温もりの残火
目が覚める。
「……おぉ?」
知らない天井だ。どうやら俺は自分の部屋とは違う場所で寝泊まりしているらしい。
むくりと上体を起こす。
部屋全体からフローラルな匂いが広がっている。なんというか…とにかくいい匂いだ。少なくとも俺の部屋にはこんな匂いは漂わない。
「おん…今の時間は…七時か」
いつの間にか寝ていたらしい。…ここどこ?
「いや待て思い出せ…そう、アレはあのクソガキ共をボコした後の話…」
…も
……わ
………わ
…………ー
……………ん
漫画とかでよくある回想のアレをしつつ、昨日の記憶を思い出す。
えっと、面倒臭いから詳細な描写はナシにして…一先ずの流れをば…。
大体四時くらいに家に戻った俺達…部屋の前でじゃあさよならと言った別れ際、今夜どうやって寝るのと先生が俺に聞いた。
その問いに徹夜すると答えた俺に先生は学生は寝るべきと諭す。
しかし俺の部屋はゲロ臭くて安眠できたものじゃない。だから寝ることを拒否すると、なら自分の部屋で寝ればいいと先生が提案。
暗闇の中で小さな鍵を探したということが俺の神経を酷使したのだろう。正直俺の体は悲鳴を上げ、肉体とか精神が疲れていた。つまり判断能力が鈍っていた。
多分俺はその提案を了承したのだろう…で、俺は先生の部屋に連れられて…。
「ハっ!!!」
ガバッと自分のパンツを見る。…なんともない。どうやらそういったことはしてないようだ。…安心した。最低野郎にならなくてよかった…。
「おはよ、名取君。しっかり寝られた?」
「うぇ…っ!」
心臓がドキリとする。
布団に女性という存在がいるということにトラウマを覚えている俺は寝起きに人(主に女性)の顔を見ると心臓が緊張でバクバクと鳴る。
「これ、軽いものだけど…よかったら食べて」
しかしその緊張は一瞬で解ける。差し出されたものが本当に久しぶりに…数年振りに出されたものだったから。
「取り敢えずテーブルに移動しましょうか、布団仕舞っちゃいたいしね」
「あ、はい」
呆然と言われた通りに従う。礼儀として布団を無意識に畳む。
そこには布団が一つと寝袋が一つあった。その寝袋は小さくまとめられて片付けられている。
状況から察するに、俺が布団で寝て先生が寝袋で寝たのだろう。
「ありがとう畳んでくれて…こっちの方に寄せて貰える?」
「うっす」
言葉通りに布団を寄せ、俺は先生に招き通りテーブルの近くに座る。
そこには…普通の朝ごはんがあった。
ただの食パンにバターを塗って、その上に砂糖をさらさらとまぶすだけの簡素な朝ごはん…近くのマグカップには牛乳が注がれている。
「ごめんねー、朝は忙しくてあまり凝ったものを使ったことがないんだ。あ、勝手に牛乳注いだけどよかった? コーヒーの方がいい?」
「あ、えっと…両方貰ってもいいですか?」
「おっけー、ならちゃちゃっと淹れちゃうね」
ことことこととコーヒーメーカーが起動する。ガガガーと中の豆を砕いているらしい。
数分もせずに暖かいコーヒーが俺の前に差し出された。
「砂糖いる?」
「く、下さい…」
先生は小瓶の中の砂糖を小さじで数杯俺のコーヒーに入れてくれる。
「朝はブラックとかよく聞くけど、私はブラックコーヒー苦手なんだよね。子供舌って笑われることもあるけど、無理して嗜好品を飲む必要はなくないと内心で反論しているわ」
「…俺もそう思います。他人がどうこうより自分の好きなふうに飲めばいいかなって」
「おぉ、気が合うね」
朝の会話、なんてことのない雑談。
それ自体に意味はなく、ただなんとなくで開始する人の営み…。そのことで、ほんの少しだけ過去の記憶が想起する。
まだ、俺の家がまともだった頃…こんな日があったのかもしれない。
…俺が久しく味わってなかった、温もりがここにあった。
……ほんの少しだけ目頭が熱くなったが、それを無理矢理止める。先生にそんな顔を見せたくなかった。恥ずかしいからね。
「それにしても…さっきからアレだね。…まるで新婚さんみたいな会話だね…! 結婚する?」
「…へへ、しませんよ。俺を何歳だと思ってるんすか?」
「いや、逆光源氏的なメソッドを取ろうかなって…理想の旦那様を自分で育てよう…みたいな?」
「なーに言ってるんすか、犯罪っすよ? それ」
「ふふ、犯罪はバレなければ犯罪にはならないのよ?」
先生のおかげで過去の想起は霧散した。代わりに生まれるのはこのどうしようもない人に対しての呆れの感情と…そして、過去の優しさを思い出させてくれたことへの感謝だった。
─
「それで結局どうする? 私はこの後学校に行かなきゃなんだけど…名取君は布団を買いに行くんだよね」
「そのことなんですが…」
昨日は深夜だからあまりよく考えられてなかったが、睡眠をたっぷり取り、ちゃんと考えてみると割と無理めことを自分で言っていたなと思う。
普通に考えて午前中にゲロの掃除&布団を買いに行くのは無理だ。どちらか一方ならいざ知らず、両方は無理、時間的に無理。なんで…。
「午前中は取り敢えずゲロの掃除…その後学校に行って、その帰りに布団を買おうと思います」
「う゛…! その件は …ほ、本当にごめんなさい…」
あーあー…、ほんとに怒ってないからそんなに畏まんなくていいよ?
