襲来
エレベーター…は、遅いから却下! 階段をダッシュで駆ける。
ドタドタと俺の足音がうるさい。近所迷惑なことはわかっているがそれでも俺は足を急いで動かす。
そうして玄関ロビーに辿り着き辺りを見渡す。
…見つけた。
「……ゃッ!」
「……………に来い!!」
一人の中年が高嶺の腕を引っ張っている。高嶺はそれに抵抗しようとしているが力が足りずに引き摺られていた。
すぐさまその場所へ駆け…取り敢えず中年の腕を掴む。
「おいオッサン、取り敢えずその手を放せ」
「な、名取さん…!」
抜かった抜かった抜かった抜かったッ…!
何故登下校中にこうなるという可能性を探らなかった。普段の俺なら最悪のことも想定出来ていた筈だ。
種田さんが教えてくれなかったらのほほんと今も部屋で過ごしていたっていうのか? クソッタレめ…脳味噌に蛆でも沸いてるかと思う程の能天気ぶりだなオイ。
「誰だ? 貴様…ただの通行人なら放っておいてくれないか? 彼女は私の娘だ。ずっと家出をしていてようやく見つけたばかりなんだ。部外者が関わらないでくれ」
自嘲は取り敢えず捨て置く、…今は目の前のことだ。
無言で高嶺の方を見る。…高嶺はふるふると横に首を振った。
つまり、父という話は嘘…なるほど、こいつが高嶺の言っていた上司か。
普通の人間なら信じてしまう程にそれっぽい言葉遣いだ。年齢も正にそういった感じ…。
なるほど、普段からこういう嘘は使い慣れているというわけか…まぁ、相手が悪かったな、俺にはそれは通じん。
「部外者でもなんでも、女性が無理矢理連れて行かれそうになったら誰でも止めるだろ普通。それにお前とこの子、全然顔似てないが? 本当に血縁関係があるのかねっ…!」
上司の腕を掴んでいる指に少しずつ力を込めていく。
「ぐっ…」
衰えた中年と鍛えた俺の間に力の差がある。…上司は抵抗しようとしているが、あっさりとその手を引き剥がせた。
高嶺が俺の背後に回り込む。…取り敢えず身柄の確保は出来たか。
「もし血縁関係があるのなら今すぐDNA鑑定書を寄越せよ。そうしたらお前とこの子が親子関係だと認めてやる」
「そんなもの手元にあるわけないだろう。…いいから、部外者はすっこんで……」
「早く持ってこいって言ったんだろうがクソジジイ!!」
こういうありとあらゆることを嘘で乗り越えてきた人間と口論するのは悪手だ。あの手この手で言いくるめられてしまう。こいつらは言葉の一つ一つに毒を仕込んでいる。放置したら取り返しのつかないことになる。
だから俺はこういう奴等と言葉を交わさない。絶対に達成出来ない要求…この場合、こいつと高嶺が親子関係であるという物的証拠を求め続けることしか口にしない。
「それともなんだ? 持って来れないということはつまり、お前はこの子の父の名を語り、連れ去ろうとしているってことだよなぁ!!!」
「チッ、いちいち声が大きいんだよ」
だってわざと大声を上げているからな。
こいつの目的はなんとしても高嶺を連れ去りたい。あれはそれを阻止したい。なら方法は簡単だ。
人目を集める。それだけでこいつ目的は阻止出来る。
無理矢理連れて行こうとすれば親子関係が本当なのかまわりが訝しむ、その相手を説得しようにも材料がない。
もしかしたら口八丁で周りの存在を説得してしまうかもしれないが、その隙に逃げ出すことも出来る。
取られたくない方法としては後者…だが、それはないだろうと確信出来る。
こいつとしては、そもそも人目を集めることすらデメリットなのだ。
このインターネットという集合監視装置が蔓延る世の中、もしかしたらこの騒動も誰かが盗撮するかもしれない。
その映像が周囲に回り、こいつの周辺の人物へと届いたとする…そうなるとどうなる?
