第七話 騙し迷わせ
迷い蝶の半妖、黒蝶が蝶の姿に変化できるように、折笠も唐傘の姿に変化ができる。
だが、唐傘に変化してしまうと肩に乗っている黒蝶や背後の仲間を守れない。
だから折笠はいつも人型で戦っていた。
戦場に突如として巨大な野点傘が出現する。半径七メートルは超えるだろうその野点傘は独りでに勢いよく開き、突風を生じさせる。
舞いあがった無数の唐傘が金羽矢たちの頭上を覆う。
「その程度で裏を掻いたつもりか?」
馬鹿にするなと、金羽矢榛春はたった一人で頭上の唐傘の迎撃に移る。空中にばらまいた十数枚の札を緋色の長巻で残らず斬り払うと、対応させた唐傘が両断された。
後二回も繰り返せば頭上の唐傘は一掃できるだろう。いや、できただろう。
唐傘に遮られたはるか上空から巨大な唐傘が降り注いでこなければ。
頭上の光景には、荒事慣れした金羽矢家の陰陽師も度肝を抜かれたらしい。
「傘が降ってきてどうする!?」
的確過ぎるツッコミを入れた陰陽師のがら空きの背中に、折笠が渾身の蹴りを叩きこんだ。
吹っ飛んだ陰陽師が仲間を巻き添えにして地面に転がるのをしり目に、折笠は再び唐傘に変化して地面に転がる。
上から降る巨大唐傘は最低限の妖力しか込めていない見せかけだ。注意を引いてくれればよし、引いてくれなくても地上にいる折笠を探してくれればなお良し。
意図に気付いた金羽矢が大声で叫ぶ。
「迷い蝶が来る! 視線を飛ばすなっ!」
正しい判断だが、すでに蹴りすら届きうる位置に折笠がいる状況で、視覚に頼らず対処しろというのは酷な命令だ。
それでも流石に五行家を名乗る古い家柄の陰陽師たち。三から四人で一塊になって円陣を組み、迷い蝶を見た瞬間に片足を後ろに跳ね上げて他の仲間に伝える陣形を組んだ。
戦国、江戸と迷い蝶の半妖にやられた経験が古い陰陽師家にはあるのだ。
そうして一塊になった陰陽師集団の首が四つ、飛んだ。
「……楽しいのう。若い頃を思い出す。久方振りになます斬りにしてみようか」
足元に転がってきた首をぎょっとして見つめた集団が横から巨大なキセルに弾き飛ばされて宙を舞う。
「――戦の最中に命なんぞを見つめるな、若造が」
大煙管が呆れたように言って、自慢の腹に一杯吸い込んだ煙を陰陽師たちに吐きかける。
煙の刺激に咽て涙目を擦る陰陽師の集団は反射的に目を細く開き、目の前に優雅に舞う蝶に絶望する。
「諦めちゃだめだよ! がんばれ! 活路はあるよー!」
黒蝶がよく通る声で励ます。だがその実、活路を探させて迷わせる。
集団戦、それも乱戦こそが対い蝶の郎党の得意分野であり、多勢に無勢であっても、攪乱要員がいれば成立する集団戦法だ。
だが、戦国、江戸と生き残った家柄の陰陽師がこの戦法を知らないはずがない。
金羽矢榛春は先祖が残した文献を熟読している。
対処法は迷うことなくすらすらと口をつく。
「迷い蝶を一点集中で狙いな!」
対処の一、どこから来るか分からない迷い蝶を優先的に排除する。
「第二部隊は準備!」
対処の二、迷い蝶を守る部隊を撃破するために部隊を分ける。
対処の三、指揮を執る自身と大部隊を守る結界を張る。一撃を凌げさえすればいい。一撃を入れてくる対い蝶の郎党の攻撃手を特定し、反撃するのが目的なのだから。
誤算があったとすれば、令和の対い蝶の郎党の構成を知らなかったこと。
「私は蝶姫じゃないから守られるとは限らないんだよ。ごめんねー」
高天原参りの歴史を知る古家の陰陽師だからこそ、金羽矢家の陰陽師たちは迷い蝶を見ずとも思考が空転した。
――迷い蝶が絶対に守り切るべき大将格ではない。
金羽矢家が前提にしていた知識の間違い。その間違いを見抜かれていたこと。
ならば、見抜くための情報は――どこから得た?
江戸時代の対い蝶の郎党の頭とは違う蝶姫の転生体ではないと、対い蝶の郎党が今この場で明かすことの意味――
「反応を見られたっ……」
古家が過去の対い蝶の郎党についてどこまで情報を得ているのか、それを知るために迷い蝶の半妖が罠を仕掛けたのだ。
金羽矢家の陰陽師たちは思考する。
自分の反応を見られたか?
仲間の反応を見られたか?
反応でどこまで情報を抜かれたのか?
そもそも、ここまでの推理は正しいのか?
人は、自身の推理の正誤を知りたくなる生き物だ。
意図に気付けた金羽矢榛春ですら背筋が冷たくなる。それでも硬直せず、黒蝶から距離を取れるだけの冷静さがあった。一族を率いる者として率先した行動をとれと教育されていたからこそできた動きだった。
分家の者たちは推理するだけの頭があったからこそ、迷い蝶の半妖を見てしまった。
「隙だらけじゃな」
「これだから一揆も起こしたことのねぇ若モンは」
つまらなそうに目の前の陰陽師を殺しにかかる月ノ輪童子と大煙管の前に巨大唐傘が現れ行く手を阻む。
直後、戦場を濃霧が包み込んだ。
「下漬に逃げられた。加勢します」
霞流の声に金羽矢が怒鳴る。
「逃げられちまうだろうが! 他家だからって勝手なことをするんじゃないよ!?」
霞流がオンボノヤスを使って濃霧を発生させなければ、迷い蝶を見て攪乱されていた金羽矢家の陰陽師は何人か殺されていたはずだ。だが、当主の榛春を始めとした何人かは攻勢に転じることができた。
濃霧に閉ざされて迷い蝶の半妖はおろか他の敵の姿も視認できない今の状況は、反撃の目を潰されたのと同じ。
雷獣を調伏した下漬が逃げた今、折笠たちがここに留まる理由もない。下漬を追撃するか、半妖の安全を考えて撤退するか。折笠たちがそのどちらを選ぶと判断するかを、金羽矢たちは
金羽矢榛春の視界の端に、蝶が目に入る。自然の蝶か妖力で作られた仮初の蝶か判別することもなく、緋色の長巻で両断する。
「帰るよ。これ以上は危険だと事前の占いで出てる」
金羽矢榛春は不愉快そうに言い切って、麓へ歩き出す。
緋色の長巻で斬り裂かれた蝶の死骸が榛春に踏みつけられて形を崩した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます