第三話  東京狸会

 東京都青梅市に入った折笠と黒蝶は適当に見つけた喫茶店でコーヒーを飲んでいた。


「順調すぎるくらいに順調だね」


 黒蝶がチーズケーキをフォークで切りながら呟く。

 黒蝶の言う通り、陰陽師の襲撃もないまま東京に入った。

 いよいよ、新幹線などで一気に距離を稼ごうか。そう思っていた矢先、情報がもたらされた。


「あの豆腐小僧の言ってた話、どうする?」


 黒蝶が折笠の反応を窺う。

 青梅市に入った直後、道端で小豆洗いと豆腐小僧が口論していた。あずきバーと豆腐バー、どちらが売れているかというよく分からない口論だった。


『あずきバーは五十年前からある人気商品だぞ! ぽっと出の豆腐バーなんぞに負けるか!』

『豆腐バーの種類を舐めるなよ! サラダにだって使えるんだぞ!』


 掴み合いにまで発展したその喧嘩を見ていられなくなって仲裁に入ってみれば、小豆洗いも豆腐小僧も両製品を食べたことがないという。仕方がないので近くのコンビニで購入して二人に食べ比べてもらった。


『あずきバーこそが最高の商品だってこれではっきりす――硬っ!?』

『豆腐バーこそが最高の商品だってこれではっきりす――硬っ!?』


 あずきや豆腐を想像していたらしい両者は予想外の硬さに面食らい、『おいら、頭が固いからこれは受け付けんなぁ……』と呟いて肩を落とした。

 高野豆腐を渡したらどんな顔をするんだろうといたずら心が湧いていた折笠と黒蝶に、仲裁してくれたお礼として豆腐小僧がくれた情報が問題だった。

 折笠はコーヒーの黒い水面を見つめて、黒蝶の質問に答える。


「行ってみたい」


 豆腐小僧曰く、近いうちに奥多摩で狸たちによる大きな祭りが開催されるらしい。

 東京狸会と呼ばれているらしいその祭りは江戸時代から続く伝統的な狸の集まりで、本来は狸妖怪しか参加できない。

 しかし、今回は陰陽師たちの動きが活発化していることから自衛のための戦力確保を理由に他の妖怪や半妖の参加も受け付けているという。

 用心棒として参加してくれる強者なら大歓迎との話だ。


 狸妖怪による連携変化などの出し物もあるそうで、豆腐小僧たちは楽しみにしていた。だが、折笠たちは別に祭りを楽しみたいわけではない。


「柏巴の郎党や高天原参りに関する情報を得られるまたとない機会だから」


 ここまでの道中で古い妖怪には出会えなかった。せいぜいが昭和初期くらいからの妖怪だ。

 明治、大正といった時代から生きている古い妖怪たちはあまり人前に姿を現さないらしい。古く力のある妖怪ほど陰陽師に目を付けられやすいため隠れ潜む。

 結果、高天原参りについての情報は得られないままだ。


「折笠君ならそういうと思った。私も気になるし、決定だね」


 チーズケーキを食べ終えた黒蝶が、窓ガラスをすり抜けて飛んできたモンシロチョウを指先に留める。


「ただ、用心棒にはなれないと思うよ」

「だいだら法師とかいるもんな、この辺」


 だいだら法師、デイダラボッチ、様々な呼び名がある巨人の妖怪。転べば池を作り出し、土を盛って山だって作ってしまう。

 用心棒枠ならだいだら法師で埋まるだろう。並の陰陽師であれば指先一つで消し飛ばせる大妖怪だ。質量的な意味で。


「雨でも降れば、俺の出番なんだけどね」

「百均傘じゃないんだから」

「デザインにはこだわっております」

「折笠君の傘は可愛かったり綺麗だったりで好きだよ。絵柄が風流だから一般受けすると思う」


 褒められて照れた折笠はコーヒーの苦みで口元がにやけるのを抑えた。

 折笠は窓の外を見る。夏の日差しに照らされて、白い日傘を持ったスーツ姿の女性が気だるそうに歩いている。


