風が鳴っている。けれど、いつしかそれは吹き止んだ
「そんな…ことが……」
先輩は一連の話を聞いて口を手で覆っている。…無理はない、まさかそんな経験をしている奴が近くにいるとは思いもしないだろう。
「結果として命は助かりましたが…俺には幾つも後遺症が残ることになりました。…この頭の傷もそう、それと…風の音が苦手になったこともそうです」
だから、俺は嵐の日にはこんな過剰に対策を施すのだろう。
わかってる…わかってるんだ。本当はこんな過剰に対策する必要はないって、もう少し緩くしてもいいんだって。
でも、脳裏に刻まれたあの痛みがそれを許さない。風の音と共にあの時の記憶を思い出させる。
だから、俺は…いつまで経っても風の音に恐怖を覚えるんだろうな。
「だから…そうですね。…そういう理由で俺は風が怖いんです。台風が恐ろしいんです。…すいません、こんな下らない話を聞かせてしまって…」
聞いていて面白い話ではないだろう。…聞いていて心地の良いものではないだろう。…少なくとも俺はそう思う。
「ううん…むしろ軽々しく聞いちゃってごめんね…」
「いえ、もう過ぎたことですから」
全ては過ぎたこと、今の話は本当にそれだけで済ませられる。
「それにこの一件でお嬢と坊ちゃんと知り合うことが出来たのも事実です。…何も全てが悪かったと言うつもりはないんですよ?」
あれから、俺はお嬢に恩を返すために色々とした。
最初は必要ないと突っぱねられたが、次第に仲良くなり…今では唯一の友人と言ってもいい仲となった。無論、お嬢の婚約者とも仲良くなった。
あの悪縁しか構築していなかった俺が…だ。…それだけは本当に喜ばしい。
「お嬢や坊ちゃんと知り合えた。それは俺にとって掛け替えのないものなんです。…俺は、あの二人が好きだ。金持ちで傲慢なのに、どうしようもないくらいに隠せていない善があの二人にはあった。…俺は、それを見ることが本当に好きだった」
………けれど、その全ては唐突に崩れる。…俺の目の前で崩れた。
「…前、お嬢と会った時…お嬢が俺の貸した金額に驚いていましたが、俺にとってはそこまで驚くものじゃないんですよ」
当時差し出した四百万は紛うことなき俺の全財産だ。でも、金ならいくら差し出しても構わないと思っていた。
「…俺にとってあの二人は幸せの象徴なんです。それでいて強さの象徴でもありました。なんたって金持ちですからね。…金を持っていれば安心安全、将来の色々が保障されます。…下世話ですが、俺はあの二人の存在によって金の重要さを思い知りました」
金を持っていれば誰かに襲われていてもボディガードが守る。金を持っていれば様々なものが可能となる…そんな金を大量に持っている二人は俺にとって安心出来るものだった。
だって、この二人はきっといつまでも幸せな筈だ。二人とも金を持っていて、それでいて自分の研鑽も怠らない…二人とも尊敬に値する人だと思った。
「でもね? そんな二人でさえも簡単に絶望の淵に落とされるんですよ」
俺はあの二人に幸せを見出していた。あの二人が作るものこそ尊いものだと信じていた。
けれど、そんな俺の信じたものは簡単に打ち壊されてしまった。親の事業が失敗して、会社が倒産したという理由で。
「…いったい、何をどうすれば一生の安全を保障出来るようになるんでしょうね。…少なくとも俺が永遠だと思っていたものは簡単に崩れました…あの時の衝撃は今でも忘れられない」
あれ程自信に満ち溢れていたお嬢が、あれ程プライドを持っていた坊ちゃんが…地面に蹲っているのだ。
絶望した顔で、まるで世界が崩壊した様に…焦点が合っていない目で周りを見渡していた。
「…俺は、それが許せなかった。俺の信じたものがなくなるのが嫌だった。…だから、全力でその不幸を阻止したかった。その為にはなんだって差し出せた」
俺がそれまで稼いだ貯金なんて全て崩しても構わなかった。それ程の価値があの二人にはあると信じることが出来た。
あの二人の生活を守る為にならなんだってした。下げたくない頭を下げてまで人に頼った。俺のプライドなんてゴミ箱に捨てた。それ程の恩が二人にはある。
「四百万なんて俺にとっては端金です。あの二人の日々を守れるのなら一億でも幾らでも稼ぐ…内臓を売ってでも守る…。けど、あの二人はやっぱり俺の信じた通りの人達で…四百万をあげた後は自分達で再起に励んだんですよ」
最初は少し絶望していたが、その後はあの通り…お嬢はこれまでと変わらない強さを示し、坊ちゃんは再起の為に己が体を使って金を稼いでいった。
「…本当に凄いんですよ。あの二人は…。こんなこと正面からは言えませんけどね…」
「…名取くんにとって、金ヶ崎さん達は本当に大切な人達なんだね」
優しい声だ。俺がお嬢達に向けている感情が深く理解されている気がする。…どうやら話しているうちに語気が強くなっていたらしいな。ちょっと恥ずかしい…。
「…えぇ、まぁはい…」
でも本当のことなので何も言えない…こればっかりはね?
