第二十九話 対い蝶の郎党

 狸妖怪の宝船に乗って、折笠たちは福島県にある栗小山に降り立った。


「本当に温泉があるの?」

「あるんだなぁ、これが」


 得意そうに先頭を歩きだす黒蝶の後に続く。

 黒蝶が夢に見たという霊道の温泉へ向かう途中だ。

 不安になって、折笠は背後の妖怪たちを振り返る。

 古い妖怪であっても徳島狸の頭領である墨衛門が東北の霊道を知るはずがない。長らく結界の中にいた塵塚怪王も同じだ。

 あてにできるのは東北の妖怪である白狩たち狐妖怪と古い妖怪である白菫のみ。

 だが、白狩たちは不思議そうに周囲を見回している。


「栗小山に霊道があるなんて聞いたこともないが」

「よほど古いのだろう。ゴンボ衆でも最古参は昭和の初めの生まれだ。それ以前の霊道、江戸の頃となれば伝わっていないさ」


 灰斬はそう言いながら、東北妖怪の最古参と思われる白菫を見る。

 白菫は景色を眺めながら首をかしげていた。


「はて、こんな風景だったか……?」


 長らく身を隠していた白菫が湯治に訪れるはずもない。

 折笠は黒蝶に声をかける。


「マジで大丈夫? ここまで来て霊道が無かったらバツが悪いどころじゃないけど」

「その時は折笠君が助けてくれるって信じてるよ! 一発芸とかできる?」

「頼らないでくれる? 傘回しくらいしかできないよ」

「できるんだ……」


 唐傘お化けの半妖としての能力をもってすれば、手足のごとく使える傘で手毬だろうと皿だろうと回せる。


「私は帽子から蝶を出したりできるよ」

「種が割れてるんだよなぁ」


 山の中へと入り、黒蝶が三歩両足で前へと跳躍し、三回手の平を音を立てないように合わせた後、右足でくるりと回った。

 直後、黒蝶の姿が掻き消える。

 少なくとも、霊道は存在していたらしい。折笠は同じ動きをして霊道に入った。


「――うわっ、凄いな、これ」


 霊道に入った瞬間、目の前に広がる景色に折笠は驚いた。

 幅三メートルほどの道の両端に高さ七メートルはあろうかという切り立った崖を見上げることができる。崖の上からは折笠の腕ほどの幅の、白い滝がいくつも流れ落ちていた。

 苔に覆われた石畳みを踏みしめて折笠が進むと、背後から月ノ輪童子たちが続々と霊道へ入ってくる。

 涼し気な風景に月ノ輪童子たちが感心したように辺りを見回す。

 そんな仲間を気にせず、黒蝶が奥へと向かう。それを追いかけながら、折笠は気配を探った。

 霊道に折笠たち以外の気配はない。本当に、長らく利用されず存在すら忘れられた霊道らしい。

 苔で足を滑らせないように注意しながら奥へと進むと、湯気が見えてきた。


「ここだよ」


 黒蝶が折笠たちを振り返って、湯気を手で示す。

 少し湿度は高いが、硫黄の臭いは一切しない。周囲を森で囲まれたその温泉は古びた石積みの仕切りがあり、男女の区分けがされている。

 さらに、石造りの広大な平屋が温泉宿として建てられていた。

 朽ちてしまっている入口の戸を外して中を窺うが、自然の王国と化している。

 墨衛門と灰斬が視線を交わし、各々の配下を振り返った。


「整備を始める」

「我々の同盟の証となる温泉宿に仕立て上げる。気張れよ!」


 狸妖怪と狐妖怪がそれぞれ温泉宿へと突入して整備を始める。だが、整備にはそれほど時間がかからないようだと大泥渡と塵塚怪王が予想した。


「結界が張ってある。客室の方は畳なんかも無事だろう」

「偶然にここへたどり着いた者に利用を諦めさせるため、入り口だけ結界を張らなかったのでしょうね。石造りの頑丈さゆえにできる方法です」


