第二話  籠の中身

 長野県へと向かう宝船の甲板から地上を眺めながら、折笠は隣の黒蝶に声をかける。


「夏のスキー場ってもっと閑散としてるのかと思ってた」


 地上に見えるスキー場では子供たちがプラスチック製のソリに乗って、斜面を滑っている。芝生の上を滑っていくソリの行く先にはグランピング施設があった。


「俺、ああいう家族旅行したことがなくてさ」


 半妖化が制御できず、霊感のない両親の視界からすぐに消えてしまう折笠が自然の中に連れて行かれることはなかった。確実に大騒ぎになるからだ。

 十八歳になったら旅行に行ってみようと漠然と考えていたのは、ある種の代償行為だったのかもしれない。

 そう考えると、妙な面子での団体旅行になったモノだと、折笠は甲板を振り返った。


「栃木の地酒うめぇなぁ」

「群馬のこれもいいね。気に入ったよ」

「部下から送られてきた徳島の酒もある。飲むか?」

「ちとつまみが欲しいところじゃ。一度降りるか?」


 酔っ払い妖怪たちに呆れて、折笠は再び景色に目を向ける。


「なんだかなぁ」


 月ノ輪童子たち対い蝶の郎党に加え、墨衛門たち左二枚柏巴、白狩や炭風なども含む大所帯。福島を発ってからというもの、連日連夜、酒を飲み散らかしている。

 黒蝶は月ノ輪童子たちを完全に放置することに決めたらしく、スポーツドリンクを片手に景色を楽しんでいる。


「いざという時に戦えないってわけじゃないなら好きにしていいと思うよ」

「放任主義だ」

「自主性って奴に任せてるんだよ」


 それより、と黒蝶は手すりを離れて酔っ払いたちに呼びかける。


「そろそろ陰陽師の目撃証言が多発する地域に入るから、ここからは歩きで行くよー。はい、お水を飲んで!」

「もう着いたんじゃな。残りは帰りに取っておくとしようかの」

「足りるかい?」

「足らんじゃろうな」


 けらけら笑いながら、月ノ輪童子が盃を片付ける。狸妖怪たちが料理の乗った皿などを片付けて宝船の厨房へ運んでいった。

 そうしているうちに、地上へと宝船は高度を落としていく。

 降り立ったのは長野県のお隣、群馬県。件の雷獣は県境近くを縄張りにしており、それを狙っているらしい陰陽師も付近に展開している。


「主様、結界や術の類は仕掛けられていません」


 塵塚怪王の報告にひとまず安全と判断した折笠は黒蝶と並んで仲間たちに宣言する。


「雷獣との接触を最優先に行動しよう。陰陽師の排除はその後だ」


 件の雷獣は高天原参りに参加せず、地元の治安維持に動いていると狸妖怪からの報告で聞いている。

 妖怪たちが人に危害を加えないようにたしなめつつ、襲ってきた妖怪や陰陽師を容赦なく殺しているらしい。

 敵に慈悲は見せないが、敵を作るつもりはない。そんなところだろう。

 今回は雷獣と接触し、同盟とまでいかなくとも相互不可侵の条約を結びたいところだ。当然、周辺にいるだろう陰陽師の撃退にも助力する。


「という方針で、墨衛門は雷獣の縄張りまで案内を頼む。大泥渡君と塵塚怪王は陰陽師を警戒、他は妖怪に対する警戒だ」


 雷獣の配下が折笠たちを敵とみなして襲ってくる可能性も考えて、一塊になって移動する。

 県境へと歩き出しながら、折笠は周囲を見回した。

 四阿山あずまやさんを登る道だが、登山道とは異なり獣道だ。地元の狸が使う道とのことで、折笠たちに配慮してかそこそこ歩きやすい。

 夏らしい青空に白雲が薄くたなびいている。雨の気配はなく、登山日和だ。


「折笠君、日傘を頂戴」

「はい、どうぞ。他にもほしい奴は手を挙げて」


 黒蝶に日傘を渡しながら呼びかけるが、誰も手を挙げなかった。山道を登るのに邪魔になるからだろう。

 山道を登りながら世間話をしていると、塵塚怪王が不意に足を止めた。


「蝉の音が途絶えました」

「鳥も飛びおったな。山頂の方から何かが来るようじゃ」


 月ノ輪童子も警戒態勢に入り、刀の柄に手を掛けた。

 墨衛門や大煙管、白狩や炭風、灰斬が狸妖怪と狐妖怪で分かれて距離を取る。互いの邪魔にならないように最適の距離でいち早く戦闘態勢に入った。

 大泥渡の頭の上であたりを見回していたサトリが森の奥を指さす。


「居やがった。例のイジコの半妖だ」


 イジコ、その名を聞いた直後に白狩たちが戦意をむき出しにする。

 サトリが指さす先、栗の木に籠がぶら下がっていた。ゆらゆらと揺れるその籠は周囲の他の木にもぶら下がっている。折笠の唐傘と同様に妖力で作り出したモノだろう。分身で狙いを絞らせないつもりだ。