「ふふ、二人のことを話している名取くん、本当に楽しそうにしていたからそうだと思ったよ。…なんだか微笑ましいね」
「微笑ましいて…」
そんなちっちゃい子供を見る様な目で見ないで欲しい。…いや、歳上だから問題はないのか…? もうわかんねぇや。
「微笑ましいついでに…今日は私が名取くんに料理を作るよ。何が食べたい?」
「む…」
そういやそろそろ晩飯の時間だ。…話しているうちに忘れていたな。
「すんません…お客人に飯も出さずに…」
「ううん…私から振った話だから気にしないで? それより何作ろっか」
先輩は既に立ち上がっている。このやる気満々の状態を削ぐのは少しばかり心苦しい…。
仕方なし、ここは先輩に任せてみようか。
「それじゃあ…シチューでも作ってもらいましょうか」
「あ、シチューは私の専門外だからちょっと無理かな…チャーハンでいい?」
そんなこんなでリクエストを言ってみたが…まさかの却下だった。
「えぇ…? ま、まぁいいですけど…」
困惑…何故にリクエストを聞いたのだろうか? これがわからない。
「それじゃあ手伝って? 一緒にチャーハンを作ろー! おーっ!」
「お、おー!?」
何が何だかわからず、俺は先輩のチャーハン作りを手伝うことになった。
「ふふ、おあがりよ」
「おぉ…」
先輩の鍋回しは見事なものだった。そりゃもう豪快だった。
「それじゃあいただきます…」
スプーンでチャーハンを掬い、パクりと一口…う、美味い…。
米はパラパラと、それでいて味が濃く男の舌に合っている。…一緒に炒めたベーコンも美味い。
どうしてだろう…このチャーハンをかっこむ度にまた食べたいと思ってしまう。…なんというか、俺の舌にめっちゃ合うんだよなぁ。
「先輩一つお聞きしたいことが…先輩の得意料理というか…普段作る料理のレパートリーってチャーハン以外にどんなものが?」
「えっと…肉野菜炒めと焼き肉の素で味付けした肉ともやし炒め、後は揚げ物…炒り卵とか…うどんとか…変わり種だとハンバーグ?」
「うわっ、なんすかその男飯過ぎるレパートリー…」
俺の舌に合うわけだ。この人の作る飯俺の好み過ぎる…!
「だって作るの楽だし…美味しいし…」
「わかるぅ…ぶっちゃけこういう飯のほうが美味いし作るの楽なんだよなぁ…」
でも早死にするからちゃんと栄養バランスを考えないとダメなんだよなぁ…。
「…って、普段の弁当はもっとふんわりした感じじゃないですか、いったい何が起きたんですか…!」
「えへへ…あれはお母さんと一緒に作ってて…お弁当はしっかりとしたものを作りなさいって言われてるんだ。でも、一人でご飯を食べる時は大体いつもこんな感じなの」
なるほど、それは仕方ない…とはならないんだよなぁ。
「全く…これはこれで美味しいですけど、もっとちゃんとしたものを食ったほうがいいっすよ? 野菜もちゃんと食べて下さい」
「ちゃ、ちゃんと食べてるよー…ほんのちょっぴりだけだけど…」
「ぐぬぬぬ」
けしからん、それはけしからんぞ…! 育ち盛りの人間にそんな偏った食事をさせるわけにはいかない!
「…仕方ありません。今日のところは見過ごしますが、明日はもっとちゃんとしたものを作りますよ。…あと、今日は俺が漬け込んでいた漬物を食べて下さい…いいですね」
「はーい。ふふふ、名取くんが作った漬物かぁ…美味しそうだねぇ…」
「………むぅ」
この人は…本当に、…嬉しいことを言ってくれる。
喋っていて悪く思うことがない。…話していてストレスが湧かない、寧ろ解消する。。…本当に珍しい人だ。
冷蔵庫の中から作り置きの漬物を出して先輩に差し出す。先輩はそれをニコニコとしながら食べてくれていた。
「あ、美味しい…お店で食べるものよりも美味しいよ名取くん!」
「そりゃそうっすよ。この漬物はばあちゃんから教わった秘伝のレシピで…そんじょそこらの漬物とはわけが違うわけですよ」
「へぇ…! だからこんなに美味しいんだね」
雨はザーザーと降っている。風の音は今も鳴り続けている。
けれど、今日…俺が風の音を気にすることは一度もなかった。
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