第五話 オンボノヤス
足元も見えない深い霧に、折笠はすぐさま肩を見る。
黒蝶が変化したクロアゲハは肩に留まっているのを見てひとまず安心し、霧にまぎれる真っ白な唐傘を手元に作り出した。
「オンボノヤスだよね」
折笠たちの出身地、福島県に伝わる妖怪、オンボノヤス。
山中で霧を吐きかけて遭難者を出すと言われる妖怪だ。迷い蝶と似た結果を出すものの、過程が異なる。
しかも、霧で方向感覚を迷わせるオンボノヤスは姿を見た者を迷わせる迷い蝶とは相性が悪い。霧で蝶すら見えなくなるからだ。
数多の半妖が襲い掛かってくる状況。広範囲攻撃を行う雷獣までいる。この戦場で、視界を遮るオンボノヤスの能力は凶悪だ。
濃霧で視界を遮られ、折笠たちは連携もできない。
周囲の気配を探る折笠に黒蝶が囁きかける。
「あのオンボノヤスに迷いがあったの。サトリが調伏されていた時と同じ」
「なるほど。調伏された妖怪か」
他にもいるとしたら、墨衛門たちが心配だ。
折笠は覚悟を決めて唐傘を作り出す。巨大な、五メートルを超える唐傘を手にして、折笠は声を張り上げる。
「オンボノヤスは無視して畳みかける!」
巨大唐傘が開く。巻き起こった突風が濃霧を吹き飛ばし、一瞬視界が晴れた。
間近に迫っていたイジコの半妖と目が合う。
怯えた表情で妖刀を必死に突き出すイジコの半妖に、折笠は作り直した唐傘を振り抜いた。妖刀が唐傘に食い込むも、子供の腕力で押し切れるはずもない。折笠は難なく妖刀を弾き飛ばした。
武器を失ったイジコの半妖が籠を生じさせて逃げ出そうとする。それを見越していた折笠は籠に遠慮なく蹴りを入れて地面に転がした。
駆け寄ってきていた塵塚怪王がすぐさま詠唱に入る。
折笠は籠から転がり出てきたイジコの半妖の衿を掴み上げて、塵塚怪王へ放り投げた。
「後を任せる」
「お任せください」
イジコの半妖を空中でキャッチした塵塚怪王が地面に組み伏せる。何枚かの札がばらまかれたその中心に押し付けると、もがいていたイジコの半妖が大人しくなった。
調伏状態が解かれたのだろう。
直後、再び濃霧に視界を閉ざされる。一瞬だけ、濃霧の向こうで雷光が閃いた。
面倒だな、と思いながら巨大唐傘を作り出そうとした時、莫大な質量の金属塊がはるか上空から地面へと叩きつけられた。
折笠の巨大傘とは比較にならない暴力的な突風が巻き起こり、四阿山の山頂を揺らす。強引に吹き散らされた濃霧は衝撃で一部が凝集し、雨となって降り注いだ。
「大煙管! 霊道じゃないんだから周りの被害を考えろ!」
地面を叩いた巨大金属塊を元の大きさのキセルに戻した大煙管は悪びれた様子もなく答えた。
「ちまちまやるのは性に合わん。そも、大将が注目を集めるような真似をするんじゃねぇってんだ」
言いながら、大煙管は再び巨大化させたキセルで飛来してきた札を叩き落とした。
手元でくるりとキセルを回し、戦場の奥にいる男をキセルの火皿で指し示す。
「オンボノヤスを調伏している陰陽師はあれだな? 相手してやる。大将は本来の目的を忘れんな」
大煙管のおかげで戦場を見渡せる。状況がひっ迫しているのは一目瞭然だった。
オンボノヤスの濃霧に閉ざされている間に雷獣の調伏術式が始まってしまっている。下漬が調伏している半妖や召喚した式を相手に月ノ輪童子が立ちまわっているが、式はともかく半妖は殺せずやり難そうだ。
人好きで知られる月ノ輪童子が調伏されて無理やり戦わされている半妖の子供を斬り伏せるはずもない。
月ノ輪童子には嫌な役をさせてしまっているが、折笠にもやることがある。
右手に作り出した唐傘を振りかぶり、調伏の呪文を唱えている下漬へと投げつける。
確実に命中するはずの軌道だったが、横から飛んできた無数のガラスの針が唐傘の軌道を変え、明後日の方向へ弾き飛ばした。
「――折笠君、後ろに避けて!」
黒蝶の指示で、折笠は後ろに跳びながら開いた唐傘を盾にする。飛来した透明な針が唐傘に穴を開けた。唐傘で防ぎきれなかった針が折笠の腕や脚を掠めていく。鋭い痛みに顔をしかめながらも、折笠は針が飛んできた方角を睨んだ。
「金羽矢家かよ。次から次へと……」
山の中腹で一度交戦した金羽矢が率いる陰陽師集団の姿に、折笠は違和感を抱く。
折笠が下漬へ投げつけた唐傘を横合いから弾いたのはガラスの針。金気の術だ。
下漬をかばったのかと訝しむ折笠を他所に、金羽矢家当主、榛春が下漬を見て動きを止めた。
「水之江家の陰陽師かい?」
オンボノヤスを使役して大煙管と戦っている陰陽師と見比べて、金羽矢榛春が下漬に質問する。
下漬は答えない。だが、答えが返ってこなかっただけで敵と判断したらしく、金羽矢榛春が部下に指示を出す。
「
三つ巴を作る金羽矢の命令に部下たちが従う。
その動きに違和感を強めたのは折笠だけではなかった。
「……雷獣を調伏しようとしてる下漬を優先しないのはなんでだろう」
黒蝶が呟く通り、この場で最も警戒すべきは下漬だ。雷獣の調伏を目的とする下漬は調伏が済み次第、この場を離脱して雲隠れする可能性が高い。目的達成に最も近い敵を優先するべきだ。
黒蝶が疑問を呈するということは、金羽矢に迷いはない。迷いなく、下漬を後回しにした。それも、折笠が投げつけた唐傘を横から弾いている。
確証はない。だが、怪しい。
折笠は向かってくる金羽矢榛春を無視して大煙管の向こう、オンボノヤスを従える陰陽師の霞流に忠告する。
「霞流とか言う陰陽師! 金羽矢家は下漬と内通してないか!? 陰陽師会は本当にどうなってんだよ!?」
「苦し紛れに流言飛語か!? 五行家の一角が裏切るわけがあるまい!」
折笠の言葉に聞く耳を持たずに霞流は金羽矢家の陰陽師と合流し、大煙管を圧倒し始めた。
金羽矢家の参入で戦線が崩れる。場慣れしている月ノ輪童子と大煙管がそれを予期して折笠の護衛と撤退支援に動き出したその時――戦場の半妖を巨大なイジコが飲み込んだ。
折笠の背後、塵塚怪王のすぐそばに大量の半妖の気配が生じる。イジコの半妖の能力で瞬間移動したのだ。
後ろを振り返りたかったが、折笠は間近に迫った金羽矢榛春の術に対抗するため目が離せない。
折笠の肩で黒蝶が囁いた。
「安心して。ちりちゃんの指示だよ」
「なるほど、無茶するなぁ」
調伏を解除したイジコの半妖に頼んで他の半妖をまとめて手元に引き寄せ、一気に調伏の術を解く気だ。
金羽矢榛春が折笠の背後にちらりと警戒の目を向けた。
折笠のやるべきことは単純だ。
塵塚怪王が半妖たちを自由にするまでの間、前線を徹底して維持する。
すなわち――背後の仲間を守る。
折笠の妖力が増大した。
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