夏が終わる
どうやら愛菜も俺達が行くお祭りに行くらしい。最近出来た友達に誘われたと言っていた。なので今回に関しては愛菜のことを気に掛ける必要はない。
結果として俺は
仕方ないので俺は先輩のお兄さんが来ていたという浴衣を借りてこの祭りに参加していた。かくいう先輩も浴衣を着用…俺が来ている物と殆ど同じ柄だな。
「………」
地域のお祭り…ということで集まっているのはやはり近所の子供とか、町内会のおじさんとかそんな感じの人しかいなかった。
中には普通の年頃の奴もいたが…そいつらは大体友達とか彼女とかと一緒に遊んでいるだけ…俗に言うナンパ目的の奴はあまり見受けられない。
俺が前に行った花火大会はもっとこう…チャラチャラした雰囲気の奴が多かったんだがな…先輩の言う通りスーツを脱いで正解だったかもしれない。
こんな場所でスーツを着ていたら逆に目立つ、…あの時は少し気が動転していた様だな。
周囲の警戒を緩め、先輩の方を見る。
先輩はうろうろと周りを見渡して俺より警戒している。…きっと男性恐怖症よるものだろう。
「先輩」
「っ…! な、なぁに? 名取くん…」
無理して平静を装っているが、その横顔には脂汗が滲み出てしまっている。…やはり根深い問題だ。
こういう時、どういった声を掛ければいいか俺はまだよくわかっていない。…まだまだ俺は子供だから、人を心の底から安心させてあげられる言葉をまだ知らない。
だから、…本当の昔に俺がされた。…いつも俺がそうしていることをする。
「ぁ…」
先輩の手を握る。
人間というのは不思議なもので…人の体温を感じると心が安らぐ。…けれどそこに力が入ればその安らぎは恐怖へと変わってしまう。
だから、ゆっくりと…綿に触れる様に優しく俺はその手に触れた。
「貴方の恐怖を取り除けるなんて世迷言は言えません。…けど、俺がここにいる限り絶対に先輩に危害を加えさせません。…信じてくれていますよね?」
敢えて強気に言い切る。俺が弱気になってはいけないからだ。
弱気というのは感染症の様に人に移る。弱気な人間が周りにいれば周囲の人間にも負の感情を呼び起こす。
なので…無理にでもそんな感情を取り除く。絶対的に信じて貰えるように、周りの人間に目移りさせない様に。
「折角の夏祭りです。今日は楽しみましょう。…俺も実は楽しみにしていたんですよね」
今感じるのはそれだけでいいと促す。それだけを感じて…今だけはその恐怖を誤魔化してみせる。
「…うん、そうだね。…名取くんが一緒にいてくれるなら…怖いものなんてないよ」
そして、彼女は俺の手を握り返す。
そこからは何も感じず、何も感じさせず…夏祭りを謳歌した。
「先輩、見てて下さい…そこッ!」
「す、凄いよ! 一発で景品を落とすなんて…!」
射的で遊んだ。取れた景品は幾つかのお菓子と、夏祭り特有のよくわからないぬいぐるみ。
その全てを渡すと先輩は喜んでくれた。
「おぉ! 上手いもんですね」
「ふふん、細かい作業は実は得意なんだよ?」
先輩の型抜きを側から見た。今回俺は見守り続けるに徹する。
「む、この焼き鳥美味いっすね…イカ焼きも絶品。焼きそばも上々、じゃがバターは…まぁ普通に美味いっすね」
「たこ焼きも美味しいよ?」
屋台と言っても使っているのは素人、そして使われている食材も調味料も市販のもの筈だ…それなのに今あげた食べ物はどれも美味しかった。
きっと、祭りという雰囲気がそうさせているのだろう。
「わっ…は、ハズレ…」
絶対に当たらないくじ引きを側から見た。
「あ、あれ? 意外と難しい…?」
金魚掬いならぬ水風船掬いを側から見た。
「名取くん! 次は何処に行こっか!」
心の底から楽しんでいる。先輩の姿を見た。
……俺の存在は先輩の為になっているだろうか。俺は、誰かの役に立てているのだろうか。
少しだけ悩む。
…俺は、こんな幸せな場所にいてもいいのだろうか。
「あははっ…!」
あの笑顔が向けられる相手が俺で、本当にいいのだろうか。
「楽しいね! 名取くん!」
「えぇ、そうですね」
俺にそんな資格はない。俺にこんな暖かさを受ける権利はない。
…その筈なのに。
どうしてだろう。俺はこのぬるま湯から外に出ることが出来なくなっていた。
当初の高校生活…俺は誰とも関わらず、誰とも触れ合わずに生きていくつもりだった。そう生きるしかないと思っていた。
それなのに、ふとした拍子でこんな変わりきった毎日を生きている。…俺が想定していなかった毎日が過ぎている。
