第十話  妖狐の隠れ里

 久慈川のほど近くにある稲荷神社に案内されて、折笠たちは霊道に入った。

 寂れた印象の小さな、神社というよりも祠といった方がよさそうな稲荷神社から入ったとは思えないほど荘厳な町が霊道に広がっている。

 数十件の民家が立ち並び、どの家も表門が鳥居のように朱色に塗られていた。


「ここは妖狐の隠れ里で、いくつかの霊道からたどり着けるようになってる」


 枚衛門の説明通り、民家から妖狐の視線が刺さる。

 警戒心もあるようだが、どこか期待するような視線だ。


「白狩を始め、幾名かの妖狐が外に散っている妖狐の避難誘導をしている。ここにいるのはあまり荒事が得意ではないものだ」

「陰陽師を二人も圧倒していた白狩は武闘派ってことか」

「元来、この辺りの妖狐は荒事を好まん。人を化かすことはあるが、危害は加えんのだ」


 枚衛門はそう言って、ため息をつく。


「おまん狐の頃から、人間の料理や酒をちょろまかしてるんだ。あんなうンめぇ物を作る人間を殺すはずがねぇ」


 おまん狐は福島県に伝わる化け狐のお話だ。花嫁行列から花嫁を攫ってなり替わり、祝言の席で料理をたらふく食べて逃げる。狐の嫁入りとは違い、人間の花嫁になり替わるお話だ。

 攫われた花嫁は狐に化かされ、山中で祝言の席の幻を見ていただけで危害は加えられていない。本当に人間の料理が食べたかったのだろう。


「普通に迷惑な話だけどね」


 黒蝶がばっさりと指摘する通り、攫われた花嫁はもちろん、祝言に参加した人々が大騒ぎしたのは想像に難くない。


「これでも、最近は代金を支払ってレストランとか行っているんだ」

「どうやって稼ぐの?」

「稲荷神社の収益の一部とアルバイト。狸妖怪もアルバイトをしてる」

「折笠君、出番だよ」

「黒蝶さん、話が迷走してる」


 黒蝶が両手で口を押さえて『以後喋りません』のポーズを取った。

 枚衛門が苦笑する。


「実は話が逸れていない。代金を払っているからこそ、人間が牙を剥くはずがない。友好な関係を築けていると信じ込んでいる妖狐がいるんだ」

「人間っていうか、陰陽師が相手だよ?」

「危害を加えていないのだから危害を加えられるはずがない。陰陽師と妖怪であっても領分を侵さず迷惑を掛けずにいれば共存できる。そう考えてしまう妖狐がいる」


 枚衛門が怒るわけでもなく、呆れるわけでもなく、やるせなさそうに言う。


「白狩から話を聞いているはずだが、狐の嫁入りが行われる。嫁はこちらから出す。そして、輿入れ先の妖狐たちには先ほど言った人間と共存できると信じる者が多い」


 話しながら、枚衛門が道の先に見えてきた三階建ての建物を指さす。


「嫁はいま、あの建物で準備をしている。あなた方には、白狩を含む武闘派と共に花嫁の護衛を頼みたい」

「延期するべきだろ。せめて、陰陽師が付近からいなくなるまでは」

「それはいつだ?」


 問い返されて、折笠は答えられなかった。

 いま付近にいる陰陽師を叩きのめしても、日本全国から増援の陰陽師が来る。


「狐の嫁入りの場所を変えるとか?」

「向こうは共存できると信じている。場所の変更に応じないだろう。なにより、時間がない」

「時間?」

「言ったろう。天狐の幾名かと連絡が取れない。もしも陰陽師に殺されたのなら、祝言など挙げるわけにはいかない。生死不明の今しか、儀式ができないんだ」


 枚衛門にとっても苦渋の選択らしく、口調が暗い。

 狐の嫁入りは離れた妖狐の集団と縄張りを決め、同盟を結ぶ儀式。特に今回は本当に祝言を上げるため、同盟の結束は強固なものになる。

 陰陽師の脅威が明確になった今、仲間を増やすためにこの儀式を成功させて同盟を結ぶ必要がある。

 例え、相手が人間との共存を夢見ていようと、現実を知る時が間近に迫っているのだから。


「いま、こちらの長が向こうに出向いて状況の説明と警備の強化を要請している」

「つまり、俺たちは花嫁行列を守ればいいのか」

「そうだ。ここで警備の具体的な中身を詰めたい」


 枚衛門が警備の妖狐たちに挨拶をして折笠たちを建物に招き入れる。

 案内されたのは茶の間だった。そこに人の姿に化けた妖狐たちが座っている。主役である花嫁らしき姿はない。


「警備に当たる妖狐たちだ。妖力こそあるが、戦闘は正直不慣れな者ばかり」


 戦闘に長ける白狩などの主力は避難誘導に出たままで、後で合流するという。

 ここにいる妖狐は花嫁行列の警備というより、ルート上の監視と陰陽師が現れた場合にいち早く主力に知らせる役割だ。

 白狩などの主力は戻り次第、花嫁行列の左右を固めて移動し、陰陽師の襲撃があれば対応する。しかし、花嫁行列の安全確保が最優先なため、折笠たちがここにいる警備妖狐の下に急行する形になるという。


「配置図はこれだ。連絡が取れなくなった天狐が情報を抜かれている可能性があるため、大幅に変更を加えてある」


 山の中、道なき道を歩き続ける順路だ。花嫁行列ということもあって動きが遅く、先回りされる可能性も高い。

 黒蝶が枚衛門に質問する。


「この状況でも、天気雨を降らせたり狐火を灯すつもり?」

「儀式故、曲げられん」


 狐の嫁入りは天気雨の別名にもなっているほど雨が伴う。陰陽師たちに儀式の開始を知らせる合図になってしまう。

 狐火など、もろに花嫁行列の位置を晒してしまう。襲ってくれと言っているようなものだ。

 これは予想以上に難しい護衛になる。折笠は枚衛門に提案した。


「それなら、せめて天気雨に差す傘を提供させてほしい。俺の唐傘なら、込めた妖力が尽きない限り陰陽師の術でも防げる盾になる」

「それは心強い。ぜひ、頼む」


 枚衛門を始めに、警備役の妖狐たちが一斉に頭を下げる。


「長く思い合った野狐たちなんだ。思いを叶えてやりたい」

「連絡が取れない天狐たちもこの日を楽しみにしていたんだ」


 口々に言う妖狐たちを制して、枚衛門が向き直る。


「報酬についての話をしたい。いくらかの人間の金は用意できる。だが、命を賭けるには足りないかとも思うのだ。何か我々にできることがあれば」


 折笠は黒蝶と頷き合い、枚衛門に尋ねる。


「なら、この地にいるというケサランパサランの居場所を教えてほしい」

「ケサランパサラン……」

「教えられないなら、ケサランパサランに唐傘と迷い蝶の半妖が吉野平の不動滝から来たと伝えてほしいんだ」


 ケサランパサランの名を出した直後、枚衛門たちの空気が明らかに変わった。それまでの折笠たちへの好意的な気配が一瞬、強い警戒に変わっていた。

 枚衛門が折笠を正面から見つめて、問いかける。


「どのような関係か?」

「話せば長いことになるんだけど、できるだけ手短にまとめると――」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る