最終章 令和高天原参り
第一話 草の根活動
山中を一人の少年が駆けていく。
半月が照らす山道は舗装こそされているもののひび割れが目立ち、昼から降っている雨の影響で滑りやすい。それを嫌ってか、車の通りもなかった。
その事実が、助けを求める相手がいない絶望を少年に突き付ける。
パシャパシャと少年が水溜まりを踏む音にバチャッと異音が混ざる。
距離が縮んでいる。異音の大きさで追いつかれつつあることを認識した少年は肩越しに背後を振り返る。
陸上部として鍛えているはずの少年の全力疾走に、一本足の怪異が迫ってきていた。
強靭な一本足で驚異的な跳躍をみせ、跳ねるように迫ってくる。一本足の上には樽のような胴体があり猪のような短い剛毛に覆われている。胴体の中心やや上に位置する巨大な目は少年の顔ほどもあった。
「活きのいい小僧だぁなぁ。脂のノリはいまいちかぁなぁ」
少年を値踏みしながら真っ赤な舌で己の牙を舐める怪異。
明らかな捕食者の視線で射抜かれて少年は息を吞み、それでも山中を必死に駆ける。
日課のジョギングをしていただけなのに。最期のジョギングになるなんて。
疲労で足がもつれ、少年は地面に転がった。泥水が服に染み込むのを見て、間近に飛んできた怪異が残念そうに目を細める。
「あぁあぁ。こんなに汚れちまったら洗わないとだぁなぁ」
剛毛に覆われた二本の腕が少年へと伸びる。
恐怖に固まった少年の前で――怪異の腕が弾け飛んだ。
「ぬぎゃっ!?」
怪異が痛みに悲鳴を上げて後ろ向きに倒れ、そのまま転がって少年から距離を取る。
少年の前に和服の青年が着地した。
「菱目の郎党、一本だたらだな? 探したぞ」
青年が腕を軽く振ると、その手に白い唐傘が生じた。二羽の蝶が向かい合う紋が描かれた大振りの唐傘だ。
青年は唐傘を少年に差し出す。
「これを掲げて山を下りてくれ。この唐傘を見ればこの辺りの妖怪はもう手を出してこない」
「えっと……」
少年は一本だたらと呼ばれていた怪異と青年の間で視線を行き来させる。このまま逃げだしていいのか。判断しかねたのだ。
「一人で帰るのは怖いか? こんな目にあった後だもんな。じゃあ、送っていくから少しだけ待ってて」
「――唐傘ぁ! こんなことして、ただじゃおかねぇぞぉ? 全面戦争だかんなぁ!?」
「うん? 全面戦争もなにも、菱目で残ってるのはお前だけだよ」
「……あぁ?」
威勢よく吠えていた一本だたらが戸惑ったように口を半開きにして、巨大な目をしばたかせる。
青年が赤い唐傘を作り出して右手に握った。
「言っただろ。探したって。残党狩りしてたんだ。河童連中と、糸繰ムジナと他にもいろいろ。霊道で宴の準備をしていた連中は全滅させたよ」
「……バカな。そんな……」
「面倒くさいから、詳しい話は黄泉で仲間に聞いてくれ」
動揺が抜けない一本だたらに青年が一瞬で距離を詰める。辛うじて反応した一本だたらが後ろに跳躍するも、青年が投げた唐傘が巨大な目を貫いた。
後ろ向きに倒れて数瞬じたばたと暴れた一本だたらだが、すぐに静かになって消滅する。コンクリートの舗装路に妖核が転がってひび割れに嵌まって止まった。
妖核を拾い上げた青年は少年を振り返る。
「それじゃ、麓まで送るよ」
※
対い蝶の郎党が拠点にしている迷い家に帰った折笠は囲炉裏を囲んでいる月ノ輪童子たちに声をかける。
「全滅させてきた。確認してくれ」
菱目の郎党の妖核を全て取り出して並べる。
墨衛門が妖核を数え、頷いた。
「確かに二十三個あるな。一本だたらの妖核はこれか」
墨衛門が妖力を最も蓄えている妖核を指さした。見立て通り一本だたらの妖核だ。
「大したことはなかったよ。ちょうど一般人を攫いに出ているところだったから探し出すのに手間取ったけど」
「被害を食い止められてよかった。これで東北の危険な郎党は潰せたか」
対い蝶の郎党を結成し、さらに大同盟を締結してからすでに一か月近く。狸妖怪の宝船などで移動しつつ、人に害をなす妖怪たちを倒して回った。
妖怪たちの間で、人間の生き胆は高級珍味として扱われている。
戦国や江戸時代ならともかく、現代社会は人が一人消えるだけで大騒ぎになる。必然的に人間の生き胆は供給量が少なく、元々高級珍味だったものがさらに価値を増した。
人の生き胆を食す妖怪は好戦的だ。明確に人に害をなすことから陰陽師からも狙われる。そんな環境で生き残っているだけあって強力なものが多い。
そんな生き胆を食す妖怪との同盟を結ぶためにその他の妖怪の郎党も人を狙い始めた。生き胆に贈答品としての価値が出てしまったのだ。
中でも半妖は狙われやすい。贈答用の生き胆だけでなく、妖核まで手に入るからだ。
折笠はスマホを弄っている黒蝶に声をかける。
「菱目の一本だたらに襲われていたのが半妖の子でさ。グループに入れておきたいんだけど、いいかな?」
「いいよー。招待を送ってあげて。詳しい説明は私の方でしておくから」
「ありがとう」
折笠や黒蝶のように、陰陽師の目を逃れて一般的な生活を送っている半妖はまだまだ存在している。そんな彼らは高天原参りについて知る機会もなく、妖怪たちに狩られるだけの存在だ。
この状況を危惧して、折笠と黒蝶はSNSで半妖だけのグループを作り、情報交換ができるようにした。
彼らには今まで通りに生活してもらい、困ったことがあれば相談を受け付け、解決に動く。代わりに、付近の妖怪たちに対する監視の目として動いてもらう。
山などを監視する狸妖怪や狐妖怪の目が届きにくい都市部を監視してくれる半妖たちのおかげで、折笠たちの情報網は確実に広がりつつある。
妖怪たちだけでなく、陰陽師に対しても効果があるのがこの情報網のいいところだ。
「スパイたちの動きは?」
「頑張って偽情報をばらまいてるよ」
半妖のグループだけあって、陰陽師に調伏された半妖がスパイとして潜り込み、偽情報をグループ内にばらまこうとしている。
黒蝶が管理者権限でスパイの書き込みを他の半妖からは見えないようにしていることなど、スパイは気付いていない。
「偽情報で私を迷わせようなんて無理ですよーっと」
人を迷わせようとする気配に気づく黒蝶からすれば、スパイの偽情報を見抜くのは容易い。
「それはそうと折笠君に報告。長野県の方で陰陽師が下漬を探し回っているみたい」
「長野県?」
「そう。半妖からの情報を総合すると、常に式を召喚して警戒している陰陽師らしき集団が長野県で多数目撃されてるの」
黒蝶はそう言って、書き込みを折笠に見せると、墨衛門に話の主導権を渡した。
墨衛門が口を開く。
「狸妖怪、狐妖怪からも報告だ。長野県の古い雷獣が狙われている節がある」
下漬の狙いが高天原参りの条件の一つ、神性を得た妖怪を調伏することだとすれば、雷獣を狙っている可能性も高い。
そうでなくても、陰陽師が多数現地入りしているならば、陰陽師と雷獣の間で戦闘が起こる。加勢に行った方がいいだろう。
「じゃあ、現地に向かおうか」
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