第七話 玄川悠善
陰陽師をおちょくっていたはずの妖怪たちが山中を駆けあがってくる。明らかになにかから逃げていた。
「無説坊、玄川の陰陽師が援軍にきやがったぞ!」
「……玄川だと?」
山の妖怪の棟梁、古天狗の無説坊をして油断ならない相手なのか、顔が一気に険しくなった。
折笠は戦闘に備えて周囲に唐傘を撒いてバリケードを作りながら黒蝶に質問する。
「玄川って強いの?」
「わたしは陰陽師には詳しくないよ。半妖だから極力近づきたくないもん」
それもそうだ、と折笠は手近な妖怪に同じ質問を投げた。
作戦を考える無説坊を心配そうに見つめていた馬鞍顔の妖怪が答えてくれる。
「陰陽師の古い家の一つだ。陰陽師の家ってのは江戸時代以前と以後で古新の区分がある。古い方は妖怪にも半妖にも容赦がない。唐傘の、あんたも妖核を奪われる程度で済むとは思うな」
妖怪ならば妖核を奪われると消滅する。半妖の場合は半分が人間なので半妖化ができなくなるものの人間としては生きられる。
陰陽師に負けた場合でも便利な半妖化を失うだけで済むのが本来なのだが、折笠は最初から期待していない。神社で追いかけられ始めた時から、陰陽師の殺意が明らかに強かったからだ。
だが、黒蝶を巻き込むのは本意ではない。
「幸いなことに黒蝶は姿を見られていないし、半妖化を解いて逃げられると思う。ほとぼりが冷めるまで半妖化はできないと思うけど」
「唐傘の、それは見通しが甘いぞ」
無説坊が会話に割り込んできた。
「照魔鏡やそれを模した術で正体を看破される。そちらの巫女の姿を完全に隠蔽せんことには逃げきれんよ」
「照魔鏡――あれか」
神社で女陰陽師が持っていた銅鏡を思い出し、折笠は納得しつつもげんなりとして麓を見た。
「個人情報だ、ばかやろー」
「人じゃなくて半妖でしょ」
折笠の戯言にツッコミを入れた黒蝶は無説坊を見る。
「勝算は?」
「ないな。古い家とぶつかるとしても、戦力を増やしてからのはずだった。なに、陰陽師を呼び込んだ唐傘のや巫女を恨みやせんさ。元はといえば、我がご神体を盗んで招いた事態故な」
無説坊は錫杖で地面を突くと配下の妖怪を睥睨した。
「唐傘のや巫女はあくまで客人だ。怪我なぞさせてはならん。ここは戦いを避け、逃げに徹する」
方針を宣言した後、無説坊は各自の役割を伝えてから麓から慎重に歩みを進めてくる陰陽師へ身体を向けた。
「我が殿を務める。唐傘の、玄川の術は水気に偏る。元が水辺の亀の大妖怪から奪った妖核で術を構成しているからだ。この結界も玄川のモノとすれば、唐傘の術で破れるやもしれん。頼んだぞ」
「頑張ってみるよ。俺の命もかかってるし」
無説坊に背を向けて、折笠は妖怪たちと共に山を駆け下りる。
ひらりと折笠の肩にクロアゲハが留まった。気付けば、いつの間にか黒蝶の姿がない。
肩のクロアゲハは黒蝶が変化した姿らしい。
「状況に流されている気がするね」
肩のクロアゲハが黒蝶の声でそう呟く。
折笠も神社で追いかけられてからずっと自由意思で行動できていない。なんて厄日だとぼやきたい気分だが、昨夜拾ったケサランパサランが影響している気がしてならない。
現状ではどう考えても幸せではないが。
「ずっと後手に回ってるよな。仕切り直すためにも、まずは結界からの脱出に専念しよう」
見上げる空には相変わらず透明な力場が形成されている。微動だにしない強固な結界だが、無説坊が言う通り水気をまとっている気がする。
隣山との境、谷間に流れる緩やかな小川に結界の端が見える。一足先に到着した足の速い妖怪たちが結界を叩いているが何の意味もない。
「傘ってこういう使い方をする物じゃないんだけどな……」
折笠は閉じた唐傘の先端を結界に向け、斜面を走る勢いを乗せて結界へと突き出した。
結界が纏う水気が唐傘へとわずかに吸い寄せられ、唐傘に内包された妖力が活性化する。五行相生、結界の水気が唐傘の木気を強めた結果、結界そのものに穴が穿たれる。
折笠はすかさず唐傘を開き、穿った穴をさらにこじ開ける。押しのけられた結界が揺れた。
この騒ぎは確実に術者へ伝わっている。駆けつけてくるのも時間の問題だ。
「みんな、急いでこの穴から抜けろ!」
妖怪たちを逃がしつつ、折笠は別の唐傘を作り出して結界に二つ目の穴をあける。
黒蝶と一緒に二つ目の穴から結界の外に出た直後、結界全体が大きく揺れた。
水面に波紋が広がるように複数の波が結界に生じたかと思うと、その波は結界の曲面に沿って折笠たちがいる地点へと収束していく。
咄嗟に、折笠は唐傘を広げて結界に向けて盾のように構えた。
轟音を伴って結界から放出された莫大な量の水が結界を脱した妖怪たちを薙ぎ払う。谷間を流れる小川周辺に隠れる場所はなく、斜面を駆け上がって難を逃れるのも難しい。
今になって気が付く。
「誘導された……!」
ぴちゃん、と水面を
小川の上流へ目を向ける。足元に倒れている妖怪たちに見向きもせずに川の水面を沈むことなく歩いてくる中年男性の姿があった。
「唐傘お化けの半妖……先ほど報告があったあれか」
男性が銅の円盤を懐から取り出した。手のひらにすっぽりと収まるサイズのそれには亀の甲羅のような六角形が彫り込まれている。
「玄川悠善の名に応じよ――大河堰き」
直後、銅の円盤が変形し、玄川悠善を名乗る男の前に巨漢が現れた。
二メートルを優に超える身長に、その肩幅も一メートル近い。人であれば縦横比がおかしなその体格が玄川悠善の式であることを如実に示す。
亀甲紋の羽織袴に亀のヒレを巨大化したような形状の銅板を持っている。
折笠の肩でクロアゲハが硬直する気配がした。
半妖としての本能が告げている。
あの式には勝てない。格が違う。勝敗以前に戦いにすらならない。
「穢れを流し清めろ、大河堰き」
巨漢が銅板を振るう。風が啼き、川面が震え――大水が折笠たちへ覆い被さる。
水の巨人が手を振り下ろしたような大水に、折笠は動けなかった。
迫りくる暴力が、死の恐怖が体を硬直させる。
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