無論、こいつの主張が嘘ということが筒抜けになる。どう足掻いてもこいつと高嶺は親子関係はない…どちらかの家族関係を知っている人間がいればこいつは周りから問い詰められることになるだろう。
インターネットという危険に身を晒されているからこそ考えついた方法だ。正直諸刃の剣でもある。
俺自身も注目を浴びるということは、中学時代の俺という情報が発掘される可能性もある…が、それは承知の上だ。
…それに。
「…絶対に、逃がさないからな…!」
男は足早にこの場から立ち去る。そんな捨て台詞を吐きながら。
「……ふぅ」
深く安堵の溜息吐く。
こいつが立ち去ることはなんとなくわかっていた。…目に見えてイライラしているし、このタイプの人間は少しのリスクも極端に嫌がる。…すぐにこの場を立ち去ることはわかっていた。
更に言えば、あわよくばあの男が高嶺を脅す発言をしてくれればと思ったのだが…そうすれば手元に隠したボイスレコーダーでその発言を録音、脅迫とかのアレでしょっぴけたんだが…そう上手くはいかないか。
「高嶺、動けるか? 取り敢えず移動しよう」
身から出た鯖というわけではないが、住人が数人こちらの方を見ている。…この場にあんまり長居したくない。
「は、はい…」
そう返事はしているが足元がおぼつかない。…多分、恐怖によりそうなってしまっている。
「…訴えるなよ?」
「え、…ぁ」
高嶺の肩を担ぎ、足代わりになる。…大丈夫かな、怒られないかな…。
しかし手っ取り早く移動する為にはそうするしかない。…相手の反応をわざと気にせず、足早にその場から立ち去る。
「…あり、…ありがとう…ございます」
震える声でその言葉を聞いて、ようやく俺は力を入れて高嶺を運ぶのだった。
─
「まさかこんな時間にやってくるとはな…」
俺の部屋、時刻は五時ちょい過ぎ…普通の社会人なら働いているであろう時間帯だ。
「…悪いな、助けに行くのが遅れた」
頭を下げる。そこは間違いなく俺の落ち度だ。
「もう少し最悪の想定もするべきだった。…怖い思いをさせて申し訳ない…」
「い、いえ…私の方こそもう少し気をつけるべきでした…」
まぁそんなことを言っててもしゃあなし。ここは互いが悪くなかったということにしよう。
いつまでもウダウダしていても状況は好転しない。自嘲なら後で死ぬほどすればいい。
「…で、だ。…こっからどうするべきか…」
ここでの一番の問題は、高嶺がここに住んでいると奴に知られたことだ。
「多分あいつはこれから色々とちょっかいを掛けてくる。…多分お前を一人にしたら簡単にアクションを取ってくるぞ」
住所を知られたということは、奴はここで待ち伏せ出来るということ…いずれ接触が起きることは想像するのは容易い。
「あとお前、最初の状況を見ていないからわからんが、走ってここまで逃げられなかったのか? 例え性別の差があったとしても中年と学生が足の速さで負けると思えないんだが…もしかして、何か吹き込まれたか?」
「っ…」
大方父親がどうなってもいいのかとか、父親は今大変なことになっているぞ、お前が逃げたせいでな…とかだろう。
その言葉を聞き入れる必要はない…だが、どうしても耳に入った情報を想像してしまう。…人間の特徴の一つだ。
そのせいで一歩踏み出すのが遅れたのだろう。…あの状況になるのはわからなくもない。
「まぁ幸い部屋の場所までは知られていないだろうからまだなんとか出来るが…これからどうするかねぇ…」
深く息を吐く。
どうもこうも、これからも守ってやるしかないのだが…それがいつまで続けられるかがわからない。
見捨てることは絶対にしない…が、いつまでもこの状態を続けるわけにはいかないだろう。互いのためにもな。
「…ちょっと調べてみたんだけどよ。お前の親父さんが何らかの大失敗をしたとしても、会社はそれに対して全額の負債を背負わせる? ことが出来ないらしいんだ」
ネットで調べた情報、それを高嶺に話す。
俺自身もそこまで理解が深いわけじゃない…が、ざっと表面的なことなら理解した。その理解の上での話だ。
「けど、お前の親父さんが故意に損害を出したか、それとも偶発的な失敗なのか…それともあの男がその失敗すらもでっち上げたのか…それがわからないことには話は始まらないんだよなぁ…」
それがわかれば苦労はしないよなぁと独白、…とにかく情報が足りな過ぎる。
…それともう一つ。
「一番ヤバいのは、今まではお前を匿うだけでよかったが、居場所が知られた以上根本的な解決をしない限りお前の安全を保てなくなっちまったことなんだよな…」
…さて、ここが問題だ。
今回の件に関して、本当に俺に出来ることは少ない。
何せこいつの親父の会社の事情だからな…俺が関わるべき箇所がなさすぎる。
つまり、何をすればいいのか全くわからない…というのが本音だ。
「…根本的な解決…つまり、父の会社の問題を解決する必要がある…ということですか…?」
「そうなるな…うーん、父親と連絡は?」
「取れません…もしかしたら携帯を使えない状況にあるのかも…」
つまりどうすることも出来ないと…うむ、悩ましい問題だ。…まぁ、とにかく。
「取り敢えず暫くは俺と登下校時間を被せろ。俺が側にいれば例えいきなり連れ去られたとしても防いでやれる。…つーか最初からそうしとけばよかったんだよなぁ…」
はぁ、と深く溜息。…こんな現状維持の策しか出来ないなんて…自らの無力ほど嘆くものはないな。
「…その、…いいんですか…? そんなに迷惑を掛けてしまって…」
控えめな声、これ以上俺に迷惑を掛けることを恐れている様だ。こいつの性格が見て取れる言葉だな。
「んー? んなもん今更だろ」
そんな言葉を一笑で吹き飛ばしてやる。
ここに住まわせている時点でとびっきりの迷惑を被っている。迷惑を掛けてる掛けてないで追い出すのならとっくに追い出しているだろうさ。
「だがま、それでもいいんだ。…お前みたいな奴があのクソ野郎に好き放題されるのは間違っている。そんなのは認めるわけにはいかない…これは、そんな俺の個人的な願望だよ」
胸糞は御免だ。絶望は否定したい…そんな、子供っぽい思考…それしかないんだ。
「…本当に、ありがとうございます…暫く、私と一緒に学校に行ってくださいっ…」
震える声で高音はそう言った。…俺にはその震えを取り払うことは出来ない。
…いつか、近いうちにでもその震えが収まってくれればいいと思う。
「応とも! …任せておきな」
そんな願いを込めて、俺は自信満々とそう言い切ってみせるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます