第二十四話 雪辱戦

『――幾年月を経て運命は変わらじ。故にこそ、変わりゆく定命の罪を我が名をもって討ち払い清めよう』


 夏だというのに足元から冷気が上がってくるような錯覚を与える下漬の祝詞が響く。

 極限まで高まった妖力が神力となり、下漬を中心に荒れ狂う。


 祟り神にふさわしい、悍ましい神力が下漬勢の妖怪たちを包み込む。調伏されて逆らえないはずの妖怪たちが必死の形相で身をよじり、神力から逃れようとした。

 神力に包まれた妖怪たちが虚ろな表情で折笠たちへと歩き出す。それまでの戦いで追った傷が全て癒えていた。

 否、癒えているというには傷口の様子が妙だった。一見、傷が綺麗さっぱりなくなっているように見えるが、目を凝らせば下漬の神力が傷のあった場所を覆っている。


「治癒って感じじゃないな」

「変化の拒絶じゃないかな?」

「全快の姿で変化しなくなる、あたりの能力か。あの虚ろな表情は?」


 折笠の疑問に答えが出せず、黒蝶が「うーん」と可愛らしく唸った後、肩をすくめた。


「分かんない」

「分かんないかー」


 攻撃を仕掛けて様子を見ようと折笠が動き出す前に、大泥渡が呆れたように答えを告げる。


「調伏の術が全快の姿を再現する神業と競合して、意識が混濁してるんだと思うぜ。洗脳されてたら全快とはいえねぇしな」

「……意識がねェなら、あいつらは命令待ちの式と変わンねェな」


 憐れむようにサトリが呟くと、月ノ輪童子が豪快に笑って刀を一凪して構えを取る。


「良いことを聞いた! 遠慮なく幾度切り刻んでも敵方が治してくれるんじゃな! これで後腐れなく戦えるというものよ」


 月ノ輪童子が言葉にしたことで、鬼の衆も気付いたらしい。好戦的にニヤニヤと笑いながら構えを取った。


「月ノ輪、照魔鏡を狙ってくれ」

「無論、そのつもりじゃ」


 鬼たちの先頭に立って意識が混濁している敵へ斬り込んでいく月ノ輪童子の後ろを半妖衆が追いかけていく。半妖衆の何人かが折笠を振り返って小さく頷いた。

 特殊な能力がない鬼たちが絡め手にやられないよう、半妖衆でフォローする気だ。

 鬼たちも特に反応を示していない。百鬼夜行で移動している間に打ち合わせが済んでいたのだろう。

 折笠と黒蝶のスマホが震える。半妖衆からのメッセージが届いていた。


「なにかあれば連絡しますね、か。了解っと」


 江戸や戦国の対い蝶の郎党と決定的に違う文明の利器による情報交換。令和組の底力を見た気がして、折笠の心が湧きたつ。


「黒蝶、下漬の相手をしばらく頼む」

「流石に私だけじゃ倒せないよ?」

「すぐに合流するよ。無説坊、大蛟を始末しに行くから付き合ってくれ」

「応とも。龍燈以外は付き合え」


 無説坊が配下に声をかける。

 龍燈が少し申し訳なさそうに頭を下げてから、黒蝶の横に駆け寄った。

 龍燈の代わりというわけでもないだろうが、墨衛門が折笠を挟むように無説坊と並び立つ。


「無説坊、さっさと逝っちまぇやがって馬鹿野郎が。終わったら面貸せ」

「墨衛門か? 墨衛門だな! 老けたなぁ!!」

「うっせぇわい。お前さんも老けてんだろうが!」

「我はもう死んでる。これ以上は老けんぞ。かぁー若くてすまんな!」

「貴様! 焼き芋もハモも食わせんぞ!?」

「それは食いたいもんだな。互いに老けるくらいに積もる話も――」

「――大蛟を倒してからにしてくれないかな!?」


 折笠が止めると同時に、高圧力の水流が折笠の顔面を直撃する。

 仰け反った折笠は濡れた前髪を掻きあげて空でうねる大蛟を睨みつける。


「ごめん。無説坊と墨衛門の出番はないかも……マジでムカついてきた」


 どいつもこいつも好き勝手しやがって、と折笠は苛立ち紛れに唐傘を手元に作り出す。

 まるで子供用にも見える小さな唐傘。だが、華やかな蒔絵が施され、柄にまで精巧な彫刻が見られる。

 氾濫する暴れ川の治水工事を行う様が描き出されたその蒔絵の唐傘は大蛟を倒す決意が宿っている。

 遊び過ぎたことに気づいた無説坊と墨衛門も配下に命令を発する。


「大蛟が落ちるぞ! 囲んで殺せ!」

「横槍を許すな。無説坊配下を囲んで守れ!」


 どちらも、大蛟が空から地上に落ちることを前提とした命令だ。その命令が正しいと理解して行動する両者の配下も、折笠に信頼を寄せている。

 折笠が超高速で唐傘を空へ投げ飛ばす。小型だからこそ密度高く神力が込められた唐傘が大蛟の長い腹部に達して衝撃波をまき散らす。

 池に何かを落としたような、ぽちゃんという間抜けな音が鳴る。

 大蛟の身体をなす高密度の水からは出ないはずの、間抜けな音が鳴る。

 だが、音とは裏腹に変化は劇的だった。


「――っ!?」


 大蛟が声にならない悲鳴を上げる。

