精神的過負荷
いつまでそうしているのか、いいんちょは今も地面に両膝を立てている。気付けば太陽も若干沈みかけていた。
「……こういう時、泣いている女の子を慰めるのが男の人の役割だと思うんだけど?」
ぐずった声で軽口を言うが、無理に元気に振る舞っているのは丸わかりだ。
だが、それはいいんちょの強さ…俺に心配を掛けまいと自分を奮い立たせているのだろう。…なら、俺はそれに乗っかってやる。無理に慰めてやるもんか。
「ばーか、お前はそんな柔な女じゃないだろ? それにさっきまで彼氏持ちだった女を慰めるなんて高等技術俺には無理だ」
「…ひど。…ふふ、でもそれが名取らしいね」
いいんちょは両手を俺に差し出す。その意図がわからず思わず頭を捻ってしまった。
「ん」
「あ? 急になんだよ」
そんな単音で意図を察せと言われても無理だ。人間には言葉を扱う力があるのだからちゃんとはっきり言って欲しい。
「起き上がらせてって言ってるの。…察してよね」
「はぁ? いきなりンな察せと言われてもわかるわけねぇだろ」
その態度にちょっとむかっとする。なのでほんの少し意趣返しとばかりに…。
「膝立ちしてるだけなんだから自分で立て、俺は絶対に手を貸さないぞ」
「えぇー、別に手を貸すくらいいいじゃない。私、か弱い女の子なんだけど…」
いいんちょはぺたんと膝立ちの状態から更に足を崩す。なるほど、徹底抗戦の構えか…。
「なーにがか弱いだあほんだら。…お前はそんじょそこらの奴より強ぇわ。それこそ俺なんかよりも強い。自信持てよ」
本気でそう思う。
俺は今も過去を振り払えず迷っているのに対して、いいんちょはそれを乗り越えて前を向いて見せた。それが出来た彼女は本当に尊敬に足る人だと思う。
「それ、手を貸したくない言い訳にしか聞こえないんだけど? こういう時ぐらいは手を貸してもいいんじゃない?」
「ねぇ、俺結構お前に対して手を貸したよね? 中々骨を折ったよね? それですら足りないと言うのか…」
コイツめ…と思いつつも俺は片手をいいんちょの目の前に差し出していた。ま、こういう時ぐらいはまぁ…仕方ないさ。
「……ほんと、名取って口は悪いし態度も悪いけど…なんだかんだ優しいよね…っ!」
いいんちょは俺の腕を両手で掴み、体重を掛けるようにして立ち上がる。
「重…」
思わず出た言葉…その言葉にいいんちょはムッとした顔で俺を見る。
「乙女に対して失礼ね。そこは嘘でも軽いって言いなさいよ」
「あーカルイヨー」
「そこまで嘘ってわかる言葉もないわね…」
ちゃんと希望通りに言ってやったのに何が不満なんだか…。
「あー泣いた! 多分人生で一番泣いたなぁ…」
そう言っているいいんちょの横顔はどこか清々しい。その顔には一片の曇りはない。
「しかしまぁ…入学早々本当に大変だったなぁ…思えば名取と出会ってから一ヶ月も経ってないんだっけ? それなのによくもまぁこんなお節介を焼いてくれたよね」
「ほんとだよ。マジでいい加減しろよお前ら…」
最初は隣の席のうるせぇ奴でしかなかったいいんちょとここまで関わるとは想像もしていなかった。そのキッカケとしてはやはりこの屋上…ここにさえ来なければ俺はこいつと深く関わることなんてしなかっただろう。
「あの時もよく来てくれたよね。私、別に助けて欲しいなんて言ってなかったのに…拒絶されると思わなかったの?」
あの時、とはつまりいいんちょが輪姦されそうになった場面だろう。
あの時は本当に焦った。何せキノコ頭が複数人の人間を集めていたって調べる時に知ったからな。
本来のプランでは俺が何知らぬ顔でキノコ頭と接触し、竿役となりいいんちょを説得しようとしていたのに、まさかあんなことになるとは思いもしなかった…やはりインターネットは嫌いだ。
それと拒絶されると思わなかった…か、正直、別に拒絶してくれても構わなかった。
「誰かの何かに介入するのならそれぐらいの覚悟を持って然るべきだ。別にお前に拒絶されたとしても、お前のこの先の人生を暗いものにしたくなかった…マ、単なる俺の我儘だな。それぐらいの代償は覚悟している」
