第十四話 無説坊の宴会

 声が出ずとも、無説坊は配下の妖怪たちをまとめる求心力があるらしい。

 仲間と杯を交わし、表情一つで料理の美味しさを表現し、身振り手振りで場を盛り上げる。

 むしろ、声を制限されたからこその特別感を生み出して宴会場には笑顔があふれていた。


 無説坊が折笠に気付いて手招きする。

 山菜の天ぷらや煮びたし、ウグイの丸焼き、サワガニの素揚げなどの料理が並んでいる。


「ここは妖怪たちの旅籠ゆえ、主人が用意してくれました。呪いの影響が出てはならぬと下がってもらいましたが、主人に挨拶がしたいですか?」


 鞍野郎の説明に折笠は首を振る。


「いや、いいよ。あまり近づくと陰陽師との争いにも巻き込んじゃうから」


 無説坊の隣に腰を下ろす折笠の後ろに鞍野郎が座る。言葉を発せない無説坊の通訳を務めるのだろう。

 無説坊が折笠に朱塗りの盃を差し出した。徳利から注がれたやや黄色がかった液体からアルコール臭を感じて、折笠は丁重に断る。


「未成年だから遠慮しておくよ。ありがとう」


 無説坊は眉を寄せて何やら思案した後、宴会場の端にいる狸妖怪に何やら身振りで合図する。

 意図を察した狸妖怪が立ち上がり、宴会場を出て行った。しばらくして戻ってきた狸妖怪の掲げる盆には会津塗りの漆器が並んでいた。


 折笠の前に漆器の盃が差し出される。どれでも選んでいいということらしい。

 少し気後れするほど立派な漆器の中から地味なものを選ぶと、狸妖怪がそっと水を注いだ。酒が飲めなくても気分だけはという計らいだ。

 無説坊が酒の入った盃を掲げるのに合わせて、折笠も水が入った盃を掲げる。妖怪たちが歓迎するように手を叩いた。


「この水、美味いな」


 柔らかくて口当たりがいい水だ。ほのかに紫蘇の香りがする。香りづけに浮かべていたのだろう。

 山菜の天ぷらなどを食べても紫蘇の香りがする水のおかげで口の中がリセットされる。

 各々で料理を楽しみ始めた配下の妖怪を眺めて無説坊が目を細める。口元がわずかに緩んでいた。


「無説坊は古天狗だよな。ここの連中とは長い付き合いなのか?」


 無説坊は深く頷いて酒盃を煽る。手ずから徳利の酒を注ぎ、無説坊は後ろの鞍野郎を指さした。


「一番の古株です」


 鞍野郎が「むん」と胸を張る。


「大正の頃から共に悪さもしたもので」

「悪さ?」

「ガス灯の火を天狗風で吹き消してみたり、そこの狸妖怪が化けた馬に私が鞍となり、無説坊は私にまたがって夜の町を駆けてみたり」


 懐かしそうに無説坊がうんうんと頷いた。


「昭和の頃には悪ガキに剣を教えて懐かれておりました。我らが見える大人共を招いて酒宴を催したことも」

「よく陰陽師にバレなかったな」

「いえ、陰陽師からかっぱらった金の使い道に困り、酒宴を催したのですよ」


 無説坊が声もなく笑いながら鞍野郎の肩を叩き何か身振りで伝えた。

 鞍野郎は無説坊の身振り手振りを見て考えた後、思い出したように手を打つ。


「そうでした。あの陰陽師、『悔しいが負けは負けだ』なんて申して、酒宴に肴持参でやってきました。なんでしたかな、無説坊の鼻に似た食べ物で」

「明太子?」

「いえいえ、肉で」

「ソーセージかな?」

「それです、それです!」


 大笑いした無説坊が自らの鼻を人差し指でピンと弾く。なるほど、ソーセージに見えないこともない。

 陰陽師もちょっとした意趣返しのつもりだったのだろう。笑い話になっているあたり、当の陰陽師とも和解したようだ。

 大正時代から組んでいるのだから、無説坊達の結束はかなり固い。彼らにとっては若輩としかいえない十八歳の折笠に頭を下げるのも無説坊を想ってのことだ。

 無説坊が折笠を肘でつつき、盃を置いて温泉の方を指さした後、折笠の隣の座布団を指さした。本来そこに座る予定だった黒蝶は今は温泉に入っているのか、という問いだろう。


「多分、黒蝶さんは温泉に入ってる。入りたそうにしていたから、長風呂になるかもね」


 折笠の返答に、無説坊は顎を撫で、ぎこちなく動く手で小指を立てて振る。

 意図が分からず首をかしげる折笠を見て、鞍野郎が補足する。


「恋仲なのか、と問うております」

「黒蝶さんと? 今日会ったばかりだよ。――あからさまに残念そうな顔をするなよ」


 無説坊だけでなく、聞き耳を立てていた妖怪たちも残念そうな顔をしていた。中には折笠を指さして「奥手ー」と笑っている者までいる。


「小学生か、お前らは!?」


 男女が一緒にいたら即座に恋人関係と囃し立てるのは小学校低学年と変わらない精神性だ。

 無説坊が盃を大きく傾けて一息に飲み干し、グイっと袖口で拭う。

 盃を置いた無説坊は折笠に体を向けて胸を張り、包容力のある顔で聞く姿勢を示した。


「恋愛相談とかしないから!」


 何十年と生きていても、本質がいたずら好きの妖怪たちだ。折笠をからかって楽しんでいるだけである。

 付き合ってられるか、と折笠はウグイの姿焼きに箸を入れる。パリッとした薄い皮の下からふっくらとした白い身が出てくる。焼き方が上手なのか、淡白な白身から薄くゆっくりと旨味が染み出してくる。川魚にはつきものの泥臭さも一切ない。

 ウグイを味わっていると宴会場の襖が開き、浴衣姿の黒蝶が顔を出した。すぐ横に龍の髭のような煙をたなびかせる妖火がある。龍燈だろう。


「おいしそうなの食べてるね」

「本当に美味しいよ」


 龍燈を伴って折笠の隣に座った黒蝶が両手を合わせて「いただきます」と呟いた。

 箸の使い方ひとつとっても気品と優美さがある。良くも悪くもどんちゃん騒ぎで楽しんでいる妖怪たちの中にあって、黒蝶は異彩を放っていた。


「おいしい」


 感想と共にほころぶ笑顔は年相応で、黒蝶は折笠を見た。


「おすすめは?」

「そこのウグイの丸焼き」

「……ほんとだ。凄い美味しい」


 箸先で器用に骨を取り分けながらウグイの身を味わって嬉しそうに笑う黒蝶に、狸妖怪が恐る恐る漆器を差し出した。


「これにしようかな」


 黒蝶が手に取った光沢の美しい蒔絵の漆器に、折笠は水差しから水をそそぐ。


「このお水も美味しい。凄いね、このお宿」

「温泉はどうだった?」

「ちょうどいい湯加減で肌もすべすべ。風景もいいよ」

「じゃあ、俺も温泉に入ってこようかな」


 今なら温泉は空いているだろう。

 折笠は宴会場を出る。

 部屋に戻ると浴衣が一そろい準備されていた。黒蝶が気を利かせてくれたらしい。


 そのまま手に取って温泉へ向かう。

 隙間風の入る木造の脱衣所で服を脱ぎ、温泉へ。仕切り壁もない開放的すぎる温泉を見て流石に気恥ずかしくなり、折笠は周囲に開いた唐傘を配置して簡単な仕切りにした。黒蝶もおそらく周囲に蝶を散らしただろう。


「確かにちょうどいい温度だ」


 指先で温度を確認して浸かる。乳白色の温泉はなんとなくとろみがある。

 肩まで使って脱力しながら、折笠は夜空を見上げた。


「旅に出ようとは思ってたけど、まさかこんな形で出ることになるとは……」


 一人旅のはずが、同い年の女の子に天狗に鞍に狸にその他、随分な大所帯だ。


「ま、悪くはないかな」

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