「そ、それなら…こほん。…それなら帰る時に一緒に買いに行こっか。時間は君に任せるね」
教師が生徒と一緒に買い物に行くのはどうなの? という疑問はあるが、別にいいだろう。…一応制服の他にも着替えを持って行こっと、バレたら不味いだろうし。
「了解です。…んじゃそん時になったら…どこに行けばいいんだろうか…」
職員室内で先生を連れ出すわけにはいかんしなぁ…どうやって連絡しようか。
「あ、それなら連絡先を交換しようか、それで呼び出してくれたらすぐに出るよ」
「その手があったか…!」
文明の機器様々である。さーてそれじゃあ連絡先を交換するか。
スマホを取り出して連絡先を交換する。…あれ? 家族以外で初めて交換したのが先生とか…あれあれ?
「君の初めて貰っちゃったね…」
「言い方…あと勝手に人のスマホ画面覗かんといて下さい」
でも、何故だろう。このやり取りに違和感が湧かなくなってきてる。
…感覚、麻痺しちゃった…たははぁ。
まぁ別にいいか…と思ってしまうこともしばしば…慣れって怖いね。
「それじゃあ私はもう学校に行くから戸締りお願いしてもいいかな。…はい、これ」
そう言って渡してきたのは…鍵? 形状的にこのマンションの鍵だな。
「それ、待っといたままでいいよ。…元カレ用に作ってたやつだから…ふふ、三週間前ゴミ箱に捨ててあったんだ。…ちょっと辛すぎたから存在を封印していたの…これを持ち運んでいたり外に隠したりしていたら名取君に迷惑かけることもなかったのにね…」
「アッ」
自分で地雷を掘り起こすのやめてもらいますぅー? いちいち可哀想になってくるからホントにやめて欲しい。切実に…。
「……あー死にたい。…いや、まだ死なない。…それじゃあね。学校で待ってるわ」
一瞬闇のオーラを出した先生だったが、すぐに元に戻る。
大人ってこういう時も働かなければならないのだから大変だよな。…いつかまとまった休日が貰えるといいね。
さて、そういうことで先生を見送った。取り敢えず俺の方も動き出すとする。
先生の部屋を出て戸締り…その後は家の掃除だ。
ゲロの掃除なんてやったことがないので、ネットで方法を調べる。…ふむふむ、ハイターを使うといいらしいな…。
ネットの指示通りにゲロを処理すると…あら不思議、数時間経ったら見事に部屋がハイター臭くなりました。
「暫く換気が必要かなぁ…窓あけとこ」
ゲロを吐かれた布団はゴミ袋にポイだ。後で粗大ゴミで出すとしよう。
後はキッチリと水拭きをして…石鹸をちゃんと方法で捨てて…そうして気付けば時刻は十一時。
「ふぅ…取り敢えずこんなもんかな」
ある程度綺麗にしたので取り敢えずはいいだろう。後は帰ってから細かく清掃するとする。
「掃除したから汗びっしょりだ…風呂入ろ」
風呂場も掃除したので抜かりはない。ふはは、この家からゲロ臭さを全て消し去ってやったぜ!
そのことに満足しつつ、適当に汗を流して体を拭く。その後に学校へ行く準備も済ませた。
朝シャンをしたことで気分もサッパリ! 爽快な気分で俺は家を出るのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます