招く。その全てを千切っては投げて容易く解決できるならば、それでもよいかもしれない。


 ところが、実際には一件カタをつけるだけで時間も労力も恐ろしく消費するし、そうは簡単にはいかないケースが大半だ。

 暇を持て余した権力者や有力者が正義感から世直し旅をするのとはワケが違う。


 為政者が個人の問題にイチイチ関わっていては政治が滞り、領地の諸問題を悪化させ、結果としてより多くの領民に不幸が訪れてしまう事になる。


「(さて…どうしたものかなぁ――)――じゃあ、早速だけど……カンタルさん、それとイフーに……うん、フルナさんにもお願いしようかな」

「は、はい。なんでしょうか、ミミお嬢さん?」

「ご用命でしょうか、ミミ様?」

「はーいアトワルト様。ボク……っとと、わたくしもなんでもやりますよッ」

 とにかくカンタルには心の静養が必要不可欠だと考え、命を下す事にする。


「3人でサスティの町とウオ村に行ってきて欲しいの。ナガン方面からの行商人や旅人の流れを調べてきてくれるかな」

 アトワルト領において現在一番の頼みの綱はお隣さんであるナガン領だ。

 いずれは食料を領主よしみで融通してもらう手を打つつもりではいたが、しかして貴族同士ゆえに決して頼り過ぎてはならない。

「(向こう任せに投げちゃうと問題解決どころか過剰な量を送ってきそうだし)」

 二人の間ではそれでよくとも他の貴族はそうは見ない。

 第三者に付け入る隙を見せてはならないのだ。


 それゆえナガン領はメリュジーネ候への食料援助の要請にしても、やり方や分量はキッチリとこちらから指定してお願いしなければならなかった。


「(南東街道からの自然な流通さえまだ良好なら長期的には改善の兆しも難しくないんだけれど、もし人と物の往来に問題ありだとすると、いよいよあの計画を実現させないとダメだし……うーん)」

 何か新しい事を行おうとするにあたり、失敗を補填するための保険はいくらかけてあっても困らない。だが、その保険がまったくないというのは苦しい。



「(変わらず綱渡り、かぁ。はぁ…なかなか想定通りにはいかないなぁ)」




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