第八話  八百比丘尼

 濃霧に乗じて撤退した折笠たちは山頂から麓へと駆け抜ける。


「追撃はないかな。月ノ輪童子、墨衛門や半妖たちは?」

「気配からして、合流しておる。塵塚怪王はこちらに気付いて向かってきておるな」

「合流を急ごう」


 塵塚怪王の妖力を探り当てて一直線に向かいながら、折笠は肩越しに山頂を振り返る。

 状況からして仕方がないとはいえ、下漬に雷獣を調伏されたのは痛手だ。陰陽師だけでなく折笠たちにまで邪魔されながら強引なまでに調伏した以上、神性持ちにできる算段が付いていると見るべきだ。


 いまだに、折笠は神性持ちを見たことがない。天狗の無説坊を襲った水之江家の大蛟が一番近いだろうが、あれ以上の妖力を持つのなら現状の折笠達には打つ手がない。

 今回の事件で、高天原参りをめぐる勢力図が大きく変わるだろう。

 隣を走っていた黒蝶が前に手を振る。


「ちりちゃん! 半妖たちの調伏は?」

「大泥渡に任せております。併せて、自由になった半妖からサトリが事情聴取をしております。報告は後ほどにすべきかと愚考いたしますが」

「そうだね。後回しにしよう」


 身を翻した塵塚怪王に案内されて、山中を下っていく。中腹まで来ると、塵塚怪王が足を止めた。


「霊道に入ります。動きを模倣してくださいませ」


 適当な樹から葉っぱを拝借し、葉笛にして一定のリズムを刻んで樹の間を通り抜ける。塵塚怪王に続くと、霊道に入った。

 先ほどまでの山中とさほど変わらない景色だが、山頂に石積の塀が見える。山城があるようだ。


「雷獣の住処となっていた山城です。霊道は猿ヶ城や草津まで続いているとのことで、墨衛門たちは猿ヶ城へ向かっております」

「あれかな。狐火が見える」


 麓の方に狐火に囲われた集団が見えた。半妖の調伏を解除しながら折笠達を待ってくれていたようだ。

 走って向かうと、白狩を始めとした狐妖怪たちが周囲を警戒していた。折笠達に気付くとすぐに狐火に囲われた円陣の中へ通してくれる。

 円陣の中は、いうなれば野戦病院のようなありさまだった。

 対い蝶の郎党と同盟の面々はせいぜい軽傷だったが、雷獣の配下の妖怪たちには重傷者が多い。墨衛門たちが狸の妙薬を惜しみなく使って治療しなければ、壊滅的な被害だったろう。


 折笠たちに気付いた雷獣の配下は、肝心の雷獣の姿を探して落胆し、悔しそうに歯を食いしばる。

 かける言葉が見つからず、折笠は半妖の方へ目を向けた。

 大泥渡とサトリが共同で対処に当たっている。半妖の少年少女は大人しくしているが、周囲が妖怪だらけのこの環境に怯えてしまっている。


 無理もないことだが、狸妖怪や狐妖怪たちの刺すような視線も原因だろう。

 半妖たちが下漬の命令に逆らえなかっただけだと理解している。それでも、殺された仲間の仇を前にして手を取り合うのは難しい。

 墨衛門たちが理性的だからこそ手を出されずに済んでいるだけだ。

 萎縮している半妖たちは今後の撤退でも足手まといになる。

 折笠は黒蝶に目配せをした。意図を察してくれた黒蝶が迷い家が取り出す。


「はい、子供たちは迷い家に隠れて。陰陽師が追ってきてるはずだから、いったんこの中で過ごしててほしいの。ちりちゃん、大泥渡君、サトリ、子供たちをお願い」

「我も入ろう。世話ができる者が必要じゃろう」


 月ノ輪童子が世話を買って出て、率先して迷い家に入った。子供たちは顔を見合わせていたが、塵塚怪王に促されておっかなびっくり入っていく。まだ調伏が解除されていない者は引き続きイジコや面霊気が無力化しているため迷い家への避難は滞りなく完了した。

 大泥渡が迷い家に入っていくのを横目に、サトリが折笠に駆け寄ってくる。


「半妖の心を読んだぜ? 重要情報だ。耳の穴をかっぽじってよく聞きやがれ」

「下漬に関してか?」


 サトリの憎まれ口にはもう慣れているので、折笠はすんなりと聞き返す。

 サトリは少しつまらなそうな顔をしたが、すぐに切り替えて情報を話した。


「まず、半妖共は虐待されてる。典型的な洗脳だな。言うことを聞かないとひどい折檻がまってるから調伏を解除したとしても下漬のところへ戻っちまうぜ。迷い家で軟禁した方がいい」

「やっぱりか」


 雷獣に対して生贄のように半妖や式を突撃させて殺させていたくらいだ。万が一にも反抗しないよう、逃亡しないようにと手を打っているだろうとは思っていた。

 サトリが続ける。


「虐待洗脳よりやばい話がある。下漬本人についての話だ」


 折笠の肩に飛び乗ったサトリは今度は周りに聞かれないように囁いてくる。


「あいつは八百比丘尼だ」

「……マジかよ」


 八百比丘尼、人魚の肉を食べて不老長寿を得た伝説上の尼僧。

 にわかには信じがたいが、腑に落ちる点も確かにある。


 下漬はおそらく戦国時代から高天原参りの裏で暗躍していた。江戸時代にも喜作と蝶姫が仕留めそこなったと言っていた。そして現代まで至っている。

 およそ五百年。それだけの期間、陰陽師会にすら実態を把握されずに暗躍し続け目的意識を受け継いでいく家柄というのは考えにくい。大泥渡家の現当主芳久も実利を伴わない縁起担ぎを排除する方向に切り替えるなど、時代や当主に合わせて少しずつ変容するものだ。


 五百年前に高天原参りで願うつもりだった願い事が、現代でいまさらのように叶えられて意味があるのかも気になるところ。

 八百比丘尼、つまり一個人なら目的に沿って活動を続けることはできるだろう。とんでもない忍耐力だと思うが。

 それに、と折笠は山頂でのやり取りを思い出す。


『――義務教育を受けていないんですか? 人の上に人を作らずと習っているのでしょう?』


 妙な言い回しだ。まるで、義務教育を受けていないかのようだ。

 八百比丘尼なら、五百年近く前にはもう十七、八の年齢に見えたはず。現代まで生き延びても義務教育を受ける機会がないだろう。

 下漬を見た時に感じたおぞましさ。月ノ輪童子たち古い妖怪よりもはるかに昔から生き、根本的な価値観すら異なる現代人の振りをしている。正真正銘、化けて生きている、化生。

 古くから生きるほど妖力が高まる。半妖であれば寿命が尽きるが、八百比丘尼であれば――神性持ちに届くのではないか?


「そうか、あの時感じたおぞましさは……」


 水之江家の大蛟とは異なる印象の畏怖。

 それはまるで、祟り神に出くわしたような――

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