咀嚼して、飲み込む

そう、これがゴールデンウィークに起きた最後の出来事…父の再婚相手…いやまぁ母とはまだ離婚していないので厳密にはまだ再婚してはいないが、取り敢えず父が想いを寄せている人と会うこととなった。


……いつかは来ると思っていたが、ここで来ますか…じ、じーざす…。


父の関心が外に行っていることは知っている。立ちんぼと援交していたことも知っている。…しかし、そこで結婚まで行き着きますか…。


父と直近で話したのは今住んでる家を契約する時が最後だ。…この家、実は父名義で借りてるんだよな…流石に高校生が一人で部屋を借りられるわけがないから当然だ。


その時の父は昔にあった記憶と違い、若干の感情があった。…多分、その再婚したい人が父の感情を掘り起こしたのだろうな…マジで凄いと思う。


慣れない礼服…一応買っておいたスーツを着用し、指定された場所へ…。

この指定された場所なんだが…何処かの高級料理店…というわけではなく、普通の焼肉屋だった。なんで?


こういう時ってお高ーくてオッサレーなお食事場所に行くんじゃないの?

…うむむ、父の意図がよくわからない…てっきり父はそういう場所に案内するもんだと思っていた。


なので、おそらく父の考えとは別の…交際相手の意思がそこにはあるのだと思える。…庶民的な人なのかな?


すぅぅ…。…胃が重い。


一体どういう人なのだろうか…庶民的な人ということは接しやすいのかな…うわぁどう接すればいいんだろ。


胃がキリキリと痛むが…まぁ、勇気出していこう。


指定された場所へと電車と徒歩で向かう。…まぁ、割と近辺の場所だった。

そうしてその店の前まで辿り着く。…ちょっと深呼吸しよ。


約束の時間までまだ三十分はある。…その間に心境を整えようか。


………いや全然整えられねぇ…早く家に帰りたいよぉ…。


ちくしょう…どうしてこんな激重イベントが立て続けに…やはり俺にとってゴールデンウィークは厄日なのか?


去年は……いや、思い返すのはよそう。姉のことは思い出してもいいことにはならない。…決して忘れはしないけどな。


…はぁ、帰りたい。…でも帰れない。こういう時、内なる声に励ましてもらうのが日課だ。


愛菜だったら…きっと頑張れと言ってくれる…いや、あの子は多分帰ってもオッケーとか言いそうだな。


先輩なら…なんというか想像出来ん。最近知り合った他の者も同様…ここは内なる愛菜の言葉に従って帰ってしまおうか。


『諦めないで!!』


(はっ!)


この声は…内なるまみぃちゃん!?


『ここで逃げたら試合終了だよ!!』


いやそれ違う漫画の台詞ぅ! ちょっと改変するんじゃねぇよ!!

…ダメだ、頭がこんがらがってきた…無心だ、無心を貫こう。


脳内をそんなふうにぐるぐると回していると…。


「…愛人?」


「うぇ!?」


背中の方から声が掛かる。…その声はとても聞き覚えがあるものだった。

ぎぎぎ、と油が切れた機械の様にぎこちなくその方向に振り返る。…そこにいるのはやはり……。


「お、親父…久しぶり…だな」


「あぁ、久しぶりだな…大体一ヶ月ぶりか」


隣に若くて美人の人を連れている…俺の親父、名取誠司がそこにいた。





「息災だったか」


「え、あーうん。…一応元気」


どうやら個室を予約していたらしく、この場には俺、父、そして交際相手の人がいた。…気まずいでござる…。


ジュージューと肉を焼く音がやけに響く気がする。…普段、会話しないからね。


「えっ……とー、そちらが親父が再婚したいと思っている人…ですか?」


「…あぁ、紹介が遅れたな。…この人の名前は桜庭美月さん」


「どうも〜紹介にお預かりました。桜庭美月です」


わ、若い人だな…俺とそうそう変わらん歳だぞ…。


黒髪をセミロング程度にまで綺麗に伸ばし、大人しめのメイクとか服装をしているが、俺の経験からなんとなくわかる。…この人の多分普段は明るい感じの…例えば金髪とかネイルとかしてる様な…偏見的に見ればギャルっぽい感じの人だ。


質実剛健に見える父とは珍しい組み合わせだな…いや、まぁ父が選んだんだから悪い人ってわけじゃないだろう。この人は感情はないが人を見る目は確かだ。


「これはどうもご丁寧に…俺…自分の名前は名取愛人と申します。父の前妻の息子です」


実際は前妻ではないのだが、いずれ別れるのだからそう名乗ってもいいだろう。…そこら辺も聞いておかないとな。


「えと、親父? 俺の記憶が確かなら親父と母さんはまだ婚姻契約を続けていたと思うんだが…ようやくそれを破棄するのか?」


「よ、ようやくって…どうすんのよ誠司さん。この子殆どの事情知ってるっぽいわよ?」


「愛人は聡いからな、不思議じゃない」


いや、聡いとかそういうのはいいから…取り敢えず具体的な説明が欲しい。…仕方ない、聞きづらいが聞くか。


「親父には感謝してる。母さんが浮気したにも関わらずやる義理もないのに俺達の養育費を払い続けてくれて…だから、親父が新しい人と一緒になるのは否定しない。…けど、それなら母さんとちゃんと別れなきゃ、それじゃあその人が可哀想だ」