「全周囲を警戒! 瞬間移動してくるから、気を抜くなよ」


 呼びかけながら、折笠は周囲の森に目を凝らす。

 ここにイジコがいるのなら、面霊気がセットでいる可能性も高い。感情を操る面霊気は集団の折笠たちには相性の悪い相手だけに、先手を取りたいところだ。


 折笠は唐傘を出現させて大泥渡と塵塚怪王を隠す。どちらも陰陽術で面霊気を含む敵の場所を探っていた。

 いつの間にか蝶の姿に変化した黒蝶が折笠の肩に留まって囁きかける。


「感情を操ってこないね」

「いないのかも。瞬間移動できるイジコはあくまでも見回り役とかさ」

「在り得るね。突破しちゃう?」

「仲間も瞬間移動できるはずだから、ここで待ってれば向こうから来てくれるよ。強行突破して陣形が崩れたところを包囲されるのも困る」


 だが、イジコを最優先で排除できるなら強行突破もありだ。悩む時間も惜しい。

 折笠は白狩たち狐妖怪に視線を送り、手に持つ唐傘を少しだけイジコへ傾ける。

 折笠の意図を汲んだ白狩たちが即座にイジコへ駆け出した。


「月ノ輪! 狐を援護!」

「――承知!」


 狐のすぐ後ろに月ノ輪童子が付き、刀を抜いた。

 折笠は墨衛門を見る。指示を出す前に、墨衛門はイジコの瞬間移動に備えて狸妖怪の配置を変えていた。流石は徳島狸の頭領だ。場慣れしている。

 塵塚怪王が札を取り出して空へ投げた。


「主様! 面霊気を見つけました」

「撃破に回ってくれ!」


 イジコたちが下漬に調伏された半妖なら、他にも手勢が潜んでいるかもしれない。折笠は敵の増援に備えて気を張る。

 その時、折笠は視線を感じて咄嗟に顔を向けた。


「――子供?」


 木の陰からこちらを窺う十歳ほどの少年の姿があった。登山道を離れた獣道には場違いな少年の姿に、折笠は一瞬、戸惑う。

 しかし、月ノ輪童子の声で我に返った。


「イジコはからじゃ、唐傘の!」


 特徴的な籠が吊り下がっていれば、当然目を惹く。折笠たちのような大所帯を相手にイジコの姿で隠れるのは難しい。ならば、籠ではなく、中身を晒して物陰に隠れれば――


「大煙管、あの子供を確保!」


 見つかったことに気づいたのか、少年は怯えた顔で身をすくませ、森の奥へ走り出した。

 墨衛門の横から名の由来となったキセルを巨大化させ、少年の頭に火皿をすっぽり被せ、大煙管が顔をしかめた。


「こんな童に命の獲り合いさせようなんざ、下漬ってのは碌な奴じゃねぇな」

「大泥渡君! 調伏解除を頼む!」

「……だめだ。逃げられた」


 大泥渡が首を横に振ったのに合わせて、大煙管が眉をひそめて煙管を持ち上げる。火皿の中にいたはずの少年の姿は忽然と消えていた。


「視界外にも瞬間移動ができるのか……」


 周囲を見回してみても姿はない。塵塚怪王も面霊気を見失ったのか、やるせなさそうな顔で戻ってきて報告する。


「呼ばれているから行かないと怒られる、などと言って泣きながら山頂へ走っていきました。深追いは不味いと思い、戻ってまいりました」

「ちりちゃん、もしかして面霊気も子供だった?」

「歳の頃一桁の娘子でした。行かせたくはありませんでしたが……」


 嫌な空気が漂いかけた時、サトリが大声で喚いた。


「俯いてんじゃねェぞ!? ガキ共が呼ばれたってことは、雷獣を神性持ちに押し上げる贄にされかねねぇだろうが! 急げや、のろま共!」


 イジコと面霊気の能力は優秀だ。そう簡単に手放すとは考えにくい。命の危機まではないと考えていた折笠は、サトリの指摘にぞっとする。

 そもそも、下漬が調伏している半妖がイジコと面霊気だけだとは限らない。


「山頂に急ぐ! もう見つかってるんだから、一気に駆け上がろう!」


 幸いにも、雷獣が戦っている様子はない。雷獣が能力を使えば確実に天気が荒れるため、すぐに分かる。

 折笠たちがすぐさま山頂へ駆けあがろうとしたその瞬間――銃声が鳴り響いた。

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