第1章2 来訪する者達


「突然の訪問をお許しくださいご領主様」

 応接間の椅子の前でようやくフードを取って挨拶する来訪者。その正体は若くて線の細い男性だった。


「人間の方……でしょうか? ご用件を承りますわ」

「はい、自分はさまざまな土地を見てまわってまして。ぜひこの地のお話をうかがわせていただきたいと思いまして」

 ミミは少しだけ訝しげに男の顔面かおおもてを観察した。俗に言う優男イケメンではあるが、異性としてその容姿が気になったわけではない。


 ハッキリ言ってしまえば男を怪しく思っていた。


 サッパリとしたありきたりな短髪のヘアスタイルに、アルビノの髪色。加えてその肌は色白で旅して回っている者としては妙に綺麗に過ぎる。

 病弱めいた儚さとでもいうのか、こういった雰囲気の男性は妙齢の女性にウケがよく、自分が世話してあげたいと悶えさせるタイプだろうか。


「(……はぁ、あからさまだな~。よりにもよってこんなに早く “ 契機 ” がやってくるなんて)」

 領地を治めている以上は、いつかはやってくる為政者特有のトラブル。そのきっかけは様々だ。為政者の汚職の表面化だったり、領内で大事件が発生したり、為政者を追い落とさんとした悪意ある者の接触であったり……


 ウサギ耳を前後に軽く揺らし、何度か左右に向ける。

 館の内外に音がしない―――自分達二人以外周囲には誰もいない―――のを確認すると相手にも座るように促しつつ、自分も装飾の寂しいソファーに腰掛けた。



「この地の事をうかがいたい…とおっしゃいましたわよね? その理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 にっこりと笑顔を浮かべるミミに、男は軽く会釈をしてから椅子に腰掛ける。体重が軽いのか、ほとんど沈み込まないソファー。

 両手を自分の脚の上に軽くのせた座り姿は一定の品格を感じさせる。


 仮にも領主である自分が促したというのに、遅れて座るのは失礼に思えたが、苛立ちを覚えるほどではない。

 ミミは男の腹の内を見通しているわけではないが 大筋は見えている・・・・・・・・。なので見通されている事に気づいていない彼の動向は、そのいっさいが滑稽に見えてむしろ面白くすら思えた。



「まずは自己紹介を。私はドミニクと申します。“人間族の男” で、さきほども申し上げました通り、各地を訪ねてまわっておりまして…」

 そう言いながら荷物より小さな本を取り出す。さして厚くはないが上質な作りを思わせる表紙。しかしタイトルはない。


「風土記や偉人伝などを執筆しているのです。恥ずかしながらまだ学者見習いでして、お聞きしたお話を本などにまとめられるかはわからないのですが」

 嘘も下手過ぎると気づかないフリをするのも一苦労だ。


 一見するとメモをする体勢のドミニクだが、書く内容はミミから聞いた話ではないだろう。

 歪曲した、悪意に満ちた嘘の創作に違いない。



「(本当に気づかれていないと思っているんだなぁ。“ あちら ” の工作員も間が抜けてるというか……)」

 本来ならばこの場で即捕縛してしまうのが望ましい。だが彼女はこの機会をおおいに利用したいと考えている。


「なるほど、そういう事でしたら確かにその土地の領主に話を聞くのが一番だと思いますわ。ですが…」

 ミミはそこで言い澱んでみせた。が、それは演技だ。あえてそうしてみせるのは彼女の、このドミニクという男を利用するための算段によるものだった。


 彼女の考えでは、この男の訪問が一つのきっかけとなって想定する事態の一つが動きはじめるはずだ。それはミミにとって時期が早すぎではあるが、望むところでもあった。



「(……こうして欲しいと望んでも相手はその通りに動くものではない。腹に黒いものを抱えた来訪者が平和的に接触してきた場合ケースは、自身の印象具合をうまく誘導するのが最良。…だった、よね?)」

