その光景を壊させやしない、絶対に
「ッッッッ…!?」
…焦っている。自分が誰を相手にしたかを認識だけでここまで焦っている。滑稽極まるってのはこのことだな。
「ちなみにだが、盗聴器の送信先はこの部屋の近くに待機している親父だ。…自分の口で何もかも全部言ってやーんの、ははは」
どっちかと言うと無断録音な気がしなくもないが、まぁわかりやすく盗聴器ということでいいだろう。結果は変わらん。それに録音もしてないしな、一方的にあっちに送っているだけだ。
「このッ! ガキぃ…!!」
…人間は怒りで熱くなり、目の前のことが見えづらくなる。…それはお前が仕掛けようとしたことだ。
「自信満々と俺をこの部屋に閉じ込めようとしたが無意味だったな、…俺と会話をすると決めた時点でお前がこうなることは確定していたんだよ」
正直あのまま話をぶった切られ、すぐこの場から去られていたらどうしようもなかった。
こんな実際に一度手を加えてしまい、警察に出しても相手にされないであろう動画を持っていても仕方ない。他の奴らに見せるにしても、それよりも先に不審者が出たと騒がれる方が嫌だった。
けれどこいつは最終的に会話を選んだ。相手をすることを選んだ理由は単純…俺のことをガキだと思っているから。
口では何だかんだと言っていたが、こいつの俺を見る目は先程はまでずっと舐め腐ったものだった。
当然だろうな、幾ら様々な経験を積んでいたとしてもそれは自分も同じ…年季がある自分の方が俺のことを手玉に取れると思ったのだろう。そう…高嶺家族と同じ様に。
…だがよ、お前は俺よりもこの世の地獄を浴びているのか?
比喩なしに町中で襲われる恐怖を味わったことは? 潰しても潰してもゴキブリの様に湧いてくるカス共を相手したことは? 頭から血を垂れ流して死に掛けたことはあるのか?
経験なんてしているわけがない。俺の様にそんなクソッタレな特別な目に遭っているわけがない。
最低最悪、ゴミの掃き溜めの様な悪意に晒され続けた俺を、たかが長い時間を生きただけのジジイが御せるわけがない…だから、お前は俺を見誤ったのだ。
「何の勝機もなしに…こんなちっぽけなボイスレコーダーだけで相手すると思ったのか? 馬鹿を言え、そんな軽率なことをするわけがないだろう…俺がお前を今相手しているのは確実にお前を潰す策があるからだ…俺は勝てない戦いはしない主義なんでね」
卑怯上等、卑屈上等、子供が何でもかんでも真正面からぶち当たる様な猪と思っては困る。そんな俺だったら俺はとっくに壊れていただろう。
だが、俺はそうなっていない…そんな俺はとっくに俺が殺したからだ。
子供という甘えを捨てた。大人としての冷たさを手に入れた…だから俺はお前を相手に出来る。
お前達というクズ共と対峙することが出来る。
ゆっくりと目の前の男の近くに横から歩み寄る。男は俺から距離を取ろうと漫然と足を動かした。
出口から遠ざかるのは悪手だ、でも今のお前は動揺しきっていてそのことが頭に残っていない。
だから、簡単にその場所に誘導出来る。
「お前の失敗は本来たった一つだ。…その日、高嶺を逃したこと。これさえなければお前は今もその立場を保っていられただろう。母子の体を貪れていただろう。父を絶望のドン底まで落とせただろう…だが、そうはならなかった」
ゆっくりと動き指定の場所へ…丁度互いの位置を逆転させる様に。
俺が今までいた大きな机の近くに男を追いやり、俺は出口を背に男を追い詰める。
…誰かの幸せを食い潰そうとした…それはどれだけの胸糞が悪いことなのか。
俺は幸せなんてものは知らない。知っていたとしても今はもうわからなくなってしまっている。…だから本当の意味でこいつがどれだけのことをしたのかは実感はしていない…。
だが、俺は見たのだ。
壊れ掛けた平穏を守ろうと家族全員が家族のことを想う様を…大事に大事に…絶対にそれを手放すまいと望む絆を。
俺はずっとそれを知らなかった。…けれど今は知っている。
あの夜、あの
あの尊い光景を俺は今も覚えている。そして、それはきっと高嶺の家も同じものを持っていた筈だ。
嫉妬もしよう、妬ましくも思おう、何故俺はそれを持っていないんだとも嘆こう。
…だが、それと同時にあの光景を亡くしてはいけないという情動が俺の中に駆け巡っている。
俺が持っていないからとかはどうでもいいのだ。妬ましいと嘆いたとしても関係ないのだ。
だって…あれは、守らなければならないものだから。守りたいと思えるものだから…!
