お嬢の事情
「うーす、お嬢ー、買って来たぞー」
「…あら、早かったわね。やるじゃないの」
「そりゃ行ったのは近所のコンビニだからな、いやー、蒲焼さん太郎の他に焼肉さん太郎とか色々あってな? ちょいと懐かしい思い出を買う感じで色々買って来たわー」
…幼少の頃、昔は今ほど関係が決裂していなかった姉によくお菓子を買って貰っていた。
今では思い出したくもない、考えたくもない存在の姉だが…昔は違かったのだと、そう思うことにしたのだ。
過去の全てを現在の為に否定する必要はない…あの屋上で俺が学んだことの一つだ。
「ほい、お嬢…後は先輩もよかったらどうぞ」
「ありがたくいただくわ」
「あ、ありがとう」
…ん? なんか若干空気が穏やかになっている様な…? 先輩とお嬢の間にあった壁が薄くなった…気がする。…いったいどうして急にそんなことになったのか。
「…俺がいない間になんか話してました?」
このまま考えていても仕方がないので取り敢えず聞いてみることにした。
「特に何も、ちょっとした世間話をして仲を深めただけですわ。…それより愛人、なんでもっと早くにこの方を紹介しなかったの! こんないい子がいるなんて思ってもみませんでしたわ」
「はぁ? 紹介ぃ…? なんで先輩をお嬢に紹介しなきゃなんないんだよ」
「なんでもよ、…しかも聞くところによると中々大変な経験をしていらっしゃるみたいだし…力になってあげたいじゃない」
その言葉を聞いて少しビックリする。
まさか先輩が自分の事情について誰かに喋ると思っていなかったのだ。
…しかしながらよくよく考えてみると、先輩の友人…という役割は別に俺じゃなくたっていいはずだ。
むしろ男という俺は根源的に先輩を恐怖を与えてしまう俺がいつまでも先輩と関わるべきではないのかもしれない…いや、そうだな。
これを機にお嬢に頼み込んでみるとするか…その方がいいはず…。
「貴方のことですから馬鹿みたいなことを考えているのでしょうが、その考えは今すぐ捨てなさい。そんな葛藤は時間の無駄です」
「……むぅ」
そのことを言う前にお嬢に先手を取られてしまった。…お嬢は偶にエスパーと思わんばかりに察しがいいからな。
しかもその察するという能力は勘とかそういうスピリチュアルなものではなく、これまでの人生経験で培ってきた技術によるものだ。
お嬢は昔からお偉いさんと接する機会が多く、気付けば察するということにおいて千里眼にも等しい能力を身につけることが出来たのだとか。
「及川様の事情を聞いたのも話の流れでしてよ。貴方が気にすることではありません。誓って言いますが無理やりに聞き出したわけではありませんわよ?」
「わぁーってるって…お嬢がそんなことをしない人間なのは百も承知だよ」
少しだけほっと息を吐く。……なんで俺は今ほっとしたんだ?
「…そういえば、名取くんがさっきから言っている[お嬢]…ってどういう意味なのかな? 単なるあだ名?」
しかしその理由を考えるよりも先に先輩がそんなことを聞いてくる。
…ふむ、まぁ確かに知らん人が聞けば不思議に思うか。
「えっと、このお嬢というのは昔からのあだ名でして…というのも、ここにいる金ヶ崎綾華はですね…今はこんな身なりをしていますが、昔はそらもう周囲の人間が跪くレベルの大金持ちだったんですよ」
「え…!?」
先輩は口元に手をやる程驚いている。
この状態のお嬢は一見すればお嬢様を目指す一般ピープルなんだけどな。実際は逆だ。
「過去の栄光…にするつもりはありませんけど、そうですわね。ほんの少しだけ自分語りをすることにしましょうか…と言っても一言二言だけですが…詳細な話は必要ないですしね」
お嬢はこほん…と少しだけ小さく咳払いをすると、重々しく口を開く。
「我が金ヶ崎グループは今から二年前…私が中学二年の時に経営不振となり倒産になりました。その時点で一家離散は確定、父は借金を返す為に他の仕事に手をつけ、母はそれに付き従い、二人の兄は家を見捨て外国へと逃げました」
「いつ聞いても重いなぁ…」
お嬢はなんだかんだ物語の主人公を出来るくらいには壮絶な人生を生きている。こんな状態になったら俺だったら途方に…くれるかなぁ?
