第十話  旅行先

 黒蝶の両親からの返信は文字で見ても慌てふためいているのが手に取るように分かった。


「父さんだね」

「文面で分かるんだ?」

「普通分かるでしょ?」

「俺、家族親族と没交渉だから」

「プライバシー保護ばっちりだね」

「黒蝶さんのその前向きにとらえるところ結構好きだな」

「あ、お母さんに代わったみたい」


 歩きながら、黒蝶がスマホの画面を見せてくれる。今度はかなり冷静な文面だった。

 一次情報、二次情報、どう行動したいのか、何に注意または警戒すべきか。そんな穴埋め式の質問票がずらりと並ぶ。


「黒蝶さんのお母さん、事務仕事とかしてる?」

「なにが本業か分からないくらい幾つも兼業してるの」

「わぁすごい」


 折笠の語彙が死んだ。

 バイト戦士の折笠が目標にしてみたい人物のようだ。ただし、手が届かない目標と割り切ったうえで、の話。

 質問票を眺めて思考を誘導されないように考えているらしい黒蝶も地頭の良さが窺える。


「もしかして、有名校に通ってたりする?」

「これでもまぁまぁ頭がいいよ。迷い蝶の半妖だからか、ひっかけ問題とかの回答者を迷わせたり困惑させようとする問題の意図が見抜けちゃうの」

「地味に見えてめちゃくちゃ役に立つ能力を持ってるね……」


 絶対に詐欺に引っかからなそうだと、折笠は尊敬のまなざしを送る。折笠の場合、傘、唐傘の半妖だからか『誰かのため』と言われるとほいほいついて行ってしまう。中学時代の友人が「折笠に募金箱を見せるな」と陰で周知していたほどだ。

 黒蝶が返信すると、しばらくして返事が返ってきた。


「どうだった?」


 尋ねながら、『洋食の岬亭』の扉を開ける。


「学校の方は何とかするって。ご神体は命よりはるかに格下だからうっちゃれって」

「打ち捨てとけみたいなニュアンスでオーケー?」

「邪魔ポイな感じ」

「理解しつつある」


 どういう会話だと眉を寄せる店員さんに案内された席に座り、キノコとベーコンの生パスタなどを頼む。

 店員さんが去ってから、折笠はスマホを弄る黒蝶を眺めた。


 見れば見るほど綺麗だ。容姿そのもの以上に、所作に遊びをもたせた美しさ、優美さがある。眺めていてもどの動作、表情が作用しているのか分からないのに柔らかな美がある。

 接客業に向いてるよなぁ、とぼんやり考える折笠の前でスマホをポケットにしまった黒蝶が折笠の気を引くように目の前で人差し指をくるくる回す。


 むかーし昔、叔母がトンボの前で同じように指を回していた。指の動きに注意が向いたトンボを真後ろの死角からひょいと捕らえてドヤ顔を決める叔母に折笠は拍手を送って「すっげぇ」とはしゃいだものだ。

 トンボの立場になると、窓の外を向きたくなると初めて知った折笠だったが、横向いたそのすきを突かれて頬を『むにっ』とつつかれた。


「隙だらけー」

「喋べりにゅくゅい」


 段々と圧を強めてくる指から逃れて上半身をのけぞらせ、黒蝶を睨む。

 黒蝶は満面の笑みを浮かべていた。『悦』と題をつけて写真を飾れば国宝になりうる笑みだ。行き場を失ったはずの人差し指が折笠をしっかり差しているのもポイントが高い。無駄にポイントが高い。


「あのさぁ」


 これから抗議の声を上げます。そんな折笠の枕詞を笑みの一つで受け流し、黒蝶は口を開く。


「ほとぼりが冷めるまで旅行に行っておいでってさ。お金も振り込んでくれるみたい。無事を知らせるために毎晩、電話連絡をしなさいって。それから、神社周辺に張り込んでいる陰陽師の身元を洗って送ってくれるって」

「……待って、怖くなってきた。身元を洗えるの? え? なんで?」

「統計学的に、知り合いの知り合いの知り合いっていうのを六回繰り返せば特定の誰かにつながるんだって。神社のお祭りに何人が関わっていると思う?」

「お、俺、ボッチ、ともだち、いない」

「私が初めてのお友達かな? いつでも連絡取れるようにしよう? スマホ、だして?」


 背骨に沿って氷を押しあてられたようなぞわぞわとした感覚を自覚しながら、折笠はスマホを差し出した。

 現実的に、ほとぼりが冷めるまでの逃亡生活を送るなら連絡手段があった方がいい。


「迷わないんだ……」


 黒蝶が少し驚いたように呟く。

 確かに、折笠には一瞬の迷いもなかった。

 連絡手段を確保するのが合理的。そう表層で理解しているのとは別に、片隅で何かがささやいている。


『――もう淋しい思いをさせるな』


 意識すれば引きずり込まれそうなその後悔の念は確かに折笠の選択に影響していた。

 同時に、殺意が湧き起こる。


『あの人でなし共を――』


 小川で思考を埋め尽くしてきた殺意と同じものだと気付いた瞬間、折笠は深呼吸をして心を落ち着ける。

 喚きたてる殺意はとても他人事には思えない。それでも、その殺意はきっと黒蝶に淋しい思いを強いる。そんな確信だけがあった。


「――どうしたの?」


 黒蝶が心配そうにのぞき込んでいるのに気付いて、折笠は笑う。


「俺さ。旅行に行こうと思ってバイトでお金を貯めたんだ。スケジュールとかも何にも考えずに、数日を旅行先で過ごそうって。ただ、いざ行くとなると、どこに行こうか悩んでて……。目的がないのがもったいなく感じてさ」


 百パーセントの嘘ではないから気付かれない。


「これも何かの縁ってことで、どこに行くか決めてくれる?」


 黒蝶がじっと折笠を見つめて、困ったような顔をする。

 何に悩んでいるのかもわからず、折笠は黒蝶の言葉を待った。

 注文したパスタを始めとした料理がテーブルに並んでいく。配膳を終えた店員さんが去っていくと、黒蝶は口を開いた。


「出雲に行かない?」

「出雲か」


 神無月に神様が出雲の地に集まる。だから、出雲では神在月と呼ばれる。

 黒蝶の言わんとするところを折笠は正確に理解した。

 神社庁管轄、国家権力を背景にしているだろう陰陽師に命を狙われている折笠と黒蝶の立場で、平穏を得る唯一の手段――


「高天原参りで俺と黒蝶さんの安全を天津神に願うってことか」


 黒蝶が重々しく頷く。


「私たちの状況って客観的に見て詰んでるよね」


 国家権力を背景に死体の処理すら可能そうな陰陽師に対して、折笠は自らの命を守り、黒蝶はご神体を守らなくてはいけない。

 黒蝶の実家の神社は陰陽師に包囲されており、ご神体を神社に戻そうとすれば何をされるか分からない。

 まして、ご神体を戻そうとする黒蝶が迷い蝶の半妖、人外となれば折笠同様に殺されかねない。

 一個人、そうでなくても半端な妖怪でしかない折笠と黒蝶が国家権力と対等に渡り合うなど不可能だ。

 ならば、国に対抗できる手段を持つしかない。


「天津神なら、俺たちの置かれた立場を覆せる」


 黒蝶が深く頷いた。


「高天原参りに参加しましょう」

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