そっちの義理はどうなんだと暗に問い掛ける。…俺はどうして実の父にこんなことを言っているのだろうか。…はぁ。


「ちゃんとわかっている。ゴールデンウィーク明けにでもちゃんと話すつもりだ。…もっとも、彼女は私が何を言っても問題ないと言うだろうが」


父は普段と変わらない様子でそう答えた。…つまり、父も決心がついたということか。


父はきっと新しい人生を始めるつもりだ。…その為に不必要なものを切り外す…言い方が悪いな、過去を振り払うつもりなのだ。

…いろいろと遅いんだよなぁ。その言葉を十年前に聞きたかったぜ。


そうすれば下手な希望とか持たずに済んだのに…また、家族が一緒になれると思わずに済んだのに…。

別に父は悪くないのだ。…けれど、…はぁ、やるせない。


「……わかった。それならいい。…改めて、…ご結婚おめでとうございます」


ぺこりと実態のない様な頭を下げる。…ちゃんと、祝福している様に見えるだろうか。


父は前に進もうと決意した。…それを止めることなど誰が出来ようか。


俺の家族は終わっている。そこから元に戻る可能性など皆無…いや、もしかしたらそのすら存在しなかったのかもしれない。

なのだとしたら、その地獄に父は引き摺り込めない。…父には幸せになって欲しいと思う。

それが、今まで育ててもらった者としての責務だろう。…この二人は祝福すべき存在だ。


前妻の息子が祝福すればきっと誰もこの結婚を否定出来ない。…歳の差とか、いろんな障害が消え去る筈だ。…なら、それが俺の役割なのだろう。


「ありがとう、そう言ってもらえて助かる。…あぁそれと、離婚したとて養育費は払わないわけじゃない。彼女だけでは子供を育てられないだろうからな、そこら辺の援助はする」


それを聞いて更に安心した。…あ、でも待てよ。

それって愛菜の分の養育費は入っているのか…? 父は愛菜を認知していない。…あれ、本気で不味くね…。


「お、親父…実は母さんのことで一つ言わなくちゃならないことがあるんだが…」


「あぁ、母さんの隠し子のことか。その子のことも問題ない。ちゃんと養育費を出そう」


「ウェっ!?」


ご、ご存知なのぉ!?


「あれだけ不必要な金の流れがあれば流石に調べはする。…最初はそれが新しい子を産んだこととは思わなかったが、別に構わないと思った。…一応、体裁があるためその子を認知するわけにはいかなかったがな」


そりゃそうだ。というか父は愛菜を認知する必要はマジでない。…それなのにこれまで金を払い続けてくれていたのか…我が父ながら大変お人よし…いや、別にそういうわけではないか。


父にとって金というのは余りあるものであり、それをほんの少し上乗せして払ったまでのこと…そこになんの感情はない…と、昔の父ならそうであったと確信を持ってそう言えたが、今の父は……どうやら違うらしい。

びっくりした、それもこの人が変えたのだろうか…。


「…それと、の分もだ」


「親父、それは…」


その言葉を聞いて即座に断ろうとする。…それは、俺の責任だ。


「…言っておくが、あの子達に関してお前に責はない。…自分のバイト代の殆どをあの子達に使っているのは知っている。…あまり無理はするな」


……しかし。それでは余りにも…。


「…お前には悪いことをしたと思っている。お前が大変な時、私は何もしなかった。…その立場で今更言うのはおかしなことかもしれないが…少しは…いや、なんでもない。…それは言ってはならない言葉だった」


…もし、その言葉が出ていたのなら、俺はなんらかの理由をつけてこの場を去っただろう。

…ほんの少しだけ、心が軋む。


いや、今はソレは無視しろ。…ここは、行為に甘えるべきなのだろうな。


「…わかりました。…じゃあ、あの子達のことはよろしくお願いします…」


その方があの子達の為になる。所詮、ガキの俺に出来ることはたかが知れているのだから。


「……」

「………」


空気は最悪だ。完全に飯を食う空気ではない。

これ、俺のせい? …どうしよ、何か一発ギャグとかした方がいいかな?


ずぅぅん…と空気が澱む。周囲にはパチパチと肉が焼ける音しかない。…そんな時だ。


「ん…もう!! 最初は申し訳なさであまり口を出すのはやめようと思ったけど、もう限界! 二人とも、こんな場所でそんな陰気な顔しないの! ここは肉を焼いて食う場所よ! ほら、じゃんじゃか肉焼く焼く!」


「うぇ…! う、うっす」


桜庭さんがトングを装備して手際よく肉を翻す。


「誠司さんも! 貴方は取り敢えず自分の考えを言っちゃう癖があるんだからもう…愛人君困ってるじゃない」


「す、すみません…」


……親父が尻に敷かれている。…あれ程無感情に、冷徹な雰囲気を持っていた親父じゃないみたいだ。…目の前にいるのはもう、俺の知らない親父だ。


(……あぁ、ほんとに…変わっちまったんだな)


もしくは本当の自分を取り戻したのか…多分、俺達の家族じゃ与えられなかったものがそこにはあった。


「……肉、貰ってもいいですか?」


「えぇどうぞ! じゃんじゃか食べましょう!」


噛み砕いて、噛み砕いて…どうにか目の前の現実を咀嚼する。

目の前に起きたことを実感して…受け入れ難くてもそれを受け入れる。


「…この肉、美味いっすね」


「でしょー? ここ安い割にいい肉仕入れているのよねー」


ゴクン…と、それを飲み込んだ。

……そうして、俺はようやく…過去は過去だったのだと認めることとなった。

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