 学園を卒業する際、父の爵位をすべて継ぐために “お世話になった” 魔界の古い大権力者。

 彼に教わった、対人に際しての建前と本音を使い分ける事貴族の基礎の講釈を思い出す。ミミは気持ち声を沈め気味に、全身に弱々しい雰囲気をにじませながら話だした。


「お恥ずかしながらわたくし、この地に赴任してまだ日の浅い領主ですの。自身の領地といえど、まだ隅々まで把握しきれておりませんわ。たいしたお話はお聞かせできないと思うのですが……」

 半分は嘘だった。そしてもう半分は真実である。


 彼女が今後見通している筋書きを実現させるためには、彼に、自分に対してほどほどの低い評価を抱かせなければならないのだが――――そこまで考えて、彼女は目を伏せる。


「(私がはかりごとのための演技とか、らしくない事してるなぁ。…お父様もこういう苦労、してたのかな?)」

 亡き父を思う。彼が存命していた頃は一人娘として、中流貴族の令嬢として何も考えずどれだけ気楽に日々を過ごせていたか。裏で、領主だった父がいかに自分のためにがんばってくれていたのか、その苦労をいまさらながら思い知った気がした。



「いえいえ構いません。ご領主様にお話を聞かせていただける、それが大変ありがたい事ですから」

「そうですか? では…そうですわね、何からお話すべきでしょうか、まずは―――」

 語りだすミミ。ドミニクは笑顔を見せながら話の内容をメモしようと本を開き、ペンを手にとった。



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「はぁ~、疲れる。まさか “もう” アプローチしてくるなんて。どうしよう、準備なんて全然できてないのに」

 ドミニクが帰り、閉じたばかりの玄関の扉を眺めながら、めんどうだなぁと呟く。イフーが不在であったのは幸いだが、ミミにとってこのドミニクの訪問は正直なところ非常にタイミングの不味い状況だった。


「イザという時…イフーはまぁ大丈夫だろうけど、かといって私一人じゃあ説得力に欠けるだろうし、誰かもう一人くらい人を雇う? ううん、それだと巻き込むの前提なわけだし…」

コンコン―――

 思考を巡らせていたミミを現実に呼びもどすように、扉を叩く音ノックが鳴る。彼女は驚いて一瞬だけ両耳を真っ直ぐ立てた。だが慌てることなく咳払いをして、十分に落ち着いた事を確認してから扉に近づく。



『恐れ入りますが、どなたかいらっしゃいませんでしょうか?』

 鼻につくようなやけに丁寧に過ぎた口調。イフーが帰ってきたわけでも、いましがた帰ったドミニクが踵を返してきたわけでもない、新たな来訪者のようだ。


 ミミは目を閉じると肩を上げ、そして下げた。豊かな胸が上下するほど大きな深呼吸を繰り返し、念入りに己の精神の平静を確認すると、小さくよしっと声をあげてから扉を押し開ける。


 高さ10mもある両開きの扉は片方だけでもかなりの重量がある。巨人族など種族的に大柄な者が存在する世界の領主の館は、あらゆる来訪者を想定した作りとなっている。

 彼女の力でも両開きに開け放つ事は可能ではあるが、ミミはあえて片方のみをいかにも重そうにゆっくりと開いていった。


「おや、これはこれは。ご領主自らのお出迎えとは、恐れ入ります」

 人一人が通るには少し開きが足りない。が、ミミはそれ以上扉を開けるつもりはなかった。


 扉の向こうにいた男性は恭しく礼をしていたが、あからさまに怪しい風貌なのだ。もし第三者がこの場を見て一言感想を述べるなら、さしずめ親の不在中に留守番をしていたお嬢さんと、悪徳セールスマンの邂逅かいこうといったところだろうか。


