第二十八話 うつし世の夢
いつの間にか、時刻は正午にさしかかり、同盟や盟主といった話は後回しになった。
ご神体を封じていた妖力が流れ込んだのも幸いして、白菫の怪我は一気によくなった。大事を取って部屋から出るのは明日以降と墨衛門に念を押されていたが、炭風たち妖狐の面会は許可された。
よほど心配していたのだろう。泣きながら無事を喜ぶ炭風たちに白菫は困った顔をする。
「みんなが私に迎えを寄こしてくれたおかげだ。ありがとう」
感謝を述べる白菫の声を聞きながら、折笠と黒蝶は部屋を出た。
廊下で待ってくれていた月ノ輪童子たちに、折笠は宿の外を指さす。
これからこの宿は白菫の見舞客で忙しくなる。ゴンボ衆の呼びかけですでに福島県内だけでなく東北地方の妖狐が集いつつあるくらいだ。白菫と直接の面識がなくとも、見舞いをすることで東北の狐妖怪の結束が強まる。
折笠たちがここにいても邪魔なだけだ。
「月ノ輪童子はさっき酒を買いに行ってたよな? 人間の町まで行ったにしては早くないか?」
「化け狸共が快気祝いだと言って買い占めておってな。あやつらときたら、東北の地酒をよく知らんと言って利き酒勝負を挑んできたので負かしてやったんじゃ。その戦利品にいい品をもらってな」
自慢そうに月ノ輪童子が酒瓶を掲げる。
未成年ゆえに酒に詳しくない折笠だが、バイト先の居酒屋で見たことのあるラベルだった。
「ロ万か。居酒屋で牡蠣と一緒に頼む人が多かった印象はあるかな」
「よく見ておるんじゃな。ちと花の蜜のような甘さが続くが、後味がすっきりとしていていい酒じゃ。貝と合うじゃろうし、生牡蠣が苦手な者がいても醤油を垂らして焼いた牡蠣でもこの酒なら合うと思うてな。合わせるのが楽しみじゃ」
「語ってるところ悪いけど、俺は飲んだことないんだよ。未成年だし」
「……サトリ、塵塚怪王、後で飲むぞ。郎党の結成祝いじゃ。断らんじゃろ?」
「俺様はなァ、芳久の成人祝いまで禁酒するって決めてんだワ。だが牡蠣は食う。生で食う。レモンもポン酢もいらねェ」
「食べたことがないので分かりませんね。お酒も頂きましょう。主様方の成人の折には至上の酒とつまみを用意したく思います」
基準を人に据えているサトリと塵塚怪王の反応に、酒呑み鬼の月ノ輪童子がしょぼくれる。
「酒は自己満足で飲むものだと思っておったんじゃが……」
ちらりと、月ノ輪童子に視線を向けられて、折笠は肩をすくめる。
「二年待ってくれるなら、飲めるけど?」
「酒が悪くなってしまう……」
「それこそが自己満足だと思うよ。悔いを残したくないなら飲めば? 信念に生きればいいよ」
「呑もう。お墨付きも出たしの」
言わせただけだろ、とツッコミを入れつつ、折笠は宿を出てゴンボ衆の里の茶屋に入る。
意外と広い店内の奥、中庭が見える上等な席に案内されて、折笠は注文を済ませて仲間を見回す。
最後に黒蝶で視線を止めると、ちょうど目が合った。
どちらが切り出すかを目で相談し合い、二人で笑う。
夢に苛まれて決めた郎党の紋を変えることになるが、こうして二人で譲り合っているのだから折笠と黒蝶の間では決まっている。
縁起担ぎの大泥渡と折笠と黒蝶の意見次第の塵塚怪王の評が宙に浮いていた。
だが、喜作と蝶姫は対い蝶の紋を掲げて江戸時代に高天原参りを戦い抜き、天下泰平と呼ばれた。そこまでして天津神に願ったのは、
縁起を担ぐ意味はある。対い蝶の郎党は経緯はどうあれ二度にわたり高天原参りを成功させた。そして、喜作と蝶姫は『幸せになれ』と託してくれた。
それ以上に、折笠も黒蝶も思うのだ。
――この紋を掲げ、高天原参りを成し遂げよう。
カサとツキは来世に出会い、折笠と黒蝶、唐傘お化けと迷い蝶の半妖として共に肩を並べ、戦い抜いて幸せを……勝ち得たんだと――後世に残してみせる。
喜作の後ろを、蝶姫の後ろを、歩んできたカサとツキは、最後に互いの力をもって前世に考えもしなかった
折笠は黒蝶と無言で手を合わせ、月ノ輪童子、塵塚怪王、大泥渡、サトリの四名に発表する。
「対い蝶の紋を掲げる」
その場に折笠が作り出した野点傘は里のどこにいようと目を奪われるほど、巨大で、壮大で、精緻だった。
その場に黒蝶が作り出した迷い蝶は里のどこにいようと目を奪われるほど、優美で、悠然で、繊細だった。
この瞬間、里にいた妖怪たちは盟主が誰であるかを理解した。
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