第七話 吉野平の不動滝
吉野平の不動滝は小さな滝だ。五メートル程度の高さから水が流れ落ちている。勇壮さとは程遠い可愛らしい小さな滝に反して、流れ落ちた先の滝つぼが広い。
縦に裂けた落ち口は滝そのものよりも大きいほどで、そこから差し込む陽の光と合わさってどこか不思議な魅力がある。
目的の霊道は滝に対して背を向け、石を円状に配置してその中に片足を入れて拍手を三回することで入ることができる。
折笠が試してみると、すぐに周囲の景色が切り替わった。足元には配置した円状の石がある。振り向いて滝を見てみれば、滝の上にあった配管が消えていた。無事に霊道には入れた証拠だ。
黒蝶たちが次々と霊道に入ってくる。月ノ輪童子が珍しそうにあたりを見回していた。
「こんな霊道があるとは初耳じゃ」
「月ノ輪童子はこの辺りに来たことがあるのか?」
「何度か来た。長旅をしたい気分になることもあるんじゃ」
黒蝶が滝に背を向け、霊道の奥へと歩き始める。夢を思い出しながらとは思えないほど足取りがしっかりしている。
うつしよでもこの滝までの道は道と呼べない獣道だったが、霊道は雑草をかき分けて進むしかない。
折笠は黒蝶の前に立って唐傘で雑草を薙ぎ払って道を作っていく。後ろの方で、塵塚怪王と大泥渡が金気の術で作った鎌を振って雑草を刈っていた。帰りは少し楽ができるだろう。
月ノ輪童子が周囲を警戒しつつ呟く。
「これは、長らく利用されておらんな」
「そんな感じだね」
いつから使われなくなったのかは分からないが、この様子なら蝶姫の日記が何者かに掘り起こされる可能性は低い。
黒蝶の指示に従って道を作りながら進むこと一時間ほど。流石に疲れが見え始めた大泥渡が足を止めて折笠に呼び掛けた。
「待て! 結界が張られてる!」
「結界?」
それらしい気配を感じ取れず、折笠は警戒を深めて唐傘を開き、黒蝶のそばに寄る。
黒蝶も結界が分からないのか、周囲を観察して痕跡を探していた。
塵塚怪王が折笠に並ぶ。
「主様、人払いの結界のようです。陰陽術ではなく、妖怪か半妖によるものでしょう」
「人払い……陰陽師対策かな」
「いえ、陰陽師だけでなく、妖怪や半妖も対象です」
この先へ進もうとする者を拒む結界らしい。
折笠は黒蝶に視線で心当たりを問う。黒蝶は首を横に振った。心当たりがないというより、分からないのだろう。
黒蝶が見た夢は蝶姫から日記を託されるまで。埋める場面までは見ていない。
下手に強行突破すると、日記の機密性を守るために消滅するように手を打っているかもしれない。
「どうするかな」
「ちりちゃん、結界の解除はできそう?」
黒蝶に問われて、塵塚怪王は銅鏡を足元に置いて何かを調べ始めた。大泥渡が水晶の欠片を覗いて回りを観察している。
結論を先に出したのは塵塚怪王だった。
「申し訳ございません。解除はできそうにありません。ただ、この結界は特定の人物であれば受け入れるようです」
「月ノ輪童子の盃みたいなものかな?」
「規模は大きいですが、似た効果でしょう」
大泥渡も同じ結論に達したらしく、不満そうに腕を組んだ。
「この結界を張った奴は性格が悪いぜ。絶対に解除しようとするやつを想像して笑ってる」
「受け入れる人物は特定できる?」
「残念ながらわかりかねます。ですが、状況から見るとおそらくは主様方の身を通す結界と考えるのが自然かと思います」
「心配なら唐傘や迷い蝶を妖力で作って結界に送り込んじまえ」
大泥渡の助言に従って、折笠は唐傘を作って結界があるという場所へ投げ込んだ。黒蝶もムラサキシジミチョウを妖力で作って結界内に飛ばす。
唐傘とムラサキシジミチョウは結界に入るなりその姿を消した。弾かれるわけでもなく、結界の中に存在しているのが作り出した折笠には感覚で分かる。
「俺から入ってみる」
「気を付けてね」
黒蝶たちに見守られながら、折笠は結界があるらしき地点へ歩く。目と鼻の先にあるはずだが、いまだに気配すら感じ取れない。
腕を前に突き出して進む。
「……なんだ?」
拍子抜けするほどあっさりと結界の中に入れた。振り返ると、黒蝶たちの姿はない。
霊道の中に結界で隠された別の霊道が繋がっている状態らしい。
それよりも、周囲の状況の方が異常だった。
樹齢の想像もできない大木が聳え立ち、色とりどりの蝶が飛んでいる。澄んだ小川が流れ込む先に苔むす大岩が点在している。
先ほどまでの霊道以上に手が入っていない小さな秘境だった。
折笠は一瞬見惚れそうになったが、本来の目的を思い出して結界の外に戻る。
「黒蝶さんも来て。何の仕掛けもないよ」
「分かった。みんなはちょっと待ってて。喧嘩しちゃだめだよー?」
塵塚怪王と大泥渡に釘を刺した黒蝶が結界の中に入り、目を丸くする。
「凄い綺麗」
「本当にね。それで、どこに埋めたか分かる?」
「蝶姫に指定されたのは大木の下だよ」
言いながら、黒蝶は大木へ歩み寄り、足元を見ながら根元を半周する。折笠も一緒に歩いて、それを同時に見つけた。
大木の根元に石が置かれている。橙色の柘榴石だ。明らかに意図的に置かれたその目印の下に、日記が埋まっているのだろう。
折笠は小さく作った唐傘で石の下を掘りつつ、思う。
半妖でも陰陽師でもない下女のツキがこんな大掛かりな結界を張れるとは思えない。
この下には、日記ではない何かが埋まっているのだろうと。
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