今の俺だったら絶対別の手を考えるってのはわかるが、そうじゃない俺がそう出来るかどうかはわからない…というのが本音だ。
「私はその当時は大変嫌味というかなんと言いますか…お金を持っていることを謙遜しない人間でした。…だから周りの人間は誰も私を助けようとする筈がありません」
俺が野次するのはわかりきっていたのか、お嬢は俺を無視して話を続ける。いつもの反応だな。
「そんなふうに家も家族も無くなった私を助けてくれたのが、以前から唯一仲良くさせていただいていたそこの男…というわけなのです。そこから彼と一緒に愛人の世話となり、住居と当分の生活費を預かって今に至りますわ」
「そんなことが…」
「別に預けたわけじゃないけどなー、俺としてはあの時の金はくれてやったつもりなんだけど」
「馬鹿おっしゃい! 貴方自分が私達にどれだけの大金を預けたと思っているんですの!」
お嬢は金も家も何もかもを失った経験からお金の貸し借りについて厳しくなった。…昔は札束で人を動かしていたんだけどなぁ…。
だから毎回あの時に貸した金の話をするといつもこういう展開になる。
「えっと、名取くんはどれくらいのお金を貸したの?」
「んー」
先輩に聞かれてたのでちょっと思い出してみる。
「あー…確かあの時の通帳の中身全部だから…百万くらいだっけ?」
「本当にアホですわね…! 三百万よ、三百万円! 住んでいるアパートの敷金礼金も含めたら約四百万!」
「そだっけ? 忘れてたわ」
がははと笑ってみるが周りは誰一人笑っていなかった。…針の筵とはこのことだな。
「あのお金のおかげで私と彼がどれだけ助かったか…まだ返す見積もりは出せませんが、いずれ必ず現金で返します…」
はぁ…と、なんか溜息を吐かれてしまう。…いいって言ってるんだけどなぁ、相変わらず律儀だ。
「…さ、さっきから凄い話をしているのはわかったんだけど…今更ながら疑問が一つあるんだけど…いいかな…?」
「あ、えぇどうぞ。少し独りよがりに話してしまいましたわね」
ほっ…先輩が話を変えてくれて助かった。…あの状態のお嬢はしつこいからな。くわばらくわばら。
「あの…金ヶ崎さんの話によると…もう一人誰かがいる気がするんだけど…気のせいだったりするのかな」
おや、鋭い…。
「あー…そういえばそれも話していませんでしたわね。…及川様の言う通り、私と一緒に愛人の世話になった人間がもう一人いまして…何を隠そう私の婚約者、伊集院翔もこの男の世話になっているのです」
そう、正直一人に貸す金額として三百万はちと高い。…だが、そこにもう一人足せば三百万は当分の資金として妥当なものとなって来る。
「理由は単純、私の婚約者も私と同様に家が潰れてしまったのです。…私とは違い借金は残ってはいませんけれど」
この二人の境遇は本当に悲劇そのものだからなぁ…普通に考えて引き裂かれる運命にある二人というやつだ。
これが生まれる前から許嫁という関係だけだったら別に大した悲劇でもないのだろうが、こいつらの場合はお互いがお互いに惹かれあっていながらこんな状態になった。そりゃ助けるしかないだろ。
「殆ど詰み、正に絶望的状況から救ってもらったのですから…その恩を返さなければ金ヶ崎の者として先祖に顔負け出来ません。…いずれ成り上がって借りたお金を全額十倍に返してご覧に入れます。…その為に彼には出稼ぎをしてもらって、私は家を守っていますの」
ちなみに坊ちゃんの出稼ぎ先というのは遥か北方のベーリング海だ。そこでカニ漁をしている。