俺が悲しいものを見たくないからそうした。辛いものを見たくないからそうした。誰かに拒絶された程度でやめるのなら最初から関わったりはしない。というか、それが俺の元々のスタンスだからな。
だが、知ってしまえばそのスタンスは変えざるを得ない。そういう生き方をすると決めたのだからそれに遵守するだけだ。
「…ほんとうに、名取ってアレだよね…天然だよね」
「あ? 今なんつった?」
もにょもにょと小さく言ったから何も聞こえなかった。なので思わず聞き返してしまう。
「……そんな不良ムーブしなければ名取はモテるだろうなぁって言ったの」
「あー? 別にモテたくなくてこんな態度してるんじゃねぇよ。俺は元来こういう喋り方をしてるんだっつーの」
そもそも俺の顔面で誰かにモテるとか期待してない。…こんな強面がモテるのは少女漫画の中だけだ。普通は嫌厭される。その方が俺としてはありがたいのでこの顔は気に入っているけどな。
「…あ、あの時と言えば、名取って割と躊躇なく私の胸を触ったよね。実はああいうことに慣れてたりするの」
(─────ッッッッ)
…………………そのことを掘り返しますか…。
…
…
…
「…慣れてたりするわけないんだよなぁ…俺、本当に最低なことをしたよなぁ…」
「え?」
今でもずっと思っている。俺はどうしてあんなことをしてしまったのだろうと。
「あの時はあれが最善だと思った。けど、思い返してみればもっと別の方法があったんじゃないかって今でも夢に見る」
「え、え…?」
自分が一番してはいけないと思ったことをやってしまった。どんな理由があったとしても、あんなことをしていい理由にはならない。
「偶に自分の行動を思い返して考えるんだ。何で俺って生きてるんだろうって、あんなことをして生きてる価値なんてないなって…いっそのこと、ここから飛び降りた方がいろんな人の幸せになるんじゃないかと…」
「え、うそ。そこまで思い詰めていたの!? ご、ごめんごめん!! 本当に気にしてないから! だからそんな思い詰めたような顔をしないで? ね?」
いいんちょが何が言っているがよくわからなかった。俺の目に映るのは屋上の外に映る遠い遠い地め──。
「あ、あー! ほらよしよーし、そんな思い詰めないで? 本当に私はあの時の名取に感謝してるから…ね? むしろ触られたのが名取でよかったって思ってるから…ね?」
突然俺の頭を何かが引き寄せる。
………む、俺はさっきまで何を考えいたんだっけ。
ぼーっとしていた思考を振り払い、今の俺の状況を確認してみると…なんじゃこりゃ。
「なんでいいんちょは俺の頭を抱き寄せてるんだ? 急にどしたん」
ちょっと離れて欲しい。…どういう経緯でこうなったのだろう。
「…名取が急に死んだ目をしたからだよ。…その様子じゃ大丈夫みたいね。よかった」
すっといいんちょは俺から離れる。…死んだ目…か。自分ではよくわからないがどうやらいいんちょにはそう見えたらしいな。
「…悪い、心配かけたな」
何が起きたのかはわからないが、取り敢えず心配させてしまった事実を謝る。
「うーん…冗談でも名取にはこういうことを言わない方がいいね…これから気をつけよう」
「気をつけるって…何を?」
「ううん気にしないで」
はぁ、そういうことなら気にしないでおくが…。
ほんの少し不思議に思う俺だった。
─
そうして、長い長いいいんちょとの因縁が終わる。この先いいんちょはキノコ頭とは関わらないし、俺との関係も希薄になっていくのだろう。
本来俺といいんちょに接点はない。ただ机が隣同士というだけの関係性…ここまで深く関わる必要はない。
会話がなくなり、目を合わせなくなり…そしていつか俺もキノコ頭と同じ様にいいんちょから他人として扱われるのだろう。
…ほんのりと、胸の奥が変になる。
……もしかしたら、俺はそれを惜しい…と思っているのかもしれないな。
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