 彼らの予想通り、整備は二時間ほどで終了した。

 整えられた宴会場へと折笠たちは足を踏み入れる。

 涼し気に生けられた控えめな花が床の間に飾られている。

 障子には対い蝶紋、左二枚柏巴紋、葛の葉紋、尾扇紋の切り絵が張り付けられている。


「ちょっと派手だね」


 黒蝶が笑いながら言う感想に、折笠も頷いた。

 だが、今日ここを訪れた意味を考えれば粋だと思うべきだろう。

 上座に黒蝶と並んで座り、折笠は水の入った盃を持ち上げる。

 横に並ぶ黒蝶が同時に盃を持ち上げた。

 わずかに遅れて、月ノ輪童子たち新生対い蝶の郎党が盃を掲げる。大泥渡以外は全員の盃に酒が入っている。


「対い蝶の郎党をここに結成する」


 黒蝶と共に宣言し、墨衛門を見る。


「そして、左二枚柏巴、並びに柏巴の郎党」


 黒蝶が白狩と灰斬へと視線を向ける。


「葛の葉の郎党、尾扇の郎党」


 呼ばれると、墨衛門たちが一斉に盃を掲げた。


「対い蝶の二大頭領、折笠直仁と――」

「黒蝶夕華の名のもと、ここに同盟を成す」


 全員が盃を飲み干す。

 ここに、折笠と黒蝶を柱に据えた大規模な同盟が成立した。



 水之江家当主、夜暗はホテルに駈け込んで来た金羽矢家当主、榛春を迎え入れ、茶を淹れる手間も惜しんで本題を切り出す。


「動いたか?」


 陰陽師会にとっての懸念事項は二つ。

 天下泰平の後に続くとされる唐傘お化けの半妖。

 裏で動き、高天原参りに臨んでいるらしい陰陽師、下漬。

 唐傘お化けの半妖は中部地方で消息を絶っている。大泥渡家と茂鳶家の争いに中心的な働きをしたと推測されるが、その後の行方がようとして知れない。捜索網にかからないことから京都へ向かってきているとは考えにくく、各地の新家などに情報を募っている最中だ。

 出雲を押さえている今、無視してもいい。


 だが、下漬は違う。

 おそらくは偽名で活動している本名不詳の陰陽師、下漬。四国で狸妖怪を狙って活動していたはずが、水之江家が独自に手の者を四国に送り込むと同時にぱったりとその消息がつかめなくなった。

 陰陽師会の動きの深い部分を知ることのできる立場。陰陽師の手薄な土地で妖怪を狩り作る手腕と武力。唐傘お化けの半妖と同様以上に放置できない存在だ。


 夜暗は榛春の言葉を待つ。

 榛春が日本地図を開いて夜暗の前に置いた。各都道府県に付箋が張られているが、福島に張られた付箋だけが青黒く変色している。


「いくつかの占星術で占った。福島県で大きな異変が起こる」


 躊躇うように言葉を選んだ榛春だったが、結局は率直に占いの結果を言葉にした。


「天下泰平を超える大変事が日本に降りかかるよ」


 想定の範疇だ。

 夜暗は静かに占いの結果を事実として受け止める。

 問題なのは、その変事が唐傘お化けの半妖か陰陽師の下漬、どちらによってもたらされるかだ。

 金羽矢榛春は断言する。自らの占星術が外れる可能性などゼロだと断言できるほどの自信と実力をもって。


「陰陽師、下漬が神性持ちを手札に加える」


 夜暗の決断は即座に下された。


「出雲の地に守備を残し、式または調伏妖怪で移動可能な全戦力で下漬討伐に向かう。妖怪や半妖より、人の方がよほど厄介だ」


 妖核を持つ妖怪や半妖ならば調伏できる。

 だが、人間は調伏できない。

 止める手段がない人間、下漬を優先的に潰すべきだ。


「古家に招集をかける。討滅戦だ」

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