最初の資金はドーンと用意して、そこから事業を始めるらしい。どうやら投資とかは受けられないみたいだからな。
それにしても…もう漁に出て一年になるのか…もう充分に金が溜まってそうだし、北方の方も少しきな臭くなってるしな…後温暖化の影響でカニが少なくなってるんだっけ…? そんな感じでそろそろ戻って来るかもな。
「漫画みたいな話をまさか生で聞くとは思わなかったよ…。…それにしても名取くん、金ヶ崎さん相手だとなんか妙に甘いというか…優しくはないんだけど、雰囲気が和やかになるよね。なんか特別…みたいな感じがしてる」
…おっと鋭い。…先輩はなんだかんだ洞察力に優れているな。
…詳細を話すことはないだろうが…それでも上部だけなら言ってもいいか。
「そりゃ当然っすよ。…ここにいる金ヶ崎綾華と、こいつの婚約者の伊集院翔は俺の命の恩人なんですから…なんだって差し出しても構わないと思っていますよ」
命を救われたのだから、助けたいと思うのは当たり前だ。命で救われた恩は命を救うことでしか返せない。
いつまでも俺はあの二人にしてもらったことは忘れない…この二人は、俺にとって唯一の存在なのだから。
─
そんな感じでお嬢の過去話は終わり。その後は三人で雑談をしていた。
しかし、雑談を開始してから間も無くお嬢に別用事が出来たとかで急遽変えることとなった。
「まさかバイトのシフトを急に変えやがるとは…許せませんわあの店長…」
「おうおう、頑張れがんばれ」
お嬢は俺の金だけには頼らないとアルバイトをしている。
最初は世間知らずが過ぎ、これ人間界で放置しても大丈夫か? と思わんばかりの存在だったが、時間も経てば慣れる様だ。
「喧しいですわ…あ、そうそう。一応の本題を忘れていました」
「やっぱりなんか用事があったんかよ…バカンスだとかぱちこきやがって…」
いきなりやって来ておかしいと思ったんだ。ほれみろ。
「うっさいですわ。…それでは本題を、…近いうちに心愛を連れてここに遊びに来ます。いいですか?」
「おう、いいよいいよ」
軽く返事する。
心愛にやられたことはまだ許していないが、あいつはちゃんと反省をしているからな。実のところ殆ど許しているのが現状だ。
だがしかしあいつは今でもそのことを気にして…いやまぁ全く気にしてなかったらそれはそれだが、それでもあの時のことが相当トラウマになっているらしく、出来るだけ俺と顔を合わそうとしないのだ。
したとしても第一声にごめんなさいが出て来るからな…本当に悪い子じゃないんだよ…ただやっていいこととそうじゃないことがわかってなかっただけで。
んでま、そういう経緯もあって俺と心愛はあまり話をすることがない。よって関係が改善することもない…だからそれを取り持とうとしてくれるのだろう。ありがたい。
「わかりました。日付は追って連絡します…あ、あと最後に一つ、及川様に」
「私に…?」
お嬢はそう言うと先輩の耳に何か小声でボソッと呟く。俺の耳にはその内容は届いていない。
「──え?」
「わかりましたか? それじゃあ頼みましたわよ…?」
その何かを言い合えると、お嬢は再び玄関のドアに近づいていった。
「それではお二方、ごきげんよう…また近いうちに会いましょう」
そうしてお嬢はジャージ姿のまま優雅に一礼をすると、そのまま玄関の外へと出ていく。
バタン…とドアが締まる音を始めとして、俺達はまた二人きりへとなるのだった。
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