第五話 東京狸会
雲取山の獣道を延々と登って、山頂に到着する。
あたりはすっかり暗くなり、夏虫が騒々しいほど鳴いていた。
「綺麗……」
黒蝶が山頂の景色に呟く。
展望する麓の景色ではなく、山頂の景色が綺麗だった。
三階、四階建ての建物があたかも一つの建造物であるかのように連なり、下げられた赤提灯が影を失くす。白黒入り乱れる玉砂利が敷き詰められた道の左右に月を思わせる月下美人が咲いている。
狸妖怪が一匹、駆け寄ってくる。
「いらっしゃい! ご用件は?」
狸妖怪は豆腐小僧と折笠、黒蝶の順にみて、その取り合わせに首をかしげている。豆腐小僧は分かるだろうが、半妖の折笠と黒蝶は一見しても何の半妖か分からない。祭りの裏方なのか客なのかも分からないのだろう。
豆腐小僧が答えてくれた。
「厨房で豆腐を出す仕事に来た。ただ、その前に、後ろの二人は古狸に話があるらしい。誰か都合を付けられねぇかな?」
「古狸の方々ですか? もう飲み始めてるんで話ができるか分かりませんが……あ、徳島狸の頭領、傘さし狸の墨衛門さんなら話を聞いてくれるかも……かも?」
「墨衛門さんかぁ……聞いてくれるかな?」
「かも?」
「かなぁ」
狸妖怪と豆腐小僧が自信なさそうに首を傾げ、折笠と黒蝶を振り返る。
酔っ払いよりかは話になると思うものの、肝心の墨衛門について何も知らない折笠と黒蝶には判断しようがない。
「墨衛門さんっていうのは、気難しかったりするのか?」
「いやいや、墨衛門さんはあっしら狸妖怪の中でも好々爺で通ってるお方でさ。ただ、頼りになる方なんで、忙しくって。待たされるかもしんねぇ」
「そういうことなら、待つよ。むしろ、飛び入りで話をしたいって頼む側だから、後回しで構わない」
「そうですか? なら、あの奥にある三階建てを目指してください。朱塗り柱の下に行けば分かるんで」
案内だけして、狸妖怪が持ち場に戻っていく。
豆腐小僧も別の方角へ歩き始めた。
「じゃ、おいらもここで。仕事があるんでな。じゃあなー」
さっぱりした態度で去っていく豆腐小僧に礼を言い、折笠は黒蝶と並んで歩きだす。
あちこちから太鼓や笙の音が聞こえてくる。もっとも、太鼓は狸の腹太鼓だったが。
どうやらこの東京狸会という祭りは人間がやる盆踊りなどとは趣が異なるらしい。定められた期間、各地から狸妖怪が集まって情報交換をする傍らで連携変化の巧拙を競っているうちに自然発生した祭りだ。
豆腐小僧が出す豆腐も屋台で提供されるわけではなく、各所にある食堂や居酒屋で提供される。今回は狸妖怪以外も参加するため連携変化の大会以外にも演奏などで狸妖怪の結束の強さを示しているようだ。
観光気分で歩いているうちに目的の建物が見えてくる。
朱塗りの柱の下、キセルを咥えた赤半纏の狸妖怪が折笠たちに気付いて目を丸くする。
「おっ、半妖が自由に出歩いているとは珍しい。もう夜更けだぜ? 帰らなくていいのかい?」
「福島県から陰陽師を相手に追いかけっこしてる真っ最中だからね。帰ったら捕まる」
「難儀だねぇ。で、ご用件は?」
妖怪たちも陰陽師と追いかけっこをするのは日常なためか、キセル狸はさらりと本題を催促する。
「傘狸の墨衛門さんと話がしたい。いくらでも待つ」
「……半妖が、墨衛門さんと?」
何か引っかかりを覚えたのか、キセル狸は折笠と黒蝶をじろじろと観察し、手元でキセルをくるりと回す。
突然、狸のキセルが巨大化した。数メートルあるその巨大キセルを軽々と立てると、狸はキセルを伝声管のように使って建物の三階へ声をかける。
「墨衛門さん、半妖が二匹、面会を求めています。福島県から来なすったそうで」
伝え終えると、狸はキセルをくるりと回して手持ちサイズに縮める。
折笠は狸とキセルを見て、正体に気付いた。
「大煙管か」
狸妖怪の逸話が多い徳島県に伝わる妖怪、大煙管。吉野川に現れる狸妖怪でキセルに煙草を詰めてやらないと舟を沈めてしまう。
名の由来になった大煙管を得意そうにふかして、キセル狸は頭上を見る。
三階の窓から赤い傘が掲げられた。
「墨衛門さんが通せと言っている。三階に上がりな」
狸がキセルで示す先に玄関がある。大きな二枚扉の玄関から上がれば、土足厳禁の四文字が目に入った。
「狸も靴を履くんだな」
「長靴を履いた狸だね」
黒蝶の想像通りならコミカルさとシュールさがいい具合に同居しているが、実際履くのは草履や下駄だろう。
金箔があしらわれた屏風の向こうに上への階段がある。梯子と見間違いそうな急階段を上がっていくと、宴会場が広がっていた。
黒蝶がさっと目を背けるほどの無法地帯になっている狸の宴会場を無視して三階へ。
「礼を失しても品を失しないのが無礼講だと思うの。折笠君もそう思うよね?」
「そうだねぇ」
無説坊達の宴会はマシな方だったのか、それとも狸妖怪が特別ダメなやつらなのか。
そんな狸妖怪の頭領、墨衛門は果たして品のある妖怪なのか。
すこし、いやかなり心配になりつつも三階へ上がった折笠と黒蝶は同時に足を止めた。
気圧されそうなほど強烈な妖力が三階に満ちている。山一つを束ねていた無説坊とも比較にならない大妖怪の妖力だ。
妖力の源へ廊下を歩いていく。金粉を散らされた襖の向こうから声がした。
「入れ」
丸みを帯びたような柔らかい声だった。部屋の横に鎮座していた小狸がすっと音もなく襖を開ける。
部屋の奥、座椅子に座った黒毛の男の姿があった。黒い着物に萌黄色の帯が映え、その後ろに赤白青といった番傘が開いたまま転がっている。
「徳島狸の頭領、傘さし狸の墨衛門だ。単刀直入にいくぜ?」
黒毛の男は折笠と黒蝶を油断なく睨みつけ、続けた。
「――おめえら、陰陽師の手先か?」
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