軽率な約束
昔々のある日のこと、一人の男の子と一人の女の子が幼稚園の砂場で二人で遊んでいました。
他の子供達を押し除け、二人はまるで総大将の様な面持ちで砂場を占拠しています。そうして他の子供達の悔しげな顔を見ながら二人は砂場で遊んでいたのでした。
二人はとってもなかよし! なんたって二人は家が近所の幼馴染という関係なのです。
幼稚園に向かう時も一緒、帰る時も一緒、帰った後も一緒に遊んでいました。そこには男女の境界線なんてものは存在しません。なんたって幼稚園生ですからね。
砂場で二人はお城を作っていました。男の子が砂を集め、女の子が砂に形を与えて…時間が経つとそこには綺麗な砂のお城が出来ました。
作ったお城を二人は喜びながら眺めていました。そうして作られたお城を一時堪能していると、ふとしたタイミングで女の子が口を開きます。
ねぇ知ってる? 大人って大きくなったらケッコンをするんだって。
その言葉に男の子は首を傾けました。そもそもケッコンの意味がよくわからなかったのです。
ケッコンってゆーのはね、好きな人同士が一緒に暮らす為にすることなんだって。テレビでそう言ってた。
その疑問を女の子は感じ取ったのか、すぐさま男の子の疑問に答えます。
ねぇあっくん。あっくんは私のことスキ?
あどけない声で女の子がそう言います。流石の男の子もスキとキライの意味はわかっていました。
だから、男の子はその言葉に元気よく首を縦に振りながらうんと声を出します。男の子は女の子のことがとてもスキなのでした。
じゃあさ、…大人になったらさ…あっくん、私とケッコンしよ?
さて、その時男の子…。
……俺は、その時なんと答えたのだったろうか。
─
「いやぁ、楽しかったね〜」
「だなー」
祭りもクライマックス、後は〆の打ち上げ花火の直前、俺達は人混みから抜け出した。
周囲に人の姿はない。この場所は花火は見られはするが他の場所よりも微かにしか見えない…だからこんなに人気がないのだろう。
「花火は昨日も見たから今日は少しでいいよね」
「別に構わないぜ。そもそも俺に風流を愛でる感覚があんまないしな」
とまぁそういう理由でこの場所にいる。打ち上げ花火よりも人混みから離れるという快適さを選んだわけだ。
「それにしても…あっくんは流石だね〜すっごくエスコートしてもらっちゃった」
「栞ちゃんが次から次へと頼むからだろ? 次からは勘弁してくれよな」
綿飴食べたり、射的の景品を取ってくれと頼まれたり…まぁ、なんというか…得難い経験をさせてもらった。
「うん…きっと、次からはあっくんには頼まないから…その言葉通りになると思うよ」
「俺には頼まない?」
言い回しが気になったので聞き返してしまった。…何故栞ちゃんはそんな言葉を使ったのだろう。
「…ね、今から少しだけ…真剣な話をしてもいい? 祭りの雰囲気が台無しになっちゃうけど…」
真剣な話、祭りの雰囲気が台無し。
気持ちよく帰りたいのであれば話を聞く必要はない。…けど、誰かの真剣を突き放せる程俺は非常にもなれなかった。
「うん、いいよ」
結果として俺は栞ちゃんの話を聞くことにした。
「…ありがと、…まぁ真剣な話とは言ったけど、実際はそこまで大した話でもなくて…単純に私の心残りを解消したいなって思っているの」
「心残り…か」
その心残りは今でしか話せないことなのだろうか、それとも今こそ話すべきだと思ったのだろうか…相変わらず栞ちゃんの行動の意図は読みきれなかった。
「前に少し話したと思うけど…私、ね? …ずっと前からあっくんのことが好きだった。勿論恋愛的な意味で」
だった。それは過去を表す言葉だ。
栞ちゃんはこういう時は正確な言葉を使う。…きっと、彼女の好意は今では形を変えているのだろう。
