第二十五話 白菫
「もう、面会謝絶で……」
折笠は布団を頭まで被って丸まった。
「バッドモーニング! でも私の顔を見ればあら不思議、いつでもグッドに早変わり! いい朝にしようよ、折笠君!」
「むしろ、黒蝶さんは合わせる顔がない相手ナンバーワンなんだよ」
「私の可愛い顔を見たくないとはずいぶんな御身分だね!」
うりうりと擬態語を発しながら折笠を被っている布団ごと揺すっていた黒蝶は、飽きたように覆いかぶさった。
「嫌な夢を見たの?」
布団越しに優しい声で問いかけてくる黒蝶に、折笠は渋々答えを返す。
「聞いてよ、黒蝶えもん」
「あ、えもんはやめて。青でも墨でも、私は狸じゃないから」
「なんてお呼びすればよろしいでしょうか?」
「名前でいいよ?」
「……ごめん。名前なんだっけ?」
聞いた瞬間、布団の上から衝撃が走った。
バシバシと音だけは威勢よく、黒蝶が折笠を叩く。
「そういうところだよ、折笠君! これは本気で怒っていいと思うの! 私は本気で怒るの! 怒った! 黒蝶夕華です!」
「夕華さん、聞いてくれる?」
「おっと……かなり精神にキてるね。聞いてあげる」
折笠が一切乗ってこないことで黒蝶は同情したらしく、怒りを抑えて聞く姿勢に回ってくれた。
夢の内容を包み隠さずすべて話した折笠は、最後にこう尋ねる。
「俺の見立てではカサって情けなく色々やらかしてない?」
「私、故人を悪く言わないようにしてるから」
「言ってるんだよなぁ」
「折笠君はカサとは違うよ?」
「起きるー」
布団から這い出た折笠は手櫛で髪を整える。
スマホで時刻を確認すると朝の八時。
「黒蝶さんはどんな夢を見た?」
「ただずっと、カサたちの帰りを待ち続ける夢」
「そっちもきつい夢じゃん」
一昨晩に引き続き揃ってろくな夢見じゃないな、と折笠は愚痴る。
「もう、紋については決まりかな」
昨日のうちに月ノ輪童子たちと相談して、盟主になることは満場一致で決まっている。
折笠と黒蝶を主と呼んで盲目的に従っている塵塚怪王や半ば成り行きで共にいる月ノ輪童子はともかく、サトリまで嫌味も言わずに賛成したのは意外だった。
ただ、紋については意見が割れている。盟主になるからには通りが良い対い蝶紋を掲げる方が理に適っているという月ノ輪童子とサトリに対し、縁起が悪いなら避けた方がいいという大泥渡、折笠と黒蝶の意見次第だという塵塚怪王の三つだ。
もっとも、折笠と黒蝶の意見が固まった以上、別の紋を掲げることで決まりである。
「傘留まり蝶の紋、デザインはこれでいい?」
昨日のうちに候補として挙げていた中で一番良さそうな紋を描いた小さな唐傘を出現させる。
折笠と黒蝶の郎党であることを端的に示す紋だ。
「良いと思うよ。他の郎党と簡単に被るデザインでもないからね」
「じゃあ、決まりで。月ノ輪童子たちと一度話してから、墨衛門たちに――」
折笠が最後まで言う前に、部屋の外でバタバタと廊下を走る足音が聞こえてきた。
陰陽師の襲撃でもあったかと腰を浮かせた折笠と黒蝶だったが、襖の向こうで足を止めたゴンボ衆の言葉を聞いて笑みを浮かべた。
「白菫様が目を覚ました!」
折笠は黒蝶とハイタッチを交わす。
「もう会っても大丈夫なのかな?」
「はい! 白菫様がお二人を呼んでおりますので、お急ぎください」
かなり意識がはっきりしているらしい。元々、狸の妙薬のおかげで一命をとりとめて後は目が覚めるのを待つだけだったが、驚異的な生命力だ。
折笠は黒蝶を促してすぐに部屋を出て、白菫様がいる奥の座敷へと向かった。
白菫様が起きたと聞きつけた炭風たちがそわそわしながら廊下に屯している。重傷を負った白菫様のもとに駆け付けては負担になると遠慮しているのだろう。
炭風たちの間を早足で抜けて、座敷の襖を開ける。
白菫の他に白狩、灰斬、墨衛門、大煙管がいた。白菫の診察をしていた墨衛門が折笠たちを振り返る。
「傷はすっかり塞がってる。完治とは言えないが、長話をしても大丈夫だ」
「そうか。白菫、自己紹介からさせて……どうした?」
白菫は目を見開いて黒蝶を見つめている。
よほど驚いたのか、言葉もない様子で黒蝶を見つめる白菫に、折笠は遅れて気付く。
白菫を迎えに行ってイジコに襲撃されたあの日、黒蝶は蝶に変化して折笠の肩に留まっていた。人の姿の黒蝶を白菫は初めて見たのだ。
だからと言って、ここまで驚くだろうかと不審に思った矢先、白菫が呟いた言葉に耳を疑う。
「蝶姫様……」
白菫は江戸時代から生きているケサランパサランだと聞いている。確かに古い妖怪ではあるが、蝶姫が生きていた戦国時代とは異なる。
戦国時代の高天原参りにおける謎の一つ。復活したはずの蝶姫の行方。
蝶姫に託されてツキが吉野平の不動滝に隠したはずの日記は白菫に会うよう指示する手紙にすり替わっていた。
何らかの関係があると思っていたが、少なくとも面識があるのだろう。
折笠は黒蝶と視線を交わし、一歩下がった。
少し緊張した様子の黒蝶は白菫に話しかける。
「蝶姫ではありません。私は黒蝶夕華。蝶姫の下女、ツキの記憶を夢に見ている者です」
「……そうか。それで唐傘の半妖と共にいるのか」
白菫は瞼を閉じて、何かを嚙み締めるように口を引き結ぶ。
瞼を開いた白菫が布団の上で居住まいを正す。
「命を救ってもらった礼を言うだけのつもりだったが、事情が変わった」
白菫の雰囲気が変わったのに気付いて、墨衛門たちが不思議そうに折笠や黒蝶と白菫の間で視線を行き来させている。
折笠と黒蝶は白菫の前に腰を下ろした。
黒蝶が自室から持ってきていた石の箱を取り出す。吉野平の不動滝の霊道で見つけた手紙の入った石箱。
見覚えがあるのだろう。白菫は確信を深めた顔で黒蝶を見る。
「長く、長くお二人をお待ちしておりました。これより、蝶姫様と喜作様との約束を果たさせていただきます」
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