第十六話 ご神体

 用意されている角部屋の襖を開ける寸前、折笠は動きを止めた。

 なんとなくの流れでこの部屋が自分に用意されたものだと思っていた。だが、考えてみれば何かを忘れている。

 襖から手を離した折笠は廊下に佇み、思案する。


「鞍野郎って性別の概念がなかったよな……」


 妖怪、半妖、人間の区別はあっても男女の区別がない。だから混浴の意味するところも異なっていた。

 ならば、この部屋は折笠という男性に当てられた部屋ではなく、半妖の二人に割り当てられたものではないだろうか。


 だとすれば、この襖の向こうには就寝中の黒蝶がいるのではないか。

 縁側に戻って無説坊と徹夜する方が無難かもしれないと思い直した時、廊下を歩いてくる足音が聞こえた。


「折笠君、なにしてるの?」

「黒蝶! よかった、まだ寝てなかったんだな」

「なに? 大事な話?」


 不思議そうに首をかしげる黒蝶は後ろを振り返る。


「これからこの子と部屋で話そうと思ってるんだけど」


 黒蝶の後ろには長い黒髪で顔だけでなく胸元まで隠した女性が立っていた。その手には暗い廊下を照らす龍髭の煙たなびく妖火が灯っている。

 人型が取れるのかと少し驚きつつ、折笠は難題を告げる。


「どこで寝たらいいんだろうって」

「どこでって、部屋で――あっ」


 折笠の懸念に気付いた黒蝶が襖と折笠の間で視線を行き来させ、頬を赤く染める。

 じりじりと後退する黒蝶の前に龍燈が立ち、折笠との間で壁になった。

 明らかに誤解している黒蝶に折笠は両手を頭の横に掲げて降参のポーズをとる。


「やっぱりここは俺の部屋でも黒蝶さんの部屋でもなくて、半妖の部屋っていう認識だね。というか、黒蝶さんはもっと早くに気付いてたでしょ。だから浴衣を準備してくれてたんだし」