「好きとか嫌いとかの種類が複数あることも知らない時…本当の昔の幼い時…確かに私は貴方のことを好きだと思っていた。…あっくんは覚えてないだろうけど、結婚の約束もしたりしたんだよ?」
…いや、覚えている。…と口を開こうとしたが、その言葉はどうしても捻り出せなかった。
だって俺は最近までこの約束を忘れていた。思い出したキッカケも彼女が俺に好意があると言ってから…そこから連想して思い出したな過ぎない。その癖にどんな口で覚えていると言えようか。
「色々あって疎遠になって、様々な事情が重なってまた関わって…私はまた貴方のことが好きになって…でも、もう貴方に好きとは伝えられなくて…いつの間にかこの関係でもいいなと思える様になった。…そう思う様にした」
けれども、それでも、今更とも言ってもいい。彼女は俺にその言葉を直接伝えた。
間接的にも流して言うわけでもなく、真摯に俺に好きだったと伝えた。
「あっくんには悪いと思うけど…私、ね。あっくんのことが好きだった自分を否定したくなかった。間違っているとは思いたくなかった。…だから、今ここで伝えるの…貴方のことが好きだったって、新しく前に進む為…新しい自分を肯定する為にそれが必要だった」
自ずと言いたいことは理解出来る。想像出来る。…きっとその言葉を告げられても俺は驚くことはしない。
「…あっくんは知ってるだろうけど、私ね? …向こうで恋人が出来たんだ」
しかしその言葉を聞いた時、俺の胸にはどうしようもない衝撃が起きた。
想像出来ていても、理解していても…それでも彼女の言葉に俺は息を詰まらせてしまった。
「ほら、ナンパに言い寄られている時に言ったでしょ? 彼氏がいるって…あれって嘘でも建前でもなくて本当のことなの、あっくんが助けてくれなかったらこの写真を見せるつもりだったんだよ?」
そうして栞ちゃんはスマホを操作して一つの写真を俺に見せてくれた。
「…ははっ、なんだよ。前に自分の好みは細い奴とか言っておいて、実際には俺よりもムキムキじゃねぇか」
その写真に写っている男は俺よりも筋肉量が多かった。…身長もおそらく同じくらいだろう。本当に仲の良い感じで肩を抱き合っていた。
「そりゃ男の趣味を誰かさんに変えられたからね。今の私の好みはこういう系なの」
その誰かさんについては言及しない。言及してもどうなまらないからな。
「…いろんな人が私の日本行きを止める中、彼だけが私に行けって言ってくれたの。…初恋の人に会いに行くなんて嫉妬で狂いそうだけど、それでも君に必要なことなら…って背中を押してくれた」
栞ちゃんはケータイを大切そうに胸に抱きしめながら、…そうだな、まるで恋に落ちた少女の様な顔で画面の中の男を見つめている。
「…だから、今の私の最愛は彼なの」
その言葉を聞いて、ようやくストン…と、現実を受け入れた。
なんでショックを受けたのかは言うまでもない…多少なりとも、俺は栞ちゃんを想っていたということだ。
ほんの少し…ほんの少し過去が違ったのなら…もしかしたら俺達は恋人として付き合っていたのかもしれない…そんな役体もない妄想が一瞬だけ脳裏に過ったが…それは一瞬だけ。その全ては全部幻だ。
「………」
何と言うべきだろう。何と伝えるべきだろう…。
幾つもの考えが埋まっては消え、…最終的に残った言葉を伝えることにした。
「──おめでとう」
すんなりと、俺はその祝福の言葉を言えた。
「栞ちゃんに最愛な人が出来て俺も嬉しく思う。栞ちゃんが選ぶんだ。きっとコイツは俺に負けず劣らずのカッケェ奴なんだろうな」
人の幸せは喜ぶべきものだ。実際に俺は栞ちゃんの幸せを喜ばしいものと思えている。
「…あぁ、けど」
どうしてだろうな、…どうして、俺はこんなにも…。
「どうして俺は、こんなにも君に心残りを残しているのだろう」
馬鹿な奴だ。そしてどうしようもない奴だ。
目の前にある宝物に手を伸ばせたのに、勝手に雁字搦めになったつもりでいた。