 一目で領主と認識した相手。自分の事を知っているような男の口ぶりに対してミミの表情がいかにも訝しげで、それがよりか弱い美少女と悪徳商人の図式を際立たせている。



「……申し訳ありませんが、どこかでお会いした事がありましたでしょうか?」

「ハハハ…ま、覚えていないのは当然ですか。3年前、貴女様がこちらに赴任なさる出立の日に遠目にてお伺いした程度ですからね」

 記憶を辿ると確かに見送りの雑踏の中にこんな奇妙な姿の男がいたような気がする。彼女は確認する意味でも改めて男の容貌を観察した。


 ミミを完全に上から見下ろせる、自分の空を覆い隠されそうなほどヒョロっとした長身。痩せこけた頬に、終始不敵な笑みを浮かべる口元と、鋭い目の印象を中和するような丸メガネ。胡散臭くはあるがインテリっぽさを思わせる顔立ちだ。

 頭はオールバックにして先端で宝石のついた髪留めで結び、上に向けて固めてあるが先端近くで折れ曲がり、まるで魔女の帽子の角のように見える奇妙なヘアースタイル。


 割とガッシリとした胸板に対して、ゆとりなくピッチリと張り付いているスーツはオレンジ色で非常に目立つ。開いた胸元から、裏地のグリーンカラーがわずかに見え隠れしていた。


 靴はハイヒールを履いているようだが、よく見るとヒール部分が異様な捻じ曲がり方をした、絶対に歩きにくいであろう独特のデザインだ。ミミも社交用に愛用しているような女性用のハイヒールとは明らかにデザインが異なる。むしろそんな靴をどこで見つけてきたのか気になるくらいの奇妙極まる足回りだ。


 腰のベルトにはカブをくり貫いて作ったような形状のランタンが掛かっている。

そのデザインは正当な純正品というよりも、怪しげなパチもの臭が漂っていた。


「こうして直接お話するのは初めてとなります。わたくし、魔界の商人でオ・ジャックと申します。どうぞ気軽にジャックとお呼ください、ミミ=オプス=アトワルト侯」

 

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「ミミ様、ただいま戻りました。今日はお安く野菜が買えまし―――。これは失礼致しました、来客中とは存じ上げず…今すぐお茶をお持ち致します」

 ニコニコと朗らかな少女の一面を覗かせながら機嫌よく帰ってきたイフーだったが、感情を押し隠してすばやくメイド然たる態度へと豹変する。

 その様子にオ・ジャックは口元を笑ませながら、お気遣い無くと短く断りを入れた。


「ジャックさん、紹介いたしますわ。この娘はルオウ=イフス、この館のメイドで、私の唯一の部下でもありますの」

「ほう、それはそれは。…なるほど、なかなかご苦労なされているようですねぇアトワルト候は」

 ジャックの言葉にイフーはムッとする。まるで自分が部下として至らない者で、それでミミが苦労していると言われたように聞こえたからだ。

 だがミミは違う理由で少し眉をひそめていた。言葉をもう少し慎重に選ぶべきだったと後悔したのだ。


「(今の一言でまた……。ジャックかぁ、めんどうな人がやって来たなぁ、も~…)」

 ジャックが同情したのは、ミミの “ 私的な部下の少なさ ” にだ。


 ドミニクと比べると風貌からして怪しいジャックには、警戒し張り詰めすぎてしまって対話でのミスが重なる。

 来訪以来、ジャックはミミとの対話の一言一句から多くの情報を得ているようだった。可能な限り長居をさせてはならない類の客である。



イフス・・・、お茶はもういいのでお見送りをお願い致しますわ。ちょうどお帰りになるところでしたの」


「…! かしこまりました、ミミ様」

 ミミが丁寧な口調を使うのはさほど親しくない、あるいはそう会った事のない相手と話をする時や領主の公務などの時だけだ。貴族出身者で幼い頃から身に付けた言葉遣いやマナーが無意識に出る。


 しかし意識的に言葉を選ぶ時がある。その一つがイフーの名前。

 愛称ではなく、あえて “ イフス ” と正確に呼ぶ……それはこの来訪者の前で己の普段を、素を見せない――――つまりはジャックという人物を信用できない相手として強く警戒している事に他ならない。


