実は見ていたんです
「………」
「………」
ずんずんずん、と空気が重い。
その原因はやはり隣の席の住人…つまりいいんちょの圧によるものだろう。
昼休みが終わり、屋上から教室へと帰還してからというもの、いいんちょの雰囲気が見るもの全て傷つけると言わんばかりに不機嫌となっている。
いつもの毒舌ながらも周りに気を配っていた姿は何処へやら…今は自分のことにしか目がいかないようだな。
「……どしたんいいんちょ」
「……うん?」
流石にちょっと耐えきれず声を掛けてみる。事情を知ってる分ちょっとね。話ぐらいは聞いてやろうと思うわけなのだよ。
「さっきからすげぇ不機嫌そうだが? なんかあったんだろ?」
先程俺が見ていたという事実は内緒だ。だって盗み聞きって結構悪趣味だし。バレたら後が怖い。
自己保身の塊的な考えだが別にいいだろ。人間それが普通だ。
「…なんかはあるにはあったけど…人に話すようなことじゃ…」
「別にどんなにめんどい話だっていいんだぜ? 俺といいんちょは友達なんてクソ怠い関係じゃないんだ。知人ならいざ知らず、赤の他人にならめんどいことも話しやすいだろ?」
「……うわー、ほんとにアレだね。名取って拗らせてるよね。普通隣の席の人間に対して正面から友達じゃないって言える? 神経を疑うんだけど」
「だって事実だしなー、逆に隣の席だからって友達認定をするのは流石に気安過ぎじゃね?」
「……それは、そうかもだけど」
ちょっとずついいんちょの雰囲気が変わっていく。不満そうなものから、思慮深いものに。
どうやら、ちょっとは気分転換の一因になれたようだな。
「で、どうする? 無理に聞き出すつもりはないぜ? 俺だって面倒なことはほんとはごめん被りたい」
「あらら? それじゃあなんで相談に乗ろうとしているの? もしかして私のこと好きなの?」
ははは、こやつめ。この前の意趣返しのつもりかこんにゃろ…。
「ばーか、んなわけねぇだろスカタン」
「スカタンって…いつの時代の言葉よ、それ…」
思いっきり否定してやったところで、次の言葉を言う。
「彼氏持ちを好きになるなんて自傷行為するわけねぇよ。ただ…まぁ、いいんちょはイイ奴だからな、沈んだ顔をしていたら気になるだろうよ」
イイ奴を助けたいと思うのは自然のことだ。イイ奴が救われて欲しいと思うのは当たり前のことだ。少なくとも俺はそう思う。だって俺が見たいのは優しい世界だし。
だから、俺はこんなことを言っているんだろうな。
「…なになに…? もしかして名取って善人? そんな顔で?」
「顔で性格は決められねぇだろうがよ…それに善人って呼ばれる程高尚な人間でもない。さっき声掛けたのだって辛気臭ぇ顔してるのがクソウザいなと思ったのが九割だし」
これはぶっちゃけ本当。ただしちょっとだけ誇張している。ほんとは三割くらいだよ。
「うわっ、辛辣…けどまぁ、確かに人前で見せる顔じゃなかったかも…不機嫌なオーラって周りに伝染するよねぇ…。うわー! 恥ずかし…っ!」
「ははは、調子が戻ったじゃねぇか」
どうやら完全に調子を取り戻したらしい。空気が先程よりも一段と軽くなっている。ほっ…。
「ごめんね、気を使わせちゃって…」
一瞬手に持っている教科書で顔を隠した後、いいんちょは少し照れた表情で一言謝ってくる。
「気にすんな、お隣のよしみだ。…んで? 結局どうする?」
「んー…流石にちょっと話せないかな、名取が信用できないとかじゃなくて、話す内容がちょっと…デリケートな部分だしね」
あー、確かに性事情なんだから話しづらいよな…ちょっと考え足らずだったか。
しかし俺は実際にはその内容を知っているわけで…。
「ちなみにだが、今日の昼休み俺が何処にいたかわかるか?」
「何処にいたか? そんなのわかるわけ…え゛!?」
