第九話 お説教
「――殺そうとしてたよね」
隣町の公園に到着するなり、木陰で蝶の変化を解いた黒蝶が折笠に詰め寄る。
「は、はい……」
「反省しなさい! はい、そこのベンチで正座」
有無を言わせぬ口調に抗議もできず、折笠はベンチに正座した。硬い木製のベンチだけあって脛のあたりが痛い。
折笠の前に立った黒蝶は険しい顔で睨んでいる。
「明らかにおかしくなってたよ。殺人鬼を前に冷静でいられるわけはないけど、折笠君ってキレたら何しでかすか分からない危険人物なの?」
「普段は怒ったりもしないんだけど、あの時は自分でもどうかしてたと思う」
ふつふつと湧き上がる怒りと殺意で目の前の陰陽師はもちろん、山で無説坊と戦っているだろう陰陽師も全部殺し尽くさないと止まらない。そんな心境だった。
同時に、頭のどこかで理性が残っていた。殺すのは絶対に不味い、と考える自分がいた。
「黒蝶がいてくれて助かった。あの時視界に蝶が入らなかったら本当に止まらなかったと思う。ありがとう」
「肩に乗ってる私だって怖かったんだからね。お昼を奢って」
「なんなりと」
「あと、今後も気を付けて。私の能力はあくまでも選択を迷わせるものだから、頭の中に踏みとどまる選択肢がないと、今度は本当に殺しちゃうよ」
「肝に銘じます」
「お説教終了! 楽にしていいよ。お昼まで時間もあるし、状況を整理しよう」
疲れたぁと呟いて、黒蝶が折笠の隣に座る。今日が初対面のはずなのに、こうして並んでいるのが妙にしっくり来た。
黒蝶が真面目な顔で続ける。
「逃げ切れたけど、状況は悪いままだね」
「黒蝶さんはこのままご神体を持って神社に帰ればいいんじゃない?」
「そうもいかないでしょう。この騒動の根幹にあるのは唐傘お化けと高天原参り、そしてうちのご神体だよ。人殺しもいとわない陰陽師が出てきたんだから、神社に帰っても襲われちゃうよ。しかも、周りを張り込まれてるし」
「そうだったね。陰陽師を何人動員してるんだろ」
陰陽師がご神体の存在をいつ知ったのかも問題だ。盗み出される以前から知っていたのなら今まで放置していた理由がある。
「もしかしたら、神社には手が出せなかった、とか」
「神域だからってこと? でも、折笠君は駅前の神社で襲われたんでしょう?」
「そうなんだよなぁ」
今は推測よりも手に入れた情報の整理が先だと黒蝶に促されて、折笠は状況を整理する。
「発端は黒蝶さんの神社から無説坊がご神体を盗んだこと。動機はご神体を盗み出すことで唐傘お化けを釣り出したかったから。そこに、まんまと俺が釣れた」
無説坊は高天原参りとやらを企画し、戦力として唐傘お化けを欲していた。
黒蝶が後を続けた。
「唐傘お化けを戦力に欲しいっていうのも今なら納得だね。小川で妖力が跳ね上がってたし、陰陽師相手に殺意満々だから裏切るのも考えにくいもん」
「殺さないよ……たぶん」
陰陽師は半妖の折笠を殺しても死体を含めて処理できる術があるのだろう。だが、折笠が陰陽師を殺せば殺人犯だ。半妖化しての犯行なら警察の捜査は意味をなさないし法に問われることもなさそうだが、陰陽師たちは血眼で復讐しに来るだろう。
「悲しいことに、現状だとあいつらを殺そうと殺すまいと、陰陽師が俺の命を狙ってくるのは変わらなそうだけど」
だからといって、殺人は折笠自身の精神衛生的にも良くない。
黒蝶が足をプラプラと前後に振る。
「陰陽師の目的が謎だね。多分、無説坊の高天原参りを阻止するのが第一目標だと思うけど」
「それなら、俺が襲われた理由に説明がつかないね」
「うん。それに、陰陽師がどこからご神体の盗難騒ぎを聞きつけたのか分からないの。お父さんが警察に通報したから、そこから情報が漏れたんだと思うけど」
「陰陽師は神社庁の管轄らしいよ。昔、天狗に聞いたことがある」
一般的には存在が認められていない妖怪に対する機関なので、文化保護か何かの名目で国からお金が出ているとも聞いている。
政府のページを見ても陰陽師に関する部署は見当たらなかったので、嘘か本当かは分からない。
納得した様子の黒蝶がご神体の桐箱を膝の上に置いた。
「陰陽師の目的の一つは多分、ご神体を横から奪うことだね」
「唐傘お化けとご神体を接触させたくないようにも見えた。無説坊もご神体と唐傘お化けに関係があるみたいなことを言っていたから、筋は通る」
「でも話が見えないね」
二人揃って「うーん」と首を傾げ、ご神体を見る。
黒蝶の柔らかな白い膝の上に鎮座する桐箱は相変わらず妖力で封じられている。どうやって開けるのか、そもそも開けてもいいのかも分からない。
「無説坊は確実に何かを知ってるね」
「生きてるかな?」
黒蝶は複雑そうな面持ちで遠くの山に目を向けた。
「生きていたら向こうから接触してくると思う。それより、今後の方針をどうしようか?」
命を狙われている折笠はほとぼりが冷めるまで身を隠した方がいい。ちょうど旅行を企画していてまとまったお金もある。
ご神体を狙われている黒蝶は逃亡生活を送れるのか。そこが問題だった。
「どうにかなるけど、家族が心配すると思う」
「ご家族は半妖についてどう思ってるの?」
折笠の場合、半妖は突然変異的なものらしく家族親族の理解がない。高校に通わずにバイト三昧の一人暮らし生活を送っているのもここに起因する。
答えにくい話題かもしれないと、すぐに話題を変える心構えをしつつ折笠は黒蝶の反応を窺う。
心配をよそに、黒蝶はあっけらかんとして言い切った。
「半妖がいるならちゃんと神様もいるねって喜んでるくらい」
「良い家族だわぁ」
だが同時に選択肢が狭まった。
家族に愛されている一人娘に逃亡生活はさせられない。黒蝶の家庭に配慮する心情もあるが、捜索届が出て陰陽師だけなく警察にまで追いかけられるリスクが大きい。
「とりあえず、スマホで両親に状況を伝えてみるよ。陰陽師が家族を人質に取るかもしれないから」
「あいつらもなりふり構わずって感じだもんな」
半分人間の半妖を躊躇わずに殺しにかかるくらいに。
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