弁当の奇跡

「……次それやったらマジで玉潰すから」


「ひぇっ…」


そんなゾッとするようなことを言われつつ、俺は保健室へと戻る。結構追いかけられたから距離が離れてしまったのだ。


今度という今度は被り物を一切被らず保健室のドアに手を掛ける。

ちょっとした緊張はあるが、それでも俺はそのドアを開いた。


「………あ、名取くん…っ! 来てくれたんだ…!」


先輩は俺の心配なんて他所に、喜んだ顔をしながら迎え入れてくれた。


…こう、なんというか。先輩の中で気分が変わってしまい。俺との約束が気の病として処理されているのではないか…と、少しだけ心配していた。

そうなったら俺は一人ではしゃいでる恥ずかしい奴だしな…そうならなくてよかった。


「えぇまぁ…約束ですんで…」


男は一度取り付けた約束は破らない。これは割と嘘だけど俺はそうしたいと心掛けている。だってその方がカッコいいし。


「それでも嬉しいよ。…あの時はあんまりお礼も言えなかったし、…それにね? お母さん達も名取くんに直接お礼を言いたいって…」


「あーあー、別にいいっすよ。礼をされる程のことじゃないんで、俺は当たり前のことをしただけですよ」


「…その、当たり前の気持ちが嬉しかったの。…だから、その感謝の気持ちを伝えたいんだけど…ダメ…かな?」


や、やめろ。その上目遣いは俺に効くッ…!

お、俺の意思は鋼だ。この程度の攻撃かんしゃ…!


「…そんじゃま、…いつの日か及川先輩の家にお邪魔するということで…」


まぁ屈するよね。負けだわー。


「あ、でも近いうちはダメっすよ? もう少し俺の好感度を稼いでからにして下さいね」


一応補足…という名の照れ隠し。俺ちゃんこういうこと言うの苦手なんだよね。


「ふふ、それじゃあお礼をするために頑張って好感度を稼がないとね。…取り敢えずお昼にしよ? 机を片付けといたんだ」


そう言われてハッとする。


……俺の弁当、人様に見せられるものじゃなくね?


何せ米が二段の弁当だぞ? 普通の人の弁当とは乖離した存在…それを先輩に見せるのはどうも…ちょっとね? 腰が引けてしまう。

どうしよ、今からでも時を戻せねぇかなぁ? もしそれが出来たら今日の朝の謎テンション俺をぶっ飛ばせるのに…。


「…あ、あれ?」


どうやって弁当の中身を誤魔化すか考えていると、ほんのちょっと焦った声が聞こえてくる。


「……あはは、ちょっと失敗しちゃったみたい…間違えて二段ともおかずのお弁当箱を持ってきちゃった…」


照れりんこ…と、先輩はほんの少し顔を赤らめながら机の上に弁当を出す。そこにあるのは見事に美しく盛り付けられたおかずの山々だった。


「…く、くく」


まさかそんなことになるとは。世の中中々わからないもんだ。


「も、もう…そんなに笑わなくても…失敗は誰にだってあるんだよ…?」


「あーいや違くて…俺の今日の弁当がこれなんでね…ちょっと巡り合わせが良すぎるなぁと」


そうして俺は持ってきたふろしきを解き放つ。…そして、その弁当箱を開いた。


「これは…!」


「ふ、俺の方は二段とも米です。…もっとも俺の場合は自主的に持ってきましたけどね」


「見事に彩りやらを無視した弁当だな。緑一色とは恐れ入る」


うっさいよ保険医、これはこれで美味いんだよ。あとおかずは別に用意してるし。


「よかったら先輩は上のワカメご飯をどうぞ、おかずだけだと腹に溜まりませんよ」


「い、いいの?」


先輩は躊躇いながらも目を少し輝かせる。流石におかずだけの弁当は味気ないしな…やはり米あってこその弁当だと名取思うわけ。


「えぇどうぞ。好きに食べちゃって下さい」


「そ、それじゃあ遠慮なく…あ、それじゃあこっちのおかずと交換しよ?」


「ありがとうございます…」


そう言って先輩は二つあるうちの一つを渡してきた。わーいおかず二倍だー。


そしていただきますと言いつつ、俺達は昼食を取る。


「名取このタッパーの中身は?」


「俺が作ったおかずですけど。一個食べます?」


「え、いいの? …それじゃあこの卵焼きを…」


保険医は俺の作った卵焼きをパクりと一口で食べる。もう少しありがたく食えや。


「え、美味…。…これ誰が作ったの?」


「三秒前に聞いたことも忘れるんですか? 俺が作りましたよ」


「……うそぉ」


え、そんな呆然とする? 俺ってそんなに料理しないように見える?

