第二十六話 下剋上

 照魔鏡が無くなったことで、狸妖怪、狐妖怪たちが一斉に変化を開始する。


「有象無象を押さえる! 大将たちの道を切り開け!」


 墨衛門が号令をかけ、折笠の前を塞いでいた下漬勢が跳ね除けられる。横合いから切り込んだ月ノ輪童子たち鬼たちの働きもあり、一気に黒蝶たちと下漬の戦場まで道が出来上がった。


「ほれ、飛んでいけい」


 黒蝶たちの下へ走ろうとした折笠に無説坊が声をかけて芭蕉扇を振るう。

 瞬時に作り出した唐傘に強風を受けて、折笠は出来上がった道を文字通りに飛んでいく。途中で合流した月ノ輪童子たちにも唐傘を作って渡すと、鬼たちの優れた反射神経の賜物かすぐに風に乗ってきた。

 折笠の接近に気付いた下漬の周囲の妖怪が立ち塞がろうとするが、折笠は唐傘を閉じて空に跳ね上げる。そのまま空中にいる妖怪へ唐傘を振り抜いて遠くに弾き飛ばした。


「黒蝶さん、大蛟は撃破した」

「早かったね」


 そう言って出迎える黒蝶の横で護衛に当たっていた龍燈が確認するように無説坊たちの方を見る。無事な姿にほっとしていた。

 黒蝶と下漬の戦闘は黒蝶側の防戦一方だ。

 直接的な攻撃手段を持たない黒蝶は照魔鏡で消されない神力で作り出した迷い蝶での攪乱を試みている。


 だが、下漬は戦国、江戸時代の高天原参りを経験しているためか迷い蝶対策は完璧だ。命令遵守の調伏妖怪に細かく指示を与えて戦線を維持しつつ、不死身のような再生力でごり押ししてきている。同時に、黒蝶と共に戦う妖怪や半妖への調伏を試みている。

 塵塚怪王や大泥渡が妖怪の調伏を阻止しているが、攻撃に回る暇がない。サトリの読心も妖力差がある下漬に効果がなく、後方で右往左往している金羽矢家の陰陽師の隙を半妖衆に伝えて少しずつ数を減らすくらい。


 しかし、照魔鏡が月ノ輪童子たちによって破壊されたことで、白狩を始めとした狐妖怪たちが攻勢に転じ始めている。

 折笠が戦況を把握するのを待って、黒蝶が端的に表現する。


「攻め手が足りないの」

「そこは俺の采配だから」


 迅速に大蛟を撃破するべきと考えて月ノ輪童子などの攻撃戦力を偏らせたのは折笠だ。

 そして、黒蝶なら確実に戦線を維持できると信じていた。


「ここからは反撃だ。喜作と蝶姫が雷獣を押さえている間に下漬を倒そう」


 肝心の下漬を睨む。

 まだ十代にしか見えない不老の女陰陽師、祟り神、八百比丘尼、百鬼夜行の主、余りにも肩書が多いその黒幕は晴れ舞台に浮かれて満面の笑みを顔に張り付けていた。

 下漬が折笠たちに首をかしげる。


「作戦会議は終わりましたか? では、殺してもいいですね? 令和の対い蝶の郎党の頭を潰せば生き残りは逃げ散るでしょうから、私を語り継いでくれるはず。あなたたち二人だけを殺したいんです」

