第十三話 猪苗代湖の宿泊所
霊道の終端にあたるこの猪苗代湖に到着した折笠たちは霊道の出口で要求された米を渡して現世に出た。
「真っ暗だ」
すっかり夜になってしまっている。
道中に無説坊の仲間の妖怪の三割ほどが呪いの影響を受け、霊道を無事に抜けたことに安堵するような声があまり聞こえてこない。
これからの道中も徐々に声が減っていくのだろう。
言葉のやり取りは結束を強める。逆に、言葉のやり取りが失われた集団は瓦解していく。
この呪いは無説坊達が高天原参りを広めないようにするのと同時に、集団としての強みを失くすように仕組まれている。
無説坊の求心力で妖怪たちを繋ぎとめられるうちに鞍馬山に向かわなくてはならない。
だが、すでに三割が呪いの影響を受けているとなると、京都にたどり着くのは難しいだろう。
このままの速度で京都を目指すのは不味い。
「陰陽師と戦闘になるかもしれないけど、どこかで新幹線か何かを利用するか?」
折笠が陰陽師なら、すでに新幹線を含む公共交通機関は監視している。即応部隊を準備したうえで、無説坊達が乗った駅か次の駅で人員を車内に送り込む。
妖怪とはいえ、高速で動く新幹線や電車から飛び出すのは自殺行為だ。逃げ場のない車内で飽和攻撃を仕掛け、確実に仕留めようとする。
問題は他の乗客だが、人払いの術などで陰陽師は対策してくるだろう。
無説坊が折笠の肩を叩いた。その顔を見ると、平然として無説坊はパンッと両手を打ち鳴らす。
即座に、妖怪たちが両手を打ち鳴らした。その統率された動きは無説坊一派のゆるぎない信頼関係の裏返しだ。
「伊達にお山の大将を張ってないな」
憎まれ口をたたく折笠に、無説坊は歯を見せて豪快に笑う。声が出なくとも、そこには不動の自信が窺えた。
無説坊が天狗の鼻も高々に折笠たちを先導して歩き出す。
古天狗だけあってこの辺りにも詳しいのか、案内された先には温泉があった。
瓦屋根の脱衣所が併設されているものの、温泉そのものは周りを囲う柵もない。近くに平屋の宿泊所があった。
混浴を余儀なくされるその温泉を見て、黒蝶が何とも言えない顔をする。
デリカシーなどありそうもない狸妖怪がどや顔で温泉へ向かっていく。
「と、とりあえず、宿泊所を見ておこうよ。ノミとかダニとかいたら嫌だし」
「……そうだね」
狸妖怪の後ろ姿を睨みつつ黒蝶が頷く。
折笠は自分に飛び火しないよう口を閉ざして宿泊所に入った。
宿と呼ぶにはお粗末な、隙間風を感じる建物だ。これも霊道にあるため、普通の人間は入れない。
馬鞍顔の妖怪に案内されて宿泊所の板張り廊下を歩き、折笠は角部屋の襖を開ける。
意外と掃除が行き届いている。埃一つない部屋に感心していると、黒蝶も満足した様子で頷いた。
「これならいいよ。ダメだったらあの狸をつみれ汁にしてた」
「か、家庭的だね」
迷い蝶の半妖、黒蝶の迷いのない啖呵に折笠は怯えつつ、押入れを開ける。
押入れには予備のモノらしい枕と布団、樟から作られた防虫剤が置かれていた。
折笠は深呼吸をして気分を落ち着けつつ、場の空気を換えるため話題の転換を図る。
「そういえば、黒蝶さんって何歳? 俺は十八歳」
「……同い年だったの!?」
「同い年だったのかよ!?」
驚く黒蝶に折笠も驚きのあまり言い返す。
折笠を一つか二つ下だと思っていたらしい黒蝶が気まずそうに頷いた。
「今年、十八の高三です」
「……昨日、十八になったフリーターです」
気まずい沈黙が部屋にわだかまる。
気まずさに押し付けられるように畳に正座した折笠は、同じように正座する黒蝶を見る。
黒蝶が顔をうつむけたまま口を開いた。
「あの、ごめん、なさい。てっきり年下だと思ってて、ベンチに正座みたいなお姉さん風吹かせました」
「あ、あの件は俺の方に非があるから。というか、同い年なんだ? 頼りになるお姉さんだな、的に思ってました。俺が頼りにならないだけでした。サーセン」
「いま思うと、お互いのこと全然知らないね……」
ご神体を取り戻すまでの共闘のつもりでいたが、いまや京都を目指す旅の道連れで高天原参りを共にする戦友だ。
どうしてこうなった、とツッコミたい気持ちもあるが、折笠は黒蝶に尋ねる。
「高三ってことは、高校に通ってるんだ?」
両親や親族と折り合いが悪い折笠は学費が工面できず高校に通えていない。
自立したかった折笠は高校よりもバイトの方を優先していたためあまり気にしていないが、自分とは別の生き方をしている黒蝶の見る世界は気にかかる。
「折笠君は通ってないんだ……?」
「お金がねぇ……」
両親や親族との関係で学費が工面できず、奨学金という借金をするならバイトでもした方がましという判断だった。
学歴で築ける以上の信用を作れるのなら、バイトをした方が借金するよりまし。そんな折笠の感覚はあまり一般的ではない。
それでも、黒蝶は「なるほどね」とあっさり頷いた。
「世知辛いねぇ。半妖だとなおさら、親の理解とかあるし」
「黒蝶さんは親と仲いいから経済的にはいけるだろうけど、頭もいい?」
「良いって言ったら自信過剰っぽいでしょ」
距離を探りつつの会話に水を差したのは、部屋の襖を開けた馬鞍顔の妖怪だった。
「お風呂が空きました。いやぁ、人間は同族で浸かるものだと忘れておりまして。どうぞ、半妖のお二方、ごゆっくり」
「混浴はしないからな?」
「……混浴? 半妖同士でも混浴になるのでしょうかな?」
馬鞍顔の妖怪は妖怪、半妖、人間でしか区別していない。男女の別を認識できていない。
当然だ。この妖怪に性別はないのだから。
「鞍野郎、俺は無説坊と話したいから、同席してくれ」
折笠は馬鞍顔の妖怪、鞍野郎を誘って廊下にでる。その隙に黒蝶が着替えをまとめ始めた。
鞍野郎は男女の区別がつかずとも察しが悪いわけではない。折笠がそれとなく離れようとしたことで事情を理解したらしく、申し訳なさそうに俯いた。
「め、面目ない」
「しょうがないって。器物妖怪にはない概念なんだから」
鞍野郎を励まして、折笠は宿泊所の渡り廊下の先にある宴会場へ入る。
そこでは無説坊を中心にした宴会が開かれていた。
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