勇気ある一歩は尊敬すべき
「へー、やっぱり同じ学校だったんか」
外見的特徴、特に制服からそれを察する。明るい場所に出てようやく少女の全貌を見ることが出来た。
「はい…と言っても私は授業にはあまり参加出来ていないんですけど…俗に言う保健室登校というやつです」
「ほーん」
あの後、少女は俺の手を取り、俺は少女をおんぶして家まで送ることとなった。
その道すがら互いに自己紹介をしてみる。
この少女…いい加減少女と呼ぶのはよそう。この人の名前は及川
「その…昔今日と同じようなことをされて…その時はなんとか助かったんですけど、それ以来男の人が怖くなってしまって…男の人の顔を見ると体の震えが止まらないんです」
「そりゃあ……申し訳ない」
どうしよ、今すぐ腹切った方がいいかな…。
「い、いえ! 名取君は別です! 助けてくれた人にそんな酷いことは出来ません!」
「いやいや、生物学的は同じ生き物なんだから怖いは怖いでしょ」
恐怖というのはそう簡単に克服出来るものではない。意識的に克服出来るのなら人類の全ては苦痛から解放されているだろう。
「別に無理しなくていいっすよ。怖いものは怖い。無理なものは無理。無理矢理受け入れようとしても心が壊れる。そう言ってくれるだけで満足っす」
「……ごめんね? 名取君…」
やはりまだ怖いのだろう。手とか足とかが微妙に震えている。なんだろう、とても守りたい。
「いえいえ、あ、途中でなんか水飲みます? 疲れてません?」
「い、いいよ! こうやって送ってくれるだけでも嬉しいよ?」
「そうっすか?」
しかしこんなに声を出すのに苦手そうなのに、俺の耳に届く程の叫び声を出したんだ。きっと喉を痛めただろうに…。
「…んー、でも俺は少し喉が渇いたんで…ちょっとそこの自販機に寄りますね」
「う、うん…」
及川先輩を背負いながらポケットの中にある財布を取り出し、ミネラルウォーターを買う。と、そこでわざとらしくこんな声で…。
「あ、やっべ」
慌てた感じの声を出す。
「ど、どうした…の?」
「いや、この水買ったはいいものの、俺って味の付いた飲料水の方が好きなんすよねぇ…」
ちょっとだけ悲しそうな声を出す。…んで、ここで食い気味にこう言ってみよう。
「あー、誰かこの水を飲んでくれればなぁ…?」
ちらっ?
「……ふふ、名取君って底抜けに優しいよね。…こほん、それじゃあ、そのミネラルウォーター、私に飲ませてもらってもいいかな…?」
「え、マジっすか? ありがとうございます!」
及川先輩は俺の茶番に敢えて付き合ってくれている。それは嬉しいがちょっと心配になるな。
こう…ここまで押しに弱いと俺の母親を思い出す。いつか悪い大人に騙されたりしないだろうか。
いや、騙されなくて襲われているか…どうしよ、やはりさっきの奴等をもう少し痛めつけておいた方がよかっただろうか…しかし先輩にバイオレンスな現場は見せたくない…難しいな。
「あ、名取君、少しだけしゃがんでもらってもいいかな?」
「ん? お安い御用で」
言われた通りしゃがむ。
ぐにゅん…と、二つの至宝が俺の背中に押し付けられるが耐える。頑張って、俺。
そんなことを考えていると、チャリン…と、自販機に小銭が吸い込まれる音がする。
「これでフェア…だよね? なんでも好きなの選んでいいよ」
「……こりゃ、やられちゃったな」
どうやら自分の財布から小銭を取り出し自販機に入れたらしい。自販機の金額メーターには200と綴られている。普通の自販機なら大体のものが買える値段だ。
「助けてくれたお礼…にはならないと思うけど、一応私の気持ち…本当にありがとう…ね?」
「…うっす」
流石にあんなこと言った手前、同じ値段であるミネラルウォータは買えない。
なので、俺は少しお高めになってしまうがよく飲んでいる飲料水選ぶことにした。
ミネラルウォーターを先輩に渡し、もう一つの飲料水は流石に自分の手で待つのは厳しいので先輩に持ってもらうことにした。
「それにしても名取君はあれだよね。紳士…みたいな感じだよね。私に対しての気遣いが自然すぎたよ」
ほわほわとした声で及川先輩はそんなことを言ってくる。……照れるぜ。
「いや、はっはっは…別にそんなんじゃないっ…すよ?」
「うふふ、ほんとかなぁ?」
ヤバい、この先輩ヤバい。メッサやばい。
うっかりすると本気で好きになってしまいそうな危うさがある。えぇ…?