「陰陽師の動きが活発化してるって、俺たちのせいかな?」

「違うと思うよ」


 気休めではなく、黒蝶は断言する。

 折笠も、黒蝶の意見に同意だった。


「活発化してるなら、迷わず俺たちを狙ってくるはずだよな」

「そういうこと。私たちだけに構ってられないってことだよ」


 二度と構わないでほしいなぁ、と折笠が呟くと、黒蝶がくすくす笑った。


「いまのところ、逃避行なのかデート旅行なのか分かんないもんね」

「またそうやって二択を迫って迷わせる……」


 黒蝶の指先に留まるモンシロチョウを指さして、折笠はあきれ顔。


「カップルじゃないんだから、第三の選択肢、ただの旅行だよ」

「なかなか引っかからなくなってきたねぇ」

「用心してるからね」


 コーヒーを飲み干して、黒蝶と共に立ち上がる。

 会計を済ませて外に出ると強い日差しを避けるように黒蝶が折笠の背中に隠れた。


「日陰に行こう、日陰!」

「この辺りって雪女の話もあるんだよ」

「頼んだらかき氷とか作ってくれるかな」

「さっきの小豆洗いもいれば……」


 小豆かき氷を想像して、折笠と黒蝶は顔を見合わせる。

 かき氷の好きなトッピングの話で盛り上がりながら、奥多摩にある東京都で最も高い山雲取山へ向かう。

 狸妖怪たちも妖怪の例にもれずもっぱら夜から活動する。歩いて向かえばちょうどいい時間につく。途中でバスに乗って涼をとりがてら距離を稼ぐことになるだろうが。

 黒蝶が進路上の神社を見つけ、さりげなく脇道に折笠を引っ張る。


「今晩の宿はどうしよう? 狸妖怪たちの宿とかあるかもしれないけど」


 狸妖怪たちの宿の方が、対陰陽師という点では防犯に優れている。

 ただ、折笠たちは追われる身だ。狸妖怪たちからすれば遠慮したい客だろう。


「予約を取っておいた方がいいと思う。狸妖怪たちに受け入れてもらえるかも分からないし」

「じゃあ、昨日の夜に話した温泉宿ね!」

「温泉好きだねぇ」

「大好き!」


 ご機嫌な蝶を思わせる軽やかなステップで折笠の数歩先へ進んだ黒蝶が夏の日差しに負けない笑顔を振りまく。

 不覚にもドキッとして顔をそむけた折笠に、黒蝶がにやにやと笑いだす。


「おやおやぁ、ドキッとした?」

「しましたが何か?」

「おっと、悩まず開き直るのは予想外」


 判断ミスを誘おうとしていた黒蝶が作り出そうとしていた迷い蝶をかき消す。


「いじられる前に認めるとはね。判断が早い」

「四日も一緒にいればね」

「お父さんやお母さんは反応できないんだけどなぁ」


 つまんない、と転がり出てきたらしい小石を駐車場へ蹴り戻した黒蝶に、折笠は質問する。


「黒蝶さんってモテるだろ」

「……この蝶たちのお仕事は、告白するか迷わせることだよ」


 周囲をひらひらと舞う種々色とりどりの蝶たちを手の平で示して、黒蝶は優雅に笑う。

 所作の一つ一つが優美な美人だ。恋心を抱く男子も多いだろう。

 折笠は「やっぱりな」と納得しつつ、疑問に思う。


「ご両親はよくこの旅を了承してくれたよ」


 陰陽師を敵に回し、ご神体を狙われている状況下。ほとぼりが冷めるまで家に帰れない。ここまでは良い。

 しかし、その日に出会った男と運命共同体状態で福島県から京都府までの二人旅など、両親からすれば気が気ではないだろう。

 心配をかけているからこそ、何に代えても黒蝶を守り抜かなければならない。そう覚悟を新たにする折笠に、黒蝶は笑顔を向けた。


「あたりまえだよ。蝶はふらふら飛び回るもん」

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