なんでことのない日常…そう、俺はずっとそういうものに浸って生きているつもりだった。
あの部屋で毎日誰とも接さず、愛菜や中学の友人以外の存在とは触れ合わないで生きていくつもりだった。
それなのに、何故だろう? …俺は、どうしてこんな幸せを味わっているんだろうか。
「名取くん、あそこの屋台にも寄ってみよーよ!」
…それはきっと、あの時からだ。
あの時、あの場所で…先輩と出会ったからこんな変わった日々を送っている。
先輩の持つ雰囲気に絆され、交わる必要のない人と関わり、そこからなし崩しにここまでやってきた。
俺は…今の流された自分が嫌いじゃない。…そのおかげで救えるものもあった筈だ。
けれども…俺はそんな逃がされた俺を肯定するつもりにはなれない。心の奥底では否定している自分がいる。
自分のやってきたことを思い出せと、お前はこんなに優しい人達と関わる権利はないだろうと…心の俺がそんなことを言い続けている。
お前に救われる権利はないんだと、そう告げられている。
「名取くん?」
「…ん」
祭りも終わりが近付いている。少なくない人達がこの場から離れ、祭りの名残だけがこの場には残っていた。
「ぼーっとしてどうしたの?」
どうやら考え込んでいたのがバレていたらしい。心配そうな顔を覗き込ませてそう言ってきた。
「いえ、なんでもないです。気にしないで下さい」
我ながら適当なことを言ったなと自覚しつつ、その追求から逃れる為にとっておきの秘策を取り出した。
「それよりも先輩、花火…しませんか?」
「花火?」
背負ってきたリュックから一つの物を取り出す。よくあるスーパーとかに置いてある小さい花火…そこから更に量を少なくして持ってきた。
愛菜と遊んだ時の残りだが…二人で遊ぶには充分だろう。
「わぁー…! 懐かしいなぁ…昔は家族みんなでよくやったなぁ」
「俺も妹と偶にやります。…場所を移動してやってみましょうか」
「うん、やろうやろう!」
辺りに火が燃え移らなそうな場所に移動する。ちゃんと消火用のバケツも用意した。
カチッとライターで花火に火をつける。
導火線に火がつき、そこから少し時間が経つと…バァッ…! と勢いよく火花が散り始めた。
「わっ! 勢い凄いね…」
「パワーのあるやつを選んだんで…あ、火貰っていいですか?」
「どうぞどうぞ」
先輩が持つ花火に新しい花火を近づけ…次の火花が散る。
本当の子供の頃ならば手に持つ花火を振り回したのだろうが…今はじっとその火花を眺めるに留める。
花火なんてただの炎色反応の筈なのに…どうしてここまで綺麗と感じるのだろう。
「名取くん…次は私もいいかな…?」
「えぇ、じゃんじゃかやっちゃいましょう」
シュー、シューと派手目な花火を火を付けにつけ…いつの間にか残るのは地味な花火になってしまった。
地味と言ってもそれが悪いわけじゃない。むしろその方がいいという場合もある。
「あと残ったのは線香花火だけ…だね」
そう。地味っていうのはつまり儚いという意味である。…儚いっていうのは夏の終わりを表すには相応しいものだろ?
「えぇ、ちょっと待って下さい…今ライター持ってくるんで…」
「うん、ありがとう」
近くに置いてあるライターを拾い直し、二人で分けた線香花火に火をつけようとする直前。
「…名取くん、ただ線香花火をするのは少しだけもどかしいからさ…一つ勝負をしない?」
「勝負…ですか?」
「うん、線香花火を長く保てていた方が相手の人に自分のお願いを言うことが出来る。…それでどう?」
相手の願いを叶えるのではなく、その願いを言うことが出来る…か。なんとなく先輩らしいな。
きっとその願いを断ることも出来るのだろう。無理に従わせるつもりはない…あくまでお願いを言うだけ…引っ込み思案と言われている先輩が勇気を出す為の口実…。
おそらく簡単な願い事ではない、もしそうなら先輩は普通に言うことが出来る筈だ。なんたって既に何回か俺は先輩にお願いされている。
それなのにこうして改めて言われているということは…きっとその願いが先輩にとって大切なことなのだろう。
「構いませんよ。買った方が相手に自分のお願いを言う…受けて立ちましょう」
「あ、ありがとう…っ!」
勝負を了承して…俺は線香花火に火をつけた。
パラパラパラと小さく火花が咲く。きっと線香花火の由来には関係ないし、絶対に間違った考えであるとはわかっているが、なるほど…と、どうしても思ってしまう。
この輝きは閃光だ。一瞬で通り過ぎ、一瞬で消え去ってしまう。