この俺の対人コミュニケーション障壁を貫通してそんなことを思わせるのだ。凄いとしか言いようがない。
ここはなんとか話を変えるべく。取り敢えず事の原因を聞いてみることにした。
「……そういや、どうして夜遅くにこんな場所に…? 言っちゃなんですが不用心としか言いようがないっすよ?」
「あ、…それは…それは、ね?」
及川先輩はポツリポツリと話し出す。その声には若干の自嘲が乗っていた。
「…私、こんな自分を変えたかったの」
自分を変える。いうのは簡単、やるのは困難。それの筆頭の一つだろう。
自分というのは幼少からの積み重ね。それを変えるのは過去の自分の否定にしかならない。それを超越した者だけが己を変えられるのだ。
「…昔、こんなふうに男の人に襲われて、怖くなって、男の人と同じ空間にいられなくなって…お父さんとすら関われなくて…」
先輩にとってそれは過去のトラウマなのだろう。
「…家族にいっぱい迷惑を掛けて、心配させて…それが申し訳なくて仕方なくて…自分を変えようって思ったのが二年前なの」
話を聞く限り、先輩が襲われたのは中学生の頃…もしくはもっと前だ。そんな多感な時期にそんな怖い目にあったらそうなるのも仕方ない。
「お父さんもお母さんもお兄ちゃんも手伝ってくれて、去年ようやくお父さんとお兄ちゃんと触れ合えて…誰かと一緒ならだけど、それでも外に出ることが出来るようになったの…でも、まだ一人じゃ無理で…」
「それで、今回一人で家に帰ってみたんですか?」
「……うん。ご覧の通り失敗して、また怖い目に合って…ダメダメだよね。…慣れないことをして道に迷って、襲われそうになって、名取君が通りがかってくれなかったら今度こそ…」
震えが激しくなる。息遣いは荒くなり、首元に冷たいものがぴちゃんと当たる。
「……やっぱり…こんな私が自分を変えようだなんて無謀なんだよね…。わわ、わたしなんか…が…」
「それは違います」
それ以上の言葉は言わせない。
「いいっすか? 先輩。貴方は今日凄いことをしたんです。自分の恐怖を克服しようと行動する。それは誰にだって出来ることじゃありません」
それ以上の言葉は今日頑張ろうとした先輩への侮辱となる。そんな自傷行為させてたまるか。
「自分をそんなに卑下しないであげて下さい。むしろ誇りに持って? …例え失敗したのだとしても、先輩の今日の行動は誇れるものだと思いますよ」
「そう…かなぁ? …そうだといい…なぁ」
先輩は声を抑えながら静かに泣く。
何故…こんなに優しい人がこんな目に遭うのだろう。そしてなんで悪辣な人間がこの世に蔓延るのだろう。
俺が気分転換にこの場所に訪れなかったら先輩は今も陵辱されていただろう。そして、壊れた心は戻らないまま、陵辱されたという十字架を背負いながら生きていくのだろう。
…想像するだけで嫌だ。そんな悲しい世界は見たくない。
「…一つ、提案があるんですが…どうっすか?」
「ふぇ…?」
「先輩の行動はとても誇れるものです。凄いことです。…けれど、幾らか段階を吹っ飛ばしているようにも感じます」
何かをするのにいきなり難易度マックスで挑む必要はない。もっと手頃な所から進めてもいいはずだ。
「例えば、最初から一人で帰らないで誰かと一緒に…例えば友達と帰るとか、夜遅くに帰るのではなく明るい時間に一人で歩いてみる…とかね? まぁ夜遅い時間は普通の人間でも出歩かない方がいいんすけど」
「…でも、私こんなだから友達は一人も…」
それはなんとなく察している。保健室登校って言ってたしな。
それを解決する術はちゃんと考えてある。
「ふっ…俺ですよ。俺、俺がいます。俺が先輩の訓練に付き合いますよ。…言っちゃなんですが俺の見た目はちょいと強面、図体もデカいし喧嘩も強い。そんじょそこらの奴が現れても対処出来ます。…そんな俺が今なら先輩のお願い一つでなんでもやってあげますよ。どうっすか? お買い得っすよ?」
今日初めて出会った人間が何を言うんだとも思うが、そこはまぁ…仕方ない。
見てしまったものを見過ごすことは出来ないから…それだけはやっちゃいけないことだ。
「……それは、嬉しい…けど」
無論わかってる。先輩にとって俺はまだまだ怖い存在だろう。そんな状態で俺と一緒に帰る…それも難易度が高い行為だ。
「ははは、当然それ自体は当分先の話っすよ? 流石に俺も安い男じゃないんでね。もっと経験値を積んで…そう、もっとお喋りして、友好度を稼いでからの話っす」
焦りは禁物、無理は絶対ダメ。それがモットーですので。
「ま、最初はそうすっね…保健室でお昼ご飯でも一緒します?」
「…ふふ、そうだね。そうしてくれると嬉しい…かな」
契約成立。これで先輩の心が少しでも軽くなってくれるといいのだが。
「あ、ここが私のお家…」
「ん、了解っす」
気付くと先輩の家まで辿り着いていたらしい。
指を指されたその家まで向かい、インターホンを押す。
『…すみません。今ちょっと…ッ! 穂希!!』
女性の焦ったような声がインターホンから鳴り響く。
「…どうやら相当心配されているらしいっすね」
「……うん。本当に自慢の家族なの」
そりゃ羨ましい。本気でそう思う。
先輩は色々と不幸な目にあっているが…それでも両親の理解があるというのは素晴らしいことだと思う。
「穂希…!!」
勢いよく、と形容するには足りない程の勢いで玄関のドアが開かれる。
「あぁ! 穂希…! 大丈夫? 怪我はない!?」
「うん、大丈夫だよ。…実は、危ない目に遭いかけたんだけど…この人が助けてくれたの」
先輩をお母さんに預ける。これで俺の役割は終了かな。
「あの! 穂希を助けてくれて…!」
「ん、今はそれよりも先輩の方を…ちょっとどころではなくマジで怖い目に遭ってたんで、…多分、家族が一番そういうのを癒すのに向いてますよ」
お礼を言おうとするお母さんを引き留め、今優先すべきものが何かを察させる。
ぶっちゃけさっき言ったことは適当、俺にはそういうのは一切わからないが、多分そうなのだろう。
そうして俺はその場から立ち去る。引き留める声が聞こえたような気がしたが背後は振り返らず、手を適当に肩の上程度まであげる。そして、俺はその場から退散した。
…ちょっとカッコつけすぎちまったかな?
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