第十九話 大河堰き

 折笠は玄川の盾となって仁王立ちしている大河堰きの隙を窺う。

 昨日見た時と同じ、亀甲紋の羽織袴姿の大男だ。その眼には理性も知性もうかがえない。


 陰陽師が使う式とは、妖怪や半妖から奪った妖核を利用した疑似生命体だ。術者の命令を聞くだけで自ら判断して行動することはない。しかし、かりそめの身体がどれほど損傷しようとも妖核さえ無事なら別の依り代を使って復活できる。

 大河堰きの妖力は折笠の比ではなく、圧倒的な強者の存在感をまとっている。折笠にとっては大河堰きだけでも手に余る相手だ。


 だがより大きな問題がある。覚悟が決まっている玄川だ。

 昨日は玄川も折笠を殺す気がなかった。つまり、手加減していた。

 今は違う。確実に殺せるタイミングを窺いつつ、大河堰きの裏で術具を構えている。


 折笠の肩で蝶が羽ばたく。

 玄川は絶好の機会を探しているが、それは選択しているのと同じ。迷い蝶の攪乱が効果を発揮する。

 タイミングを誤るか、絶好ではない機会に攻撃してくるか。いずれにしてもタイミングは外れる。それを念頭に入れてと黒蝶は教えてくれているのだ。

 折笠は紅色の唐傘を正面に構え、唐突に開いた。紅色の唐傘に折笠の姿が完全に隠れる。


「大河堰き!」


 強烈な鉄砲水が紅色の唐傘に殺到する。唐傘に込められた妖力に相殺されて大幅に威力が落ちるが、それでも軽々と唐傘を弾き飛ばした。

 唐傘の後ろへ射線が通ったのと同時に玄川がガラス製の勾玉を構えて術を発動しかける。

 しかし、唐傘の後ろに折笠はいなかった。

 玄川は一瞬の間も挟まずに視線を左右に振って折笠の姿を探す。見つからない。


 鉄砲水に打ち上げられた唐傘の柄を掴んで宙に浮いていた折笠は玄川に狙いを定め、滞空をやめる。紅色の唐傘を閉じ、二階建ての屋根に相当する高さから玄川へ投げつけた。

 周囲は陰陽師のせいで霧が立ち込めている。当然足元の影は薄く、玄川はこの奇襲に気付けない。


「くっ――大河堰き!」


 玄川に名前を呼ばれた大河堰きと、折笠の目が合った。

 大河堰きは折笠の動きを正確に追えていたのだ。

 大河堰きがヒレのような形状の銅板を振るい、紅色の唐傘を弾き飛ばすと同時に折笠へ狙いを定める。


「やばっ」


 陰陽師が使う式は命令を聞くだけ。つまり、選択しない。

 ――迷い蝶の攪乱が効かない。


 大岩だろうと建物だろうと押し流す鉄砲水が指先ほどの直径に収束されて撃ちだされる。

 折笠が防御のために開いた状態で作り出した唐傘の防壁が貫かれる。次々と作り出した唐傘三本の防壁は刹那の時間稼ぎにしかならなかった。

 唐傘を貫く収束された水が折笠の左肩を貫く。本来ならば心臓を貫いたはずの収束水だったが、緩やかな曲線を描く傘と折笠自身の落下速度で即死を免れる。


「黒蝶!?」


 左肩に留まっていたはずの黒蝶に呼び掛ける。視線を向ける暇がない。大河堰きが二発目を準備し、さらに玄川がガラス製の勾玉を構えて術を発動するのが見えた。


玻璃光珠はりみたま、穢れを照らし、く穿て」


 ガラス製の勾玉が無数の透明な針へと変化する。

 陽の気を纏う金気の針。陰の半妖で木気の唐傘お化けである折笠に五行相克で絶対有利の攻撃。唐傘という面に対して針という点での攻撃も相性有利。

 陰陽師として長年戦ってきた玄川と折笠では場数が違う。

 間に合わせで作った唐傘がやすやすと突破され、折笠に針が殺到する。


「――二対一に勝てるわけないだろうが!」


 唐傘で視界を塞がれても結果が見えている。玄川が勝ちを確信し、味方へ勝利の報を届けようとする。

 若手の陰陽師たちが玄川の勝利と、妖怪戦への途中参加を期待して目を向けた時――戦場のあちこちから蝶が囁く。


「――算数もできないの? おばかさん」


 針で穴だらけの唐傘の向こうから、火に包まれた閉じた唐傘が飛来する。

 半妖の膂力で投げつけられた唐傘はさながら槍投げのような勢いで大河堰きを貫いた。

 五行相克、木気は火気を助け強め、火気は金気を溶かし弱める。


 折笠のはるか後方、宴会場のさらに奥、廊下で機会を探っていた火気の龍燈が恥ずかしそうにもじもじする。

 龍燈の姿を見ても、玄川には何が起きたか分からない。

 考えるとは正解と不正解の間を、迷うことだ。

 迷う間に時は過ぎる。


 大河堰きに火を纏う唐傘が刺さり、銅板を依り代とするその体が溶け崩れる。

 体が溶けようと、思考しない大河堰きは声すら発さない。

 それでも、大河堰きと目があった瞬間、折笠は大河堰きが笑ったのを見た気がした。

 寂しさと悔しさと、それを覆うような安堵が大河堰きの笑みに見えた気がした。

 溶け崩れる大河堰きの身体から紫色に濁った水晶珠のようなものが転がり落ちる。


「大河堰き!?」


 玄川がその名を呼び、手を伸ばして駆け寄るその水晶珠こそ、妖怪の魂にして式の核となる存在、妖核だ。

 駆けだした玄川が妖核を掴み取ろうとして空振り、勢いのまま地面に顔を擦りつける。折笠が作り出した唐傘で妖核を引き寄せたのだ。

 折笠は掴み取った大河堰きの妖核を手に宴会場へ後退した。

 玄川が絶望と憤怒で乱れた顔を折笠に向ける。


「それは我が家の家宝――」

「殺し合いに持ち出す概念じゃねぇだろ、浅ましい」


 陰陽師にとっては自身の命よりも尊いのが大妖怪の妖核だ。何故ならば、それが内包する妖力は一般の妖をはるかに凌駕し、代々伝えることができる。子々孫々に受け継ぐことができる陰陽師の力の源、陰陽師としての実力そのものだ。

 代々伝えた妖核を奪われるのは、陰陽師の家柄として死んだも同然。

 家の名前の由来となった、大河を堰き止める玄武と見紛う大亀の妖怪の妖核ともなれば――


「もーらいっと」


 折笠は妖核を握る手に力を込めて割り砕く。

 その昔、大河堰きと呼ばれ河川の氾濫を招いた大亀の妖の力の一部が折笠に流れ込む。

 やったことはなかったが、妖核を砕けばその妖力の一部が手に入ると折笠は知っていた。

 知っていたからこそ、折笠は一瞬、動きを止めた。


「……なんで知ってんだ?」


 動きを止めてしまった。


「――っ」


 グッと浴衣の袖口を掴まれて引き倒される。

 何事かと、宿の縁側から引き倒した相手を見た折笠は、相手の、鞍野郎の後ろに広がる光景に絶句した。

 あちこちから血を流し尻もちをついた姿勢の若手の陰陽師が泣き笑いながら札を掲げている。


「み、水之江家の札だ! 調子に乗った罰だ!」


 負けを確信したからこそ、起死回生に繰り出したらしいその札は場のすべてを圧する存在感を纏っていた。

 大河堰きも玄川も路傍の石どころか塵に思えるほどの言語化できない力。

 神にも届きうるその力が札から顕現する。


 力の顕現を止められないと悟った無説坊が焦燥を滲ませて折笠を――その後ろを見る。

 刹那、折笠の後ろに黒蝶の気配がした。

 ばっと羽を開く音。

 無説坊がニヤリと笑い、渾身の力を込めて右腕を横に薙ぐ。

 天狗風が吹き荒れる。


 ここに至って、折笠は何が起きたのかを悟った。視界の端に揺れていたモンシロチョウが掻き消える。

 折笠の足が地面を離れる。


「待てよ、無説坊!」


 声が天狗風に掻き消え、無説坊や鞍野郎、龍燈たちの笑みが霧の向こうに掻き消えた。

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