───だから、あの、尊くも美しいものを自分勝手な性欲で壊そうとしたこいつをっ…! 絶対に許して堪るものかッ…!!
義憤を燃やす。決して逃しはしない、半端な結末にはしない。
これで漸くチェックメイトに至った…さぁ、最後の仕上げだ。
「偶然高嶺は俺の目に止まり、偶然俺はそれを拾い上げ、そして俺の親父が偶然お前の会社の社長だった…そんな幾つもの偶然が重なり…おまえを殺す」
なんだよ、捨てたもんじゃねぇなこの世界も…我ながら都合が良すぎるとは思うがどうでもいい、俺はある物は何でも使うだけだ。
「もう言い逃れは出来ないぞ? お前がどう取り繕うとも親父はお前が何をしたかを知っている。お前が挽回出来る隙はもうない」
ゆっくりと、更に近付く…男の背が机に当たり、少しだけ乗り上げる。
「い、いや…! 私がどれだけこの会社に貢献したと思っている!? たかが…たかが自分の息子というだけで私を切り捨てる訳が…」
「ははは! 最後までお前は頭が足りないなァ…この部屋にお前を呼んだのは誰か思い出してみろよ」
忘れていたことを思い出したのか、男の顔は歪み切っている。もう先程の余裕ある顔の名残は微塵もない。
「もうさ、お前は親父から切り捨てられているんだよ。…だーれもお前を守ったりしないぜ?」
「 」
青ざめ切っていて感情が抜け落ちた男を侮辱しながらそのまま近付いていく。
そして胸ぐらを掴んで最後の言葉を告げた。
「じゃ、とっとと地獄に落ちてくれ、お前にはそこがお似合いだ。…お前がこれからどれだけ無様に落魄れるのか…楽しみに眺めていてやるよ」
そうして最大限嘲りの言葉を吐き捨てながらゆっくりと胸ぐらを掴んだ手を離す。
その後、俺は男に背を向けて出口へとゆっくり歩いた。
─
人間、焦ったりすると思考が狭まる。
例えば高嶺父の様に自分の失敗で家族に危険が及んだ時…冷静に対処すれば最初の段階でもこの男の凶行を止められたのに、失敗したという意識がその選択肢を無くした。
例えば高嶺母の様に夫の失敗を償わなければならないと、やらなくてもいいのに自分の体を差し出そうとしたりする様に…そうとも、人間は焦ると考えが極端に狭まる。
人はそれを鉄の意思とかこれまでの経験で制御出来たりする様になる。一度慣らされればなんとか対処出来るようになる…だが、この男はどうなのだろうか?
確かに長年の経験から人の裏を突くのは得意だろう。人を陥れるのは得意だろう…だが、逆にこんなに追い詰められた経験がこの男にはあるか?
