だからお兄ちゃんって呼ぶな

「なんで栞ちゃんがこの町に? というか何故日本に?」


ナンパ野郎を適当に追い払い世間話と洒落込む。


ナンパ野郎…最初は引く気はないと一瞬突っ掛かってきたが、俺を見た瞬間にそそくさと即座にその場から消えた。そこまで過剰な反応しなくてもよくない?


「いやぁ、そういえば日本の夏休みの時期って今ぐらいだなって思って…だからお兄ちゃんのところに遊びに来ちゃいました!」


「へー…いや、だからお兄ちゃんって呼ぶなって…」


なんでここまでお兄ちゃんと呼ぼうとするのか…本当に勘弁して欲しい。


「えーいいじゃん!」


「アホ…暦的には栞ちゃんの方が歳上だろ? 俺が五月生まれなのに対して栞ちゃんは四月生まれだし…」


そう、だからお兄ちゃんと呼ばれたくないのだ。

なんというか…違和感が凄い。コレじゃない感が半端ない。


「それに昔は俺のこと弟君って呼んでたじゃん。どうして急にお兄ちゃんだなんて呼んでるんだよ」


昔…と言っても小学校中学年ぐらいだが、その頃栞ちゃんは俺のことを弟君と呼んでいた。

なんでも歳上を敬えとかなんとか…例え数週間でも私の方が早く生まれたんだからお姉ちゃんと呼べと言っていた。それなのにどうしてこんなことに…。


「いや、ね? どう考えても私よりお兄ちゃんの方がちゃんとしているし、私はお兄ちゃんに色々と世話してもらった立場だよ? なのに弟君だなんて蔑称で呼べるわけないじゃん。俗に言う妹堕ちをしたわけだね」


い、妹堕ちって何…? そんな混沌とした概念知りたくなかったんだけど…。


「というか弟君が蔑称ってどういうこと? 別に普通の呼び名じゃないの?」


気になっていたことを聞いてみる。何故弟君という言葉を蔑称と決めつけているのだろうか?


「いいかい、弟…という言葉の語源は色々とあるけれどその中の一つにおとと、と呼ばれるものがある。おととには複数の意味があり、魚のことだったり、そのまんま弟だったりするけれど、そもそもの意味としておととは劣ったという意味を有している。…尊敬するあっくんをそんな言葉で呼ぶことは出来ないでしょ? だからお兄ちゃんって呼んでいるの」


「へー…」


割とちゃんとした理由…なのか? わ、わからん…。


「まぁ現代ではそんな意味で使われていないから、普通に弟君って呼んでもいいんだろうけど…一度知ってしまった以上使いたくないなと思ったのよ。だからお兄ちゃん、兄は自分より上の存在に使うべき言葉らしいからね」


「わ、わかったよ…でもお兄ちゃんとは呼ばないでくれ、本当に…」


栞ちゃんなりに俺を立ててくれているのはなんとなくわかったが…それでも違和感が凄い。…ので、申し訳ないがどうにか出来ないだろうかと頼み込む。


「んー…そんな顔されちゃ仕方ないわね…。じゃああっくんでいい?」


「お、おう! それで頼む」


栞ちゃんが俺を弟君と呼ぶ前の呼称はあっくんだ。さっき少し漏らしていたが、この呼び名も覚えていてくれたとは…。


「それで? あっくんはお出かけ中?」


「おう、愛菜と一緒にな」


隣にいる愛菜の頭にポンと手を置きながらこれまでの経緯を話す。と言ってもそんな長くはないけどな、数分で話せる程度だ。


「なるほど…それでこれから古本屋に行くわけか…じゃあ先に家で待ってるから鍵貸して」


「あー…うん、いいよ」


これはアレですね…多分栞ちゃん俺の家に泊まりますね…。

…まぁいいか、栞ちゃんなら変なことはしないだろう。


束ねてあるキーホルダーの中から家の鍵を取り出して渡す。…一応サブキーは玄関に隠してあるので失くされてもなんとかなる筈だ。


「ありがとー、それじゃあね〜」


栞ちゃんは鍵を受け取った後、すぐに行ってしまった。…うん、なんか栞ちゃんらしいな。


「まさかのまさかでしたね…」


「あぁ、マジで…」


急にやって来るんだもんな…事前に伝えてくれれば招く準備とかもしたのに…。


「…まぁ、取り敢えず古本屋に行くか」


「…え、どうしてですか?」


愛菜がビックリしたような顔をしている。…何故?


「折角栞さんが来たのに…私と古本屋に行く約束なんていつでも出来るんですから、そっちの方を優先するべきじゃないんですか…?」


「や、でも…先に約束したじゃん。それなのにその約束を放って後から来た奴を優先するわけないだろ?」


例え遠い場所から遊びに来たとしても先の約束を破る理由にはならない。だって悲しいもんな。

少なくとも俺はそうされたら気分が悪い…俺の方が先に約束したのになんでと思ってしまう。だからやらない。


「それに栞ちゃんもそれがわかっていて俺に鍵を要求したと思うしな。栞ちゃん頭良いから」


そういう気遣いにも考えが至るというわけだ。実際IQどんくらいなんだろうな…多分180はいっていると思うけど…まぁそれはいいや。


「んなことより古本屋に早く行こうぜ。俺もちょっとワクワクしてんだよなぁ」


「………はいっ!」


爛漫と愛菜は笑顔を浮かべる。…この子の笑顔はいつ見ても眩しい。



愛菜と出会ったのは俺が小学校入りたての頃…この子は赤ん坊として俺の家にやって来た。


その頃、親父はずっと家に帰らず、家には母と姉と妹しかいなかった。そんな中で新しい妹が出来た。


最初、俺は普通に愛菜が親父と母さんとの子供だと思っていた。当然だよな、それが当たり前ってやつだから。

時が過ぎ、それが間違いだと気付き…妹と姉が愛菜とぎこちなく接しても…俺は何故か愛菜を自分の妹と認識出来ていた。


理由は…多分ずっと俺が愛菜に構っていたからだ。


突然俺の家にやって来た赤ん坊、脆弱でか弱くて…絶対に守ってあげなきゃと思わせる愛嬌がその赤ん坊にはあった。


母さんが世話している中、俺も手伝うと愛菜に構い、いずれ俺が主体となり…それからずっとずっと俺が世話して来た。


可愛いのだ、赤ん坊は。世話をしたくなるのだ。


泣いていたらどうしたのって聞きたくなるし、泣き止ませたくなるし、笑ってくれたらそれだけで幸せになる。

例え夜中が酷くても赤ん坊だから仕方ないと思えるし、俺の存在が赤ん坊の心を和ませられていればそれでよかった。


多分俺は赤ん坊が好きなんだと思う。確かに世話は大変だし、やめたいと思ったことはあるけれど…それでも好きという感情は覆らなかった。


赤ん坊は守る存在だ。健やかに育って思う存在だ。だから、ずっとずっと世話をして来た愛菜には幸せになって欲しいと思っている。


古本屋に行く道を二人で歩く。兄弟としてきっと俺達は歪だ。

色々と歪でおかしくて、狂っていても…それでも俺達は繋がっている。強固な絆という関係で。


「愛菜、迷わないように手でも繋ぐか?」


「もう! 子供扱いしないで下さい。…でも手は繋ぎます」


二人で手を繋ぎ、町を歩く。

きっと、誰も…俺達のことを兄弟として見ていないんだろうなと…客観的に見てそう思った。

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