「ぜひとも末永くご贔屓のほどよろしくお願い致しますよ、アトワルト侯」

「そうですわね。ですがそれは、今日のご依頼をしっかりと果たしていただけたらのお話ですわ」

 にこやかだがミミの視線にはピリッとしたものが含まれている。

 イフーも主に倣って笑顔をたたえてはいるものの、場合によってはいつでも目の前の男に攻撃できるよう、両足の位置を微調整していた。


「もちろんでございますとも。商売ですからね、手抜かりはございませんよ。では」

 イフーが玄関の扉を開くと、ジャックは軽やかに館の外へと歩を進める。しかし数歩のところで立ち止まり、見送るミミとイフーの方へと向き直った。


「足を運んだ甲斐がありました。あのような小動物ウンヴァーハ如きには勿体ない、とても比肩できないほど優れておられる御方と確認できましたので。私は貴女ミミの味方をさせて貰いますよ、ミミ=オプス=アトワルト侯」

 その言葉の意味を理解できるのはミミだけだ。

 推測はしていたが、やはりワラビット族である自分を狙う貴族の差し金―――しかも学生の頃の、一番嫌な相手の。


 彼女の学園時代を知らず、その辺りの事情がわからないイフーは、ジャックをますます変人奇人の危険人物と見なし、早く帰れとばかりに睨みつける。その姿が見えなくなり主が館内に戻る後ろで、外に向かって塩を振りまくほどに毛嫌いしていた。









 木々がざわめく。



 日が落ちて間もなく、いまだ当たりは薄っすらと明るい。しかし世界からは夕暮れの赤色は失われ、変わりに夜の帳の深い青に色づいて、闇の黒よりも暗さを強調しているように思えた。


 周囲に人工の輝きはない。人里離れた林道は、片側を生い茂る木々が壁のように塞いでおり、グレートラインの山並みが見えない。反対側は田畑が広がっていて見通しこそよいが、家屋の類は見えず人気ひとけは一切ない。


「ッし!!」


バキャンッ!!


 薄手だが幅広の刀身を持つ両手剣が、鎧の肩口を叩いて金物特有の金属音をたてる。攻撃手は温暖な時期にあっては似つかわしくない、厚手のマフラーで顔の下半分を覆い隠し、その表情を対峙するものに悟らせない装いをしていた。


「(俺の剣が……まるで通らないとはな。フルプレートではなさそうだが)」

 冷や汗が流れた。

 いかに鎧に身を包んでいようとも、渾身の一撃は鎧の装甲を通して衝撃を伝える。鈍器類ほどではないにせよ、重量のある大型の刀剣類に己の力が加われば、十分な伝播ダメージが相手に入るはずだった。


「どうした。もうおしまいか?」

 その声に威嚇も威圧も感じられない、まるで平静そのものだ。むしろ親しい友人と相対しているかのような優しさすら感じられる。


「くそ…がっぁ!!」

 丸腰の相手に、武器を持つ自分がいつまでもしり込みしていられない。そう思ったのか、彼は男に対して無謀な突撃を敢行した。が―――――


 ズブシュウッ!! …ドサッ


 真っ直ぐに突き出した剣先は、男の肉体どころかその鎧にすら触れることなく空中に制止し、そして大剣はそのまま地面へと落ちた。……彼の者の両腕と共に。


「イムルンか? 余計だぞ」

 男が無造作にマントをひるがえす。

 その動作は余裕と、興がそがれたという乱入者への “おとがめ” の意が篭っていた。

 自身の腕を切り落とされた男は、左右より現われたしなやかな身のこなしの女二人に目を奪われる。まるで鏡写し……双子かと思った矢先、二つの姿が目の前で一人へと集束していった。



「そー言わないでくださいよ。メイドさん達、めっちゃ慌てふためいてたんですよー? 急いでウチに御大将の後を追ってくれって使い魔がやってきて……、メチャ急いできたんですからー」