「あ、気付いた?」


 いたずらっぽくクスリと笑った黒蝶は盾になってくれた龍燈に後ろから抱き着いた。


「心配してくれてありがとう。大丈夫だよ。ちょっと折笠君をからかっただけ」

「黒蝶さんっていたずら好きだよね」

「ちょこっと違うなぁ。私は困らせるのが好きなんじゃなくて、選択に迷わせるのが好きなの。どうにもならない状況に誰かを追い込むことはしないよ?」

「迷い蝶らしいや」


 龍燈が黒蝶の肩をつついて抗議する。黒蝶は笑いながら「ごめんって」と龍燈を抱きしめる。

 この短時間にかなり仲良くなったようだ。

 黒蝶が襖をあけて折笠を手招いた。


「私も折笠君に話したいことがあるの。入って。龍燈がいれば折笠君も変なことできないでしょ」

「最初からする気がないよ」

「私ってそんなに魅力ない……?」

「その悲しそうな顔やめて! どう答えても社会的に死ぬ!」


 折笠をからかって生き生きしている黒蝶は率先して部屋に入り、当然のように用意されている二組の布団の片方に座る。

 龍燈と一緒に部屋に入った折笠は部屋の隅にある藁編みの座椅子に座る。龍燈はふらふらと座る場所に困った後、黒蝶の横、布団ではなく畳の上に正座した。


「とうちん、こっちにおいで」


 黒蝶が龍燈をあだ名で呼ぶ。龍燈の燈とトーチを掛けているのだろう。龍燈が恥ずかしそうに背中を丸めながらもそそくさと黒蝶の隣、布団の上に座る。

 なぜか懐かしさと痛みがほんの一瞬、折笠を刺す。寂寥感という言葉が当てはまるはずなのに、折笠には覚えがない。

 なんだろう、というわずかな疑問は、黒蝶の言葉に打ち消された。


「ご神体を開ける方法は無説坊の仲間も知らないみたい」

「つまり、中身も分からない?」

「うん。ただ、ケサランパサランが漂った翌日にご神体に興味を示す者がいるっていう伝承というか、予言みたいなものが地域の妖怪たちに話されていたらしいの」


 折笠は昨夜拾ったケサランパサランを思い出す。

 ご神体への興味どころか存在さえ知らなかった。もしかすると、折笠以外にケサランパサランを拾って、ご神体に興味を示した者がいるのかもしれない。


「折笠君、ケサランパサランを拾った?」


 探るような目をする黒蝶に、折笠は正直に答えた。


「拾った。昨晩、バイト最終日の帰りに。ただ、ご神体なんて知りもしなかった」

「伝承だからね。占いと同じで、当たるも八卦、当たらぬも八卦だよ」

「そうだよね。問題は、伝承のどの部分が当たるのが核心かだ」


 占いもそうだ。恋は成就するという占いがあった時、破局したら占いはハズレだ。だが、恋の目的が恋愛を経験して次に生かすことだった場合、成就したことになる。

 どんな占いも伝承も、こじつければいくらでも解釈の幅がある。だが、核心を外してはならない。

 恋は成就するという占いを受けても、一生涯恋をしなければその占い結果は成立しない。前提条件が達成されないのであれば、それは占いではない。たらればを持ち出すのは占いではなく妄想だ。


 今回の妖怪たちの伝承はどの程度正確に伝えられているのか。一分の隙もない正確な伝承であっても、何が核心なのか。

 ケサランパサランがキーワードなら、折笠は該当する。ご神体がキーワードなら、折笠は該当しない。


「高天原参りについては概要が分かったけど、ご神体については本当に謎だね」


 ご神体は唐傘お化け、ケサランパサランに関係がある。そこまでは無説坊や龍燈から聞くことができた。もっとも、この情報が事実なのかも分からない。

 折笠も縁側での無説坊との会話を黒蝶に話す。


「高天原参りのかつての成功者に唐傘お化けがいたらしい。単純に結びつけるなら、このご神体は高天原参りの成功者だった唐傘お化けゆかりの物ってことになるのかな?」

「周辺で一番の古株の無説坊ですら、話を聞いたことしかない高天原参りについての情報でしょう? 噂の噂ってことだよ」

「他に手がかりがないから……。まぁ、雲を掴むようなお話だね」


 どうにもならない状況に誰かを追い込むのは主義に反するという黒蝶は自分の置かれた状況に納得がいかないと不満そうな顔をする。

 だが、陰陽師たちはご神体と唐傘お化けの半妖を接触させたくないようだった。

 噂の噂でも、敵対している二つの勢力から得られた情報となると無視できない。

 黒蝶がご神体を取り出した。それを見て、折笠はふと疑問に思う。


「それ、普段はどうやって隠してるの?」

「お胸の下にこう」

「嘘つけ」


 ご神体が入った開かない桐箱は幅十五、高さ十五、奥行き三十センチメートルの長方形だ。どんな巨乳のつもりか知らないが、隠せる大きさではない。

 黒蝶も苦しい言い訳だという自覚はあったのか、小さく笑って左手人差し指の先に蝶を生み出した。


「これが説明」

「あぁ、服と同じで半妖化させてるのか。ついでにどう隠しているのかすら、迷わせるから誰にも見つからない、と」


 たとえ蝶に変化させず小脇に抱えていたとしても、黒蝶が生じさせた迷い蝶を視界に収めた瞬間に深層心理で迷う。黒蝶の能力を利用した手品のようなものだ。

 直接的な攻撃ができないだけで、便利な能力なのは間違いない。

 黒蝶が話を戻す。


「触れてみる?」


 差し出されたご神体を見て、折笠は少し悩んだ。

 もしかすると、取り返しのつかない事態を招くかもしれない。

 だが、すでに陰陽師に命を狙われている身だ。死ぬより酷い目はあっても、それは負けた時にしか起こり得ない。全力で戦わざるを得ないなら行きつく先は死のみ。


 折笠は黒蝶からご神体を受け取る。

 手に持っても何の反応もない。妖力を通しても変わらない。妖力で作り出した唐傘でつついてみても意味がない。


「……なんの反応もないっす」

「ないねぇ……」


 折笠は黒蝶と共に龍燈へ目を向ける。何か知らないかと思ったが、突然向けられた視線に龍燈は恥ずかしそうに顔をうつむけて龍髭の煙がたなびく妖火を前に掲げた。


「とうちんも知らないなら、打つ手なしかな。折笠君も無説坊からなにも聞いてないでしょう?」

「無説坊自身があの状態だから、突っ込んだ話は難しいね」

「鞍馬山までお預けかなぁ。開かなかったという情報だけで満足するよ」


 折笠はご神体をもう一度いろいろな角度から眺めて開きそうにないと判断し、黒蝶に返した。

 黒蝶はご神体を受け取りつつ、枕を指さす。


「で、どこで寝る?」

「その布団をもらって廊下で寝るよ」

「迷いがない。つまらない!」

「おやすみー」

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