やぶさかではないわ…!

暫く時間が経ち、先生は顔を拭う。もう涙は晴れたようだ。


「…本当にありがとうございま…ありがとうね、名取」


どうなら俺が誰であるかということも気付いているらしい。というか俺の名前覚えていたんだ。担任でもないのに凄いな。


「今更取り繕っても無駄なんで、変に威厳とか出さないでいいっすよ」


凄いとは思っていても…ここまでぶち撒けられて威厳を出されてもなぁ。正直先生のことはもう純粋に先生とは見られないな。脳裏にゲロをぶち撒けた人って認識がこびりついている。


「…あのね? そうでもしないと精神が壊れちゃうから…人に、それも生徒にここまで恥を晒したという事実に耐えられないから…だからここはスルーしてくれるとありがたいなぁ…」


「あ、ふーん」


そういうことなら仕方ない。精神衛生を守るためというのなら先生ロールに付き合うのもやぶさかではない。


「……こほん。…まさか君がお隣さんとは思ってもなかったよ。いつからここに?」


「えー…大体一ヶ月前くらいからっすね」


「ふむ、その時期は新入生関連のアレコレで死ぬほど忙しかったからなぁ…お隣に入居者が来たのはわかってたけど、意識は出来てなかった…なんなら記憶も曖昧だなぁ」


いったいこの人はどれだけ仕事を割り振られているんだ。もう少し断ろうよ。

だから先生はいつも死んだ目をしていたんだな…過労って怖いね。ブラック企業は滅べ。


「……あんまり生徒の近くに住むというのはよくないのだろうけど…まぁいっか。言わなきゃバレないだろうし…それで? どうして名取…名取君は一人暮らし…だよね?」


「うっす」


「ありがとう。…一人暮らしをしてるの? 高校生で独り立ちって結構珍しいと思うけど…」


ふーむ、聞かれたがぶっちゃけ正直には答えたくはないな。

まだ出会って数日だし、先生への好感度はぶっちゃけマイナスに近いプラスだ。

…ゲロをね? 部屋中にぶち撒けられたらそりゃそうなるわ。


なのでなんとか誤魔化したいが…どうしようか。…よし、この手を使おう。


「あー…実は俺の親ってとある会社の社長でして…それを将来継ぐ俺がいつまでも子供気分では困ると、自立心を鍛える! とか言って親父がこの部屋を与えたんです」


これは半分本当、俺の親父はガチでとある企業のトップだ。しかも上場企業。

社員数は百人を軽く超え、幾つもの企業を傘下にしているらしい。


らしい…と、他人事に言うのには理由がある。

というのも親父は俺に会社を継がせるつもりなどなく、会社経営に俺の家族にも関わらせるつもりない。だから詳細な仕事内容は知らないのだ。


多分俺達に関心がないのだろう。心愛が大変な時も放置していたし、母さんが浮気をしているのも把握しているのにも関わらず止めもしない。別にそれが悪いわけじゃない。それにはちゃんと理由があるからな。


俺の親父はまるで機械のような人間だと思う。社会全体の流れ、皆がそうしているからという理由で家族という団体を作ったのだろう。それが世間一般の当たり前だからな。

そしてそれを扶養するのが父親の役目だと思っている。その他のことには一切関与しない。


そういうところがあるから母親は元友人に愛を求めたのだろう。…でも、多分そうすることが親父にとっての愛だったんだと今更ながら思う。

あの人は多分これまで本当に好きになる人を見つけることが出来なかった。母さんのことも家柄がいい女としてしか認識してなかったと思う。母さんは昔偉かった人の血を引いているらしいしな。俗に言うお嬢様という存在だ。


そんなこんなで結婚したが、結婚したからにはちゃんと家族として愛そうと努力した形跡が父にはあったのだ。


父の書斎には人にやってはいけないこと百選と書かれていた本があった。束縛は人を苦しませるという本があった。

子供はなるべく自由に伸び伸び成長させるべきという本があった。スマホはなるべく早くに持たせた方がいいという本があった。

その他にも色々な本があった。その殆どが家族として歩み寄る方法を模索したものだった。


何もかもがわからない父なりに俺達に歩み寄ってくれようとしていたのだ。…まぁ、それは母さんの浮気によってぶち壊されたのだが。


そうなると父が俺達を愛する義務はなくなる。先に裏切られたのだから、自分は何もしなくていいと…ただ親である責任を果たせばいいと認識した。

それはきっと感謝すべきことだ。普通の人間ならとっとと縁を切られている。…父が扶養してくれなければ俺達は全員生きていけないからな。それをわかって今も扶養してくれているのだろう。慈悲とはこのことなのだろうと思う。


そして父は父なりに再び愛とは何かを模索し始めた。母に対して執着は一切ないが、母が何を求めていたのかを知りたかったのだと思う。

それが立ちん坊JKと援交するというのは流石にドン引きだが…まぁ、父には父なりの考えがあるのだろうと思う。それを否定するつもりはない。

まぁ犯罪行為なのでやめた方がいいのでは? とは思うけどな。立場的に考えて。


…もっと俺の方から歩み寄っていれば、もしくはあの元友人との浮気を止められていれば…全ては変わったのかもしれないな。…と、随分と手遅れになった先で思ったこともしばしばだ。