なりふり構わなければ、もし、俺が今以上に考えが足りなかったら…きっと彼女は俺について来てくれた。
そんな未来を夢想してしまったから俺はこんなにも心残りを残してしまっている。…無駄な消失感を抱えている。
勝手に気持ち悪い感情を抱いている。…ホント、大人になるのは難しい。こういう時に割り切れられないから俺はいつまで経っても中途半端なのだろう。
「…俺も、多分…栞ちゃんのことが好きだったよ」
「知ってる。あっくんって私にだけ優しかったもんね」
はっ、と鼻で少し笑ってみるが否定は出来なかった。…そうだな、もう認めているけど…もう伝えているけど。
それでも、もう一度だけ彼女に伝えよう。俺も彼女の様に心残りを吐き出すべきだ。
「なんだかんだ言ったけど、今の俺じゃ死んでもそんなことは言えなかったけど…昔の俺ならきっとこう言ったよ。…君のことを愛しているって、俺だけの存在でいてくれって…」
でも、もう彼女は俺の為だけの彼女じゃないから、栞ちゃんはもう誰かの為の彼女だから…そんなことは言いはしない。
「…でも、悔しいって感情よりもおめでとうっていう感情の方が大きいんだ。…どうやら、俺はどうあっても変わるつもりはないらしい。…今、君に抱いている感情もきっと過去の遺産であり、産物であり…単なる名残でしかない。…本当の意味で悔しいとは思えてはいないんだろうな」
そういう気持ちしか抱かなくなっている。…今の俺は、彼女に寄り添える存在じゃあない。
「改めてその気持ちを伝えてくれてありがとう。本当に光栄だと思う。…一時だけでも君の想い人になれただけ俺は幸せ者だ」
「私も、…貴方にそんな名残を抱かせられていてよかった。…それを知れただけで過去の私もきっと報われると思う」
いつの間にか花火が打ち上がっている。やはりこの場所からはよくは見えない。
「…今日デートに誘ったのはね…一度だけでいいからあっくんと恋人の様に過ごしたかった。…そうすれば前に進める様になると思ったからなんだ」
打ち上げ花火の音だけが広がる。人々の喧騒が遠い場所から聞こえ、空には大輪の花が咲いていた。
「…これで、ようやく私も本当の意味で彼を愛せる様になる。…心の底から好きになれる。…ごめんね? 私の気持ちを整理する為にこんなことに付き合わせて、こんなことを聞かせちゃって」
「別にいいよ。必要なことだったんだからな」
彼女にも、俺にも…今の言葉は俺達に必要なものだった。
「……やっぱり、あっくんはいつでも優しいね」
「…そうかもな」
ひゅー、と二発目の花火が上がる。丁度、彼女を背にして大輪の花が空へと昇り続ける。
「──本当に、いつもありがとう! あっくん!」
『ほんとー! ありがとう! あっくん!!」
目を見開く。俺は、今の言葉を聞いたことがある。
何故忘れていたのだろう。あぁ、そうだ。…俺はあの時、確かにこう言ったのだ。
『うんっ! 俺、栞ちゃんをお嫁さんにするよ!』
そうして、俺は彼女のその言葉を聞き届けた。…そのことをようやく思い出した。
思い出して、…そして、いつかもう一度忘れることになるのだろう。
幼い頃の約束、それは永遠に叶うことはなくなった。
俺が確かにそう告げた言葉はいつの間にか消え去り、今ではこんな残影しか残っていない。
約束なんてするもんじゃないなと思った。簡単にそんなことをするもんじゃないなと思った。
だって、…ほんのちょっぴり苦しいから、過去の俺達に申し訳なくなるから…名残惜しいと思っている自分に腹が立ってしまうから。
だから、きっと俺はもう…こんな大事で大切なことを軽率に約束なんてしないだろう。
そして、最後の花火が打ち上がった。
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