 大蛟の身体全体へ波紋が行き渡り、苦痛に身をよじる大蛟が地表へと為すすべなく落下していく。

 神性持ちといえども所詮は命令遵守の式だ。頼みの綱の術師、下漬が黒蝶に率いられた集団に襲われ、迷い蝶が乱舞する戦況で対抗する命令をもらえるはずもない。


 地に落ちた大蛟の頭に無説坊が芭蕉扇を渾身の力で振り下ろす。豪風が文字通りに吹き下ろし、遥か高空の雲すら形を変える下降気流が大蛟の頭を地に擦りつける。

 大蛟が渾身の力で叫ぼうとも、大気の流れが叫び声を打ち消す。

 大蛟が折笠を睨む。最初から大蛟に下されていた命令は折笠の殺害だったのか、他に興味を示さず折笠へ龍のような鋭い牙の生えた口を開ける。

 折笠を一飲みにすることも容易いだろう巨大な口から散弾状に水の玉が吐き出される。


「汚いな」


 大ぶりの赤唐傘を開いて水の玉を全て受け止め、半妖の身体能力をフルに生かして一歩踏み込む。折笠の踏み込みに合わせて開いた唐傘に風が当たり、その風を利用して一瞬にして唐傘が閉じられた。

 折笠の唐傘が閉じられた瞬間を狙いすまして次弾を撃ちだそうとした大蛟の上顎を、墨衛門が番傘を叩きつけて強制的に閉じさせる。


 直後、折笠が全速力で大蛟へ迫り、突撃槍のように唐傘を突き出した。

 大蛟の頭が唐傘を受けて弾け飛ぶ。龍の長い胴体の二割ほどを消失させて折笠の突進は止まった。

 停止と同時に、折笠は大蛟の胴体に食い込んだ唐傘を無理やりこじ開ける。大蛟の胴体をなす高密度の水が唐傘の開く圧力に耐えきれずさらに吹き飛んだ。

 飛沫となって空中に拡散する水に神力が宿っているのに気付いて、折笠は眉を顰める。


「ばらしても復活するのか」


 水で身体が出来ているのではなく、水の一滴一滴が大蛟の身体。ばらしても集合し、再び大蛟の身体を成す。

 的確に妖核を砕く致命の一撃以外は無意味なのだろう。五行家の筆頭、水之江家の家宝とされるだけはあるしぶとさだ。


「一筋縄ではいかないな」

「くちなわだけはあるわ。がはは」

「無説坊、それ上手くないぞ」


 すでに死んでいるからなのか、それとも生来の気質なのか、決して楽観視できないこの状況でつまらない冗談を飛ばす無説坊に苦笑する。

 戦況の確認のためちらりと黒蝶と下漬の戦いを横目に見て、折笠は声を張り上げる。


「大煙管! ありったけの音を出せ!」


 下漬が大蛟へ新しい命令を出そうと様子を窺っている。それに気付いた折笠の指示に、大煙管が自慢のキセルを巨大化させ、それを拡声器代わりに大声を響かせる。


「若ぇ衆! 自慢のどんちゃんやっちまえ!」


 余りに激しい戦闘に手を出しあぐねていた若い狸妖怪たちが一瞬きょとんとした顔で首を傾げた後、大煙管の命令の意図に気付いて満面の笑みを浮かべた。

 楽器に変化する者、その楽器を手にする者、変化を解く照魔鏡対策に衝立となる者たち。

 戦場に場違いな、しかし戦略的に大きな意味のある狸囃子が掻き鳴らされる。


「彩ってやるぜ、この戦場をオレの音で!」

「あたしの音しか聞かせねぇ!」


 若い狸妖怪の複数のバンドが少し調子はずれの爆音を掻き鳴らす。

 テンポの狂いも外れた音もバカバカしいのに、それが妙に折笠たちの背中を押す。

 テンポが狂っているから前のめりになれない、音が外れているのに気付いて笑える余裕を失えない。それでも、下漬勢の集中砲火を受けても搔き鳴らす命がけの狸囃子が折笠たちを鼓舞する。


 無説坊が芭蕉扇を振るって自身を強風で空に打ち上げる。狸囃子を聞いて大いに笑い、声を失おうとも宴でともに盛り上がれる配下へと指示を送る。

 狸囃子に掻き消された声など気にもせず、鞍野郎と狸妖怪が無説坊の着地点へ走る。狸妖怪が輓馬のような力強い巨大馬に変化し、鞍野郎がその背で上等な鞍となる。そこに着地した無説坊が折笠に目配せする。

 折笠は思わず笑いながら、無説坊の手元に頑丈な造りの巨大唐傘を閉じた状態で生じさせた。

 突撃槍として巨大唐傘を構えた無説坊は、巨大馬にまたがり、鞍で姿勢を安定させ、芭蕉扇で強烈な追い風を作り出す。

 それらの準備が整うまでの時間稼ぎを無説坊配下の妖怪たちが全力で作り出す。


 折笠の攻撃で散ったはずの水滴が凝集して身体の大部分を取り戻せた大蛟は妖怪たちの全身全霊の時間稼ぎを受けて空に逃れることができない。

 折笠への攻撃もすべて、唐傘で受け止められる。


「もう詰んでる。諦めろ」


 唐傘をくるりと回して肩に担いだ折笠が最後通牒を突き付けた時、無説坊たちの突進が大蛟の妖核を捉え、大蛟の身体からはじき出す。

 折笠は正確に足元へと転がってきた妖核を踏み砕いた。

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