第十五話 縁側涼み
のんびりと温泉に浸かった折笠は浴衣に着替えて宴会場に戻った。
一人暮らしのバイト三昧で温泉に入った経験など数えるほどしかなかったのもあり、なかなかの長風呂になってしまった。
それを差し引いても、宴会場は出た時とはまるで違う様相を呈していた。悪い方向に。
酒に酔って雑魚寝している妖怪たち。半裸になっている者もちらほらいる。死屍累々たる宴会場で一人酒を呷るのは無説坊。というより、意識があるのは無説坊しかいない。
折笠に気付いた無説坊が盃と徳利をもって宴会場から見える庭を顎で示す。この凄惨な現場で風呂上がりの気分が台無しになるよりは、と折笠は庭が見える縁側へ水とデザートの団子を持って移動する。
転がっている徳利を蹴飛ばしそうになる。拾い上げて机に戻し、仰向けに転がっている妖怪にそっと横を向かせた。
縁側に出ると涼しい風が出迎えるように吹き抜けた。夏虫の声は賑やかで月を映す池の水面に蛙が飛び込み波が立つ。
風情のある庭の景色を眺めつつ、背後の宴会場を意識から追いやった。いびきをかくなとツッコミを入れたい気持ちもぐっとこらえる。
無説坊は座布団に胡坐をかいて盃を左手に月を見上げる。
折笠はふと気づいて宴会場を振り返った。
「黒蝶さんは?」
宴会場にその姿はない。部屋に戻ったのかと思えば、案の定無説坊は廊下の方を指さした。
「そっか。もうすっかり夜だし、寝ちゃったかな」
折笠は団子を一串頬張って、月を見上げる。半端に膨らんだ月は雲に霞むことなくはっきりと見えている。
折笠は少し言葉を選んだあと、面倒くさくなってストレートに質問することにした。
「無説坊、高天原参りを本当に戦い抜けるのか?」
玄川という強そうな陰陽師がいたとはいえ、地方の陰陽師に包囲されて呪いまで受けている。陰陽師たちが高天原参り阻止に傾ける熱量は尋常ではなく、半妖の折笠相手とはいえ人殺しも辞さない様子だった。
妖怪の中には悪さに留まらず人を殺し、生き血や生き胆を食す者もいる。そんな連中に高天原参りの存在が知られでもすれば、どんな願いを叶えようとするか分からない。陰陽師たちが躍起になるのも理解はできる。
ことが大きくなるほど、阻止に動く陰陽師は増えていくだろう。いまは地方の陰陽師が相手だが、京都を目指せば全国の陰陽師と対峙することにもなりかねない。
折笠や黒蝶が加わった程度で覆せる戦力差ではない。
無説坊は眉間に皴を寄せ、肯定も否定もしなかった。
自信家の天狗の無説坊をして、はっきり勝てるとは言えないのだ。
「そうか……」
戦況がどうだろうと、すでに折笠は足抜けできる状況ではない。
戦い抜くしかない。ならば、勝てる作戦を立てるだけだ。
「鞍馬山の天狗たちを仲間にできるか?」
戦力の増強は必須課題だ。天狗が多数仲間に加わればかなり心強い。
無説坊が頷いた。天狗同士の伝手があるのだろう。
だからこそ、分からないことがある。
折笠は無説坊の顔を見る。
「なんで、鞍馬山の天狗たちより先に唐傘お化けを仲間に引き入れようとした?」
ご神体を盗んだことから今回の騒動は起きている。ご神体がどう高天原参りに結びつくのかいまだにわからないが、陰陽師が動き出したのはご神体盗難からだ。
ご神体についてある程度情報を持っているらしい無説坊がこの事態を予想できなかったとは思えない。
順番を間違えなければ――水面下で戦力を集めた上で唐傘お化けを引き入れる動きをすれば、もっと有利に戦えた。
無説坊が盃を置き、空を指さした。
指の先には雲一つない。月を差しているわけでもない。
少し考えて、折笠は答えを思いつく。
「高天原?」
無説坊が頷き、ぎこちなく動く指を二本立てた。
「二本、日本? 日ノ本?」
違うらしい。
「単純に数か。二つの要素?」
これも否。
「二回、二人?」
無説坊が頷く。
「……もしかして、高天原参りの成功者の数?」
無説坊が再び頷いた。
江戸後期から生きている無説坊でも話を聞いたことしかないという古い儀式が高天原参りのはずだ。
いつから存在しているかも分からない高天原参りの成功者がたったの二人だとすれば、非常に難しいと予想できる。
無説坊が折笠を指さした。
折笠は自分を指す指を見て、察する。
「成功者の一人が唐傘お化けなのか」
同じ種類の妖怪だからといっても成功するとは限らない。だが、前例があるというのは大きい。
陰陽師が命を狙ってくるはずだと、折笠はため息交じりに夜空を仰いだ。
「唐傘お化けが仲間にいれば、他の妖怪を説得しやすくなる。俺は客寄せパンダかよ」
ただ、理に適っているのもわかってしまった。無説坊の予想よりも陰陽師の動きが早かっただけだ。
無説坊が盃を飲み干し、中身の残っている徳利ではなく折笠の水差しを取る。
自らの盃と折笠の盃に水を注いだ無説坊は折笠に向き直った。
「なんだよ、改まって」
場の雰囲気に呑まれそうになりながら、折笠も無説坊に向き直る。
無説坊は右手で自らの首をトントンと叩いた後、宴会場の妖怪たちを手で示し、折笠を見つめた。
何を言いたいのかはわかる。だが、折笠は身体を無説坊から庭へと向け直した。
「無説坊を慕って集まった連中だ。責任はあんたが負えよ。持ち手が死んだら傘は差せねぇだろ」
折笠の言葉に、無説坊は腕組して唸る。返す言葉が見つからなかったのか、俯いて庭に向き直った。
無説坊がそっと差し出してくる徳利を横目に見て、折笠は肩をすくめる。
「だから飲まないって。酔わせて気が大きくなったところで確約させようって腹だろ。せこいぞ」
配下を案じる気持ちは分かるが、折笠が彼らを守ると確約するのは無責任だ。
無説坊はつまらなそうに盃の水を飲み干し、徳利から酒を注ぐ。
「人間臭いっていうか、ダメ親父臭いな」
折笠は苦笑して、縁側から庭へ足を投げ出し、楽な姿勢をとる。
「まぁ、一人旅より楽しいとは思ってるんだ。約束はしないけど、守る気はあるよ」
無説坊が渋い顔で頷く。いまはそれでいい、といった表情だ。
最後の団子を食べ終えて、折笠は立ち上がる。
「俺はもう寝るよ、おやすみ」
盃を掲げた無説坊に見送られ、折笠は縁側を後にした。
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