カッコいい人

「お帰りなさ…」


疲れた。


「だ、大丈夫ですか…!? 顔が真っ青ですよ!?」


……何故、俺はああいうことしか出来ないのだろうか。


実の母を脅した。過去に起きたことを盾に首を強引に振らせた。…そんなの、どう考えても悪人がすることではないか。


…ああでもしなければ母は首を盾に振ることはしなかっただろう。決めるにしても、もっと長い年月を掛けて…数年単位を掛けてようやく首を縦に振るのだろう。


しかし、そうなれば父とあの人の関係はどうなる? もしかしたら破局してしまうかもしれない。


いや、やめろ。行動を肯定させるな、やめろ、さっきまでの行動を是と決めるな。

やめろ、自分で自分を守るな、…俺がやったことは最低で最悪の行為だ。それを受け入れろ。


『「名取さん……なと……ん!」


何故だ。何故いつもそういうことしか出来ない。

でも他に選択肢はあったか? あれ以外に全員が幸せになるだろう道はあったか?


「…………!!」』


もしかしたらあったのかもしれない。そも、母の日に言うべきことではなかった。どうして俺はいつもそういう配慮が欠けているんだ。

でも、あの日に言わなければならなかった。母の日に最悪なことを俺が言うことで少しでも親父への不満を…だから、自分を肯定するなって言ってるだろうが…!


『「────!!!」


あぁ…クソ…。母を苦しめたくないに、愛菜の肩身を狭くさせたいわけじゃないのに、どうして、俺は、あのタイミングで、どうして、どうして…、どうし…て………。


「名取愛人さん!!」』


「……あ?」


両肩に衝撃が来た。誰かが俺の肩に…俺の家に誰かが?

…そうだ、今、俺の家には人がいるんだった。


遠くなっていた声が聞こえるようになる。耳鳴りでうるさかった頭の中が静かになる。


「…悪い、ちょっとぼーっとしてた」


「ぼーっとしてたって…あんな顔をして…」


破綻しかけた思考を元に戻す。…大丈夫、俺はまだ大丈夫。

思考を外に寄せて…今はそのことを忘れろ。


「すまんがちょっと寝ていいか? …少しばかり疲れてな…飯はその後に作る」


「………」


返事も聞かず寝袋の中に入る。…あぁ、そういえば愛菜が帰ったのだから布団をしまわないと。

…でも、取り敢えず少し眠るとしよう。…今の俺には休息が必要だ。



いつだってそうだ。何かに疲れた時、何かを失敗した時、人は何らかの方法でそれから切り替える必要がある。

俺の場合はそれは睡眠だ。…一度寝て、起きたら大体のことを受け入れられる様になっている。


今回は…ほんの少し厳しいかもしれないが、それでも切り替えるのだ。


最初からわかってるだろう? 俺が最低なクズ野郎だってことは…。

落ち込む必要はないんだ。それは既に受け入れたことだろう? なら、それを受け入れた後にどうするかが大事なんだ。


だからさっさと切り替え…。…なんか辺な匂いしない?


「…はっ!」


辺な匂い…出汁の様なものが芳しく漂っている。…いい匂いだ。


「な、なんだ…?」


「あ、起きちゃったんですか?」


…高嶺が何かを料理を作ってる。…火を使うなと言ったんだが…。

だが手元を確認してみるがなんのぎこちなさもない…どうやら得意? 料理を作っているらしい。…なら、取り立てて言うべきことはないだろう。


「名取さんはお疲れの様ですので…今日は私がご飯を作ってみたんですけど…大丈夫でしたか…?」


「…まぁ、別にいいけど。…料理作れたっけ?」


「名取さん程ではありませんし、普段は家でも作ることはしませんが、家族が…お母さんや妹やお父さんが風邪を引いたりした時は簡単なものを作るんです」


そう言って机の上に出したのは…丼に入った汁物…多分うどんか蕎麦だ。


「よかったらどうぞ…お口に合えばいいのですが」


「…いただきます」


寝袋から出て机へと向かう。

用意されている箸を握り、椅子に座り…丼の中身を覗き込む。


あったのはとてもシンプルなうどんだ。用意されているのは薬味のネギと落とし卵だけ、殆ど素うどんだみたいなものだった。


だが、俺はごちゃごちゃと色々つけ合わせるよりもこんなふうにシンプルなうどんの方が好きだ。豪華なうどんも嫌いなわけではないけどな。


ずるるっと一口麺を啜る。…とても優しい味だ。

めんつゆをベースにした汁で、それ以外には特に味付けはしていないがとても美味しい。


「美味いな…」


「よかった…! いつも本当に美味しい料理を作っているので実はドキドキしてたんです。…口に合わなかったらどうしようって…」


「……俺そんなに味にうるさそうに見える?」


「いいえ? ただ私がそう思っただけです」


口調は柔らかく、本当に安心した様な声を出している。…どれだけ俺が偏屈に見えていたんだか…。


その事実が可笑しくて不思議と口元が緩む。…少しだけ心の負債が和らいだ気がした。


「なんだよ、ちゃんと美味い料理作れるじゃんか、これならもっと任せておけばよかったぜ」


「い、いえそんな…! 本当にこれしか作れませんので…」


俺は本当はこいつを守らなければならない。今の俺はこいつを守る存在だ。

だから俺はコイツの前では強い人間であらなければならない。そうでなければ安心出来ないだろうから。


だけど今の俺はダメダメだ。全然人を守れそうには見えない。…誰がどう見たって今の俺は頼りない。


「じゃあ偶にでいいから飯を作ってくれよ。ちゃんとうどん以外のレパートリーを増やしておくんだぞ?」


「え、…え…!?」


それじゃあダメなんだぞと心に釘を打ちつける。そのままにしてはならないと心が脈打つ。


…萎えた心に火を灯せ、より強く、より鋭く精神を研ぎ澄ませ。

弱いままでは生きていけない。弱いままの自分で妥協するな。


強く強く、強くなる。肉体的にも精神的にも…強くなって、それで…きっと俺は善い人間になる。



【善い人になりなさい】



今もその言葉は俺の胸に刻んである。刻んだ理由は単純だ。


綺麗事だけでは生きていけない中、それでも俺はその綺麗事に順守し続けてきた。

…何故、ここまでそれを続けていけたかなんて、本当は単純な理由なんだ。


愛菜のこともある。遺言という事情もある。…けれど、最初の起因はそれではない。


今でも覚えている。…ベットで仰向けになり、優しい口調でそう言ったばあちゃん。

そんなばあちゃんに対して…俺はこう言ったのだ。


『善い人かぁ…カッコいいな!! うん、ばあちゃん! 俺、きっとそんな人になるよ! 強くて優しくて…そんなカッコいいヒーローみたいになる!!』


なんてことない、ただの憧れだ。その言葉を聞いて、そんな未来の自分を想像して…そういう人になるのがカッコいいと思ったんだ。

子供の頃に夢見た理想…子供の頃に夢浮かべた未来…こんな大人になれたらなとそう思った。


そんな昔の俺を裏切れなかった。そんな昔の俺を守りたくて、今も俺は善い人間であり続けると決めている。


子供っぽいと思うだろうか? …でも、そんな子供の理想が俺をここまで連れてきた。ここまで"俺"を続けさせてくれた。


夢破れた…なんてことにはさせない。子供の戯言になんてさせない。この夢を破らせてたまるものか。

昔、そんなことを夢見た俺を、消してしまうなんてことは出来ない。


俺しかそれを守れる人間はいないんだ。誰も、俺を助けることなんてしないのだから。

だから、俺しか俺を守れる人間がいないから…俺は俺を守り続ける。


それに、もしそんな俺を消してしまえば過去の俺の想いが間違いだって認める様なものだ…だから、俺は昔の俺が間違っていないと証明し続ける。

例え、どんなに辛くてもそんなの関係ないって、へっちゃらだって言い切ってみせる。


だって、その方が…カッコ、いいだろう?

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