今、俺と先輩は二つの光を握っている。…どちらが先に落ちるのかは全くわからない。
「ねぇ、名取くん」
「どうしました?」
火花はまだ枯れていない。両方とも小さく咲き誇り続けている。
「ちょっと伝えたいことがあって。…今日は本当にありがとう。…ずっと昔、まだ私が外に出ても平気だった頃…。…世界はこんなにも綺麗だよって信じられた時を今日は思い出せた。…怖くて、恐ろしくても…輝くものがあるんだって思い出せた」
「先輩がそう思えたならよかった。…本当に、我が身のことの様に嬉しいです」
段々と光が弱々しくなっていく。…もうそろそろどちらかの火花が枯れていく。
「…あの、ね?」
先輩の目は真っ直ぐ俺へと向いている。何か意を決した様な…何か伝えたいことがある様な…そんな顔をしている。
…ぱちりと、一つの火花がついに落ちた。きっと先輩は気付いていない。
手を少し振る。遅れてもう一つの火花が枯れ落ちた。
「あのね? 名取くん…今日は本当にありがとう。とっても楽しかった…よ」
「えぇ、俺もです。…俺も、本当に楽しい日を過ごしました」
意を決したその声を聞き届ける。ゆっくりと、時間を掛けてではあったが、その一言を言うのにどれほどの努力が込められていたかなんて簡単に察せる。だから俺も黙って待ち続けた。
しかし、先輩は気付いていないだろうが…既に両者共に線香花火が力尽きている。…仕方ない、俺から伝えるか。
「ところで先輩、線香花火の件を忘れていませんか?」
「花火…? あ、勝負…!? ど、どっちが勝ったのかな…」
やはり見逃していた様だ。…先輩のおっちょこちょいな部分が垣間見えた気がする。
「安心して下さい。俺が見た時先輩の花火の方が長く保てていましたよ。…つまり、先輩の勝ちですね」
「ほ、ほんと!? よ、よかったぁ…」
ほっとした様に先輩は胸を両手で押さえる。…そこまで言いたいこととはなんだろうか、気になる。
「勝負は勝負、敗者は勝者に従いましょう。…それで、先輩の言いたいこととはなんですか?」
「う、うん…少し緊張するけど…い、言うね…っ」
深呼吸を数回。緊張しているのか先輩の手が微かに震えている。
俺は何も言わず、何も反応せず…ただただその言葉を待った。
「…名取くん。…もし、もし名取くんがいいよって言ってくれるなら、…名取くんが嫌じゃなかったら…。…来年の夏も、一緒に私と遊んでくれない…かな…?」
「…っ───」
まさか、そのことを言う為に勝負事を?
「今年は私の意気地なしで全然遊べなかったけど…来年こそ一緒に…名取くんと一緒に過ごしたいなって…大丈夫、かな…?」
先輩は、そんなにも俺と過ごす時間を大切にしてくれているのか…考えたこともなかった。
「え、えぇ…勿論、光栄です」
返答するのに少しもたつく、脳味噌はとうに肯定を選択していたのにも関わらずにもだ。
「──よかっ、た。…約束…だよ? 名取くん」
約束、それは人間なら人生で一度や二度する行為だ。
両者間、もしくは片一方のみの宣言でもそれは成り立つ。そしてそれを破る者は一般的には不真面目、不道徳な奴と言われる。
俺はそれをもうしたくなかった。大切であればあるほど、大切だからこそそれが果たされなかった時、心の中に穴が開く気がするから。
…そう思っているのに、どうして俺はこんな約束をしてしまうのだろうか?
傷つけたくないという偽善? それとも最終的には破っても問題ないと思っているからか? …あまり、わからなくなってしまった。
ここで約束するのは無理ですねと言うのは簡単。むしろそう言うべきだと思っている自分がいる。軽率に未来の保証は出来ないと思っている自分がいる。
……けれども。
「えぇ、来年の夏は今以上に楽しい時間を先輩に与えてみせます。楽しみにしてて下さい」
なんでだろうな、俺はその言葉を決定づけてしまった。やっちゃだめだとはわかっているのに、それでも口はノーとは言ってくれなかった。
「俺も、来年の夏が楽しみになりそうです」
だって、俺も楽しそうだと思ってしまったから…仕方ないだろ?
初夏と比べて虫の声が少ない。気温はまだまだ上々と思いきや、きっとすぐに落ち着いてくる。
だって、もう夏が終わるから。
蝉と入れ替わりの様に鈴虫の声が鳴り響く。風が吹き、涼風が俺の体をぶるっと震わせる。
もうすぐ、秋が始まる。
優しい世界が見たいんだ 川崎殻覇 @kazuma1341
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