「なら俺たちを待たずに仕掛ければよかっただろ」


 折笠は指摘しながら大振りの紅唐傘を構える。

 下漬が呆れ顔で首を振る。


「分かってませんね。宣言してから殺さないと見逃す者が大勢出てしまうでしょう。語り部は多いに越したことはありません」

「ねぇ、下漬さんなら知ってると思うんだけど」


 黒蝶が下漬へにこやかに話しかける。周囲に小型のモンキチョウやモンシロチョウを飛ばしながら、黒蝶は続ける。

 下漬に最も効果的な煽りを。


「――勝者が歴史を作る。敗者は歴史に埋もれるんだよ」


 下漬が顔に張り付けていた笑顔の仮面が外れ落ちる。


「あぁ、あぁ、そうですね。さんざん見てきました。勝たなくては、勝とう、勝ちます」


 下漬が纏う神力がわずかに揺れたのを見て、折笠は悪寒を感じて唐傘を盾に構えた。

 それでも、悪寒が消えない。

 下漬の足元を中心に広範囲へと赤熱する針が突き出していく。

 金羽矢榛春が使っていた金気の陰陽術だ。しかし、遥かに範囲が広い。

 五行の相性もあって、折笠の作り出した唐傘では防ぎようがない。


「折笠君、唐傘を掲げて!」


 横から抱き着いてきた黒蝶に促されて、折笠はとっさに唐傘を開いて空に掲げる。

 黒蝶の周囲から舞いあがった大量の迷い蝶が唐傘を下から押し上げ、折笠に抱き着いた黒蝶ごと一気に空へと打ち上げた。

 寸前まで折笠たちがいた地面から赤熱する針が突き出し、唐傘を押し上げて力尽きた迷い蝶を次々に燃やし尽くす。


 畳みかけるように下漬が右手に札を持ち、折笠にかざす。

 折笠はすかさず周囲に唐傘を作り出して目隠しにした。

 下漬が札から撃ちだした水晶の針に唐傘が貫かれるのを見つつ地面に降り立った折笠は十メートル以上の長さを誇る巨大唐傘を作り出して下漬の頭上に振り下ろす。

 振り下ろされる唐傘を一瞥した下漬が札を手放して右腕を軽く一振りし、巨大唐傘の側面を叩いた。


「うわっ」


 羽虫でも追い払うような動きの軽さとは裏腹に伝って来た重い衝撃に折笠は思わず声を上げて巨大唐傘を手放した。

 見た目は十代の女だというのに、腕力が鬼よりも遥かに上だ。半妖化している折笠も常人離れした腕力のはずだが、確実に力負けする。

 下漬が笑みを顔に張り付けて歩いてくる。周囲には赤熱する針が林立し、折笠へと迫ってくる。


「拍子抜けしました。拍子抜けしています。あぁー、もっと劇的な戦いを求めているのに!」


 相手にならない、と呟きかけた下漬は折笠の隣にいたはずの黒蝶の姿が消えていることに気づいて空を見上げた。

 折笠が作り出した唐傘を手に大量の迷い蝶で空に上がっていた黒蝶に、下漬は眉を顰める。


「芸のない」


 無感情に言った下漬が右手で複雑な印を結ぶ。指の関節を外しているとしか思えないその印が完成すると同時に、空へといくつもの泡玉が浮き上がる。

 泡玉に取り込まれた迷い蝶が脱出しようともがきながら解け始め、妖力に戻される。泡玉が弾けると妖力が下漬へと流れ込んでいった。

 泡玉に捕らえたモノから妖力を奪い取る術らしい。


 黒蝶への対策は空へと浮かぶ泡玉で十分と判断したのか、下漬が折笠へ視線を戻し――眼前に迫る唐傘の先端を、首を傾げて躱した。

 しかし、下漬は唐傘の後ろから迫る光景を見て初めて顔色を変え、焦った様子で後ろに跳ぶ。

 赤熱する針が生えていた路面コンクリートごと地面が抉れ大量の土砂となって下漬に襲い掛かってきていた。

 下漬が黒蝶を見上げている間に折笠が唐傘で路面コンクリートを砕き、土ごと掘り起こす形で唐傘を開いたのだ。


「土剋水だ。苦手だろ、土はさ!」


 八百比丘尼は水気の人魚の肉を取り込むことで長寿を得ている。性質的には水気と踏んでの土砂攻撃だが、妖力をほとんど含まないただの土砂では効果が薄い。

 だが、覆いかぶさるほどの量ともなれば、物理的に動きを阻害する。

 そして、折笠が下漬を水気だと指摘したのは、勝ち誇っているわけではない。

 折笠は黒蝶と共に戦っているわけではなく、対い蝶の郎党として戦っているのだから。


 土蜘蛛が近くを流れる堀川から石を糸で包んで投石を仕掛け、泥田坊の半妖が大量の泥で下漬を横合いから攻撃する。

 五行の相性が良かろうと、神性まで得ている下漬にとっては脅威ではない。

 下漬が鬱陶しそうに九字を切った。それだけで飛んでくる石も横合いからくる泥もあらぬ方向へ逸れていく。


「――仲間の仇、取らせてもらおうか」


 徳島狸の頭領、墨衛門が変化する。現れたのはだいだら法師と同等の半裸の巨人。その足元では大煙管が音頭を取り、狸妖怪たちが一斉に変化し、巨人が扱うのにふさわしい巨大な陶器の槌になる。

