第二十五話 サトリ

「なぁ、黒蝶さん。陰陽師と妖怪の間で本当に友情が成立すると思う?」

「男女で成立するくらいの確率であるんじゃないかな」


 黒蝶の返答に折笠はなるほどと頷く。


「なら、成立する」

「私もそう思う」


 茂鳶の屋敷を走る。庭から母屋に土足で上がり、折笠は唐傘を閉じて周囲を見回した。

 外観は日本家屋そのものだったが、フローリング敷きの近代的な内装だ。襖で仕切られているように見えて、実際には壁に襖風の壁紙が張られている。

 おそらく、妖怪や半妖の侵入も想定して死角を増やす作りにしているのだろう。防衛配置もあらかじめ決められていると思われる。

 もっとも、先に入って暴れている月ノ輪童子の相手で手一杯らしい。家人は折笠たちの侵入にも気付いていないだろう。


「折笠君、カラスアゲハがいる方へ向かって」

「大泥渡君の位置が分かるのか?」

「月ノ輪童子の戦闘に巻き込まれない方へ行けばいいんだよ」


 月ノ輪童子と手分けして探す形にするらしい。折笠の耳にも微かに戦闘音が聞こえてくる。

 黒蝶の言う通りにカラスアゲハが留まっている廊下の角を曲がり、直線を一気に走り抜ける。タイミングを見計らって廊下に面する部屋から飛び出してこようとする家人は、引き戸に唐傘のつっかえ棒が仕掛けられていたせいで出られない。


 母屋から別棟への渡り廊下に出て、折笠は一度足を止める。戻って母屋を調べるべきか、このまま別棟を調べるべきかで迷ったのだ。

 直後、別棟の裏手、裏庭から妖力を感じた。月ノ輪童子や塵塚怪王とは違う、しかし陰陽師のモノとは思えないただ垂れ流しただけの妖力だ。

 すぐにサトリの妖力と気付いて、折笠は渡り廊下を飛び出して裏手へ向かう。

 別棟の建物影からこっそりと裏庭を覗いた。


「あちゃー、睨み合いの最中だねぇ」


 黒蝶が呟く通り、裏庭ではサトリを従えた茂鳶とそれに対峙する大泥渡の姿があった。

 悔しそうな顔で赤いプラスチック製の札を下げる大泥渡の前で、茂鳶が勝ち誇ったような顔をする。その茂鳶の肩の上に白い猿、サトリが歯をむき出しにしている。

 大泥渡が困ったように笑う。


「そんな顔すんなよ。言いなりになるんじゃない。自分とお前の命を天秤に乗せて、選択したんだ。これは僕の意思だよ」


 サトリがさらに牙を剥く。鋭い目付きで大泥渡を睨みながらも、茂鳶に操られているせいでそれ以上の意思表示ができないらしい。

 茂鳶が母屋を指さした。


「さぁ、あの女鬼を仕留めてこい。その後は正門にいる産業廃棄物だ。半妖はこちらで仕留めてやる」

「……言ったろ。天秤に乗ってるのは僕とサトリの命だ。僕は動かない」


 大泥渡の言葉に、サトリと茂鳶が真逆の反応を示す。サトリはわずかに笑みを浮かべ、茂鳶は反比例するように怒りを露にする。


「サトリを殺されたいのか!? いいから言うことを聞け!」

「調伏する妖怪の嗜好くらい把握しろよ。式と違って意識があるんだからさ」


 大泥渡は獰猛に笑みを浮かべて、自分の首を右手でトントンと叩いた。


「自由なんだよ。僕もサトリも。サトリの命を賭けるなら、僕も命を賭ける。命を賭けて、自由を守る。死ぬか自由か、この天秤に今日会ったばかりの妖怪も半妖も乗せるわけがない」

「……実験動物としてすら欠陥品か。もはや古家の家督以外に価値がない」


 茂鳶が呆れたように大泥渡を評価し、ため息混じりに首を振る。


「迷い家に幽閉してやる。大泥渡家はきちんと我ら茂鳶が運用しよう」


 大泥渡と茂鳶の会話を丸々全て聞き流し、折笠は黒蝶と相談していた。


「どんな感じ?」

「えっとね、こことここに――」


 蝶に変化した黒蝶が上空から俯瞰した情報をもとに、折笠の作り出した唐傘上の裏庭の配置図が埋められていく。大泥渡と茂鳶、庭木と石やため池、黒蝶が作り出した迷い蝶の位置。

