第二十六話 江戸高天原参り

 調伏したケサランパサランは金になる。

 込める妖力にもよるがその分け身は早くて数日で消え去るものの、金持ちに高く売れた。

 旅行の安全祈願。逃がしたくない商談や縁談。出産など。神仏に縋る節目にケサランパサランの分け身を飼う。

 戦国時代に大きく勢力を削られるもようやく盛り返してきた陰陽師たちにとって、ケサランパサランの分け身による収益は喉から手が出るほどに欲しいものだった。


 延宝の頃、ケサランパサランの白菫はまだまだ若輩の身だった。元々戦える妖怪でもなく、そもそも争いを好まない気質だった白菫は山中深くの岩の隙間や木の虚を巡ってはいい昼寝場所を探すのんびりした生活を送っていた。

 そんなのんびりした生活は長く続かず、白菫にとっては運悪く、陰陽師にとっては運よく、調伏されてしまう。


 三年ほど調伏されたまま、分け身を作るだけの生活。狭い桐箱の中に閉じ込められていた白菫を救ったのは対い蝶の紋を掲げる半妖の二人とそれに従う様々な妖怪たちだった。

 半妖の二人は喜作と蝶姫を名乗った。


「調伏されてる妖怪がいるって聞いたが、ケサランパサランだったのか」

「陰陽師もお金がないんだね。そこだけ親近感」

「それは姫が前世の金銭感覚のままだからです。改めてください」

「陰陽師がたくさんお金を隠してたって! みんなー諏訪湖に行ってみたくないかな!? わかさぎ釣りたい! 食べたいよね!」

「姫、皆を迷わせるのはずるいでしょう!?」

「わかさぎ釣りたい、食べたい、諏訪湖に行きたい、行きたくない。どーっちだ!?」


 口々に行きたいと口にする郎党を見て、喜作が頭を抱え、蝶姫が楽しそうに笑う。

 そんな郎党に、白菫は身を寄せた。

 全国各地の陰陽師を襲撃して回り、式として使われていた妖核を奪取しては頭である半妖の二人が妖力を高めていく。

 ある時、白菫は喜作に尋ねた。


「高天原参りに何を願うのですか?」


 喜作も、その隣にいた蝶姫も淋しそうに背後を振り返って答えた。


「二人の幸せ」


 ※


「――私が体験した話は以上。次はこちらにまつわる話をしたいが、ここまでで質問はあるかい?」


 白菫が石箱を撫でながらそう訊ねる。

 江戸時代における高天原参り。

 天下泰平と呼ばれた半妖の二人によって成し遂げられ、妖怪浮世絵が流行するきっかけともなったその高天原参りについては、折笠たちもすでに知っていた。


 折笠はため息を吐く。

 確信がなかったために口にはしていなかったが、天下泰平に蝶姫が関わっている可能性も考えてはいた。

 おそらく、黒蝶もなんとなく察していただろう。

 蝶姫は喜作の高天原参りの願いで復活を遂げたが、それは後世の話なのだろうと。


 だが、天下泰平に喜作が関わっているのはおかしな話だ。

 高天原参りは喜作によって行われたのだから。

 折笠は白菫に問いかける。


「喜作は戦国時代の高天原参りで何を願ったんだ?」

「それはこちらにまつわる話で語ろう」


 白菫が石箱の上に手を置く。

 ケサランパサランに会うよう促す手紙が入っていたその石箱にまつわる話に、天下泰平事件の裏事情が含まれているのだろう。

 そして、その裏事情こそが白菫が蝶姫や喜作と交わした約束と関わっている。

 やっぱり自分は質問が下手だな、と折笠は何かを言いたそうな黒蝶に場を譲った。

 黒蝶が折笠の後を引き受けてくれた。


「天下泰平事件で合ってると思うんだけど、その時の郎党について教えて」

「対い蝶の郎党の他にどこが参加したか、ということかい?」


 質問に黒蝶が頷くと、白菫は懐かしそうに目を細める。


「左二枚柏巴、荒鬼ノ手形紋、天尾……東北勢だとこの辺りが主力だった」


 左二枚柏巴は今は解散した狸妖怪の郎党。

 他二つは聞いたことがない。首をかしげる折笠の後ろにいつの間にか立っていた月ノ輪童子が口を挟んだ。


「荒鬼ノ手形か! 岩手の連中じゃ。いまも名乗っておるかは分からんが、おそらく生きとる!」


 岩手県、羅刹鬼という鬼がもう悪さをしないと誓って岩に手形を残したのが由来だという。

 月ノ輪童子は白菫にずかずかと歩み寄って、すぐ近くに腰を下ろす。


「この歳になると昔話ができる相手もおらんでな。酒は飲める口か? あ、傷に障るか?」

「ごめんだけど、昔話は後にしてもらえないかな、月ノ輪童子?」

「否定せんのなら酒が飲めるな? ちぃっと買って来よう!」


 自由気儘が服を着て部屋を出ていく。かと思うと、部屋に戻ってきた。


「牡蠣は食えるか? 当たると食わんというから、古い妖怪ほど嫌がるんじゃが?」

「たらい一杯でも足らんね」

「ケサランパサランとならたらふく食えそうじゃな!」


 がはは、と笑い声が遠ざかっていく。

 自慢のお腹をさすっている墨衛門を気にせず、白菫は白狩を見る。


「天尾の郎党は瑞雲と狐尾を組み合わせた紋でね。当時としては随分と歌舞いた、ハイカラな……今はなんと言うのかな?」


 困り顔で問われて、折笠は少し考えてから答える。


「最先端?」

「ほほぉ、最先端か。枝分かれしている気もするけれど、含意は合っているかな」


 少し話が逸れている気がして、折笠は黒蝶の顔を盗み見る。

 黒蝶としては欲しい回答があったらしく、次の質問を考えているようだ。

 考えがまとまったのか、黒蝶が質問する。


「私の実家の神社にご神体として安置されていたこれの開け方、分かりますか?」


 そう言って、黒蝶は桐箱を取り出した。

 妖力で封じられ、開けることが叶わないご神体だ。無説坊に盗まれた際、陰陽師が横からかすめ取ろうとしていた疑いもあるご神体。

 無説坊たち地元の妖怪曰く、ケサランパサランが漂った翌日にご神体に興味を示す者が現れる。そう伝承があった。

 白菫が笑い出す。懐かしさと寂しさが同居して、それでも楽しくなってしまったような、複雑な気持ちが現れた顔で。


「分かるともさ。ただ、君たちも知っているだろう。蝶姫様ときたら随分な悪戯好きだ。だから、開ける前に話しておきたい」

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