 両腕を失った上に、女はどうやら敵の援軍らしい。そこまで判断すると男は目にも止まらない速さで後方へと飛びのいた。だが―――


「<蜃気楼の悪戯オアシス・プレイ>っていうんだけどねコレ? 悪いけどさー、アンタ逃げられないよ。手ぇ出した相手がわ・る・す・ぎ♪」

 いつの間にか後方にいた女は、発言にあわせて立てた人差し指を左右に振る。男がなんとか状況を打破しようと動きかけた刹那、彼女は予備動作なしで彼の両膝に短剣を穿った。


「ぐがぁぁぁああ!!! ぐ…くっ、な…ん、だと…っ、くそ。この俺がっ…こんな、こんなところでぇえぇ!!!」


 ザシュウッ!!


 何もかもかなぐりすてて逃亡を試みたものの、男は1mも進まぬうちにその身が二つにわかれて、無残にも地面へと落ち転がった。



「酷な事だ。殺す必要もないだろうに」

 転がった首を無造作に蹴りあげる女はケラケラと笑う。別に死体殴りの趣味はなく、顔を隠していた相手の素性を確かめる意味で覆っているマフラーを取らんとしただけなのだが、頭部はまるでサッカーボールのように空中で踊り、そして再び地面へと伏した。


「ほらー、一応はお忍びなんでしょー? お顔とか見られて生かしとくのってあんまよくないんじゃないんですかね、魔王様?」

 皮肉気味に様付けされて、彼はまいったなと頭をかきむしる。そう、男は魔王―――魔界側最高指導者その人であった。


「落ちぶれた山賊相手とはいえ、久々に荒事に遭遇したのだ、もう少し楽しんでいたかったんだが」

「ありゃま、それは失礼しましたー。でもさすがに供なしでこんなトコを無防備にトコトコ歩いてたらそりゃみんな心配しますって、こういう輩山賊もいるんだしー」

 普段から自分達の御大将にそういうところがあるのは彼女も知っている。ご身分から考えればまずありえない。一人でフラフラと出歩いてはたまに地上にも遊びに出てくるお茶目な御方。


 側務めの面々からすれば気が気でないだろうが、彼女イムルンはわりとそういう魔王主人が気に入っていた。




「んで、こんなトコで一体何してたんですー?」

 山賊の死体の処理を終えると同時に、彼女は聞いてくる。

 その瞳には軽率な行動を取る上司を諌める意志はなく、好奇心と無邪気さの輝きを宿しており、自分も仲間に入れてほしいと訴えかける。


 イムルン=ヴラマリー。


 彼女は悪戯好きの小悪魔族グレムリンで、地上に常駐する魔王直轄の部下の一人だ。


 普段は自由気ままに好き勝手行動しているが、いざ命令が下れば誰よりも忠実な部下となる。いやむしろ命令を与えられた際には己の人格すら投げ捨て、任を遂行する事のみに全身全霊を傾ける、人形かと思うほどストイック化すほどである。


 高い忠誠心の持ち主―――しかし基本はグレムリン族によく見られる奔放で悪ふざけが好きな性格だ。実際、地上ではかなり好き放題に遊びまわっているらしく、報告書など何年かに1度送られてくればいい方だった。



「お前が予想している通り遊び目的だ。といっても…お前に命令を与える可能性がある方の遊び、になるだろうがな」

 一見すると猫にも似た彼女の大きな両耳がピクリと動く。途端に真面目な顔へと変わり、目を伏せ、その場に片膝をついて敬服の態度を取った。


 もはや下着ではないかというほど丈を切り詰めきった短パンが艶めかしい股へと食い込む。サイズが小さいのか前のボタンを止めずに開け放っており、あと数mmズレるとはしたない絶景が見えてしまいそうなほどギリギリだ。魔王の側からは見えないが、あの体勢ではお尻の肉は完全にハミだして痛いくらいだろう。