断言してやろう。絶対にない…あったらここまで傲慢に軽率に生きていけるわけがない。
失敗をしたことがないから傲慢を助長出来る。これまで多くの人間を手玉に取っていたからこそ自分はそんな人間ではないと確信を持つ。
或いは…それは幸せを享受しているからこその感覚なのかもしれない。
幸せな人間は卑屈に生きることはない。幸せに生きる者は自らの不幸は想像しない…だから、簡単に騙されたり簡単に操られたりするのだろう。
高嶺家族も目の前の男も幸せを感じ続けた部類の人間だ。そして高嶺親子は目の前の男の幸せの為に食い物にされ、不幸のドン底に叩き落とされてしまった。目の前の男はずっとそうして生きていたのだろう。
ならば、俺がこいつを徹底的に潰す。因果応報の概念を打ちつける。
追い詰めて追い詰めて思考を狭めさせる。そうやって用意した安易な手を使わせるのだ。
このまま話を終わらせても全然足りない。このままだとこいつにはまだ再起の芽が残る。
会社をクビになってもまだ生きていける。そこからまた別の方法でのし上がる可能性が少しはある。
だから、ここで絶対的に潰す。徹底的に潰す。これから一生這い上がれない程の底辺へと押し込み潰す。
ガチャ…と金属製の何かの音がする。
人は追い詰められると突拍子もない行動を取ることがある。後で冷静に考えればやらなくてもいいのに、余計なことをしてしまう時がある。
それらの多くは感情が大きく昂った時に生じる…怒り、憎しみ…それら多くが積み重なり…人間という生物は殺意を覚えるのだ。
短絡的思考に陥った者の思考は基本的にシンプルだ。…今すぐ目の前の存在を排除する。これだけで行動の理由が大体片付く…俺がそうだからな。
思考が狭まり、短絡的思考に陥り、そんな奴を死ぬ程煽ればどうなると思う?
…そうだ、排除するしかない。純粋な殺意で目の前の人間を殺そうとするのだ。
だが感情だけでは人間は動けない。
ほんの少しだけ残った理性が歯止めをかける。素手では簡単には倒せない…だから諦めてこのまま黙るしかない…ってな?
無論それでも殴り掛かる奴はいる。…だが目の前の男は慎重だ。前に無理矢理高嶺の腕を放させたことから俺の筋力が高いことは気付いているだろう。…だから、奴はそんな安易な感情には乗らない。
……じゃあ、そこに甘い甘い罠があれば? 都合より目に入り、すぐに手に入れることが出来る凶器があればどうなる?
そうさ、人は思考が狭まれば簡単にその一線を超えることが出来る。後のことなんて何にも考えなくなる。
絶対にそんなことしない方がいいのに、それでも目の前のことを対処しようと衝動や感情に身を任せてそんな安易な手を使ってしまう。
トタトタと後ろから急に足音が響く。
俺は前を見ているから何もわからない。背後のことには何も気付けない…。
──そうとも、俺は偶々机の上に置いてあったペーパーナイフのことなんて全く知らない。
「……っ!!」
聞こえる男の息遣いが荒い、もうそうなったらお前は止まらない。
…集中しろ、受ける場所を考えろ。頭は絶対にない、胴体はおそらくない…人間の、そして素人が刃物で人を刺す時は大体下に構える。その方が力が入るからだ。
身構えることなどしない、してしまったらここまでの努力が全て水の泡だ。…俺はあくまで突然襲われた被害者でなければならない。
「し、死ねっ!!! 消えろっ…!」
「ッ…!!」
恐怖を気合いで押し潰す。葛藤のせいか一瞬だけ筋肉が硬直する…が、その後はずっと覚悟を持って無防備を続ける。
そうして、そのまま無防備を晒し続けていると…グチュリ…と背中の一部に激痛が走った。
「──はっ」
肺の中の空気が全て抜ける程の激痛…痛みは嫌いだ。いつだって慣れる気がしない。…けど、それでも耐えられはする。
…これで、遂にチェックに至った。
因果応報とはよく言ったもの…だから、胸中で呟くのはたったの一言…。
──これは、お前がやろうとしたことだろ? …だったら、お前がそれをされても文句は言えないよな…?
そう、勝利を確信した。
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