心底ムカつくんだが…。おのれ俺のイメージ。


「ね、ね。…私も食べていいかな?」


「えぇどうぞ。好きなだけ食べちゃって下さい。…あ、先生はもう食わんといて、そんな反応する人に渡すおかずはありませんえ」


「うっ…」


そろりそろりと俺のおかずに伸ばしていた箸をペシっと手で制す。これ以上食わせてたまるか。


さて、それじゃあ俺も先輩のおかずをいただくとしよう。

どれどれ…ウインナーに卵焼き、ちっちゃいハンバーグにブロッコリーか…。ふむ、それじゃあ卵焼きをいただこうか。


パクりと一口。…こ、これは!!


「美味い!」

「美味しい…!」


ほぼ同時に同じことを言った。


「俺の味付けとは違って甘い…砂糖を使っているのかな? それがほんわかした優しさを出しているし、一緒に混ぜ込まれた微塵切りされた玉ねぎの甘味も充分に引き立っている。…へぇ、卵焼きに玉ねぎ…それに砂糖か…盲点だったな」


俺の知らない味だ。今度試してみてもいいかもしれない。本当に美味しいと思った。


「名取くんのだし巻き卵はだしと塩…あと醤油を足したシンプルな味付けだけど、逆にそれが卵の味を引き出してる…それに形が綺麗…こんな綺麗な卵焼き私には作れないよ」


先輩も俺のことを褒めてくれているようだった。嬉しい。


「俺のはまぁ…ずっとやってきたんでそれなりには出来ますけど、先輩の卵焼きの方が凄いっすよ。優しい味の権化って感じで…これは先輩が?」


「うん、料理の練習の一環でお弁当を作ってるんだ。…名取くんのものに比べたら形も歪だし、そんなに褒められることじゃ…」


何を言ってらっしゃる。この優しい味に比べたら俺の卵焼きなんてしょっぱいだけだ。


「ふーん。私はどっちも凄いと思うけどな、どっちも美味い美味い…」


「あ、こんにゃろ…また勝手に食いやがった」


別にいいけどね? おかずは充分にあるし。


「しかし名取は見た目にそぐわず料理が上手いな…何かコツとかあるの?」


コツ? …そう言われてもな。


「料理というか、家事はずっと続けてやってきたからなぁ…長い間やってるとこんぐらい普通になってきますよ」


年季が違うからな、小学校六年から中学時代を含めてずっと家の家事をやっていたんだぜ? 俺。

逆にこんぐらいの期間やり続けて下手だったらそれはそれで問題だと思う。料理教室とかに通った方がいいと思われ。…嫌味とかではなくてね? 本当に上手くなりたいのなら先達から学ぶべきということなのだよ。


「それに俺は一人暮らしっすからね。料理は毎日やってるんで」


惣菜はなぁ…楽だけど高いんだよなぁ。

やはり作り置きしてそれをチマチマ食べるのが一番家計にいい。飽きたら別の料理を作ればいいんだしな。めんどうだけど。


「一人暮らしなの?」


先輩の純粋な疑問の声、思わず俺はそれに答えてしまった。


「実家から離れたかったんです。理由としては……」


…これ、結構な恥だからあんまり言いたくないな。

けどここまで口にしてやめるのはアレだし、それに後から知られて失望されたくない。だったら今失望してもらった方が楽だ。


「…俺は地元ではちょっとばかし悪目立ちしている存在で…そっから離れたくてこの町に来たんです。S市のA君って調べればわかると思いますよ」


「…ん、どれどれ…」


そう、これが俺がネットを恐ろしいと思っている理由。SNSなんかに一生自分を出さないと誓った一件。


とくとご覧じろ、これこそ俺の黒歴史の一端…そしてしょうもない妹の後始末をした俺の末路。俺の中学時代を真っ赤にしやがった原因。


「………え、なにこれ。…絶対に勝てない中学生を倒す方法募集…?」


「……これ、名取くんだよね。…え?」


先輩が見ている画像、そこにはこう書かれていた。


【この人をボコボコにして画像をアップしたら私をメチャクチャにしていい権利をあげまーす】


そんなふざけた文言と一緒に、顔の大半を隠した女と顔の何も隠していないガラの悪い金髪をした男の顔がそこに映っていた。


プライバシーの権利の敗北である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る