 胸元もほぼ8割が露出するような軽装だ。自身の乳房の下部がおさまらないほど丈を短くした上着ジャンパーを、やはり前を止めることなく羽織っている。上下とも下着はつけていない。


 同僚がなぜ下着を付けないのかを聞いた時、付けないほうが動きやすいのと異性との色事いざという時に便利だからと答えたらしいが、実際きわどい隙間にもそれらしい布地が見え隠れしていない。



「態度と服装がミスマッチだ……まぁ目の保養になるから悪くはないか。楽にしていいぞ」

「はーい。必要なら言ってくださいよー、ウチはいつでもオッケーですからー」

 閨の供いとなみで、という事だろうがとりあえず魔王にその気はない。


 そういう事が嫌いなわけではないが、単純にあらゆる種族のどんな個人よりもはるかに長い時を生きている彼に、性的なものに対してがっつく必要はない。また己の立場はいつでも引く手数多なのだから、異性ごとで困る事は一切なかった。


「地上には不慣れだが特に行き先が決まっていたわけでもなくてな。 “この姿” にもまだ慣れていない。少しばかり慣らしながら各地を転々としようと思っていたところだ」

 魔王の “今回の姿” は、ほどほどの体格を有する魔族の若者だった。

 若者といってもそれなりに経験を有した成熟者らしい精悍な顔立ちで、性格や口調はおろか実力のほども容姿相応なものにすべく、今も意識して最高峰たる存在感を抑えている。


「んじゃ、ウチが案内しますかー? このあたりはけっこー長いこと…えーと、ひーふーみー…ん、丸10年はうろついちゃってますんで、だいたいのトコは案内できますよー?」

 確か前回の報告書を送ってきたのも10年前だったなと思い返し、それ以来ずっと遊びまわっていたのかと半ば呆れる。だが今はそれが役立つかとポジティブに考える事にすると、魔王は旅装束のマントをひるがえして歩を進めだした。


「なら、まずはこの辺りの地理について教えてくれるか?」

「はいほーい。まず今いるのはダヌク領。ケント=アバート=ダヌク様が治めてる領地ですねー」

 やや年を召した鳥獣人族バードマンの貴族だ。


 基本、地上は若い領主が多く、年をかさねるほど魔界本土に篭りたがる者が多い。そんな中にあってダヌクは珍しく、新天地である地上の治世にこだわった者だったと魔王も記憶していた。



「挨拶くらいはしとくべきなんだろうな」

「でもお忍びでしょー? 挨拶にいった途端、魔界からのお迎えを呼び寄せられちゃいますよきっと。ダヌク様ってけっこーその辺堅苦しーし」

 せっかく来たというのに、すぐさま帰ることになるなど魔王自身まっぴら御免だし、ダヌクのそういう性格も知っているので最初から訪ねる気はない。

 しかし、のんびりしていると向こうに見つけられてしまう可能性もある。早いところこの辺りから離れたほうが無難だった。



「ここから近いのは?」

「南のナガン領ですねー。この辺りはちょうどダヌク領の南端で、歩いたって1時間もかからず越境可能ですよ」

 それはこの二人にしてみれば、気持ち少しばかり走るだけで5分とかからない距離である。


「のんびり歩いて楽しむためには、先に面倒なのに会わないで済むような落ち着ける場所に移動したほうが良いか。仕方ない、いくか」

「はーい。じゃ、人目につかないルート選びますんで、ウチについてきてくださいなー」


 トンッ


 イムルンは片足で垂直に小さく跳ねた。僅かでも動けば恥部が見えるほどの軽装も、直立不動の時と同じく、まるでズレたりめくれてしまったりする事はない。

 そして彼女の足先が再び地に着くと同時に、二人の姿は掻き消える。


 その場から誰の姿もなくなっておよそ1秒の間を空けた後、彼らが走り去った方角とは逆方向に二筋の土煙が流れた。


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