ここは情報の開示を選択する。そうしないと話が進まないっぽいからな。前提条件はクリアしとけ。
いいんちょは今まで出したことのないような声を出している。その顔は驚愕やら何やらがごちゃ混ぜとなり、一つの感情だけで表現するのは難しい。
強いて言えば…羞恥心? あわあわと表情を面白く変えている。
「まぁ何処にいたかは男の情けで言わないでやるが…まぁ、取り敢えずいいんちょの話を聞いて引いたり軽蔑したりすることはないから安心して欲しいとは言っておく」
「それ確実に答え言ってるじゃん…! うわぁ…やっぱりあの変な音って人の声だったかぁ…」
いいんちょは顔を机に伏せる。ここからじゃどんな顔をしているかわからないが、多分絶望してるんだろうな、可哀想だね。
「……まぁまぁ、そんな悶えるなって、彼氏彼女の事情…? ……情事なんて他人の俺にはどうでもいいから…」
「言い換えないでいい!」
「あらそう?」
俺なりの気遣いだったのだが…ほら、事情だけじゃなんのことかわからないだろうし。まぁ…気遣いは半分くらいだけだけど。もう半分は悪戯心だ。
「もういい、わかりました、名取がさっきの話を聞いていたのはもうわかったから、だからもう二度と蒸し返さないで」
「へーい」
これ以上イジるとマジで手が出そうだ。下手なイジリはイジメと同じと聞くし、これ以上はやめておいた方がいいな。
「はぁ…まぁ、さっきのは名取なりの気遣いと思っとくよ。多分あまり重苦しくしないようにしてくれたんだろうし…」
「……そうそう! そんな感じ」
実際はそんなつもりはなかったが、いいんちょがそう思ってくれるのならそれでいい。マイナスな面をわざわざ言う必要はないだろ。
「絶対嘘だ…や、これ以上はぶり返すな…くそぅ、名取相手だと変にペース持ってかれるな…」
(にこにこ)
「そのニヤケ顔やめろ」
おっと、別にニヤけているつまりはなかったのだが。俺の笑顔ってそんな邪悪?
いいんちょは何度目かの深いため息を吐き、疲れたような声を出している。ドンマイ。
「はぁ…事情を知っているのならいっか、…確かに私が悩んでいるのはさっきのこと、流石にあんなこと言われちゃね…」
あんなこと、と言えばやはり寝取らせの件だろう。
「ぶっちゃけいいんちょが引き受ける意味なくね?」
率直な疑問。正直いいんちょはあの場で断るもんだと思っていた。
「そうねー…確かに彼からの言葉じゃなかったらその場で断って目の前の奴を一発ぶん殴っただろうけど…」
いいんちょは言葉を詰まらせる。その顔は苦悩の顔に満ち溢れていた。
「…ごめん。やっぱりもう少し自分で考えてみる。まだ言われたばかりで頭が混乱しているみたい。考えが全然纏まらないの」
「ん、いいんちょがそれでいいならいいさ」
性急に進めてもどうにもならないことってあるしな、時には悩む時間も必要だ。それに口を出すほど俺はいいんちょに入れ込んでいない。
「ありがとね。もし考えがまとまらなかったり、どうしても答えが出なかったら…その時は一度名取に相談してみる」
「そうか」
もうすぐ授業が始まる。自然とお喋りは終わりとなる。だからこの雑談もこれまでだ。
会話の終わりを肌で感じ、鞄の中にしまっていた教科書を取り出している最中、ふと横から独り言のようなものが聞こえてくる。
「…本当に、ありがとね、名取」
その声が聞こえた方向へ反射的に顔を向けると、そこには教科書を広げるいいんちょの横顔しか映らなかった。
流石にその独り言が誰が言ったのかなんて簡単にわかる。けど、敢えて俺はそのことについて追求しなかった。
先程の独り言など聞こえていなかったかの様に姿勢を元の黒板の方向へと移す。
そこから先、俺は淡々と残りの授業を受け続けるのであった。
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