第四話  生贄

 一人残らず蓑氏家を無力化し、折笠は山頂を仰ぎ見る。


「あぁ、もう。出遅れた!」


 四阿山の山頂に黒い雷雲が立ち込めている。すでに雷鳴が山頂から響き、周囲の木々が風にあおられてざわめく。

 ほどなく、強風と雷を伴う豪雨が周辺一帯に降り注ぐだろう。

 雷獣が戦闘を開始した証拠だ。


「相手をしている時間もない。蓑氏家の陰陽師は適当に木の下へ転がしておいてくれ」


 すでに山頂での戦いが始まっている現在、一分一秒でも時間が惜しい。邪魔な蓑氏家の処遇に割く時間がない。


「みんな、山頂へ向かうよ。陰陽師なんてほっといていいよ!」


 黒蝶が大きな声で呼びかける。その声は確実に、術具を奪われ地面に転がっている蓑氏家の陰陽師にも聞こえている。だが、復讐も逆襲もできはしないと彼ら自身が理解しているだろう。

 この一か月で東北地方を平定した対い蝶の郎党は蓑氏家ごときを歯牙にもかけないほど力をつけていた。


 折笠は唐傘を仲間たちに配り、雷雨に備える。妖力で形作られた雷であれば防げるはずだ。

 山頂へ走る。

 金羽矢家、蓑氏との戦闘で時間を浪費したのが悔やまれる。

 空気が悲鳴を上げるような雷鳴が山頂から周囲一帯に響き渡る。地面の揺れを感じるその雷鳴に伴う稲光で視界が白く染まった。


 古い妖怪とは聞いていたが、妖力が尋常ではない。恐怖を抱かせるほどの莫大な妖力が山頂を覆っている。

 だからこそ、折笠たちは雷獣の身を心配していた。

 ここまで本気で戦わなければならないほど、追い詰められているのだから。


「仕方がない。俺と黒蝶、月ノ輪童子、塵塚怪王で先行する! 柏巴と葛の葉で雷獣配下の保護を頼む。大泥渡君、サトリと一緒に結界を張って退路の確保。保護が終わり次第、俺たちを追ってきてくれ」


 ここで戦力を分散するのは怖いが、墨衛門や白狩といった上位メンバーはともかく豆介あたりは余波で吹き飛ばされかねない。

 周囲に下漬とは別の陰陽師グループが潜み、漁夫の利を狙っている可能性も高い現状、保護と退路確保は必須だ。

 実力を分かっている者だけあって、折笠の指示に誰も文句を言わなかった。ただ唯一、墨衛門だけが先行組に大煙管を押し出す。


「避雷針になれる。こいつを連れて行け」

「墨衛門、悪いな。借り受ける」

「貸し借りなんて野暮は言わねぇさ」


 大煙管が後ろについたのを確認し、折笠は走り出す。

 山頂まで一気に駆け抜けながら、折笠は山の斜面を横目に見て、唇を噛んだ。

 雷に打たれたのだろう。焦げた人の遺体が転がっている。そのほとんどが体格からして中学生以下、七歳くらいの子供の遺体もある。

 最悪の気分で、折笠は山頂に到着した。


「……くそが」


 凄惨な光景に、折笠は怒りを言葉にする。


「人でなししかいねぇのかよ!」


 道中でも遺体を見てきたが、山頂はまさに死屍累々の有様だった。両手の指では足りないほどの子供の遺体が無残に転がり、おそらくは式のモノだろう砕けて消える妖核が数十個。


 満身創痍の雷獣が折笠にも敵意を向けかけ、月ノ輪童子や塵塚怪王に気付いて注意を外す。折笠たち対い蝶の郎党の存在を知っているのだろう。

 だが、雷獣に戦う力が残っていないのは誰の目にも明らかだった。白い長毛種の大型犬に似た雷獣は金色のたてがみを持つ神々しいばかりの風貌のはずが、赤い血に染まった体毛が自身の雷で一部焦げ、金のたてがみも光を失っている。

 そんな雷獣に対して、余裕の表情を浮かべる女が一人。


「化生とやり合うのに人でいられるものですか?」


 薄ら笑いを浮かべて、女が折笠に言葉を返した。

 山の上には似つかわしくない紺色のスーツ姿。雷雲に夏陽を遮られたこの山頂にありながら、爽やかなほど生命力に満ちたその女は折笠や黒蝶とそう変わらない年齢に見える。

 だが、折笠の本能が女を拒絶する。

 この場の誰よりも、あの女こそが化生と呼ぶにふさわしい。おぞましい何かに見える。


「人の顔を見てドん引きしないでくださいよ」


 不快そうな表情を作り、女は妙な訛りで折笠に指摘する。


「なんじゃ、こやつ気持ち悪いな。下漬という陰陽師と見たが、相違ないか?」


 月ノ輪童子が警戒心も顕に女に問いかける。

 そんな問いに、女ではなく周囲を固めている護衛役の半妖の少年少女が怯えた顔をした。


「その名をどこで知ったやら。自分の苗字は嫌いなんです。呼ばないで頂けますか?」

「では、なんと呼べばいい? 墓石に彫る名くらいは選――」

「子供たち、あの半妖たちを殺してきなさい」


 月ノ輪童子の挑発を聞き流し、女、下漬は周囲の子供たちに命令する。

 怯えた顔で身をすくませた子供たちが折笠たちを見た。

 子供たちの表情だけで、折笠の苛立ちはピークに達していた。

 雷獣を調伏するためか、榊の枝や何枚かの札を取り出す下漬に、折笠は怒りを押し殺した声をかける。


「お前、人の上に立つ器じゃないな」

「義務教育を受けていないんですか? 人の上に人を作らずと習っているのでしょう?」

「身分や権利の話じゃなく、責任の話をしてんだよ」

「これは失敬。博愛主義者の語る命の重さはどうにも軽く思えてしまって。えっと、これらが死んだとして何の責任が生じるんでしょうか? 半妖ですよ?」


 言い返そうとした時、折笠の肩で黒蝶が変化したクロアゲハが羽ばたく。

 ――乗せられるな、と。


「あれは折笠君と会話をしてないよ」


 黒蝶の言う通りだ。

 腹が立つが、下漬のペースに呑まれるわけにはいかない。

 会話にならないという結果が得られたのだから、やることは一つだ。


「俺が下漬を抑える。半妖と雷獣の保護及び調伏状態の解除を頼む」

「我も子供は斬りたくなくてな。半妖共をあしらっておこう」

「主様の命とあらば。少々、手こずりそうではありますが」


 月ノ輪童子と塵塚怪王に対処を任せ、折笠が下漬に向けて飛び出そうとした時、上空の雷雲が穿たれた。

 折笠、下漬、雷獣、山頂のあらゆる者が空を見上げる。

 見上げざるを得なかった。

 莫大な妖力を発し、空から雷雲を穿って山頂へと降り立った人型のソレは、真っ白な長髪を歌舞伎役者のように振り回し、山頂を睥睨する。


「みなごろし」


 無感情に呟いて、ソレは二メートルはあろうかという長い尾を振り抜く。

 直後、山頂は深い霧に閉ざされた。

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