 大泥渡と茂鳶が悠長に会話している間に、裏庭は折笠と黒蝶に掌握されていた。


「じゃあ、行っちゃう?」

「行っちゃえ、折笠君」


 パンっと派手な音を立てて、茂鳶の頭上で唐傘が開く。反射的に唐傘を見上げた茂鳶の目には迷い蝶が映った。


「迷い蝶っ……!?」


 しまったと思ってももう遅い。しまったと思える時点で自らに選択肢があったことを悟ってしまっている。

 だが、茂鳶は優秀だった。

 爪が食い込むほどぎゅっと拳を握りしめる。迷い蝶を見た時に迷わずこうすると決めていれば、最低でも仕切り直しを図れると踏んだ行動だ。

 最善手や次善の手から悪手までさまざまな選択肢からの派生よりも、事前に決めていた対応策は圧倒的に派生が少ない。

 不意打ち気味に迷い蝶を見た場合の対処法としては最善手に近いもの――ただ、一手遅れてしまうという点を除けば。

 大泥渡が赤いプラスチックの札を宙へと放り、早口で呪文を紡ぐ。


「奇異奇縁意返さずともここに帰す」


 最初から握っていたのか、大泥渡は右手を振り抜くと同時に塩を振りまいた。


縁塩えんえん、永遠に円にながらう――」


 大泥渡の詠唱を妨害しようと茂鳶がサトリの首を掴んで正面に突き出す。


「縊り殺すぞ!?」


 遅れてしまった一手、その時間を取り戻そうとする脅しとして、質を突き出してしまうその動き――その遅れた一瞬の差こそが茂鳶と大泥渡の実力差であり命運を分ける。

 茂鳶の顔面に大きなアゲハ蝶が留まった。

 視界を塞ぐそのアゲハ蝶を咄嗟に払いのけようとする茂鳶の前で、大泥渡の詠唱が完了する。


「――本来の縁を結ぶ」


 複雑な印を大泥渡が手で結んだ瞬間、サトリが茂鳶の横っ面を全力で蹴り飛ばした。小さな、リス猿程度の大きさのサトリが繰り出したとは思えないほどの痛烈な蹴りは茂鳶を横に倒れ込ませるほどのモノ。


「晴れて自由の身だ。娑婆の空気はうんめぇぜ!」


 華麗な三回転着地を決めて、サトリがバク転しながら茂鳶から距離を取り、大泥渡の身体を駆け上がって肩に落ち着いた。


「おい芳久、来るのが遅ェと思えば、俺様以外の友人を作って修羅場に連れてきたのか? 妬けるねぇ!」

「髪を引っ張るなよ」


 じゃれつくサトリに満更でもなさそうな顔で大泥渡は注意し、建物影から出た折笠たちを見る。


「ありがとう。助かった」

「どういたしまして。サトリに自己紹介したいところだけど、後回しにしようか」


 立ち上がった茂鳶を指さして言う黒蝶に、大泥渡が頷く。その肩でサトリが腕を組んで茂鳶に声をかけた。


「形勢逆転だなァ、茂鳶? どうした? 泥だらけじャねぇか。外遊びではしゃぎすぎて素っ転んだのか? いい年こいてとは言わねぇよ。誰でも童心に返りたい時くらいあるもんなァ! 策謀巡らせるのが大好きな癖して頭も口もろくに回らねぇ茂鳶くんは泥遊びするくらいがお似合いだぜ? 泥人形なら言うこと聞いてくれるもんなァ!? おっと、キレたか? 必死に怒りを抑え込んで冷静になろうとしてんなぁ! 全部筒抜け、俺様サトリだから! キレた? キレたな! キレちったなァ! 内心でダダコネまくり! 餓鬼みてぇだわっ!」


 怒りで肩を震わせる茂鳶に同情したくなるような長々しい煽り文句。心を読める妖怪、サトリの特性を完全に悪用した、怒らせるためだけの煽り。

 折笠も言わざるを得ない。


「大泥渡君、友達は選んだ方が――」

「おい、唐傘ぁ! 俺様が芳久の一番のダチだからって嫉妬してんのかぁ!?」


 折笠はサトリにだけ聞こえるように心の中で叫んだ。

 ――めんどくせぇ!

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