 巨大な槌が渾身の力で振り下ろされる。押しのけられた空気がうねり、大量の迷い蝶と泡玉が消し飛ばされ、下漬を捉えた。


「……発想は認めましょう」


 振り下ろされたはずの槌を下漬は片手で支え、余裕の笑みを浮かべていた。

 受け止められても墨衛門は構わず全体重をかけて下漬を圧し潰しに抱える。

 無理攻めにも取れるその行動の意図を図りかねた下漬はすぐに高速で迫ってくる狐妖怪の集団に気付く。


「嫁入り邪魔しやがって、あたしらの大事な後輩が行き遅れるところだったろうが!」

「八百年行き遅れ婆め!」


 白狩と炭風が口汚く罵りながら、人型に変化して匕首を抜く。

 下漬の上で、押さえていた槌が消えうせ、大量の狸妖怪が人に変化しながら刀を抜き放つ。

 上からも横からも百を優に超える狸と狐が刃を閃かせる。

 下漬は表情一つ変えずに術を発動した。土砂と泥にまみれた地面から赤熱する針が林立し、妖怪たちを貫く。

 しかし、妖怪たちが傷を負うことはなかった。


「――禍事祓いて、傘下ハレと為せ」


 折笠の神業が傘下にいるすべての仲間への攻撃を妖力で受け止める。


「なるほど。攻撃手段に乏しい唐笠お化けらしい戦術ですね」


 感心するわけでもなく、むしろ呆れたように呟いた下漬が迫る匕首や刀を避けようともせずに受け止めた。

 しかし、下漬は傷一つ負っていない。


「妖力差がありすぎるんです。変化で作った武器ごときで切れるはずがないでしょうに」


 一方的に攻撃ができる力の差があるから、避ける必要もない。

 そう言い切る下漬に否を突き付ける鬼がいた。


「儂なら斬れる」


 獰猛に牙を剥きだし、狐妖怪にまぎれていた月ノ輪童子が刀を上段に構えて斬りかかる。

 下漬でも目で追うのが精いっぱいの奇襲。

 ガンッと人体を斬ったとは思えないほど硬く鈍い音が響く。


「なんじゃ。やはり斬れるでは……」


 確実に下漬の右腕を斬り落とした手応えをもって振り返った月ノ輪童子は口を閉ざす。

 斬り落とした下漬の右腕が見る見るうちに再生していくのだ。


「神業を展開した、展開しています。私には効果が及ばないとでも思いましたか?」


 傷をつけられる者が限られるだけでなく、傷を負ってもすぐに再生できる。

 神にふさわしい不死性を見せつけて下漬は唐突に笑いだす。

 ここで勝ち誇れば後世に語る一場面にできると確信して笑いだす。

 月ノ輪童子は刀を中段に構えつつ、下漬に声をかける。


「笑ってももう無駄じゃろ」

「あはは――は?」


 月ノ輪童子の指摘に下漬が訝しんだ直後、狸妖怪と狐妖怪が突如出現した無数の籠に示し合わせていたかのように飛び込んだ。

 マイナー妖怪だが、下漬はその籠を知っている。


「イジコ?」


 調伏していた半妖の子供を思い出し、怪訝な顔をした下漬は妖怪たちがいなくなったことで開けた視界にいるべき者たちがいないことに気づき、口を閉ざす。

 開けたその場にいるのは、下漬、折笠、黒蝶、月ノ輪童子、塵塚怪王、大泥渡、サトリ――迷い家の隣に震える足で果敢に立つイジコの半妖の少年。


 下漬が集めた調伏妖怪の百鬼夜行はいない。金羽矢家の陰陽師は大泥渡とサトリにぶちのめされ、堀川に浮かんでいる。

 一仕事終えたような顔で、大泥渡とサトリが籠に入って消える。


 理解が追い付いてきた下漬がイジコを睨むのと同時に、月ノ輪童子が籠に入った。


「主様、引き続き調伏解除を進めておきます」


 下漬などいないかのように淡々と報告して、塵塚怪王が籠に入る。

 折笠と黒蝶の間で震えながら、イジコの半妖は下漬を指さして精一杯の勝ち誇った笑みを浮かべた。


「ざまあみろ、ヒステリック婆」


 捨て台詞を残して、イジコの半妖は迷い家の中に消えた。

 対い蝶の郎党と下漬勢の全てを取り込んだ迷い家を折笠は拾い上げる。黒蝶の能力で迷い家がアゲハ蝶に変化し、折笠の背中に留まった。


 守るべき郎党の仲間たちと下漬の被害に遭った調伏妖怪を守る態勢が整った。

 唐笠お化けの本懐が刺激される。

 爆発的に妖力を増した折笠の腕に抱き着いた黒蝶が下漬へと優美に微笑みかける。


「これでもう、あなたを語る者もいなくなるね?」


 折笠は黒蝶とまったく同じタイミングで下漬を指さし、声を重ねた。


「――一人負け」

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