「なるほど…確かにそういう理由だったら理解出来ないわけではないね」


「………うっす」


そんな父を言い訳の理由に使ったことに申し訳なさを覚える。ホントごめんね。


「……となると、もしかしてあの布団以外に替えはない感じ?」


話の内容が切り替わる。なので俺も思考を父から離した。


「まぁそうっすね。誰かを招き入れることなんて考慮してなかったんで…取り敢えず新しい布団を買わないと」


布団…ここに引っ越してから心機一転買い直した代物…まだ一ヶ月しか使ってないのにこんなことになってしまうとは…粗大ゴミを出すのって金掛かるっけ? やだなぁー…。


「…すぐに用意した方がいいよね。…いつ買いに行く?」


「えーっと、一応普段使うものなんで明日買う予定っすね…午前中は学校も休む予定です」


もうね、この状態を放置したくないのよ。

家中を掃除したい。今日の痕跡なんて全くなかった状態にしたい。俺の綺麗好きの魂がそれを許さない。


先輩との約束があるので午後から学校に行かねばならないが、取り敢えずそれまでには出来るだけのことはやっておこう。


「そっか…なら私も付き添う…とはいかないんだよね。これでも教師だし、個人の都合で授業を休むわけにはいかない」


おぉ、まともだ。

ちゃんと教師としての誇りがあるようだ…うーん、やはりこの先生は尊敬出来るかもしれないな。


「仕方ないから…ちょっと待ってね?」


「ん?」


先生は徐に立ち上がる。そして俺の後ろを通り過ぎて家から出て行った。


「んー…?」


なんで急に出て行ったのかはわからないが…まぁ、家に戻ったのならそれで……。


がちゃり、と再び扉が開く。無論俺の部屋だ。時間にして三分ほどだろうか。


「はい、これ渡しておくね」


「ん、ん?」


軽く渡されたもの…それは何かのカード…?

……キャッシュカード?


「残高は大体100万ほどあるから好きに使ってね、暗証番号は…」


「ちょ、待って待って待って待って!!」


慌てて先生の口を制す。


「どうしたの?」


「どうしたの…じゃないんだが?? 急にキャッシュカード渡されても怖いだけなんだが???」


マジで怖い。え、ホントに怖い。自分のキャッシュカード渡しておいてキョトンとした顔をしてるのが更に怖い。


「え、だって布団を買うのに必要でしょ? 好きに使っていいわよ」


「いや、それにしても…貯金全額渡すか普通…?」


その行動原理is何? 何がそこまで先生を駆り立てているのだろうが…。


「あのね名取君…正直に言うと私は貴方に何を差し出しても構わないと思っているわ」


「……それはやっぱり…あのキーホルダー?」


それが原因なのだろうか…これが原因だろうなぁ。


「えぇ、あのまみぃちゃんは私の魂…それを無くせば私はこの先の人生を空虚に過ごしたでしょう。ずっと無くしたことを後悔し続けて…多分死ぬ間際もこのことを思い出したでしょうね」


そらまぁ、あそこまでの執着を見ていたら…そうでしょうねとしか言えない。寝言で呟くってよっぽどだぞ。


「それを救ってくれたのが貴方なの…それを救ってくれた貴方なら…私、貴方が命令するのならオナペットになるのもやぶさかではないわ…!」


「そこはやぶさかであれよぉ…!」


重いんだよなぁ。ちょっと引いてしまうくらいには困るんだよなぁ…。


「そうね…言い換えれば…貴方に二十八年間守り続けた貞操を捧げてもいいと思っている。適当にぶち破っていいわよ」


「重い重い重い重い…っ!」


「失礼ね、私の体重は四十八キロ…この体型にしては痩せてる方だと思うわよ」


そういう意味じゃねぇ!

なんだろう、この人突き抜けすぎて結構ヤバい状態になってるぞ。


誰か元に戻して…っ!


「……でも、名取君はそういうの苦手だそうだし、代わりに差し出せるものは何かなぁと思ったら…やっぱりお金しかないかなって」


「あ、そこはちゃんと配慮してくれてるんすね…」


先程の会話を覚えていてくれたらしい。…そういうところはちゃんと教師っぽいから嫌いになれないよなぁ。


「あ、あー…取り敢えず先生が俺に感謝の気持ちを伝えたいというのはわかりました。それはちゃんと受け取ります」


「えぇ、私の方はいつでもウェルカムよ。その気になったらいつでも相手になるわ」


「……で、ですね!」


もう無視しよう。多分気が動転してるんだきっと。


「俺はちょっと…そういうことは苦手でして…かと言って大金を貰うのも申し訳ないので…別の形で、…そう! 後でちゃんとお願いしたいことを言うので、取り敢えずそれまで保留ということでよろしく…お願いできますかね?」


「そういうことなら問題ないわ。恩の押し売りはよくないと聞くしね」


俺の奥の手の一つ、後回しにする…だ!

後のことは未来の自分に任せる。…がんばれよ、未来の俺〜。


先生の方も下手に引き下がらないで了承してくれて助かった。話が平行線になるとめんどくさいからなぁ。


「それじゃあ…取り敢えず布団のお金だけ渡しておくわね。ちょっと近くのコンビニで下ろしてくるね」


そう言って先生は再び立ち上がる。

どうしよう、なんか嫌な予感がする…このままのテンションで行くと余計に金を引き下ろして来そうだ。

そして間違えたと言ってその金ごと俺に預けてくるだよう。…うわぁ、想像に容易い。


「……俺も付いていきますよ」


「え?」


その未来を阻止する為に一番有効な策…それは一緒に行くこと。直接見張っていれば馬鹿なことはしないだろう。


「ほら、こんな夜中に女性一人で出歩くのは危ないですから…用心棒がてら連れて行って下さい」


そして理論武装も完璧。これは断りづらかろう〜。


「…あ、ありがとう…ございます…そ、それじゃあお願いしてもいい…かしら…?」


「ん? …はい!」


なんか変な反応されたが…まぁ特に問題はないだろう。


そうして、俺は先生と一緒にコンビニへと向かった。

案の定必要以上の金を先生は下ろそうとしていた…付いてきてよかったぁ…。

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